分岐点 extra

Ministry of Magic


ロンドンの中心部から少し外れた、寂れた通りに古ぼけた赤い電話ボックスがある。
1920年。初めて登場した初代から数え、六番目にデザインされたK6型と呼ばれる、この街ではあちこちで良く見かける伝統の赤だ。

ボックスを覗き込むと、壁は落書きだらけで真っ赤なボディも所々塗料が削がれていた。
鉄製の枠にはめ込まれたガラスも数枚抜かれたままで、修繕される見込みも望めずに佇んでいるではないか。
極めつけに、この電話機は故障をしていた。

この有様では好んで利用する者など訪れないだろうと思われる。
しかし。中には奇特な者も稀に現れていた。

「6、2、4、4、2」

バネの力によって引き戻されたダイヤルが止まると、パルスに代わり、魔力が信号を送る。
すると、落ち着きのある女性の声がボックスを通して聞こえてきた。
例えるならば。そう。カウンターで朗らかな笑みを浮かべている受付嬢のような、そんなアクセントで、彼女はこう切り出すのだ。

「魔法省へようこそ。お名前と御用件をおっしゃって下さい」


***


イギリス魔法省。
ここは魔法法執行部を筆頭とした7部門から成る。
省内二番手の魔法生物規制管理部、魔法事故惨事部、国際魔法協力部、魔法運輸部、魔法ゲーム・スポーツ部、そして…神秘部。
本省内部は地下1階から10階まであり、在勤者らは煙突飛行ネットワークで通勤し、8階にある広大なエントランスホールからエレベーターに乗り込んで各部署へと向かう。

因みに先程の電話ボックスは外来専用。
つまりは、お客人用の入り口という訳だ。
(俺の苦手とするアラスター・ムーディが在籍する闇祓い本部は、地下2階の魔法法執行部内にありますので、どうしても会いたい人は一度訪れてみると良い。俺は行かないけど)

マグルの目をまやかして構築された地下にこのような機関があるなど、彼らは考えにも及ばないだろう。

そう、驕った考えを持つ魔法使いたちが、今は俺の目前にずらりと顔を揃えていた。


「――さて。尋問はこれで終わりですかな?」


秋咲きのバラがしっとりと含んだ艶を想わせる声が、囁きに満たされた法廷にその花弁を拡げる。
イスの肘掛部分に凭れ、頬を突いていた姿勢から俺はゆるりと身を起こした。

「まさかこれ以上、異論などあるまい? 証言も証拠もご覧の通り、貴殿らが納得のいく確かなものを提示したはずなのに、ね。…あんまりしつこいと嫌われちゃうぜ?」

確固たる響きを持った成人男性の声が、再び唇から紡がれた。
法廷の中心では、萎んだ風船のように生気を失くした青年が鎖でイスに縛り付けられたまま、裁判席ではなく、ただひたすらに俺だけを見つめている。
愚直なほど真っ直ぐな信頼を寄せる瞳だ。

それへ応えるために、俺はここに起つ。

古井戸の底に沈められた、不気味で、薄暗さを漂わせる法廷。
ここはウィゼンガモット最高事務局が管轄とする、マグルで言えば最高裁判所という所だ。
バルコニーの向こうに居並ぶのは裁判官達で。
それに相対する俺は、被告側証人というやつだ。

証人席から立ち上がった俺は最前列の中心に座する男と目を合わせ、シニカルな笑いを浮かべた。

男の名はバーテミウス・クラウチ・シニア。
魔法法執行部の現部長であらせられる。
銀髪を短く整えて直線的な分け目を入れた、ハブラシ状の口髭を蓄えた働き盛りの紳士だ。
その眼差しは厳しく、冷たい。
こちらを見返す瞳には情の欠片も窺わせぬ。
融通無碍とは無縁の男だろう…。

