分岐点 extra

ポイントオブビュー ルーピン


割りこませる隙も与えず、言いたい事を言うだけ言ってそのまま寝息をたて始めてしまった同級生。
そのマイペースっぷりに当てられたリーマスは、困惑から眉を垂れさせ、それでも律儀に頼まれた通りカーテンを閉める。
そしてのろのろと指を伸ばしてゴブレットを取り、苦い薬を飲み下した。

「…ひどい味」

一言呟いて眉をきゅっとよせる。
息を吸うたび胃から這い上ってくる臭いと、濃化された制酸剤のような後味は不快な余韻を残していった。
戻しそうになる口元を拳で抑え、惑うような眼差しでリーマスはナイトテーブルへと視線を向ける。

セネカから(多少強引ではあったが)貰ったお菓子は、特に怪しい動きを見せることもなくただそこにあった。
…でも、もしかしたら。
包みを開いた瞬間に仕掛けが飛び出してきたりして。

相手が相手なだけにリーマスは――たとえそれが本当に厚意からくるものだったとしても――つい懐疑的な眼差しでその物体を眺めていた。
普段からジェームズとシリウスによる悪戯の標的と定められていた『彼から』だからこそ。
リーマスから見たセネカは友人が言うほど悪い人とは思えなかったけれど、やっぱり、不安なのだろう。

学年が上がった今でも双子のスネイプに纏わる闇の魔術の噂は絶えない。
しかも、優秀さを謳われる彼らは『あの』ルシウス・マルフォイのお気に入りなのだ。

しかし。よくよく見ればラッピングされたリボンは有名な高級店のロゴ入りであるし、複雑でお洒落な形に結ばれたそれは、解いてしまうのが勿体なく思えるほどうつくしかった。
さぐるように見つめれば見つめるほど、とても何かが仕掛けられているようには思えない。
少し考え過ぎだろうかと、鳶色の睫毛がゆるやかに上下する。

瞼の裏に、かみ殺し切れなかった笑みを口元へ浮かべたセネカの顔が浮かぶ。
先程の言葉を思考へ引き戻せば小さな溜息がこぼれた。

「(…怒らせてしまったのかな、アレは)」

セネカは自分の謝罪に対しては手打ちとし、自己満足に付き合う気はないのだとキッパリ拒絶をした。
非を認めることの無かったシリウスにわだかまりを残して。
最後にそえられた「多分ね」に秘められた冷ややかなもの。それを感じ取っていたリーマスは、この場にいない友へそっと手を合わせた。

「(ごめんシリウス…僕、余計な事をしてしまったみたいだ…)」

真昼の湖畔で垣間見た、普段は大人しく、笑顔の絶えない同級生から剥がされたその仮面。
始めて見せた激しい一面。怒り。
静かな気迫に満たされていたセネカにリーマスは、やはり彼もスリザリンなんだなと、そう、改めて思い知らされたのだ。

「(普段は穏やかなひとが怒るとこわいね……ちょっと、過激すぎたけど)」

彼が倒れるまでの経緯を思い出し、リーマスの肩がぶるりと震える。
あの時、突然響いた低い声はまるで荊のようであった。
目に見えぬそれは強制的に絡みつき、リーマスの奥底に眠るやわらかな部分をしならせて身体ごと縛った。



「――撃ち落とす」
「…は?」
「ねえ…セブルス。トーマって頑丈だよね…だから多少厳しめに躾けた所で壊れたりしねーよなあ…」

「エクスパ「落ち付けこのばかっ」

怒らせていた肩を揺らし、うららかな青空へ向かって杖を突き上げたセネカ。
その動きを止めたのは瓜二つの容姿を持つ弟、セブルスだ。
杖腕を胸に抱え、湖畔から引き離そうと必死になっていた弟の顔からは色が失われ、常よりも血色が悪くなっていた。

頭に血を上らせたセネカは厄介で、容赦がなくて、性質が悪い。彼は、それを良く知っていた。

しかしジェームズ達はそれを知らぬ。
ただごとでない雰囲気に彼らは面白半分で近寄っていった。
セネカがそれに気付き、標的を変えてしまったのもまた不運と言えよう。

リーマスは見た。緩慢な動作で振り返ったセネカの目が、全く笑っていなかったのを。
彼が止める間も無く、怒りの余波をまともに受けることとなったジェームズらも、その場で影と共に縫い止められた。

