分岐点 extra

メランコリイの妙薬を求む


ゆっくりと幕を引いた瞳から雫がひとつ零れる。
滲みでた感情を溶かしこんだティアドロップ(涙のしずく)は彼の手の上で砕け、小さな欠片となって細かな煌めきを残した。
ああそうか。これが星屑だ。
ふと、何年経とうとも忘れられずにいた大樹の夢を脳裏に思い描き、ひとつ謎が解けた、と密やかな喜びをそこに見出した。

ふわりと窓辺でカーテンがたなびく度に頬をぬけるさわやかな風。瞼の裏に、光を感じる。
少しひんやりとする朝の空気だけが、妙に現実味を帯びていた。



セブルス。
愛しくて恋しい、俺のすべて。
君の気持ちにも種を蒔こうと、芽吹けと、俺は願う。
決して純粋な想いだけが詰まっている訳ではない俺の願い。
どろどろに甘やかして繋ぎ止めておきたい欲望も確かにある。
彼の気持ちも絡めとるようにしたいと願えば願う程、いつの間にか夢中で求めていた。

…一切の、手加減無用で。

ええそうです。
つい大人な彼にしたように、ねっとりべろんとやっちまった訳である。
途中から完全に理性とオサラバしてたような気がする……いやほら、凄いキスって宣言したんだから別にこれは良い筈だ!
なんて、自分に言い訳をしている時点でもうアウト確定なんだけど。


――ああもうっ。初心者相手に何やってんだろうかね、俺ってば!



「……はぁ、」

息が切れて自分から唇を放す。が、当然ながらセブルスの顔がまともに見られない。
恥ずかしいと思う。幸せだったとも思う。
初っ端からこんな感じでごめんねとも、内心平謝りしていた。
自分からしておいて何を言うんだと思われるかも知れないが、しかし、ぶっちゃけ反応もこわいのである。
だって相手は『あの』セブルスだ。
怒られる覚悟は出来ている筈なのに、相変わらず俺は往生際が悪い。

それなのに気が付くと俺の両腕はしっかりとセブルスの首に回っていたし、角度を変える度にしがみ付くものへと変わっていたのだから驚きだ。
そう長い時間重ねていた訳でも無かった――ような気がするだけで、本当はとても曖昧だが――のに、自分の身体が正直過ぎて笑える。
まあ、結構我慢してたからな。
だから…どうにも離れがたく、名残惜しいとさえ、今でも思う。

(つーか、なんか、眩暈までしてきた、ぞ…)

横になっているのに、なんて器用な眩暈だ。否、器用なのは俺か?
…ああ、てか、よくよく考えれば俺は昏睡状態から目覚めたばかりだというし、体力だって落ちてる。
ついでに言うと飲まず食わずで腹も空いてる。
そんな状態でキスの一つでもすればそりゃあ眩暈だって起こすか。
出来ればこれが、空腹による眩暈だ、なんて情けない理由で無いことを今は祈るばかりだ。


「セブ?」

そろそろと彼の表情を窺う。
俺が悩んでる間に何か言ってくると思われたセブルスは、未だに無言を貫いていた。
驚いたにしても怒ったにしても、全く微動だにしないとは。はて。
またぐるぐると悩んでいる最中なのだろうかと、ついつい自分に良い様な物の考え方をしてしまう自分に呆れた。
しかし、ここまで無反応なのもそれはそれで悲しい気がする。
いやそんな真っ赤になって逃げる彼をもうちょっと追い詰めてみたいとか別に思ってねーし。

先程の名残りで濡れてちょっと色づいた唇が目に止まったので、つい指先でふにふにっと弄りつつ、俺に被さったままの彼を見上げて――、

「え、ちょ、ちょ、…セブ?!」
「……」
「うわーっ! 息! 息をしてセブルスー!!」

呼吸を止めたまま硬直している彼を、必死になって揺さぶった。
ゆする度に自分も眩暈でくらくらっときたがそんな場合じゃない。
まさかまさかの無呼吸とか。
あまりにも刺激が強過ぎたのか、セブルスの脳はキャパシティーを超えてパンクしてしまったらしい。
一体いつから…って、俺がキスをした時からですよねほんとごめんセブルスー! ほら、ひっひっふー!

そんな彼が我に返ってからの第一声が「一体どこでこんな事を覚えて来たんだー!」だったので、答えに窮したのはまた別の話である。
てか、突っ込むところって…そこ?

