分岐点 extra

忠誠の杖


オブスキュラス・ブックスと雑貨屋に挟まれた、その奥に位置する古ぼけた店構え。
それがオリバンダーの店だ。
どこの店よりも落ちかかった亀裂の入った壁が今にも崩れそうで、トロールのくしゃみでも潰れるんじゃねえか、なんて余計な想像が膨らむ。

『オリバンダーの店――紀元前382年創業、高級杖メーカー』

剥がれ掛った金の文字でドアに打たれた名に、自然と俺の気が引き締まる。
その理由は、果たして俺に合う杖があるのだろうかと少々疑問に思っていたからだ。それは前からある一つの心配でもあった。

「(何せ生前は一日では決まらず、三日通って漸く馴染むものが見つかった前科が、俺にはある…)」

うーんと唸る俺に不思議そうな顔をしたセブルスは、ギィ、とゆっくりドアを開け狭い店内へ俺の背を押した。
チリンチリン。
店内の奥で来客を告げるベルが鳴り響いた。


「(つーかさ…、内装も昔とまたく変わってねえ気がするんだが…)」

静かな人気のない店の中。
何千と隙間無く積み上げられた箱のひとつひとつから僅かに洩れる魔力が埃と共に漂う空間は、少し居心地が悪い。
前に来た時と全く同じ感想を抱いた。
一つ二つであれば気にならないが、こうも様々な魔力が混じり合うこと無く収まっているさまは、何とも言えぬ気持ちの悪さを感じさせた。
しかし、主を持たぬ杖はその忠誠を捧げる相手を此処で待つしかないのだ。今は我慢するしかない。

――そう、杖には意思がある。

持ち主が杖を選ぶのではなく、杖が持ち主を選ぶ。
あまり一般的には知られてはいない事だが、彼らには忠誠心があり、敗れ、奪われた魔法使いは自身の杖の忠誠さえも失う。
俺ならば杖を折られる事よりも屈辱を感じる失態だ。

素材から始まりその性格も性質も様々な訳で、彼らが放つ意思は敏感な者にとってはひじょーに鬱陶しい。
だから居心地が悪い。俺はそう肌で感じる。
意思の無い魔法具が積み上げられていたならば、こんな風には思わないんだけどな…呪われた品は別として。

因みに、俺が感じている状態を分かりやすく説明すると、箱の中で「はっ、お前に俺が使いこなせるとでも思っているのか!?」やら、「貴方には全く興味がありません。他を当たっては如何ですか」とか、「ダメダメ、無理っす! 俺はアンタに合わねえっすよ!」とか主張してるような感じだ。

……な? 鬱陶しいだろ?
沈黙を貫いていたと思ったら、振った途端に暴れ出す輩もいるしさ。
大体殆どの奴が俺を否定するもんだから、極僅かな歓迎の声なんか聞こえるものか!


「――いらっしゃいませ、」

柔らかな声がした。
パッと声を頼りに振り向くと、一人の老人が立っていた。
薄暗い店内に佇む老人の気配は希薄で、突然現れた事に俺とセブルスはビクッと肩を跳ねさせる。
…本当に吃驚した。物音ひとつしなかったぞおい。

「ようこそおいでなさった。今年入学の方じゃね?」
「「はい」」
「お名前を窺っても?」
「スネイプです。僕がセネカで、こっちは弟のセブルスです」
「ほう、双子の魔法使いとはなかなかお珍しい。さて、お二方の杖ですが…どちらからお選び致しましょうかね」

その言葉に互いに目配せし合うと、お前が先に行け、とセブルスの目が言う。
ええー…そこは先譲っちゃうの?
自分の方が楽しみにしてたじゃないか。
ちょっと困りつつ頬を掻くと背を押され、渋々ながら前に進み出た。

「杖腕はどちらですかな?」
「左です」

言うと、老人は少し唸る。
顎に手を当てて俺の全身を一度見た。そして、俺の右手へ。
薄い色の瞳が細められると、自然と体の向きが右腕を庇う様に隠す。
触られるのも嫌だが、ジロジロ見られるのも些か不快だ。

「其方の腕はお使いにはならない?」
「…いえ、元々僕は右利きです。でも、あー…、まあ、万が一の事を考えて左に持ち変えました」
「ほう、では両利きということでよろしいでしょうか」
「…お願いします」