口元だけは弧を描き、冴えた月のような冷たさを瞳に灯すセネカは、逆らう者を許さぬ絶対者のような雰囲気を兼ね添えていた。
彼を中心として広がった魔力のうねりが頬をなぶり、ちりちりと痛みを覚えた首裏の産毛が逆立つ。
それは、皮膚下に張り巡らされた畏れによる自覚の無い警鐘だった。

濡れて肌色の透けるワイシャツを纏った痩身は薄く、力を込めれば折れてしまいそうなほど頼りなげであるのに。
不用意に触れれば、鮮血をあびる羽目になる。
そういう鋭さがセネカの内からは溢れていた。

ラバスタン・レストレンジが溺れたこの毒は、幼い彼らにとっては劇薬に等しい。


――かつて、その昔。
跪いて赦しを乞うた者にだけ慈悲を与えてきた凄艶なる男は、その凄みと魅力を十分に発揮させる場を得て、加減を忘れていた。

当時は備えていた完璧なまでに整った容姿も、作り上げた静観的で近寄りがたい雰囲気も捨ててきたが、その気質と魂の形はそのままだ。
過去現在問わず。
この毒にそそられた者は懐に納まろうとするか、その身を欲するかに別れる。
(例を挙げるならば前者はフィ二アス・ナイジェラス。後者はヴォルデモートだ)

しかし。幼すぎた彼らはそのどちらにも当てはまらず、心を戦かせた感情を理解でないまま、強い反発を芽生えさせた。

その筆頭がシリウス・ブラック。
勇敢で恐れを知らぬ黒い獅子は、誰よりも先に立ち直ろうとし、暴れまわる鼓動を抑えて前へ進み出ようとしたのである。


されど騒動は唐突に始まり、唐突に終わりを迎えた。


結果。最後まで彼らはセネカによる雷を落とされずに済んだが、柳のような痩躯が力尽きるまで蛇に睨まれたカエル状態だったのは言うまでもない。
その後はすかさずフォローに回ったリリーのローブに包まれ、セブルスに背負われて医務室へ駆け込んだ…というわけなのだ。


「(シリウスとジェームズがいくら悪戯をしかけても、あんな風には怒らなかったのに…今回ばかりは堪忍袋に穴があいちゃったのかな?)」

大抵セネカは軽くかわして窘めるだけだ。
にこにこ笑って余裕を見せて。
それが気に入らないのだといつもシリウスが言っていたのを思い出す。

魔法使いの顔も三度まで。
幸せの絶頂から叩き落とされた時の報復は三倍返しでも甘い。
セネカが彼の心を覗いていたら、そう満面の笑みで添えただろう。
リーマスの行き着いた答えはそれほど遠くない。

セネカが案じていた、周囲に危害を及ぼすような事態では無かった。が、確実にこの少年が医務室に逆戻りをする手助けをしてしまったのは確かだろう。


さて。
ここに来て、彼はマダムの言いつけ通りひと眠りをしなければならない事を思い出した。
しかし未だ興奮気味な神経は、リーマスへまどろみのお誘いをかけてくれてはいない。

気持ちを切り替えるために何か甘いものが欲しいな。と、少しだけ迷いながらもリーマスはお菓子を取り、丁寧に包装をほどいた。
包み紙の中から現れたのは正方形の黒い小箱。
手のひらに納まるサイズのそれは黒曜石に似たツヤを帯びている。

恐る恐る蓋を開けた途端、辺りに広がった香水のようなカカオの香り。
リーマスを包み込んだ香りは甘い誘惑に満ちていた。
知らず喉が鳴り、小さな歓声を吐息に混ぜる。

「わあ…」

一粒一粒が輝く宝石のようなショコラはまるで観賞用のそれ。食べてしまうのが勿体ないほどだった。
大好きな甘いものにキラキラと瞳を瞬かせ、ひとつを摘み上げ口に招く。舌の上でとろけた上品な甘さにリーマスの表情も自然とほころんだ。
後味がさわやかで、ほのかにシトラスの香りを残して消えていく。