彼はしばし俺の言葉に喉を唸らせ「良いだろう」と、親の仇でも睨めつけるような鋭さで退廷を許した。
目の前で獲物を奪われた悔しさに、男の執念を感じる。

「無罪放免に感謝を。…さあ、彼の戒めを解き放っていただこう!」

解放された青年に手を差し伸べると、今まで影のように身を潜めていたミカサがさっと進み出る。
彼に青年を――デス・イーターではないかという虚偽をかけられてしまった社員を任せ、丁寧なお辞儀をしてローブを翻した。


「大分しぼられたみたいだな、ヴィットーリオ。直ぐに聖マンゴへ向かうから、それまで辛抱しろよ?」

法廷を後にし、ブーツの踵を石畳に叩きつけるよう歩きながら、肩を借りて無ければ歩む事もままならない青年を気遣う。
余程ひどい扱いを受けたのか、彼は力無い笑みをひきつらせて、かくりと重力に負けながら頷いた。

君の相棒も帰還を心待ちにしている。
そう一言添えてやりたい所だが…心の中でだけ告げるにとどめた。
無類の女好きに相棒とはいえ、男が待っているなどと伝えても喜ばれないだろう。

よくよく目を凝らせばうなじに掛かる黒い巻き髪が埃と皮脂でうす汚れていた。
普段はパリッと伊達男風に決めているワインレッドのシャツも、よれて汗染みと乾いた泥が擦りついており、良い男が台無しである。
青ざめた甘いマスクも以下同文。
「女性を口説くことこそ、男がこの世に誕生をした意味だ!」と、常から語るイタリア男も、この度の災難には大変堪えたようだな。

「(まあ…そんな男だったからこそ、多くのご婦人方からアリバイと証言をこれでもかと頂けて彼は事無きを得たのだが、)」

ナンパも時には役に立つ。
見たところ、すり傷以外これと言って大きな外傷は無いようだが、手荒で有名なアラスターに捕らえられたと聞き及んでいるので、病院で診察を受けるまでは完全に安心は出来ない。
彼ら闇祓いは許されざる呪文の使用も許可されているのだから。

…磔の呪文なんて掛けやがっていたらアラスターマジで許さん。


背後で法廷の扉が開く。
ぞろぞろ繋がる足音を気にしながら俺達は少し速度を速めた。
クラウチとまた顔を合わせることになるのは御免である。
彼が…首席魔法戦士としてダンブルドアが裁判官側に居るのは事前に知っていたけど――、先程は俺を呼び止めたいような素振りを見せていたのも、此処では不味いと、そう思って出てきた。

「(…つーかクラウチの野郎、有罪にする気満々で待ち構えやがって…一体、誰からの密告を鵜呑みにしたのか是非とも教えて頂きたいものだな)」

そもそも法廷とは公平な審理が行われるべき場所である。
うちが宅配業だからと言って、それを隠れ蓑に『あちら』へ便宜を図っているのだろうと、憶測で物を決め付けるのも止めて頂きたい所だ。
振りかざした正義の落とし先も次からは間違えないで欲しい。

「(確かに。法廷はクラウチの力が及ぶ範囲内ではあるが、法執行部にこれ以上実権を与えるのもどうかと思う。…そう考えるのは俺だけだろうか?)」

――あの男、ヴォルデモートが勢力を増しているこのご時世。

魔法省は中々尻尾を掴ませぬ、姑息で愉快な僕(しもべ)たちかっこ笑いを捕らえるのに大変な情熱を焦がしている。
まあこれは当然だから頑張っても良いとしてだ。
なんと、彼らは闇祓いへ新たなる権限を与えるに留まらず、裁判にも掛けず即アズカバンへと送ってもいるそうだ。

疑わしきは罰せよ。
我々は闇になど屈せず、このように優位なのである。

つまりは…そういうことなのだろう。
闇に怯える魔法使いたちへ劣勢を窺わせないためのパフォーマンスの意味合いも濃い。
魔法省の威信をかけた戦い。誠に結構。
全く他人事でもないのでどうぞご勝手になどとは言えないが、自分達にまでも被害が及ぶとなれば話は別だ。

