分岐点 extra

九月一日からの


Sideセブルス

「セブルス、スネイプ!」

マクゴナガル教授が長い羊皮紙の中から僕の名前を読み上げた。
彼女に先導されてからずっと緊張状態で佇む新入生達をかき分けて、上座に用意されたスツールに、僕は座る。
前を向いたら、開放的な大広間に並べられた四つの長テーブルがぐっと間近に迫った。

僕が今いるのはホグワーツだ。
見上げた天井には夜空を彩る星雲。
魔法によって写し取られたその下には、何千と浮かぶ蝋燭の炎に照らされた何百という顔が、この儀式の行方を見届けていた。
好奇に輝く瞳に、僕の眉が自然と歪む。

グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー。
そして、スリザリン。
これから僕はこの寮のいずれかに組み分けをされる。
どれも輝かしい歴史のある、偉大な魔法使い達が創設した四つの寮だ。
…入りたい寮はもう、僕の中では決まっていた。
それに、僕が選ばれる可能性の高い寮は随分前から、セネカから伝えられてもいた。セネカだって僕と同じの筈だ。

だから不安は無い。顎を引いて顔を真っ直ぐ向ける。
僕は俯いて縮こまった様子を見せてはいけないんだ。
そう自分を叱咤する。

何事も最初が肝心。なめられるような隙を見せてちゃダメ。余裕ぶっちゃえよ。大丈夫、僕が保証する。君は素晴らしい魔法使いだ。だから、君自身を誇れ。

そうセネカが僕に言った。
言ったから、僕は今、きちんと前を向けている。
たとえ僕の心がどんなに掻き乱されていようと、下は向かない。
目の前が闇に覆われ――僕の頭に、組み分け帽子が被せられた。


「スリザリン!」


高らかな声で組み分け帽子が叫んだ。
やっぱりと思うと同時に、僕の心には安堵感が浸透する。
選んでもらえた。セネカの言う通りスリザリンに。
引っくり返りそうになった心臓もこれで大人しくなる。

帽子を脱いだ僕は一瞬、リリーの方へ視線を向けた。
赤と金に彩られた垂れ幕の下でリリーは、僕と目があった事に気付くと少しさびしそうに微笑んだ。
彼女はグリフィンドールに選ばれた。
真っ直ぐで正義感の強い彼女なら絶対だ、というセネカの言葉通りに僕とリリーは反対に位置する寮へと迎えられる。物理的にも距離が遠ざかる。
すごく残念だ。また僕達と共に過ごし、一緒に学べるとばかり思っていた僕にとって、リリーを選んでくれなかった事はとても悲しい。
でも、

(でもセネカなら、そんなこと関係ない。寮が何だ。僕達は友達だから大丈夫だって、言う気がする)


歓迎の拍手が鳴りやむ頃、肩を叩いて隣に座った上級生の話に相槌を打ちながら、僕の瞳は組み分けを映していた。
次に名を呼ばれたのは僕の片割れじゃない。
髪の色も、背恰好も、性別でさえ違う全くの別人だった。
…そうだ。ここにセネカはいない。
居るべき筈の片割れの姿は、この広い大広間のどこを探したって…居ない。

――セネカは今、意識を失って医務室で昏々と眠りについている。

ホグワーツへ向かう特急の中で。僕の腕の中で。セネカは目を覚まさなかった。
少し眠いから膝を貸してね、という言葉と共に眠りに落ちたセネカ。
何度名前を呼んでも、また寝ぼけてるのかといくら揺さぶっても、瞼を固く閉じて目を覚まさなかった。
異常なほど顔色を白くさせて。
まるで抜け殻みたいだと思ったら、すごく…怖かった。

(…セネカ、)

握った手の冷たさ。それを思い出した僕は、胃が冷たいもので埋まっていくような気分になる。
テーブルの下では掌を音が鳴るほどきつく握り締めていた。
丁寧に仕立てられた制服に皺が出来ても、今の僕には些細いな事だ。
心配で心配で。他の事が考えられない。

(また、あの時みたいに一月も目を覚まさなかったら…)

こんな掻き乱れ荒れた心ではダメだって、さっきまでは気力で持ちこたえていた僕は、今、出発前に感じていた心躍る気持ちでさえ萎んでいた。

(この儀式も、宴も、早く終わればいい)

顔を上げ、遠く教員席に座るダンブルドアへじっと睨むような視線を送る。
彼は僕と目が合うと、分かっている、というように小さく頷いた。
意を組んではくれている。でも、彼は校長だ。
僕個人の我儘を易々と呑むわけにはいかないとは、僕だって分かっている。
一生徒を伴って席を外すことは、立場的に許される事じゃない。
でも、でも、でも!


