分岐点 extra

わからない


Sideセブルス

翌朝の目覚めは最悪だった。

背を受け止める床の冷たさ。投げ出された腕の痛み。片足だけが残されていたベッドは遠く。閉じ忘れたカーテンの隙間からさす朝日が眩しくて、しばらく呆然とする。
自分の置かれた状況がボンヤリとしか理解できない。
カーテン越しに白むうす青い空雲の様子から、何時もならまだ起きるような時間帯ではないとは、分かった。

「……ここまでされるのは久しぶりだ、」

瞬くごとにクリアになる頭がこの状況の答えを導き出す。
なんて奴だ。どうしていつも僕だけが。
ぶつぶつと不満を口の中で唱えながら僕は、『落とされた』際に打ったらしい頭を擦りつつ身体を起こした。

そう。原因は、セネカだ。
寝起きも寝相も悪いセネカに僕はベッドから押し出されたのだ。
迂闊にも壁側で寝なかった僕にも落ち度はあったかも知れないが、小さな頃なら十分な広さだと思えた、狭いシングルベッドにも原因がある。
…これを言ったら、こいつは嬉々として「じゃあ、新しいベッドを買おう!」と、僕が頷く前に購入してきてしまうだろう。頭が痛い。

未だに寝息をたてている芋虫は幸せそうな顔をしていた。

絡まりながら枕の上でうねる長い髪。
だらしなく開けられた口元。
伏せる濡れ羽色の睫毛と、抓り甲斐のありそうな――実際、これはよく伸びる――頬。
ひとつだけ外れているパジャマのボタンの上で、ゆるやかに上下する呼吸はやすらか。
憎たらしいほど、ぐっすりだ。

この無防備過ぎる寝顔に仕返しがしたくもあったが、相手がとても疲れているのも十分に理解していた僕は、広い心で、とても寛大にも。
今日だけは許してやろうと、疲れたような溜息を吐いてベッドへと腰かけた。
…次にやられたら、しばらくは同じベッドでなど寝てやらない。

「おい。いつまでも寝ていると本当に抓るぞ」

こんな言葉で起きるならば毎朝苦労しない。
キスで起こしてほしい等というセネカのとんでもないお願いも当然ながら却下である。
考える前に僕の指は動き、くるくると巻き取りながらぼうっと見下ろして…寝がえりを打ったセネカの唇がほころぶのに釣られ、僕の不器用な口元も持ち上がっていた。

「…ひとりで過ごす間も考えていたのはお前の事ばかりだ。なんて、喜ばせることを僕が言うわけないだろ、」

言ったら最後。セネカは分かりやすく舞い上がり、うるさいくらい纏わり付いて離れなくなる。
けれど。それも少しの間だけの事だ。
時間がくればまた仕事へ、自分の責任を果たすために名残惜しい顔を残して暖炉へと消えていく。

セネカが創り上げた会社は予想を遥かに上回って名を上げ、僕の知らぬ間に随分と人が増えた。
僕の知らない大人に囲まれながら社長職をこなすセネカは、休暇中であれ――むしろ、だからこそか? そういえば休暇の始めは必ず悲鳴を上げている――そうゆっくりしている暇も無い。
先日の事件さえなければ一週間の滞在を予定していたキャンプだって、相当無理を強いてしまうのでは無いかと、僕は何度も聞いたものだ。

今更放り出せなどと無責任な事も言えないし、誰の為に稼がなければと考えたのかも、良く知っている。
だから。セネカを引き止めるような…我儘なんて子供じみたこと、僕は、言いたくなど無かった。

――僕のセネカは僕のモノだけど、僕だけのモノではいられない。

…独占的なこの感情は幼稚な嫉妬だ。
僕の前では見せない――見せたくない――顔を知る者がいるということが、最近、たまらなく嫌になる時がある。
同じ学生の身分なのに、肩を並べられるはずもなく。
秘密という言葉で締め出されたくらいで蚊帳の外に置かれたような気分になる僕の、つまらない嫉妬。

だからだろうか。
昨夜は…その……少し意地になり過ぎた。
セネカが馬鹿なことばかり言うのも悪い。
何時ものように可愛くねだれば良い、もの、を…、

「(………………くっ、…やっぱり、昨日のアレは、僕もどうかしていたッ、)」

思わずゴスッと目の前にあった頭へ、僕は頭突きと呼ぶに相応しい当たりをかましていた。
瞼の裏に星が走り、熱くなった頬を手で覆う。
衝撃が枕へ吸収されて呻くに留まったセネカと違い、もろに響いた僕の額はズキズキと鈍い痛みをじわりと広げた。

…僕を悩ませてばかりのセネカは…本当に性質が悪い。
いけない事だと分かっているのに、つい、甘えた声が聞きたくて手を伸ばしてしまうのも。
名前の付けられない感情が、時折、不意を突いて顔を覗かせては僕を困らせているのも――全部、セネカが原因だ。


