分岐点 extra

さよならのよるにおかえり


親指から一本づつ折り曲げ、握り拳をつくる。開く。
子供らしい丸みを帯びた手のひらで数回、同じ動作を続けた。
手首から肘へ、二の腕までをゆっくりと持ち上げて肩と平行にした所で、ゆっくりと息を吐いて元へ戻す。

「うん。順調だ」

顔だけは笑みを浮かべて、寂しそうに呟いた。
帰る日が、すぐそこまで迫っている。



「セブ、おかえりなさい!」
「ああ」
「先ずはご飯にする?お風呂にする?それとも僕にす――ちょ、ちょちょっ! 冗談でしょ! その手は何?!」
「私が冗談を好む性質に見えるかね?」
「だからってデコピンはかんべんな!」

セブルスが帰宅して早々。
犬の様にうろちょろ周囲を回り、腰にまとわりついたら首根っこを摘まみ上げられてしまった。
じりじりとデコを狙う指にあたふた怯えていると、その姿に気が済んだのかいきなり解放される。…なんてSなの。
しかしそこは俺だ。
懲りずにまたアタック。
抱きつくと頬に触れるローブが少し湿っぽかった。
今宵は雨が激しくなりそうだと、ぼやきながら俺をぶら下げたままセブルスは室内を横切る。

「歩きにくい」
「くっつきにくい」
「セネカ、私で遊ぶのも大概にして部屋を片付けろ。また足の踏み場が無いではないか」
「今やろうと思ってたんですー…セブルスの意地悪」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「その余裕面が憎いぜ…だがしかし! 折角の新妻ごっこのチャンスを僕が逃がすと思う?」
「くだらぬ事ばかり思いつきおって」
「それこそ褒め言葉だ」
「…今直ぐに片付けなさい」
「あいあいさー!」
「……ハァ」

本日もセブルスの睨みと溜息は絶好調のようですね。
そこへキッチンに隠れていたダンブルドアがタイミングを見計らい、ひょこっと顔を出した。
見ろってセブルス。あっちの方が遊んでる顔だ。

「セブルス、随分と楽しそうじゃのう」
「…っ! ダンブルドア…いらっしゃってたのですか」
「うむ。全て見ておったぞい」
「(くっ、不覚…)」

ニヤニヤ笑いをしながら、予想外の訪問客に驚くセブルスの肩を叩く。
かなりセブルスが哀れだ。
いや別に俺が提案した訳じゃないし。うん、誤解だ。
屈辱、という顔をしたセブルスが凄く珍しかったです。

横着者の俺が指を振って羊皮紙をびゅんびゅん片付け、やっぱりセブルスに頭を叩かれ、口を尖らせながら本棚と格闘している間にダンブルドアとセブルスが何やら話しあっていた。
相変わらずふさふさの髭をたっぷり揺らし、ふぉふぉふぉ、と彼は笑っている。
それとは反対にセブルスは、苦虫を噛み潰したような顔でむっつりと腰を下ろしていた。

「アルバス、あんまりセブを弄らないで。可哀そうだよ」
「いや、つい愉快でな」
「僕とのお話は済んだでしょ? じゃあそろそろ、クリスマスにはまだ早いけどプレゼントだけ置いてお帰り下さい」
「まるで追いはぎの台詞じゃ…」
「セネカ、失礼な事を言うな」
「うそ、セブ! 僕よりもアルバスをとるの?! …っ、そんな!」
「何故そうなる」
「目に入れても痛くないほど溺愛した弟を取られる日がくるなんて…そんなの、認めない! …よし、呪おう」
「セブルス、修羅場じゃな」
「……」

あっはっは、久しぶりにセブルスの目が死んでいたぜ!
一頻り彼で遊んで、さて、と一息ついたダンブルドアは「そろそろお暇しようかの」と、立ちあがって玄関へと歩き出した。
このじじい、来た時よりも足取りが御機嫌である。
セブルスが帰宅する前に、のらりくらりと質問をかわした俺へのあて付けかね?よろしい、ならば決闘だ。
いや、しないけどな。髭が固結びになる呪いで勘弁してやるさ。
新学期までそのままでいれば良いよ。

気だるげではあったが、セブルスも見送りに向かう。
俺は俺で前を通り過ぎようとした彼のローブを、くんっ、と掴み引き止めていた。

「アルバス」

不思議そうに見下ろすキラキラとしたブルーの瞳。
吸い込まれそうな感覚を覚えたが、構わず、ぎゅっと抱きついた。
少し驚いたのか、一瞬彼が固まった。
それも僅かな間で、背を屈め、腕が回されて抱擁の形をつくる。
ふわりと香った甘いお菓子の匂いが、なんともダンブルドアらしかった。