遠い未来。ジェームズの子にして、シリウスの名付け子となる『運命の子』ハリー・ポッター。
彼が抱いた感想とまったく同じことを今、リーマス少年も舌の上のショコラと共に味わっていた。


***


甘い誘惑に心を落ち着かせ、リラックスした気分でリーマスは眠りに落ちた。
夢の中でさえもショコラを追い掛けていた彼は、だれかの話す声で意識を浮上させる。
まだ夢の中にいる瞳が瞬く。
瞼をこすって睫毛を上下させるその仕草は、より一層少年の幼さを引き立てていた。

「――医務室に運ばれた時点で、寮監へ報告がされる。今更そんなことを言っても無駄だ、セネカ」
「(……ん?)」

ボソボソと話す声には聞き覚えがあった。
リーマスはもぞりと上掛けから顔を出し、ぼんやりとした顔をカーテンへ向ける。

「(あ、…そっか、もう日が落ちるような時間なんだ)」

薄暗い医務室内。
ベッドを仕切る淡いブルーのコントラクトカーテンには、ランプの光を受けたシルエットが浮かび上がっていた。
細い影にアルトの声。
恐らく隣にはセネカの弟、セブルスが来ているのだろう。

医務室へセネカを運び込む時、彼はもの凄い形相でシリウス達を睨んでいた。
訳を説明しようとするリーマスにさえ同じ対応を取った彼だ。
このまま息を潜めていた方が得策だとリーマスは思う。もう一度寝てしまうのも良いかもしれない。

しかし、次なる言葉で彼の意識は完全に眠気を吹き飛ばしていた。

「お前に怪我を負わせたブラックは罰則を受けることになった」
「(――え?)」
「マクゴナガルの判断はぬる過ぎる。奴らが減点されなかったのは誠に遺憾だ」
「(…シリウス、)」

盗み聞きをしているようで気が咎めたが、内容が内容なだけに一先ずリーマスはそれを脇に置く。
シリウスが罰則を言い渡された。
お説教でだけ済むだろうかと思ってはいたが…やはり避けられない事だったのだろう。
しかし何故、シリウスにだけ。リーマスはその点に納得がいかなかった。あの場にいたのは彼だけでは無い。

「僕ならば奴ら全員に十分な減点と罰則を与えた」
「セブ、だから…僕は別にそこまでは、」
「黙れセネカ。この件に関してお前の意見など通らない」
「う、…はい」

厳しい一言にセネカが口を閉ざす。
セブルスの物言いにムッとしながらもリーマスは、段々と熱の入って行く彼のお説教を被害者Sと共に聞くこととなった。

「いいか、僕はお前にも怒っているんだ。何故さっさとあの場から立ち去らなかった。僕に許可無くまた怪我などして…熱も出して。まったく、腹立たしい! 聞けば、湖に落とされたそうじゃないか。その時点でお前は直ぐに僕の元へ来るべきだった。そうじゃないのか」
「…うーん」
「フンッ、また笑って誤魔化そうとしているな。セネカの事だ。どうせまた探し物でもしていたんだろ」
「ぎくっ」
「…やっぱりか」
「だって、」
「そういうのはもう止めろと言った筈だ。もう忘れたのか? 物よりも自分を取れ。自分を蔑ろにするな。何度僕の口から同じことを言わせる気だ」
「……」
「セネカ」
「うん…ごめんなさいセブルス。あと、無茶してごめん」
「……ハァ…」
「…幸せ逃げるよ?「誰の所為だっ」

正直吃驚した。思ったよりも兄想いな小言の数々に、リーマスの目がまん丸に見開かれる。
一言一言はキツめだが、裏を返せばそれほど心配していたということだ。
家族ならば至極当然な言葉なのに、あの不機嫌面とはとてもじゃないが結びつかない。と、リーマスは少し失礼な事を思った。

セネカのブラコンっぷりはある意味有名だ。
けれど、その弟までもがとは考えたことも無かった。


心ならずも、幼い頃にワーウルフにされたリーマスは、これからもずっと、この秘密を抱えて生きていかなければいけないひとだ。
ひとならざる者と露見すれば忌避される。
友人達はリーマスの秘密を知っても離れていかなかったが、常に彼の心には不安が巣食っていた。