このままセネカが、一生目を覚まさなかったら、僕は、もう後悔だけじゃ済まされない気がする。


***


新入生の歓迎会から早くも一週間が経った。

授業が終わったばかりの僕は教科書を鞄に詰め込みながら、地下から這い出る様に、石を組んだ階段を上っていた。
小さな明かり取りしかないここは昼間でも薄暗い。
夜になれば松明が灯される石畳は今は冷え切っていた。
カツカツと、靴底で奏でる早いリズムが壁に反響して僕の耳に届く。
この一週間でホグワーツの広大さと迷いやすさを十分に理解していた僕は、道順を思い描きながらひたすら足を動かしていた。

「(昼休みが終わったら次は、たしか変身術だったな…)」

時間割と鞄の中身を再確認。
見た目よりも多くのものが入る鞄――そういう魔法が掛けられているらしい――には今日一日分の教科書が詰め込まれている。これは毎日だ。
一々戻っている時間も惜しく思う僕は、就寝時間ギリギリまで寮に寄り付かずにいた。

城の地下を下った先にあるスリザリン寮。
僕に割り振られた寮の部屋は他とは違い、何故か二人部屋だった。
ここはまだ夏の名残りのある時期なのに、寒々とした雰囲気と暗さがある。多分、冬になればもっと寒い。
大理石で覆われた談話室も同じような感想だ。
初めて他人と寝起きをする事と、四六時中囲まれ、行動しなければいけない生活にはまだ慣れない。
寮の特質なのか、馬鹿みたいに騒ぎ出す奴がいないのが幸いだと思う。


授業は思いのほか簡単だった。
入学前からセネカの飴をチラつかせながら鞭を打つような個人授業を受けていた僕にとっては、だ。
それを思えば一年生の授業は生ぬるい。

セネカは妥協を許さず、理解の及ばない所はとことん付き合う。いつも適当なくせに、この時ばかりは真剣だ。
そして僕が教科書と読んだ本の内容を全て鵜呑みにした答えを目の前に差し出すと「で、セブルス自身の考えではどうなの?」と、にっこり笑う。
もっと廻りくどい言い方をされることだってある。
ともかくセネカは僕自身が考え、導き出す事を望んだ。
杖を手に入れてからはもっと高度になった。

期待に応えたい。認められたい。追い越したい。
これは僕の底にあるもの。
よく出来ましたと、嬉しそうに微笑む顔も僕の意欲の糧だ。
呪いを解く事を諦めていない、僕にとって。


…なのにそのセネカは、まだ目覚めない。


隣がぽっかりと空いた違和感を抱えつつ、僕は独りで行動をした。
たまに同室の奴が僕に付きまとうけど。
僕はやっぱり、独りだった。

理解できない。
何故僕になんか近寄ろうとするのか。
初めの授業で好きな呪文を言えるだけ、闇の魔術を知識の限り上げ連ねた僕は既に異質と見なされていたのに。
所属するスリザリンでもだ。
闇の魔術に興味を示すということはつまり…僕の本質が闇に向いているとみなされる、という事なんだと思い知らされた。
…フン、勝手にそう思っていれば良い。
セネカが僕の事を理解してくれているなら、それでもう充分じゃないか。

彼には他に友人となれる奴だって大勢いる。
同室だからという理由で手近な僕で済ませないでもらいたい。
あまりしつこくされると別な目的があるんじゃと、勘ぐる僕がいるから。
それに、

――セネカがいないのに、どうして他の奴に隣をあけ渡さなきゃいけないんだと、僕は思う。

リリーとは時折合同授業で一緒になるけど、寮が違う事もあって、この一週間まともに会えていない気がする。
明るく賢い彼女の事だ。もう共に行動をとれる友人だって出来ているだろう。
リリーには面会はまだ許されていない…だから合う度にセネカの様子を尋ねられるけど、僕は黙って首を振るだけ。

僕もリリーもセネカを待っている。

だから、独りでいい。独りがいい。

帰って来た時に僕の隣が空いていない事でセネカが嫌な思いをしたら、僕自身がいやだと思うからだ。
自分自身に置き換えれば、僕のこの答えは当然と感じられた。

この感情が依存による排他的な考えとは分からずに。
それ程セネカの不在が僕の心を頑なにさせていた。



「セブルス!」

ああ、またアイツかと僕は歩みを止めること無く前を向く。
バタバタという騒がしい足音が近づき、隣に並んだと思ったら影が僕の上に被る。それでも足を止めない。

「うおー…歩くの速いよな、セブルスって。授業が終わったら速攻教室から消えるんだもんなー」
「……」
「なあなあ、そんなに睨むなって。お前もこれから昼食いに大広間行くんだろ? 俺も俺も。一緒に行こうぜ? なあ、」
「……僕の名を勝手に呼ぶな」

じろりと、一年生にしては高い位置にある顔を睨む。
顎をそらせなければこの睨みも届かない。隣に勝手に並ばれて、僕が一番悔しいと感じる瞬間は、これだ。
コンパスの違いで直ぐに追いつかれてしまうのも。

同学年では一番高いと思えるほど背が高く、体格も上級生に見劣りしない彼の名は、トーマ・ランコーン。
スリザリンで同室の。
僕と同じ11歳なのにこの成長の差はもういっそ、卑怯だと言いたいくらいだ。