「何となく、この機を逃せば会えない気がしたから…今言っとくね」
「…セネカ」
「貴方には感謝している、アルバス。僕を見つけて受け入れて、セブルスに会わせてくれて、ありがとう」
「なんの…わしは殆ど何もしてはおらんよ」
「そんなこと無いよ。……まあ、多少含む意味合いも込めてあるけどね。…追求しないでいてあげますよ、色々と」

にんまり笑い、彼の頬に感謝のキスを贈る。
これまた驚いたのか、ダンブルドアは目を大きく開いて楽しそうに肩を揺らし、セブルスへと意味ありげにウィンクした。

「これはこれは、貴重な贈り物を頂いたのう…セブルス、妬くでないぞ」
「その様な事は致しません」
「それはどうかのう」
「……」
「ほっほっほっ」

身を離した彼は俺の耳元で囁く。

「時は得難くして失い易し。セネカ…残り少ない時間を大切にしなさい」

柔らかな光を灯したダンブルドアの瞳が緩む。
さらりと頭を撫でた彼は帰っていった。
…目に痛いラメの入った紫のローブが色々台無しである。
相変わらず凄いセンスだぜ。

閉じられたドアから夜のしじまが入り込む。
覗き窓を濡らす雨粒。しめやかに降る雨の音。
見送った姿勢のまま立ち尽くす二人の間に、透明な時間が暫し流れた。
自然な空白に、先に動くのはやっぱり俺で。

「お腹すいたね」
「……」
「ごはん、食べよっか。今夜はレネが腕を揮ってチキンを、あー…芸術的に盛り付けてってくれたよ。山盛りチキン」
「…またやらかしたのか、アイツは」
「ふふっ、怒んないであげてよね。あの子はちょっとハリキリ過ぎちゃうだけなんだよ」
「……」
「セブルス?」
「ダンブルドアは……いや、何でもない」
「ああ、もしかして訪問の理由が気になるの? あのね、Mr.ブラックの事でちょっと注意されちゃってさー」
「……」

ならば良い。
そう言ってセブルスは、ケラケラ笑って手を引く俺に黙って付いてきた。
曖昧に笑う俺に気付いていたくせに、それ以上深く追及せずにいてくれた事がありがたかった。

***


びゅうびゅうと、風が窓を叩きつける音が聞こえた。
あぁ。あの日も確かこうだったな。
病室で激しく踊る枝葉を、窓を濡らし落ちる雨を眺めていた、あの日。
びゅうびゅう。外はひどい嵐のようだ。
煩いなあ。俺は眠いのに。
あれ? 防音魔法とか窓にして無かったっけ。
袖で瞼をこすり、僅かな光にゆっくりと瞬く。

あぁ、ここはセブルスの部屋だ。
彼と俺の生まれた家で…病室じゃない。
椅子でうとうとしていた俺をセブルスが運んでくれたのだろう。
そう、見当を付け、ドアの隙間から零れる灯りに手を伸ばす。
しかし伸ばしたつもりが、目線の先には、闇に溶けた輪郭だけが浮かび上がっていた。
輪郭の向こうには歪まされた光が、ぼやけた輝きを床に落としていた。

なんだ、これ。
俺の手が…透けている?

パタリと力無くそれは落ち、茫然としながらも受け入れている俺がいた。
そうか、こうして俺は此方へ来たのか。
まるで空気に馴染むように、存在を保てなくして。
ベッドに上半身を起こし、両手を前に掲げた。
どちらもまた、輪郭が曖昧に薄れ、そこから侵食が進んでいく。

嗚呼、あぁ、時がきた。
もう帰らなきゃ。

刻々と時は迫るのに身体が言う事を聞かない。
ドアの隙間からボソボソと人の話す声が聞こえ、セブルスが今、来客中なのだと分かった。
このまま何も言わずに分かれる事になるのか。
なんて薄情な。
せめて、ありがとう、の一言くらい待って欲しい。
せめて最後にもう一度、…彼の声が聞きたい。
馬鹿、俺の身体よ。動いてくれ。
独り焦りながらその場で空を睨みつけた。


セブルス。セブルス。セブルス。


変に張り付いた喉が音をからませ、愛しい弟の名を擦れた声で呟く。
ふと、僅かに洩れていた話声が、途絶えていた。

「…セネカ?」

ギィ。古くなった蝶番が音を鳴らし、ドアを押す黒い影。
願いが、通じた。
あぁ、でも…身体が声に反応できない。

「セネカッ…」

黒が翻り、彼の匂いが俺を包み、頬を吐息が撫でた。
引き寄せられるままに腕の中で安堵の溜息を吐き、掻き抱く腕へ既に感覚の無い指を這わせた。
また外出していたのか、重たげなローブからは外の空気と湿り気が、薬品の匂いに混じって肺に到達した。
ぐったりと凭れる俺を見下ろしたセブルスは、次第に状況を把握していく。

