分岐点 extra

インビテーション



――嗚呼、久しぶりの独りだ。


行き交う生徒も疎らな石畳を踏みしめ、真っ直ぐに前を見つめて黒いローブをひるがえす。
裏地は緑。ネクタイも同じ緑に銀のライン。
ゆるく結ばれた黒髪は背の中ほどで歩く俺に従っている。
すれ違った他寮の生徒が通り過ぎてから此方を振り返り、こそこそと囁き合う気配に気付いてはいても、穏やかな表情を崩すこともしない。
大体何を言われているのかも想像がつく。

「(…俺がいない間、セブルスの視界はこんな感じだったのかね)」

聞こえる全ては無味乾燥なものだ。
埋められないほどの寂しさと心配を傍らに抱え込んでいる俺を、すれ違う彼等は知らない。
たった一日ではあるが彼と同じ気持ちになれてる。そう思うと、心苦しいと思う反面、嬉しいと感じる自分がいた。

――お前はセブルスの鏡だと言われているようで。

俺達は個々の存在だがお互いの倒影であり、自分への評判が彼へも反射される。常に影響しあう。その逆も然り。
勿論、それはとても都合が良い事なんだけど。

「(彼が傍らにいない時こそが一番分かりやすい)」


大広間の扉を潜り、ひしめく生徒が向けた視線をさらりと流す。
スリザリンのテーブルも大体埋まってるな…。
空いた席を探して首を巡らした。
その途中で、偶然視線が合ってしまった同年代の少女へ、気まずさを誤魔化すようにっこりほほ笑み返したら…相手に面喰ったような顔をされてしまったぜ。
溜息を吐いて少し離れた席へと腰を下ろす事と決めた。

「(さて、誰が来るかな…)」

適当に皿へ料理を取り少しずつ口に運びながら、今日一日で何が出るか、と少し期待もしていた。
常に行動を共にするセブルスが不在な時こそ、俺へ声をかける絶好の機会だと思う。トーマもいない。
何だかんだで未だに同寮の生徒達とまともに交流出来ずにいた俺にとっては…言い換えてしまえば、またとないチャンスだ。
彼と俺にとって必要な滑らかで邪魔にならない人間関係作りとはまた違う、俺の目的。

十分に餌は蒔いたと思う。
セブルスと同じく闇の魔術に精通している様なことを仄めかし、短期間で成績も優秀を納め、教授方からの評価も高い。
今から勧誘をするならば俺もセブルスも優良物件だ。
『彼等』は多くの仲間を欲しているのだから。
絶対に、誰かが来る。
それも闇にほど近い、血統を誇る者が。

「(誘いをかけてくる蛇が、俺に訪れる)」

これは確信を以って言える事だ。


――此方へ入学前する前、ダンブルドアと世上の情報を俺へ報告してくれるミカサによれば、平和で守られたホグワーツの外では闇が横行しているのだと聞いた。
圧倒的に不利な状況だとも。

『イギリス魔法界は闇の時代を迎えている』

デス・イーターと呼ばれる同胞を率いて――あの男、ヴォルデモートがマグル生まれや半純血の粛清を行っている、との報告を読み上げた時は「なんて馬鹿げた事を」と、俺は思っていた。
だが実際、誰もかれもが奴を恐れている。
反抗を示し一家虐殺の憂き目をみる者も少なく無くなって来ていた。奴の考えに賛同し迎え入れる輩も。

セブルスが言う通り誰も奴を名前で呼ばない。
You-Know-Who(例のあの人)、He-Who-Must-Not-Be-Named(名前を言ってはいけないあの人)等という隠語が用いられているくらいだ。
…なんて馬鹿馬鹿しい。
これでは奴の思う壺だろ。

確かに名は力であり縛るものだが、彼等にとっては恐れの象徴として刻まれてしまっていた。
恐れる事が闇にとっては力となるのに誰もそれに耳を貸さない。
例えダンブルドアが、偉大な魔法使いである彼が諭しても。
群れた羊達は狼がその場で舌舐めずりをしているのに、縮こまって囲いの外へ助けを呼びに出ることも思いつかないのだ。
口にするだけでその名が届くのだと、自分の居場所が知れる事を恐れている。

賢明な事だ。
誰だって自分の命も愛する者を失う事も怖い。
多くの者がそうなのだから「臆病者」と指差される心配もない。
それが力を与える悪循環と皆が知ったとしても、結果は同じだろう。