だから、僕は時々、ふたりの距離があまりにも近すぎて、慰め合うためなのか、触れたくて絡まっているのかが、分からなくなる。


「…早く目を覚ませ、この、馬鹿者」

完全なヤツ当たりだ。頭が痛い。
肩を乱暴にゆり起こす手を嫌がって、逃れたセネカが背を向け、細いうなじが露わになる。
そこに残された小さな痣が、僕の目を引く。

指先でなでても擦っても取れない。
小さな自己満足のあと。

僕からは見えてセネカからは見えない僕の独占欲は、あまりにも薄くてぼんやりしていて…とても下手くそだった。


***


魔法省に足を向けてから、早一週間。
夏季休暇は残す所あと一月となっていた。
この一週間はまさに地獄と呼べるような、キツいスケジュールを自ら組み、積み上がった仕事を黙々と――時には逃げ出してセブルスに癒されつつも――こなした。

…本当に、よく、絶えたと思う。
愛しいセブルスの支えが無ければ挫けていただろう。

段々と瞳がとげとげしさを通り越して虚ろに染まっていく俺を、セブルスは根気よく慰めては美味しい料理やお菓子を食べさせ、夜はキスをして抱きしめて寝てくれた。
(…途中で大層怒らせてしまう事件もあったが、まあ、それは後でお話しよう)
「無理はするな」と彼は遠慮がちに言ってくれたが、俺にはそうしなければいけない理由と目的と…目を反らせない現実が…積み上がっていたのだ。

「(うっ、…思い出すだけで、吐き気がする…)」

瞼を瞑ればくっきりと浮かぶ、社長室のデスクに形成された視界を狭める山脈。
美しくもない紙の束。
しかも傾斜はかなりキツイ。絶壁。

あれなら、スコットランドのベン・ネビスや、ウェールズのスノードン辺りで山岳チャレンジして来いと言われた方がまだマシに思えた。
見ているだけで脳内の俺とセブルスが手と手を取り合って、始発に乗ってさよならと手を振りましたとも。ええ。
愛の逃避行。そう洒落込みたくもあったが、ひと時の苦行とでも思えば…うん。

まあつまり、それほど逃げ出したい状況だったのは確かだ。
ヴィットーリオ青年を無罪へ導くために尽力を尽くしている間も、仕事は溜めこまれて、一昨年のクリスマス休暇の悪夢が俺に再来したのだ。
やさぐれたくもなる。

そして。苦行も一段落ついた本日。
待ちに待った待望のセブルスとのお出かけへと俺は繰り出していた。


「――少し速度を落としてセブ。それと、もっと周りに注意を払って。顔を上げても、誰とも目を合わせちゃいけないよ」

目深に被ったフードの影で口早くささやき、頷く気配を傍らに寄せて薄汚い路地を進んだ。
同じ黒いローブを纏うセブルスが言われた通りに速度を緩めたのを確認して、入り組んだ細い通りを迷い無く案内する。
コソコソとするよりも堂々とした足運びで「此処の常連だ」と匂わせることが重要なので手は繋げられないが、彼にとっては三度目の訪問でもあるからか、溶け込む気配に違和感は無い。

ここはノクターン横丁。
表通りを堂々と歩けない、所謂闇の魔法使いと呼ばれる者達が足を向ける場所だ。
(因みに我が社の副官、ミカサ・スズヨシが自宅を構える場所でもある)

人通りの多いダイアゴン横丁から一歩外れて隣接するノクターン横丁は、それはそれは如何にもという雰囲気で、薄暗く汚い。
普通は俺達のような子供はおろか、並みの魔法族ならば足を向ける事さえも躊躇う。…普通はな。
何よりも危ないし、くねくねと惑わせに掛かる曲がり角の多い道は初心者にとっては歩くだけで心寂しく、踵を返させる。


さて。
何故折角のお出かけなのに、このような場所を態々選んだかというと…それには深ーい事情が御座います。

そう、これはご機嫌取り。
誰ってもちろん。セブルスの、である。
予定をしていたキャンプを早めに切り上げざるを得なかった、その埋め合わせも理由のひとつではあるが、それだけで俺がこんな危険な場所へ彼を伴うはずもない。
これには、先程言った「大層怒らせてしまった事件」が大いに関係している。

まさかまさかの。セブルスと俺がキスしている所をミカサたちに目撃されてしまったのだ。
あっはっはっ、は……笑えない。

しかも軽い方では無く、こってり濃厚で深い方を。
あまりにもセブルスと離れがたくてうだうだ言い始めた俺に強請られて、渋々応じてくれた彼と居間でイチャイチャしている所を、予定の出勤時間を大幅に過ぎても顔を出さない俺を迎えにきた彼らに…バッチリ見られてしまったのだ。

その時のセブルスの衝撃といったら。
顔色は真っ青から蒼白へとかわり、言い逃れも出来ないほど密着していた自分に気付くと燃え上がるような羞恥で頭を爆発させ、二階へ逃げ込んで閉じ籠ってしまった。
即座に宥めようとしたが俺は彼らに会社へと連れ出されてしまい…夜になって帰宅した頃には、セブルスの怒りは天辺を通り越して無表情でありました。
因みに変態の興奮も鰻上りでありました。もうアイツほんとうざい。