***


意識が回復してから8日目の夕方。

俺はマダムに手を引かれて大広間へと続く玄関ロビーまでやって来ていた。
5日目までは医務室で過ごしていたが、一度聖マンゴで検査を受けるべきだとダンブルドアにまで言われてしまい、渋々ながら検査入院を済ませてきた所である。
結果、目立った問題は無く、こうしてまたホグワーツに戻ってこれて俺は心から安堵していた。

だって、俺はまた、あの病院に縛り付けられたくは無いのだ。
今入院するという事は、確実にセブルスと離れる事を意味するものだから。
馴染みである癒者のお姉さま方と戯れる事が出来るけど、これはまた別として。
妙齢の女性方よりも、やっぱりセブルスでしょ。うん。

新たな呪いが巻き付いた腕に合わせ、配合を変えてまた強くなった薬は、正直飲みたくないと思えるほど酷いものだった。
服用する度に更なる強い眩暈と吐き気に襲われるなんて、これが毎日続くのだと思えば気が滅入って仕方ない。
有意義な学校生活に支障を来すのは間違い無いな。
早めに薬の開発を再開するなりして手を打たなければと、俺は決意を新たにする。
…一から薬を作ることの大変さが身に染みてるだけに、前途多難だとは前々から覚悟してはいるのだが。
稼いだ金を惜しみなくつぎ込みつつ試行錯誤を重ねる日々をEnjoyか…考えるだけでも頭が痛いな。
療養している間に仕事だってたんまり溜まってるだろうに。

そうそう。セブルスは聖マンゴと聞いただけで嫌な顔をしていたが、理由が服用する薬の事なだけに、やっぱり渋々ながら見送ってくれた。
ああ勿論。見送る際、彼には「食事をきちんとすること」「睡眠をちゃんと取ること」を約束させましたとも。
そこは抜かり無いのさ。
しかし、あれからお怒りと問い詰めだけで事は澄み、気まずくなる事もさせる事も無かった俺達だが、これを聞けばまたセブルスの機嫌が急降下するのは想像に難くない。

ああ、憂鬱だ。
報告する時を思うと気が重くなる。
心配ばかり掛けている俺にとって、彼が気に病む事柄が増えるのは歓迎できることではないのだ。
…ん、んん? もしやこういう事が重なって、積もり積もって、未来の『あの』過保護っぷりに発展していくのではなかろうか。

「セネカ、どうしたのですか? ぼーっとして」
「え…あー、すみませんマダム。少し考え事をしていまして」
「それならば良いのですが…あまりその事にばかり気を取られ過ぎて『また』転ぶことなど無い様にしなさいね。貴方ときたら、何も無い所で転びそうになっては此方を冷や冷やさせっぱなしなのですから」
「…う、すみません」
「一度や二度ではない事もですよ」
「…はい、マダム・ポンフリー」

マダムが俺の返事に溜息をつく。
同時に引かれた掌も改めてしっかりと握り直された。
子供じゃないんだから手を繋がなくても良いですよなんてもう言わないのでそんな呆れたような目はやめて下さいマダム。


大広間の扉前に着くと丁度賑わいのピークなのか、夕食を取り談笑する生徒で広間は埋め尽くされていた。
今日は9月20日、月曜日。
授業も全て終えてほっと息を抜いて楽しく友と語らう生徒達と、冷えた石畳に佇む自分という落差に深い隔たりを感じる。
あちらと、こちら。
もし俺が普通の11歳であったなら、遅れて入学する事に対して今更馴染めるのだろうかと不安を抱える様な光景だろう。
だが別にそういう事に対して隔たりを感じている訳ではない。

「(ああ…若いって、群れてるだけでもそこはかとなくエネルギーを感じさせるなあ)」

とか、思ってしまったりしているだけである。
生前の年齢までを加えれば俺はとうに還暦越えだ。
マクゴナガル教授や此処にいるマダムよりも年上な訳である。
セブルスと過ごすうちに思考が退化…否、若返ってはいるが、子供らしさには欠けている俺がこの場に混じっていけるのだろうか?
…というのは建て前で、本音は、

「(こんなに大勢いるこどもの相手をするのは、正直めんどくさい)」

だったりする。
いやまあセブルスは別だけどな。(勿論、リリーだって可愛い)
あの子は俺の天使で可愛く愛しい弟だ。
彼とならば一日中戯れて語り合って勉学に勤しむ事も楽しい。
むしろ、コソだけに重点を置く学校生活にしていく所存。異論は認めない。