『小僧、貴様、俺様の物になれ』
『俺様は仲間を欲している。忠実な部下だ…力のある』

過去に言われた言葉は、今でも鮮明に思い出せる。
俺にとって許し難い言葉の数々だったから。
悪事の方棒を担がせる為に命を生き永らえさせられ、屈辱を与えられて刻まれた俺は、勇気があるからその名を口に出来ている訳じゃない。
闇を知り、抗う術も心得ているからだ。

――セブルスさえ守れれば、本当は、後はどうだっていいと思っているからだ。


「(誰もかれもが、彼のように勇気を奮えるもんじゃない。…弱いんだ。人は、)」


ふっと息を吐いて自分の皿に目を落とす。
俺はサラダを平らげた所で手が止まり、この分では戻って来たセブルスにまた怒られてしまうな、と自嘲気味な笑みが口元を歪ませた。
食欲が湧かないのだ。
独りで食べていても味が感じられない。
せめてトーマを引きとめるべきだったかと一瞬思ったが、詮無い事を考えたと直ぐに打ち消した。

俺の心とは裏腹に大天井には青い空が広がっている。
諦めてフォークを皿に置いて、とん、テーブルを指で軽く叩くと、直ぐに目の前に温かなカップが現れた。
セブルスの淹れてくれる紅茶には及ばないが、なかなか香りも良い。
ハウスエルフ達も頑張ってくれているようだ。
ミルクと砂糖を入れ、ティースプーンを指先で浮かせてくるくると操りながら俺は食後の紅茶を楽しむ。
だが一口含んでその甘さと温かさを噛みしめると、自分の薄汚さまでもを噛みしめているような気分になって、後味が苦く残った。



カタン。


なんだ。どこからか変な音がするな。
小さいけどヤケに気に障る音だ。
そう思いながらカップを置き、目線を上げると、――突然視界が真っ黒に染まっていた。

「え…」

訳が分からず、間の抜けた声が唇から零れる。
眼前に広がった不可視の世界に驚きが隠せない。
今まで見ていた大広間の風景は…どこへ?

どこか懐かしさを覚える先の見えない闇。
金縛りの呪いをかけられた愚か者のように、俺はただただ唖然としていた。


『お前は、俺様のモノだ』


どくん、と大きく鼓動が跳ねた。
耳に直接心臓を寄せられているみたいだ。
切迫した状況でもないのに早鐘を打つ音がうるさい。
今…聞き覚えのある声が聞こえた気がする…。
温度の無い、冷淡な、残酷で非情な声が。
嗜虐性さえ窺わせる。
深淵から這い上がり生者を引き摺りこもうとする亡者どもでさえ、こんな声を出しはしないだろう。
彼等は己を嘆き、唸るばかりだから。

「(アレらを召喚したとて、こんな鳥肌、立ったりしなかったぞ…)」

自分にとって余程不快で聞きたくもない声なのだろう。
思わず腕を撫でさすって、キツク瞼を閉ざした。
いつの間にか右腕に爪を突き立てながら。
こんなもの、見たくも、聞きたくもない。
――何故かそう思いながら必死にやり過ごす事ばかりを考えていた。どうして聞き覚えがあるのかも考えず。
普段の自分とは掛け離れた、恐れと敗北感に支配されていたとも気付かずに。


何よりも呪わしいのは――俺自身、か』


…………
……

瞼の裏で不意に光を感じ、そろそろと目を開く。
そこには先程までの闇は跡形もなく、俯いた姿勢でカップを覗き込む自分が表面に映し出され、間抜けな顔で自分を見返していた。
自分の顔が確認出来たことにほっとしてしまう。

「(…いったい、今のは、何だったんだ)」

身体がとても重く感じられ、ズキズキとこめかみが疼き、指先から全身に至るまでひとり凍えていた。

まるで今まさにこの寒空の中から飛び込んできたみたいだ。

おかしい。こんな事、今までは無かった。
ぶるりと背筋を舐める悪寒に身を震わせ、ビリッと一瞬痺れに貫かれた右手をハッと見つめる。
黒い手袋に覆われたソレは、傾く身体の横で畏まって静かに控えていた。

まさか。まさか。
…いや、此処は唯一安全な場所と聞いた。
ヴォルデモートもこの城へは手を出せずに拱いているのだと。
告げられることを全て鵜呑みにしている訳じゃないが、この点に関してはダンブルドアの言を疑ってはいない。
彼は俺よりもあの男を良く御存じの様だからな…。

