分岐点 extra

狡猾ヒーロー


弾かれた少年達の頭を越えて、光の扉を望むストップモーションの世界は俺の脳に様々な情報を刷り込ませていた。

扉にほど近い位置の生徒が何事かと首を巡らし此方を見る影で、その向こうに見えた、お互いに夢中で蜜に囁き合う恋人たち。
話しかけられた先輩に緊張しながらも答える、幼い顔のふっくらとした笑顔。
何が楽しいのか、肩を組みながら笑い転げる彼と彼に、迷惑そうな顔を向ける不機嫌くん。
そして更に奥、一段高い位置に置かれた長テーブル。
顔を並べた教師陣の中央に見つけた、誰もがご存じの長い髭。

目と目が合う。

距離は遠く、小指の爪ほどの顔でしかない筈なのに、何故か俺には彼がニヤニヤとした笑いを浮かべている様にしか見えなかった。
…この狸爺め。
話に窺ったマダムをどう言い包めたんだ。
放たれた矢の様に飛びついてきた二人の前では、俺が迂闊なマネを出来なくなるのをご存じでしょう?
彼等は貴方の指示で俺の元へ? と、心で問いかけながら俺は杖を納めた。
嗚呼、絶対、あの人は分かってて俺を諌めたのだろう。


それにしてもなんという熱烈な抱擁か。

抱きつかれた際、むがっぷ、という咄嗟に出ていた何とも珍妙な声がふわっふわの赤毛に埋もれてしまう。
光を透かすスカーレットオークの髪からは、少女に似合う甘やかな香りが俺の鼻孔を蕩かした。
や、リリーさん。身動きできません。
背後からの腰と腹にしがみ付くように回された腕も、それに負けじと締め付ける。…というよりも締め上げられてね?
ややや、セブルスくん。君の片割れは今、空腹の胃を遠慮なく圧迫されているのですが。

「…ちょ、セブ、リリー…くるし、」
「あっ、ごめんなさいセネカ!」

苦しさに喘いだ俺の声にリリーがパッと顔を上げた。
少しだけ拘束をゆるめて申し訳なさそうな顔をするリリーとは反対に、セブルスの腕はより力を増す。
肩越しに振り返ると、彼の顔は…まあ想像通りのしかめっ面で俺を迎えてくれましたとも。

どうしてそんな顔をしているの?
分からないなんて言うつもりかお前は。
いいや、ごめんね。
フンッ。

セブルスが顔を反らしたので瞳だけでこなす会話が終了する。
彼が前をリリーに譲ったのは、先日の『アレ』による気恥ずかしさが残っている為だろう。やだセブってば可愛い。
まあ実際に彼が目の前に居たら、俺は遠慮なく額にキスの一つでも贈ってただろうからな。その判断は正解だ。うん。
苦笑しながら前を向くと、リリーが拗ねたような顔で俺を、俺達を見ていた。

「ずるいわ」
「うん?」
「セブもセネカも、何も言わなくても通じてしまうんだもの。ずるいわ。わたしだけのけものにされちゃった気分よ」
「そんなつもりは無いんだけどなあ…でも、リリーにはチュニーがいるでしょ?」
「…そうだけど、でも、」
「それにその顔」
「…?」
「拗ねた時のチュニーも、そんな顔をする」

くすくす笑いながら、やっぱり姉妹だね、と言ったらリリーは目を丸くしてからはにかみ混じりの笑顔を浮かべた。
可愛い可愛いリリー。
やっぱり女の子は、リリーはこうやって笑ってるのが一番だよね。
セブルスの手に右手を重ねながら、左手はリリーの柔らかな髪を撫で、ほほ笑みを深める。
指通りのよい髪を櫛付けながら、俺は小首を傾げてそもそもの疑問を漸く口にした。
や、何となくは分かってるんだけどな。一応の確認さ。

「ところで二人とも、どうして僕が此処にいるって分かったの?」

「ああ、それはね「――エバンズ!」…ポッター」
「…お前ら、俺達を無視してイチャついてんじゃねえよ!」
「イチャつくなら僕としようよ! エバンズ!」
「気持ちの悪い事を言わないで頂戴!」
「ジェームズ! お前、ちょっと落ち付け!」

あ、コイツらの存在自体を忘れてた。


笑っていたリリーの片眉がくいっと持ち上がる。
恐ろしいことに、背後のセブルスからも鋭い空気が。
うわぁ…二人の雰囲気が変わった事に、早く君達は気付くべきだよ。
俺に絡んできた二人組の少年は、弾かれて座り込んでいた石畳から漸く立ち上がったようだ。
抱き合いながら仲良く会話を繰り広げていた俺達を黙って見てたのか? 今まで? 尻が冷たくなってれば良い気味だ。
可愛い戯れを邪魔してくれちゃってさ。
この代償は高くつくぜ?