それに…此処には、出会いを避けなければならない連中も、いる。


「――では、私はダンブルドア校長と少し話をしてきます。直ぐに済みますので貴方は此処で大人しく、どこへも行かず、じっと大人しくしているのですよ」
「はい、マダム(…今、二度同じ事言ったな)」
「貴方の食事はその後で。医務室に運びますので、それまで少しだけ我慢してもらうことになりますが…」
「大丈夫です。いってらっしゃい、マダム」

俺を一人この場に残していくのがよほど心配なのか、尚も言葉を重ねようとするマダムに笑いながら手を振る。
彼女の記憶には昏睡状態だった俺と、話にだけ聞いた「記憶に無い錯乱状態の俺」というのがしっかりと焼き付いているようだ。
だからか、他の生徒よりも殊更に心を砕いてくれてもいた。
なんだか申し訳ないな。
未来の通り、厳しくも優しい彼女の心遣いは非常に痛み入る。
だが、その優しさに甘えてばかりいては俺が情けないではないか。

マダムの姿が遠ざかると手持ち蓋さな俺は壁に寄り掛かって、ずるずる座り込む。
温かな空気が開かれた扉から流れ込み少し冷えた頬を擽った。
何を話しているのかさえ判別がつかない喧々たる音声にも心寂しさを感じる事も無く、薄暗さを染み込ませた天井をひとり仰いだ。
恐らくだが、当分ここへ生徒は足を向けない。
育ち盛りの彼等が食欲を十分満たし、甘いドルチェをたらふく胃に収めるまでは。
少々ケツが冷たいが立ちっぱなしも辛いし、そのまま覗きこんでいれば生徒に見咎められるだろう。

……セブルスも今此処で夕食を食べているのだろうか。
そう考えたら居ても立ってもいられず、言いつけを破ってあの中に飛び込みかねない自分もいるのだから、全く。
今日帰ることを知っている彼には、後でゆっくり会えるというのに。
俺は現在私服だ。
制服で溢れかえるあの中に混ざれば、同じ顔である限り見分けられてしまうだろう。
説明はめんどくさいし、セブルスを困らせるのは、良くない。
…いやー…でもなー…ちょっとくらい…。


「やあ、そこにいるのはスネイプじゃないか」

その時だ。
人生においての二択を迫られた時の様に真剣な表情で悩んでいる俺に、声がかかった。
揶揄を含んだ、侮蔑と嘲りを織り交ぜたような声だ。
自然、俺の眉根が寄ろうとする。

「そんな所で何をしているんだ? …ああ、もしかして空いてる席が無くて泣いているのかい? かわいそうに」
「なんだ。座り込んで泣いてるのか、スニベリー」

ムカッと一瞬腹が煮えくり返る。
声の出所をちらりと見て、彼らが大広間からの食事を終えた生徒だと判別が付く。
ふむ…、少々目算が甘かった、か。

光を背に立つ彼等は逆行で表情こそあまり良く見えないが、台詞を聞く限り、セブルスに対して良い印象を抱いていない奴らだと十分解った。
なんだなんだ。
もうセブルスは周りに敵を作ってしまったのだろうか。
あれ程攻撃的な態度は控えた方が良いって、入学前に言っておいたのに。
早すぎるぞおい。
初対面の人物に対し、口下手と無愛想をオートで発動させる彼にはやはり無理があったか…うーん。
やはり俺が隣で愛想と話術を用いて、滑らかで邪魔にならない人間関係を築くべきだろう。
そのうち社交界デビューの場もこっそり設ける心づもりである俺は、きちんとセブルスと話す機会を作らなければと片隅で思う。
…うえー、なんか、俺が汚い大人に思えてきたぜ。
実際そうだが。まあ否定はしないさ。


さて相手はスリザリンだろうか、グリフィンドールだろうかと彼等の寮を推測しながらも、俺の心は既に臨戦体勢を整えていた。

――しつこい血族達の所為で純血主義と言うより、実力主義を重んじてきたわけであって、血統が如何に良くてそれを誇ろうが、努力を怠った能無しであれば根性を改めさせて来た、生前の俺。
セブルスを追ってスリザリンに入れば、そういう輩は必ず俺の目の前にまた現れる。
これはそのデモンストレーションの一端だなと、何処か呑気に捉えてもいた。
…あ、俺が純血主義だと決め付けられるのは一向に構わないが、セブルスはどうなんだろう。
そう言えば確認した事は無いっけ。変な奴らに善からぬ事を吹き込まれて無ければいいが。