セブルスが弱っているから俺にもその影響が現れたのだろう。
精神的に弱まれば呪いにつけ込まれる。
このままでは新たな呪いも差し響くかもしれない。
そう結論付けた俺は、薬を飲まねば、と温くなった紅茶を流し込んでローブに手を入れようとした。
――しかし、直ぐ傍で空気が動き、視界の端に銀糸がさらりと流れ込んだ事で叶わずに終わる。

「どうした。気分でも悪いのか?」

声を掛けられて見上げると、其処にいたのはスリザリンの監督生であるルシウス・マルフォイ、その人だった。


マルフォイ家の名は俺も覚えていた。
純血魔法族の名家の中でも高い尊敬を勝ち得ているマルフォイ家。
ルシウスはその家の次期当主。
スリザリン寮内でも強い影響力を持つ…調べた限りでは、闇に一番近い青年だ。
血の気が薄い青白い肌に、尖った顎。
名家出身らしい気品の溢れる佇まい、威圧感。
先程見えた銀色は彼の肩から揺れ落ち、神経質そうな眉の下で細められた薄いグレーの瞳が俺を覗き込んでいた。

…つーか、思っていたよりもかなり顔が…近いんだが。
左側に立たれていた事に少しほっとするも、肩に手を置かれても可笑しくないほど、距離が近い。
ルシウスはのろりと顔を上げて答える様子の無い俺を訝ったのか、眉を寄せて再度口を開いた。

「答えなさい。…それとも、口を利けないほど気分が優れないのか」
「い、え…すみません、でした、マルフォイ先輩」
「はあ…ルシウスで良いと言っただろう、セネカ」
「はい、ルシウス先輩…ど、して僕の元へ、」
「君の具合が悪そうだと彼女から監督生である私に報告が来たのだよ」

「…彼女?」

一体誰の事だろう。リリーは…違うだろうな…。
こてんと首を傾げながら疑問に思っていると、ルシウスが顎で少し外れた席を指示した。
…ああ、さっき目が合った彼女だ。
俺が顔を向けると少女は少し躊躇ってからルシウスに向かってペコッと頭を下げていた。
たしか、彼女の名は…、

「Missハルトン」
「え、」
「ありがとうね」
「…う、うん…」

覚えていた名は正解だったようだ。
笑みを浮かべて小さく礼を言うと、少女は恥ずかしそうに俯いてしまったけど。
おお…ちょっと交流が出来た瞬間だな…。
身内の結束が固いスリザリンでも俺はきちんと親切にしてもらえるらしい。
少しはその一員として認めて頂けてるとの解釈でよろしいか?

「意外と罪作りだな」
「…は?」
「いや、独り言だ――それよりも、気分の方はどうなんだ」
「う、」
「正直に言いなさい。私たち監督生は皆、君のことを寮監であるスラグホーン教授から『気を配るように』と言われている。そう入寮の挨拶の際、私は君に言った筈だが」
「……すみません。少し眩暈と頭痛がして…今、薬を飲もうと思ったんですけど、」

どうやら寮の方へ忘れてきちゃったみたいなんです。
そう少量の嘘を交えて俺は報告をした。
本当はローブの中にちゃんと入っている。
毎日、夜寝る前にセブルスが「お前はうっかり忘れて行きそうだ」と言いながら用意してくれていたので――実際、そうしてくれていなければ忘れていただろう。…年々セブルスが母親の様な気遣いに磨きをかけている気がするな。

「セブルスは? 一緒に居ないとは珍しい」
「彼は今、医務室に居るんです。どうやら僕が風邪をうつしてしまったみたいで…大事を取って入院してます」
「だから今日に限って一人なのか」
「はい…」
「では送ろう」
「え、でも、」
「これも仕事だ。君が気にする様な事では無い」

そう言ったルシウスは有無を言わさぬ雰囲気を醸し出しながら、立てるか、と聞いて来た。
上に立つ者としての教育を受けた者の持つ、独特の威圧感。
自分の意思が通らぬ筈がないと思っている強い声だ。
俺にも身に覚えがあるので、内心では苦笑を禁じ得ない。

躊躇うように頷いてよろけながら立ち上がると、さり気なく手が差し出される。
やはりエスコートはお手の物なのだろう。
彼の周囲で女性の噂が絶えない理由は、整った顔立ちと家柄だけの所為では無いようだ。
女性の様な扱いを受けるのは本意では無いが、顔にも態度へも出すこと無く、ありがたく掴まって…歩きだすと肩を抱かれていた。

やべえ、すげえ逃げたい。
自分で仕向けた事とはいえ、他者とこんなに密着するのはとても不快だ。
しかも、あのマルフォイが、例の一年生を…という感じで視線も好奇も纏わり付いてくるものだから、具合の所為だけで無く気分も益々急降下していった。