声を張り上げたはいいが、相手からはかなり戸惑っている気配が感じ取れた。
特に、俺とセブルスの顔を交互に見ている辺りから。
ばかあんまじろじろ見んな。うちの子が減る。

「…スネイプが、二人? いったい、どうなってやがんだ」

シリウスが髪を掻き上げながら呟くと、抱擁を解いて俺を庇うようにリリーとセブルスが前に出る。

腰に手を当てて立つ後ろ姿と、腕を組んで少し顎を反らす後ろ姿に不思議と頼もしさを感じてしまい、子供の成長って早いもんだな、などと俺は妙に感慨深く思っていた。
背中で語れるってすごくかっこいいよ、二人とも。

「見たとおりだ。そんな事にも頭が回らないのか、ブラック」
「ポッター、ブラック。貴方達、わたし達が来る前に彼に何かしなかったでしょうね!」
「大方、僕と勘違いして因縁をつけてたんだろ。貴様ら」
「彼はとても身体が弱いのよ! もし何かあったらどうするの!」
「…あの、君達、お気持ちは大変嬉しいんだけど、」
「「セネカは黙ってろ(て)」」
「……はい」

ちょっと泣いても良いですか?

プンプンと可愛らしいながらも勇ましさを十分に発揮してるリリーと、険のある態度を崩さないセブルスを宥めようとしたら、…これだ。
俺の為に怒ってくれているのは分かる。
とても嬉しい事だし、ちょっと自分が情けなく感じもする。
でもほら君達、良く考えてもごらん。
ここは大広間の扉の前だ。
既に入り口付近の生徒だけでもなく、何事かと席を立つ生徒までがちらほら見える。

これは不味い。
未だ組み分けをされず、所属寮の無い俺は兎も角として。
俺の為に怒ってくれてるというのが不味いのではなく、スリザリン生とグリフィンドール生が揃って、というのがまずい。
この二つは対極に当たる寮だ。
影でというのならば俺も黙ってはいるが、こう大っぴらに、人目があり過ぎるこの場で繰り広げてはダメだ。
騒ぎ過ぎると減点の対象にもなりかねないしな…、よし。
怒れる二人の為に俺は動き出した。


「セブ、リリー、ちょっと落ち着いて」
「僕は十分落ち着いてる」
「あら、私もよ」
「じゃあ二人とも、僕のお話もちゃんと聞けるよね」

ねーっと間延びした声を出すと、ぐっと二人の言葉が詰まった。
ぐりんと顔を此方に向けて睨むセブルスの肩をぽんぽんっと叩いて、俺は続ける。

「心配してくれてありがとう、二人とも。僕は何もされて無いし、大丈夫だからもうそんなに怒らないで。彼等は僕とセブルスを勘違いして声を掛けてきただけだし、」
「それが一番厄介だというんだ。セネカはコイツらの事を知らないから――」
「うん、そうだね。でもね、今は一先ず納めてちょうだいよセブ。ここがどこだか思い出して。…騒ぎを聞きつけて注目を浴び始めてるよ。いいの?」
「……」
「リリーも。お願い」
「…ええ、」
「そう、良かったー。…んん? ほらほら、可愛い顔が台無しだよ二人とも。笑って笑って」
「セネカほどじゃない」
「うわ、ひっどい!」

気まずげにちょっとうなだれたリリーの頭もぽんっと軽く撫でて、俺は二人の間に、顎が外れそうなほど俺を見ている少年達の前に立つ。
イケメン予備軍の顔が至極残念な風になっててすげえ笑えるけど、そんなことを顔に出す俺では無い。

「改めてはじめましてだ、お二人さん。僕の名はセネカ・スネイプ。見ての通り、ここにいる彼、セブルス・スネイプの双子のお兄さんだよ」

にっこりと極上の笑みを浮かべてやる。
途端に彼等は、薄汚いドブの底をさらったような、煮詰めに煮詰め濃縮されたポリジュース薬を無理矢理飲まされたような顔になった。
いやだねー、失礼しちゃう。

「君達もすまなかったね。二人ともすごく心配性で、僕の身体が弱いばかりにいつも気にさせてしまってるんだ。だから、気を悪くしないでほしい」
「…あ、ああ」
「いや、うん…」

儚げに目元を伏せつつ下手に出た俺に、なんとも居心地の悪そうな応えが返って来た。
…自分でも鳥肌が立つほどキモチワルイ演技だと思う。
だがそれも狙いの内。
内心は、ハンッ、と鼻で盛大に笑い飛ばしてやっていたのである。が、ソレは俺の心の中でだけの秘密だ。
自分の態度が悪かったなんてひとっ言も謝ってねえしな!
つーか本当に悪くない。主に態度が問題だった。