頷いた老人が奥へ引っ込むと、背後からの視線を感じた俺は顔だけを向けた。
どうしたの? 僕なら大丈夫だ。
ちょっと笑うと、意外と俺の顔が強張っていた事に気付かされる。
ああ、なるほど。
どうりでセブルスが心配そうな顔をしていると思ったぜ。
彼は傍らに来ると、そっと右手に手を添えて繋ぐ。

「無理に笑おうとするな、」
「…うん」

優しいセブルスの存在が嬉しかった。
彼になら、右手をゆだねても良いと思える。
厄介な呪いも、彼が手を繋いでいてくれるなら…きっと大丈夫、とその時の俺には思えていたから。


――そして予想通り、俺の杖選びは困難を極めた。


「…あと何本振ればいいんですかね…」
「次はレッドオークにユニコーンのたてがみ、30センチ、実に素早い」
「最も決闘に適した杖とも言われるやつですね」
「おお、その通りじゃ、よくご存じで。レッドオークで作られた杖の神髄は反応速度の速さでしょうな。賢い魔法使いならば決闘用にこの一本を忍ばせる。さあ、どうぞ、振ってみて下さい」

振った途端、店の奥で何かが崩れる物音がした。

「……これもダメでしたか。では、次は柳の――」
「あ、柳の杖はダメだと思います」
「これまたどうしてそのような事を仰るので? 柳は癒しの力を持つ珍しい杖じゃ。大きな可能性を秘め、己で選択する力をもつ者を選ぶ事が多い」

…この老人。
杖を選ぶと同時に人の性質までを見極めようとしている。
まあ確かに、俺は俺自身の道を自分で選ぶ。
が、先ず癒しの杖とかピンと来ないから断ったんだけどなあ。
そしてやっぱりというか、その杖も俺には合わなかった。

「いやはや、これは探し甲斐のある御方じゃ。これほど合う杖が見つからない方も珍しい。通常は多くても四、五本で巡り合える事が多いのじゃが…」

なんか、もう疲れた。
俺は既に立っているのも苦しくて、店内にあった古ぼけた椅子に腰かけて黙々と持って来られる杖を振っている。
今もほら、花瓶が一つ吹き飛んだし。
セブルスも隣で呆れ顔だ。
いやいや、もうほんと、ごめん。

非常に居た堪れなくなった俺は、ある提案をオリバンダー老人にしてみる事にした。

「あの、すみません。Mr.オリバンダー」
「不死鳥の尾羽、ユニコーンのたてがみ、ふーむ…この二つは中々難しいようじゃな…ああ、はい、何でしょうかねスネイプさん」
「黒檀の…特に青黒檀で作られた杖はありますか?」
「…あるにはあるのじゃが、これまたどうして」
「では、コカトリスの尾を使った杖は?」
「…!」

老人の顔色が明らかに変わった。
ということはこの店にはあるという事だな。
俺はニヤリとする頬を押し留め、ではその素材を使った杖を僕に出して下さい、と告げた。
困惑した顔つきの老人は暫しの間迷った様に逡巡していたが、ついには心を決めた様でまた奥へと引っ込んでいった。
後ろ姿が若干よろけていた気もする。

青黒檀にコカトリスの尾。

コカトリスとは雄鶏の姿に蛇の尾を持った魔法生物だ。爪に毒があり、しばしばバジリスクと混同される怪物。
先に述べたのは、生前に俺が使っていた杖の素材だ。
俺自身で材料を求め、捕獲し、殺め、そして自作した杖でもある。
…あの凶暴なコカトリスとの死闘は中々骨が折れた。

通常、杖のコアに使用されるのはドラゴンの琴線とユニコーンのたてがみ、不死鳥の尾羽が一般的な素材だ。
だがしかし、俺はそれ以外の素材を使った杖が欲しくなった。
他の魔法使いが持ちえない素材で作られた「特別で強力な」杖が、当時の俺は欲しくて欲しくて堪らなかったのだ。

――力を求めていたその名残とも呼べる、杖。

滅多にない、ありえない組み合わせだと常々思ってはいたが…そうか…あるのか…だったらもっと早く持ってこいっつーんだ。
時間がかかると分かってはいたが、日が落ちたらセブルスの杖選びが明日に持ち越しになってしまう。
それじゃあセブが可哀そうだ。あんなに楽しみにしていたのに。
視線で「すまない」謝ると、セブルスは首を振る。
待ちぼうけも良いとこだろうに。