具合の悪い生徒と、それを引率していく監督生という仮面を被りながら、居心地の悪くなった大広間を出て行く。
向かう先は我らがスリザリン寮。
石畳を二人分の足音で響かせながら階段を下りた。
今はまだ、お互いに無言だ。
一年生と六年生では弾む会話も望めないというよりも、どちらかと言えば探り合いながら言葉を選んでもいるように思えた。

「セネカ」

名を呼ばれて、俯いていた顔を上げる。
昼間でも薄暗い地下で仰いだルシウスの顔には影が下り、冷たいグレーの瞳が三日月のような弧を描いていた。

「もう此処には慣れたか」<
「ええ。授業も、寮生活も、始めは戸惑う事の方が多かったですが…僕にはセブルスがいますから。今はとても楽しいです」
「ふむ、そうか。…君の優秀さは私の耳にも届いている。なかなかどうして、一学年とは思えないほど素晴らしいレポートを毎回提出してくれる、と我らが寮監も自慢げに私へ話すよ」
「いえ、そんな…僕には勿体ないお言葉です」
「セネカ。君はもっと胸を張るべきだ。君が思うよりも周りからの評価は高いのだから。…勿論、私からもね」
「――ありがとうございます」
「セブルスと共に、これからもスリザリンの名に恥じない活躍を期待しよう」
「はい、ルシウス先輩」
「……あー、ところで、」

つらつらと淀みの無かった言葉がふいに止まる。
同じく歩みも止めたルシウスは、とても聞き辛いことを今から話す、というタメを十分に作ってから色の薄い唇を持ち上げた。

「セネカも、セブルスのように、あー、闇の魔術に詳しいと聞いたのだが――」
「え、はい。そうなりますか、ね……セブルスに勉強を一から教えたのも僕ですから」
「ほう」
「彼が知っている以上の事を僕が知識としても修めているのは、事実ですし」

僕って結構、欲張りですから。
全部知っておきたいし、知っていても損にはなりませんよね?
全ての魔術に精通する事が目的でもありますし…誰も知らない様な、手を出さない分野を極めるのって、カッコイイし、自分が特別になれるような気がして、僕は好きです。

にこっと笑顔を添えて無邪気に語る俺を、ルシウスはまじまじと見つめてから相好を崩した。
実に機嫌が好さそうである。
おいこら、ちったあ咎めるフリくらいしろよ。
めちゃくちゃ危険なお子様認定してらっしゃいますね?
そう望んだのは俺だけど…。
窓辺から身を乗り出しながら「おい、押すなよ? 押すなよ?!」って言う、実は友人からのツッコミ待ちな男子学生みたいな気分になってきたぜ。

本気出して押すとウケるんだよなアレ。
うっかり突き落としちゃったこともあるけど。

「まあこんな事を他の人に喋ってしまうのは…賢明な事では無い…とは思いますが。特に、今のようなご時勢では」
「私に話すのは良い、と?」
「え、駄目だったんですか?」
「…いや、」

俺に言われて否定もしなかった彼は少し考えるように顎へ手を添える。
未だに肩を掴まれていた俺はその間、じっと耐えた。
彼から香る香水の匂いが自分に移ってるんじゃないかって、心配なんかもしちゃったりしてさ。
セブルス以外の移り香を纏わせてなんていたくない。
言葉を待って見上げていた俺にルシウスは、そうだ、と考えが纏まったのか大仰な仕草で片腕を広げた。
それはそのまま、もう片方の肩へと…着地した。

「セネカ、クリスマス休暇に帰省の予定は?」
「え?」
「君達にその気があるのならば、マルフォイ家のクリスマスパーティーへの招待状を送りたいのだが」

おい、その気って、どの気だ。
まさか闇の魔法使いになる方面の気じゃないだろうな。
つーかもう君「まさか断るなんて言わないよな」なんて雰囲気出しながら言うんだね。分かってたけどさ。
傍から見たら脅しだっつーの。
いたいけな一年生に圧力かけんな。
そんなツッコミを心の中で入れながら、俺はルシウスの申し出を満面の笑みで快諾したのである。

ダンブルドアは兎も角、セブルスにはどう言い訳をしようかなー、なんて思いながらも。


「(……はっ! セブルスのドレスローブ姿が拝めるじゃねー…いやいや、ダメダメ。しっかりしろセネカ・スネイプ。セブルスを危険なとこに行かせる訳には……くっ……でも見たい…)」
「どうかしたか?」
「いえ、なんでもありませんルシウス先輩」


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