彼は短く刈り込まれた金色の髪に手を差し入れ、くしゃりとかき混ぜる。
針金みたいに硬い髪質だと自分で言うとおり、手を離すと直ぐにまたピンと元に戻っていた。
切れ長で深いダークグリーンの瞳を大きく見開くも、纏わせた雰囲気には気分を害した様子が見られない。
それどころか面白い物を見る様な目で僕を見下ろす。
…やっぱり、変な奴だ。
毎日すげなくあしらわれているのに何故か懲りない。
名前だって、僕が嫌がっても呼び続ける。


隣で聞いてもいない事をベラベラ語り出すランコーンに無言を返しながら、大広間の前に辿りついた。
まだそれ程人も多くないけど、楽しそうに話す声がホールの方まで流れてくる。
多分、この一番騒がしいのはグリフィンドールだ。
あそこはいつも無駄に騒ぐ。
開け放たれた扉に向かって方向を変えた奴と、そのまま通り過ぎようとする僕。
それに気付いたランコーンが引き止める様に僕の名を再び口にした。

「おーい、セブルス。どこへ行くんだ? 広間はこっちだぜ?」
「……」
「いや待てって。お前、昼も食わないつもりなのか?」
「…勝手に付いてきたのはそっちだ。僕は一言もそんなこと言ってない」

肩を掴んで引き止めたその手を払いながら、僕は答えた。
昼も? 何故僕が朝も抜いた事を知っているんだ。
食欲がまったく湧かない僕には、無駄な時間を割くよりも行きたい場所があった。
この一週間、時間が許す限り通っている所に。
行動を邪魔されたことで僕がイライラしていると、彼は後頭部をガシガシ掻きながら言葉を探して視線を泳がせていた。
何なんだ、いったい…。

「あー…その、な。セブルス。お前さ、この一週間まともにくってねえだろ」
「……」
「なんでそんな事知ってるんだって言いたいんだろ。あのな、俺はお前のルームメイトだし、お前が寝て無いのも顔色で直ぐ分った。てか起きてるの見た」
「……っ」
「そしたら朝食の時間になってもお前は現れねーしさあ…正直に言うとこの一週間、お前の事を観察してたんだよな俺。…セブルス、お前、なんか危ういよ」
「……」
「自分が今にも倒れそうな顔してるって自覚あるか?」
「……僕は、「セブ!」……リリー…」

口を開きかけた僕の声を遮るように、リリーの声が大広間から聞こえた。
声の方を振り向くと昼食を食べ終えたのか、その途中で僕を見つけたのか、彼女が僕らの方へ駆け寄って来る。
リリーは僕の方を向くランコーンへ視線を少し泳がすと――恐らく、もうグリフィンドールとスリザリンが犬猿の仲だと聞いたのだろう。きっと、後で僕が奴に何かを言われるんじゃと、気にしたんだ。

それでも心に決めた事があるのか、彼女は僕へと詰め寄った。

「セブ。良かった。私、貴方に話したい事があったの。…ねえ、もしかして貴方、これからまた行こうとしていたのね?」
「…ああ」
「ダメよ。…いえ、ダメじゃないけど、でもお願いだからもう少し自分の事も気にして欲しいの。このままじゃセブも倒れてしまうわっ」
「僕の事なら大丈夫だリリー。行動できる分だけは食べているつもりだ」
「それだけじゃダメだから言ってるのよ! わたし、貴方の事も心配してるのよ!」
「そうだそうだー、彼女の言う通りだぜ、セブルスー。あと、彼女への態度と俺への態度が違いすぎて地味に俺がヘコんでもいる」

リリーの訴えに被せてランコーンも口を挟む。
自分の言いたい事と同じ事をランコーンが今まで話していたと知った彼女は、軽い自己紹介を済ませるとまた強い視線を向けてきた。
真っ赤な燃えるような赤毛を震わせて。
二人に詰め寄られた僕は、少しだけ後ずさる。
自分の感情に真っ直ぐなリリー。
頭の中で彼女を宥める手を探していた僕は、次の言葉で考えていた事を即座に断ち切っていた。


「――それに、そんな貴方の事を知ったら…悲しむわ、セネカだって「リリー!」……あ、…ごめんなさい、セブ」


今度は僕がリリーの言葉を遮った。
セネカの事はまだダンブルドアが緘口令を布いたおかげで教員以外は知らされていないままだ。
好奇に晒されるのは避けたい。それにもし、良くない噂を広めらでもしたら復帰した後で居づらくなるのはセネカだ。
今のセネカの状態を見れば、どんな憶測を立てられるか…。
このまま目覚める事が無かったら聖マンゴに移すべきだという話も出ているのに。
それだけは嫌だ。

だから僕は、不用意に名を呼んだ彼女を窘めた。

瞼をゆっくりと閉じた僕は長く息を吐き出す。
入口付近で立ち止ったままの僕らは、少し注目を浴び過ぎてもいた。


「…リリー、悪いけど僕はもう行く」
「セブ…」
「心配は嬉しい。でも、今はまだそっとしておいて欲しいんだ…」

目を開けた僕の決心はやはり揺らぐ事は無く、踵を返し急ぎ足で立ち去る僕を引きとめる声はもう、聞こえなかった。
聞かないふりをした。

「なあ、セネカって、だれ?」

だから僕が去った後、ランコーンが口にした疑問も聞いていない。

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