「(…後で彼が容疑をかけられて拘束されていた間、我が社が受けた損害に対する賠償を求めてやろうか)」

あやふやな証言やずさんな捜査で逮捕したツケは支払って頂く。
軟派なイタリア男。ヴィットーリオ青年を指名する――うちは一定の値段以上を購入頂くと配達員を指名できる仕組みだ――通販ジャンキーなご婦人方にも、この度起きた「悲しい誤解」についてご説明申し上げておこう。


「(はあ…なんでこう、毎年問題ごとが舞い込んでくるのやら…。今年こそセブルスと邪魔されずに過ごそうと思って、態々ディーンの森まで赴いて楽しくキャンプしてたのに、台無しだ)」

昨年の夏は、デス・イーター、ラバスタン・レストレンジによって社員が損傷を受ける事態が起きた。
それだけでも許し難いというのに。
今年はよりによって、ありえもしない疑いをかけられ、何の咎もない社員が闇祓いに捕らえられたという。

これに憤らぬ馬鹿がどこにいる。
俺に強力なコネという名のダンブルドアさえ居なければ、今頃は彼も法廷にかけられず、とうの昔にアズカバン送りにされていたのだ。
…一体、この強引なやり方でどれ程の魔法使いたちが無実の罪でディメンターと牢獄をシェアさせられちゃっているのやら。

夏季休暇中に俺とセブルスをいちゃいちゃさせないために問題を起こしているのなら…尚更許さんぞ外野ども!
もう何日彼と直接会っていないと思ってる!



不穏な気配を纏いながらも、さっさとこのような不快な場所から退散してセブルスに癒されたく思う俺は、黒々とした厳めしい扉が幾つも並ぶ長い通路を突き進んだ。

松明が掲げられた薄暗い廊下はスリザリンの談話室へと続いているような錯覚を俺に覚えさせた。
地下というのはみな同じような印象を抱かせる。
壁に沿って並ぶベンチには、これから尋問を受けるであろう魔法使いや魔女が暗い表情で座り込んでいた。

「――Mr.プリンス、マイクロフト・プリンス、」

しかし。9階へ続く階段に差し掛った所で後ろから呼び止められた。
「Mr.プリンス」として法廷に赴いていた俺は――かなり舌打ちしたい気分ではあったが――とても聞き覚えのある声に振り向く。

「これはこれはダンブルドア、…とアラスター・ムーディ殿ではありませんか」

他人行儀な微笑みを投げかける。
(プリンス氏としての俺は彼らとは面識が無い設定になっているので、こういう態度になってしまうのは致し方ない)
軽く自己紹介を済ませた後、二人の様子から話しがあるのだと察した俺は、青年を支えるミカサに先へ行くようにと促した。

並んだダンブルドアとそう違わなくなっていた目線は、なんだか慣れなくて奇妙な感覚に襲われる。
今は成長薬などで色々誤魔化しているとはいえ、やはり彼の方が背は高い。ちくしょう。

「ダンブルドア、貴方には直接お礼を申し上げたいと思っていた所でした。この度は甥と私の嘆願を聞き届けて頂きありがとうございました。感謝しています」
「いやいや。わしの出来た事と言えばバーティへ口添えした位。未来ある青年の無実を晴らしたのは…君じゃ」

頭を下げる俺を彼はやんわりと制した。
ダンブルドアはそう言うが、彼の助力無しには為し得なかったことだ。
彼には、助けられてばかりいる。

「先程の審理に対する抗弁、わしも傍聴させて頂いておりましたぞ。実に見事な手腕であった。いや、まことに」
「これは恐縮です。ダンブルドア。…ですが、あれは私一人による力ではありませんでした。彼を想う協力者の存在が無ければ、あのように強気な態度になど出られませんでしたよ。…ああ、ミリセント・バグノールド氏については、」
「言及せぬ方が良いかの?」
「ええ、助かります。顧客の個人情報をこれ以上差し出すことは出来ませんので。彼女は、そう、少し熱を上げ過ぎているだけの様ですから」

会話を交わしながら9階の廊下に出た。
神秘部の扉を通り過ぎ、エレベーターが止まるのを待つ僅かな間も当たり障りのない言葉をやり取りする。
…睨んでくるアラスターから必死に目を逸らしながらだけどな!