普通なら恐らくこれで場が治まる。
しかしそれが気に食わなかった人が当然ながらいた。
言わずもがな、セブルスである。

「っ、なんでお前が謝るんだ。そもそも悪いのはコイツらだろ!」
「こーら、セブ。そう喧々しないの。僕はまだ組み分けもされてないけど、セブと彼等の中が上手くいって無いのくらいは分かるよ。…彼等の態度を見てたらね。でもね、ここは一先ず納めると決めた。だから謝った。ね、OK?」
「…チッ」
「舌打ちはお行儀が悪いって教えたよね」
「うるさい」
「――うわっ!」

完全に機嫌を損ねてへそを曲げてしまったセブルスは、急に俺の手首を掴んで歩き始めた。
荒々しい足取りと勢いに足をばたつかせつつも、なんとか持ち直してそのまま引き摺られるように扉から遠ざけられる。
否、扉からというよりも彼等からと言うのが正しいだろう。
俺は驚いたけど文句は言わず、後ろを振り返ってリリーに「ごめん、また明日」と口パクで伝えた。
ごめんねに、彼等を任せるという意味を重ねて。
苦笑いのような微妙な笑顔で手を振られるのを確認すると、俺はちらちらとセブルスの横顔を窺いながら黙って付いていく。

なんとなく、どこへ行くかは分かる。
この方向は医務室へと続く道だ。
動く階段をいくつか上りきり、長い廊下に二人分の足音を響かせつつ歩いていった。
引かれるままずっと黙ってはいたが、如何せんセブルスの歩調が早い。
付いていくのもやっとだ。
10日間昏睡状態に陥っていた俺の身体は筋力が衰え、体力もごっそり持っていかれて未だに前の様に動けてなかった。
その為、段々と疲弊してきていたが、それでも口を開かず付いていく。
息も上がっていたけど、それを悟られるのは憚られた。

真っ直ぐに前を見据える瞳。
動く度に風を孕んで、時折裏地の緑をチラ見せするローブ。
肩口で切りそろえられた髪が揺れる度に、きゅっと引き結ばれた唇が俺の意識を吸い取っていたからだ。
すべて黒。彼と、俺の色。
この痩躯のどこにこんな力があるのだろう。
痛いくらい握りしめられた左手はじんとした痛みと同じくらい、共有する熱を馴染ませていた。

その時、


「……っ! うわ!」

かくんと膝が崩れ、見惚れていた視線が反れて床に向かってブレた。
意識のある身体は踏ん張ろうと咄嗟に動いてはいたが、バランスを失ったまま倒れていく。
条件反射で右手をつこうとした俺は、慌ててそれは不味いと右手を庇っていた。
その際、一瞬だが手を引かれたような気がし――、

どたどたっ。
倒れ込む音が廊下に響いた。

「……あれ?」

痛みを覚悟して目を瞑っていたのに、予想よりも痛くない。
むしろ柔らかなクッションが顔と肩の衝撃を和らげていて、打ちつけた鼻が少々痛み、縮んでしまったような気がするだけだった。
むしろこれは馴染みのある柔らかさと温かさだ。
その理由は、直ぐに知れる。

「え、う、わっ、セブ、ごめん! ……大丈夫?」

なんと、倒れ込む際に、手を掴んでいたセブルスも巻き込んでしまっていた。
先程一瞬手を引かれた感覚がしたのは、彼が気付いて手を引いてくれたのか。
引き上げることが出来なかったから、咄嗟に反対の手を俺の下に滑り込ませてくれたのだろう。
その証拠に、セブルスの腕に俺の上体が受け止められていた。
…躊躇うこと無く抱きとめちゃうとか。
行動がイケメンだよセブルス。トキメクぞ。
この反応の速さも俺が転ぶことに慣れてるからですね分かります。

「…立てるか?」
「う、ん…たぶん」

庇い切れなかった両膝は痛むけど、動けないほど重症では無いな。多分。
ゆっくりと下から支えるように動かされてなんとか立ちあがり、礼を言おうと顔を上げたら――とてもすまなそうに俺を見ていたセブルスとバッチリ目が合った。
…なんでそんな顔をしてるの?
目で問うと、彼はきまり悪そうに視線を泳がせる。
支えが無ければ直ぐにまた落ちそうになる身体をセブルスに預けながら、俺は言葉を探してるであろう彼をじっと見つめた。
何を言おうとしているのかが、なんとなく分かったからだ。

「…気付かなくて、悪かった」

小さな謝罪の声に俺は目を瞬いて急いで首を振った。
息は上がっているが、それは彼だけの所為じゃない。
セブルスは俺をちゃんと助けてくれた。だから、お相子だろう。
それに――、