無条件で心配してくれて自分の味方でいてくれる。
そんなひとがいるセネカ達が羨ましい。
きっと、彼ら双子はお互いの本音をぶつけ合っても、背を向けられる不安など感じたりしないのだろう。
そう、リーマスはこの時思った。

「(…うわ、なんかちょっと、彼らの傍にいるのはキツイなあ…)」

自嘲じみた笑みを浮かべた彼は、寄り添うシルエットを見つめて瞼を閉ざす。
薬を飲めと促す不機嫌な声。
それに答えた不服そうな声。
何気ないやり取りでさえも妬ましく思ってしまいそうな自分が、ひどく嫌な人間みたいに思えた。

「(…ん? 寄り添う?)」

ぱっと眼を開けたリーマスはカーテンへ視線を流し、一度天井へ向け、もう一度戻す。
シルエットは確かに寄り添っていた。
否、むしろ先程よりも密着具合が増し…ひとつになっていたと言っても良い。

スネイプ兄弟、仲良過ぎだろ。
若干うつろになった目でリーマスは片頬を引きつらせた。兄弟のいない彼にはこれが普通なのかも分からない。

小さく呻く声に合わせて弟のものらしき腕が動く。
「大丈夫か?」とささやく声と背をさするような動きに、ああ何だと、何故かホッとした。
何を心配したというんだ自分は。
視線をさらに移動させる。しっかりと閉じたと思っていたカーテンは、ほんの少し隙間を開けてリーマスを誘っていた。

――グリフィンドールらしい好奇心に襲われた彼は、そろそろと起き上がる。
極力物音をたてない様に細心の注意を払い…そっと、その隙間から隣の様子を窺ってしまった。

そして直ぐさま後退し、よろよろとベッドの中へ戻って行く。

カーテンの向こうのセブルスはとても優しい顔をしていた。
彼の一番良い所が滲みでたその表情は、リーマスの心にクリティカルヒットを喰らわせるに十分な威力があったのである。
見えたのはそれだけだ。けれど、たったそれだけでも脳のキャパシティを満たしてしまった。

お腹いっぱいです。もう食べられません。
慣れぬものを見て神経が疲弊をし、また、彼は後悔をしていた。
関係の良好でない相手方のことを知り過ぎたら、リーマスはどう接していけば良いのかが分からなくなりそうだった。

「(シリウスやジェームズはあまり良い顔をしないだろうね…)」

純血主義を尊ぶブラック家をシリウスは嫌っている。
同じ理由でスリザリンのことも彼は嫌悪の眼差しで見つめるのだ。
けれどそんな彼も、あちらの寮に選ばれた実弟のことは気にしていたはず。

「(話しかけるチャンスを探してそわそわするシリウスは見ていておもしろかったけど…睨むくらいなら、早く素直になればいいのに)」

ジェームズに関しては闇の魔術を嫌っている。
彼の想い人であるリリー・エバンズが、何故か庇う彼らに良い感情を持っていなかった筈だ。
ならば、セネカからお菓子を貰ったことだって言えない。
人の顔色を窺うことに慣れ過ぎた子供は、どうしたって今傍にいてくれる友人達の方が大切で、優先すべき対象なのだ。

リーマスがひとり悶々と考え込んでいる間。
一枚隔てられたカーテンの向こうでは、相変わらず仲の良すぎる双子が通常運転でベタついていた。


リーマスは知らない。
彼が覗いた角度からでは見えなかったものを。
セブルスの肩に額を押しつけて、薬による副作用に耐えていたセネカの…震えながらも縋りつく腕を。
それを閉じ込めるセブルスの抱擁も、こめかみに落とされた労わりのキスも。


セブルスが名残惜しみながらも医務室から去った後。
ようやくリーマスもマダムに暇を告げ、夕食の時間内ギリギリに大広間へと足を運んだ。

そこには、実弟から「最低ですね」という冷たい一言を頂き、テーブルに突っ伏して落ち込むシリウスがジェームズ達と共に待っていてくれた。

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