生きた心地のしない中、扉がスルスルと開き、到着したエレベーターに三人仲良く乗り込んだ。
一瞬だけクラウチと目があったような気がしたが、それも直ぐに解れる。
女性のアナウンスが次の階への説明を述べる中、ようやく俺はいつもの通りに小生意気な口を開く。

「――『被告人の不行状故のアリバイなど』といって信用出来ないなど、頭の固い大人はこれだから困るね。証人として出廷したいと、そう申し出てくれたご婦人がどれ程いたことか全員連れて来て差し上げたかったよ、アラスター」

独特の浮遊感が腹を突くなか、しれっとした顔でそう述べた。
ぎょろりと魔法の目を動かした彼は唇を歪ませて鼻を鳴らす。
これでも、一応は笑っているらしい。

「皮肉か」
「Mr.クラウチへの、ね。ずさんな捜査とあいまいな証言に誘われた人達に対してはまた別に思う所くらいはある。言わないけど」
「言ってみろ」
「やだよ。アラスターおっかないもん」

アラスターなんてさっさと引退してしまえ。なんて言ったら後が怖い。

「…その顔で子供のような口をきくな」
「年齢的には子供ですんでー」
「フン、どこがだ。わしはもうお前を年端のいかぬ小僧としては扱わぬ心づもりでいるのだぞ」
「えーやだー」
「…服従の呪文を掛けられていないという確かな保証は勿論あるのだろうな」
「それこそ有り得ない。…あ、待ったアラスター。根拠については黙秘します。こんなとこでは言えないし、…だからってそう睨むのも止めてよね!」

社員証であるメダイユには二つの顔がある。
ひとつは以前申し上げた忠誠の術。
そしてもうひとつ。服従の呪文が掛けられていればメダイユは黒ずみ、『そう』であると俺達に分からせてくれるのだ。
身につける本人たちにも教えてはいない。だから、部外者である彼には尚更教えるなど出来ない。

「それに…彼はマグル生まれだ。使い捨てにされるのが分かっていて身を差し出すほど彼は愚かしくも無い」

我が社の社員は副官ミカサによる身元調査をされてから面接を受ける。勿論、本人の知らぬ所で。
必要な事ではあるが、聞いた本人も気分を害するようなエピソードまで掘り起こしてくるのでこれも要秘密事項だ。
…彼は本当にニンジャという奴じゃないのだろうかと最近疑問に思う。

「信頼は、年を重ねた胸の中でゆっくりと育つ植物である。そう昔の人も言っている通り信頼を寄せてもらうのは実に難しい。貴方が僕のことまで疑うのも仕方が無い。けど、今回はもう言葉を鞘に収めて。…これ以上は時間の浪費になるだけだよアラスター」
「セネカの言うとおりじゃよ」

疑われるのはとても疲れる。
特に彼はしつこく、話していると倍疲れるのだ。
まあまあと間に入ってくれたダンブルドアに乗っかろう。
唸ったムーディはそれなりに満足していたのか、それ以上は突っ込んで来なかった。有難い。

チーンとベルが音をたて、金の柵がスルスルと開く。
8階のエレベーターホールで待ち構えていたミカサを確認した俺は、そこでムーディと別れを告げる。
ピーコックブルーのアトリウムを抜けて、魔法使い達の流れに逆らうように人波を分けた。


「所で『Mr.プリンス』、今日は中々の男前じゃな」

最後に、別れ際。
生前の己をモデルとした顔立ちを褒められ、微妙な気分にさせられた。

なまめかしい血の色に似た、あの男を想わせる虹彩では無いのに。
鏡を確認して確かめたくなった自分に今度こそ俺は舌打ちを鳴らした。

***

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