「僕こそ、さっきはごめんね」
「…なんでお前まで謝るんだ」
「え、…いやー…」
「ハッキリしろ。言い淀む様なことをしたのか?」
「……うん。ちょっとだけ」
「……何をしたんだ」


「セブルスを、態と怒らせた」


ようなものですねー、と最後の方はごにょごにょっと萎む。
今度は俺の方が目を泳がせていた。
白状したらしたで彼は暫しの間絶句し、徐々に眉間の皺を深く形成していった。
その反応は想定内だ。
誤魔化す様にへらっと笑うと、益々顔を歪められてしまったけど。

「僕が彼等に下手に出たり謝ったりすれば、セブルスが怒るって分かってたから」
「何で僕を怒らせる必要があったんだ」
「…あの場から早急に去る為?」
「知るか。僕に聞くな」
「ですよねー。…ごめんね、セブ。また怒っちゃった?」

セブルスの顔を覗き込むと、彼は少しだけ俺を睨み「そこまで怒ってないから、そんな顔をするな」と不貞腐れた顔をしながらもそう言ってくれた。
途端に嬉しくなった俺は彼にすり寄る。
安定が欲しくて首に腕を回し、正面から抱き合う形になるとセブルスの目が一瞬、明後日の方向を向く。
照れてる? と聞くとすぐさま違う! と帰ってきた事に満足気に笑いながら、この話にはまだ続きがあるんだよと、囁いた。
むしろこっちが本題です。

「グリフィンドールとスリザリンは犬猿の仲ってのは、もうセブルスも知ってると思う。もちろん、僕らにとって彼女が大切な友人だというのは変わりないけど、…ってなんでちょっと笑ってるのさ、セブ」
「…いや、セネカならそう言うだろうって、思ってた通りに言ったからな」

うわー…こんな近い距離でそんな優しく笑わないでくれ。
ちょっと照れちゃうじゃん。
俺は、ごほん、と態とらしく咳払いで誤魔化しながら「でも、周りの人はそう好意的には捉えてはくれないんだよね」と話を続けた。

「セブルス。此処はね、とても閉鎖的な場所なんだ」
「どういう意味だ?」
「言わば、魔法界の小さな縮図の様なものさ。未だに深く根付く悪弊がまかり通る場所だと思っている人達が、此処には多くいる」
「……ああ、純血主義のことか」
「そそ。だから、リリーと君が一緒になって注目を浴びる様なことは、出来るだけ避けた方がいい。表立っては、ね」
「…影でコソコソ会えって言うのか、お前は」
「その方が良いと僕は思う。あくまでも、リリーを守る為に、だ。まあせめてもうちょっと学年が上がるまでは辛抱して欲しいな」

セブルスには俺という絶対の味方がいるけど、リリーの方は分からない。
彼女の事だからもう友人は居ると思うが。それでも、用心に越したことは無い。
もう、スピナーズ・エンドにいた頃の様に、ただ共に居たいからと押し通す事は出来ない。
…右手の呪いもそう思わせる判断材料になっていた。
てかこれ、入学したら直ぐに言うつもりだった話なのにな…くそっ。

「娯楽が少ないから面白がって彼女を攻撃する輩だって、いつ現れるか分かったもんじゃな…うわ、セブ! そんな顔しないで! あー、ほら! 今はなんてーの? えらく厄介な闇の魔法使いが幅をきかせてるらしいじゃん? マグルなんて大っ嫌い! みたいな大人気ない奴が!」
「…『例のあの人』のことを言いたいのか? セネカ」
「そう! そ、れ……え、なにそのあやふやな呼び名…ヴォルデモートとかいう名じゃないの?」
「お前…怖いもの知らずだな…大人でさえそんな呼び捨てになんてしないぞ」
「名を怖がるなんて僕には理解できなぐきゅぅうう…」
「……」
「……」

切ない鳴き声を上げた俺の腹よ。
お前はどうして空気を読まない?

「…行くか」
「…うん。…なんか、ごめん」

呆れたような申し訳ないような視線を送ったセブルスは、動けるか、と確認を取る。
頷いた俺は、先ほどよりもゆっくりと歩き出したセブルスの腕に絡みついた。
ちらりとそんな俺を見た後、また前を見て、

「今度は転ぶなよ」
「はーい」
「ニヤニヤするな」
「はーい」
「あの二人組にはもう係わるなよ」
「はー……ん?」
「セネカ。返事は、はい、だ」
「……はい」

と、ちゃっかり約束させられてしまったのである。

この後、医務室で首を長くして俺達を待っていてくれたマダム・ポンフリーに、二人揃ってお叱りを受けてしまいました。

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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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