「(すごく…大変だった。もう一生ちゅーしてもらえないかと思った…)」

口は聞いてもらえない。一緒に寝てももらえない。
あたり前だが挨拶のキスでさえも断固拒否。NO!
五体投地し兼ねない勢いで三日間謝り倒したが全く聞きいれてくれない彼に、元々荒んでいた俺の心はバッキリと折れ。
結果、情けなくもボロボロと涙を零して泣き落とした。

「(…今思い出すだけでも顔から火が出る。なんとも惨めな有様だったぜ)」

しかし。その効果は絶大で。
氷河期から一転。セブルスはオロオロとうろたえ、逆に俺を宥めに…慰める立場へと瞬く間にシフトチェンジした。

どうやら彼は俺に泣かれるのが本当に、本当に、苦手らしく。
涙を流す俺を見るだけで身体はカチコチに固まり、労わり方も不器用で拙い。
まあ、それがまた良いのだけど。
最終的にキスで始まった騒動はキスで丸めこんで終わりを迎え、そのままベッドに誘い込んで二重の意味でごちそうになりました。

「(てか、俺が味を占めるのでセブルスはもう少し学習した方が良いと思う。…つけ込むぞ? 会社の方でも公然の関係として認識されちまったみたいだし、)」

――スズヨシ兄弟は俺達の行き過ぎた兄弟愛(……)の現場を目撃した後も、特に態度を変える事も無く、副官殿に至ってはプライベートには口を出す気はさらさら無いのだと涼しい顔で言ってのけた。
弟の方はやたらと好意的で協力的ではあったが…頻りと「どこまで進んでるんっすか!」とも聞いて来たが…まあ、それはそれ。非常にウザい例外だ。

「(魂はともかく、肉体的には近親相姦で同性交友関係かも知れん上司でも、彼らにとっては特別気にする事でも無いのだろうな、)」

それでいいのかスズヨシ兄弟。
変態にとっては大変美味しいネタであろうが、この国の性的同意年齢をあきらかに下回っている俺達を普通の大人ならばここで止めて諭している。
常識のある、大人ならば。
不適切な関係に発展している恐れのある兄弟など引き離して、然るべき施設へと送るものである。
…あ、てか俺を社長として据えている時点で彼らは普通ではなかったか。ははっ。

まあ、だから彼が会社に顔を出してもほんと、何の問題も無く迎えてもらえる。
多少気まずい思いはするだろうが、それもすぐに慣れるだろう。
元々俺は隠し通せるとは思っていないし。
これで会社でも問題無くイチャイチャ出来るね! なんて言ったらまた機嫌を損ねてしまうだろうけどな!

(セブルスと仲直りが出来ていない間、俺と変態の間で議論された「どちらが能動側でどっちが受動側であるか」という下世話な話題だけは、あそこだけの話題で留めておきたいとは思う。
セックスなど夢のまた夢。
まだそこまでの行為に至るには知識が彼には足りて無いし…そもそも男同士でのアレは…非常に勇気が必要とされると思う。だから俺は今のままでも…うん。
どうせなら俺からではなく、セブルスの方から誘われたい。
…別に「体力が無いから旦那には能動側は無理でしょ」なんて言いやがったフソウに、男としてのプライドをへし曲げられて拗ねている訳ではない。断じて)

閑話休題。

それでも俺が悪かったのは確かなので、こうして罪滅ぼしとして、彼が前々から行きたいと述べていたノクターン横丁をショッピングデートの場所に選んだのです。
なんとも色気のない選択だぜ。
しかし。出発前からそわそわと落ち着き無く浮かれていた彼の事を想うと、こんな場所でも素敵なデートスポットに思えてくる不思議。


「セブ、…着いたよ」

あらゆる回想をしている間に小さな店の前で足が止まる。
ノクターン内にいくつかあるアポセカリーの中でも、俺が特に贔屓して足を向ける小さな薬問屋だ。
寂れた店構えは閉店しているようにしか見えないが、ここではそういう風に態と構えて客を選んでいる店も多い。
(ボージン・アンド・バークス等よりも多少は良心的でもあるし。何よりも、俺はあそこの店主が生理的に受け付けん)

ガラガラと耳障りな音をたてるドアベルを鳴らして店内へ入ると、フードを払いのけて、一見乱雑とも思える積み上げ方をされている商品の間を通り、カウンターへ向かう。
…ふむ。ドラゴンの肝臓が2ガリオン、三つ首コブラの牙が20シックル。非常に割高だ。表で買った方が材料費としては安く済む。

そんな風に考えている俺の後ろで。
セブルスが俺のうなじに何かを確認するような眼差しを注ぎ、満足気に頷いてから着いて来ていたのを俺は知らず。
カウンターに置かれたベルを爪先ではじいていた。

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