スリザリンならば後ほど捩じ伏せておけば構わないが、グリフィンドールならば相手にするのは無駄な時間だ。
そう瞬時に考えを巡らせた俺は、恐らく未だ伝統的に受け継がれているだろう蛇と獅子の因縁に、再び憂鬱な気分を浮上させつつあったのである。
俺は素早く立ち、パッと尻を払って彼等に向き合った。
そして、にっこりとセブルスが絶対見せないであろう笑顔を顔に張り付かせる。

「誰が、泣いてるように見えるって?」

柔らかく、ゆっくりと語りかけて僅かに首を傾げる。
これだけで俺とセブルスの違いが出るのだけれど、彼等はそうとも気付かずにくすくすと笑い始めた。
はっはーん。君達、セブルスの事を嗤ってるのかい?
その笑い方、結構イラッとするぜ。
馬鹿にしやがってこのクソ餓鬼ども。と、ふつふつと湧きあがった怒りを笑顔の裏に押し込める。
まあ無理ないことだよな。
誰も俺の存在を知らないのだろうから。

「僕はここでマダム・ポンフリーの事を待っているだけだよ。まあ、確かに夕食はまだだけど。君達はもう終わったんでしょ? だったらもう寮に戻った方がいいんじゃない?」
「はっ、スニベルスのくせに俺達に指図するのかよ」
「指図? なんで? そう聞こえたなら、捉え方の違いだと僕は申し上げるけど。消灯時間までに迷わず寮に戻れるか心配してあげてる優しさを素直に受け取ったらいいじゃないか」
「なんだとっ」

俺の言に相手がムッとした事に幾分か気分を良くした俺は、少しずつ暗がりから光の中へと足を進ませる。
均等に配置された松明が空気の揺らめきを受けてぼありと火の粉を散らし、舞う。
正面まで来て彼等の顔を確認する事が出来た俺は、一瞬、極僅かな間の事だったが驚きに目を見開いた。
それと同時に内心、あちゃー、っと頭を抱えてもいたのである。

一人は何処かで見た覚えのあるアンティーク調の丸眼鏡。
もう一人は黒髪で、幼いながらも顔の整った鋭い目つきの、

「(……どう見てもシリウス・ブラックじゃん)」

そう、シリウス・ブラック。
あの未来のグリモールド・プレイスで出会った不機嫌な家主をそのまま幼くした子供が、そこにいたのだ。
ちらりとネクタイの色を確認し、なんでコイツはあの家出身のくせにグリフィンドールなんだよ、という疑問を脇に置く。
まあ、些細な事だし、俺には関係の無い事柄だ。
それよりも…もうあの不快な呼び名でセブルスの事を呼んでんのかよコイツ。
なんかバリエーションも増えているしさ。

「(…つーか、隣にいるのはどうみてもハリーだよな)」

でも彼はあちらで普通に学生している筈だし。となるとこの子供は、彼の父親というポジションにあたるのだろうか?
そうとしか思えないほど酷似している容姿である。
浮かべている表情は、内面の優しさを滲ませたハリーの表情とはかなり違ったが。
おい親父、絶対にハリーの方が初対面でも好感を持てる子供だったぞ。見習え。
子供は素直が一番だが、これは可愛くない部類の素直さだ。


「(さて、どうしようか)」

ここは悩み所である。
既に出会ってしまったものは仕方がないとして、この場をどう回避するべきかねえ。
マダムが帰ってくれば即終了というのは目に見えてはいる。
だが、俺が立ち去ろうと背を向ければ、恐らくあのシリウスならば平気で呪いを放ってくる事など容易に予測できた。
高々子供。一年生。弾く事など今の俺でも容易い事だ。
前に進むという選択もあるにはあるが、彼らが立ち塞がっているとなれば…それも叶わなそうだな。

「(時間稼ぎか、強行突破か、いや、一先ず黙らせとけば……ん?)」

彼等からの死角。極自然な動作で右手に仕込んだホルスターから杖を滑り出した所で、俺は扉の向こうから駆け寄って来る気配に気が付いた。
それは二人も同じで――、


なんという事でしょう。
訝るように振り返った少年たちは、猛然と突っ込んできた二つの塊に弾き飛ばされてしまった、のである。
かく言う俺も俺で冷たい石畳に彼らが尻もちをつくのを見届けながら、前後から拘束するように身動きを取れなくされてしまっていた。

なんかむぎゅむぎゅされてる。

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