お詫びに帰りは何か美味しいものを買って帰ろっか、なんて相談していると、オリバンダーが戻って来た。
その手に黒い箱を持って。

どくん。
箱を見た瞬間、俺の心臓が奇妙な音を立てた。
内臓を圧迫するような強い魔力の波動に、はて、と首を傾げる。
不可思議な体験だ。
可笑しなことに、俺はこの箱の中身に言い知れない既視感を感じているらしい。

なぜ? 例え同じ素材を使用していたとしても、杖というものは一つとて同じ物はこの世には存在しない筈だ。
考えられるとすれば――、実にありえない予想しか浮かばない。

その答えは直ぐに明らかとなる。


「――これは、」

カウンターに置かれ、老人の細く萎びた指先が恭しく蓋を開けると、箱に収まっていた長さの異なる二本の杖が現れる。

蛇が巻き付いたような螺旋状の柄に金色の装飾。
浮き上がった蔦の模様が先端まで伸び、青みを帯びた黒が、冷えた月のような艶を放っていた。

俺はそれに目を奪われ、震えそうになる。
ドキドキと鼓動が踊り出し、ぎゅっと心臓の辺りを無意識に握りしめていた。
今までなら取り出して持たせ、滑らかに説明を口にしていた老人は箱を俺の方へ差し出す。
その様子は触れる事を恐れてもいる様にも見えた。

「青黒檀にコカトリスの尾、20センチと16センチの二本杖じゃ。とても強力で、全ての魔術に適している。これは兄弟杖などではありはせん。二本で一つ…この杖は元々一本の杖として存在していた物を再生術師が蘇らせたいわく付きの品物じゃ」
「…え、」
「再生術師? 聞いたことがないな。いったいそれは…」
「今は後継者もいない失われた技術。わしにはそれしか言えん。この杖は100年ほど昔に実在した魔法使いが作った物で、強力にして非常に強い忠誠心を持った一品と聞いておる。…じゃが、その忠誠心故に、彼が亡くなると同時に折れてしまった物なのです」

「黒檀材を使用した杖は非常に好戦的じゃ。とても固く、頑丈。わしの経験上では信念を曲げない、堅持する者がもっとも多く選ばれております。…取分けこの青黒檀で作られたものは非常に珍しく、扱いが難しい一品で――」

オリバンダーの説明がどこか遠くから流れ、街角を通り抜ける際に流れる音楽のように感じられた。
耳に薄い膜が張り、聞き取れない言葉が空中に飽和する。
取れない染みのように壁へ馴染む。

硬直していた俺は恐る恐る箱の中を覗き込んだ。
黒く細長い外観と違い、中は深紅の布張り。
蓋の内側に金の文字が箔打ちされているな…これは、ルーン文字か。
観察する内に気が付いた俺は、指先で枝に似たその細い書体をなぞっていた。


『 いつか懐かしき友とその相棒が、再び巡り合える事を祈って デミトリ・アルカード 』


「(アイツ……随分と粋な事をしてくれるじゃないか)」

杖の再生術師とはその文字通りの者である。
消耗品と考える輩がいる中で、自分のパートナーと呼べる杖を蘇らせたいと考えた者達が編み出した技術だ。
しかし習得には多くの時間と才能が必要になる。
もうこの時代には失われたとばかり俺は思っていたが…、

「(くたばらずにまだ生きてるって、そう言いたいのか? デミトリ、)」

デミトリ・アルカードは俺が知る限り、最後の術師であり、吸血鬼だった見かけは若々しい古き友。その懐かしい男の名がここには刻まれてる。
まったく、…冗談の様な巡り合わせだな。
――まさか自分の最期を看取った男が、折れた杖を修復するなんて、例え死んでも思いはしなかった事だ。


ふっと、内から湧き上がった笑いに口角を持ち上げ、今まで躊躇していたのが嘘のように、俺は無造作に杖を掴んで素早く振った。

指先から伝わる確かな手応え。
固まっていた俺が突然動き出した事に驚いたセブルスとオリバンダーは、瞬く間に修復され元通りになった店内を見回した。
漸く決まった事にほっと胸を撫で下ろすも、微妙に複雑そうな顔をする老人。
俺がこの杖の忠誠を得られた事に疑問を抱いてもいるようだ。
セブルスだけが自分の事のように喜んで、労う様に俺の肩を叩いてくれた。



「――杖は折れども、忠誠は折れぬ、か…」



唇を動かさずに囁くと手中の杖が喜びの声を上げたような気がした。


新たに生まれ直し、また俺と共に闘う杖の産声が。

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