「…行くのだな」

僅かに頷き肯定を示すと、胸に俺を押しつけて、セブルスは頭の天辺に唇を押しあてた。
名残惜しむようで、愛しむように。
やけにくすぐったい感触がじわりと長く。

まさか帰り際にこんな可愛い事をしてくれるとは思わず、くすくす笑って身を捩った。
抱きしめる腕があたたかい。
これがしばらくお預けかと思うと、さみしいな。
帰ったら、いっぱい抱きしめてキスを贈るよ。
侵食は胸まで達し、顔を上げてセブルスの目を、表情を、声を、しっかりと刻みこもうと見つめた。
どうやらセブルスも同じ気持ちのようだ。

愛しさが、心を占める。


「身体を労われ。過信はするな」
セブルスこそ、ちゃんと食べて寝てね。

「あまり過去の私を心配させるな」
…善処します。

「愛想ばかり振りまくのも控えろ」
…う、うん?

「セネカ」
はい。

「泣くな」
…うん。

「笑え」
……うん。

俺の声は、ちゃんと君に届いているだろうか。
身体と共に段々と意識が希薄になり、辛うじて自分の唇が動いていると、なんとなく分かるだけだ。
ひとつひとつ静かに言葉を紡ぐセブルスは、傾きつつある俺を支え、頬を包み込む。
耳に心地よい低音がまどろみを誘う。
この感覚は睡魔に、とてもよく似ていた。
眠たさに笑った俺の目元を、指が、なぞる。
視界が黒に染まった。

嗚呼、もう、じかんだ。

セブルス。
ありがとう。
とっても、たのしかったよ。
じゃあ、ね、また会えるひが、いまか、ら、まちどおし い。
ぼく、の、いとしいせぶるす。


「セネカ―――…    、」


え、なに? もうい ち ど … 


――――――…

――――…

――…


びゅうびゅうと、風が窓を叩く。
外は嵐。
室内は静寂。
消毒の匂いに包まれたベッドに、安らかな寝息を立てる子供が一人、帰って来た。

夢を見た。
また、あの大樹の夢だ。
少年と少年。
大樹の根元で二人、手を取り合う。
胸が張り裂けそうだと少年は言った。
彼に泣きそうな声で、少年が訴えた。


『手を、放さないでくれ』


―――俺がこの言葉の意味を知るのは、ずっと後の事だった。


***


スピナーズ・エンドより遠く離れた異国の地。
広い一室で、マホガニー製のカウチに寝そべりながら男が足を組む。
決して華美過ぎず、趣味良くまとめられた室内に、男の黒衣は良く映えた。
窓辺に佇むのは老いた魔法使い。
晴れやかな彼の様子とは反し、男の機嫌はすこぶる悪いようだ。

「――して、当時君は、どこまで分かっていたのかのう?」

コツコツと窓枠を骨の浮いた指先が突く。
視線を外の風景へ合わせ、ガラス越しに男へ笑みを向けた。

「さあ、どうだったのでしょう。…何せ親切なじじいが、いらないと、突っぱねる臆病な子供へ間接的に情報を与えてしまったもので。しかもセルフですよ、セルフ。性質が悪い」
「ほっほっほ、そりゃあ困ったお節介がいたものじゃ」
「本当に」
「しかし…臆病とはまた違う。君は敏く、先を知る事で選べる筈の選択を、諦めてしまう事を、危惧していた」

組んでいた細長い指を解き、男がめんどくさそうに頭を掻いた。
買いかぶり過ぎだと、薄い唇を歪めて言う。

「十分臆病じゃないですか。
俺は…感覚的なモノなら近づくだけで感づいてしまうお子様だったんですよ? それこそ、闇の気配がする傷痕なんて直ぐに気付くくらいはね」
「もしやそれは共鳴だったのかね?」
「……今考えれば、そうだったのでしょうね。だから尚更、外界から隔離される事を望んだ」
「ほう。しかし君は…随分変わった」
「…買いかぶり過ぎだと先ほども言ったでしょう」
「ほっほっほ、そう怒らずに、のう?」

小さな舌打ちが響く。
悪びれない老いた魔法使いをジロリと睨んだ。
遠慮が見えない二人の間には長い付き合いを感じさせる。

「――では、」
「しかし彼の事は気が付けなかった」
「……」
「用心深い彼は最後の日まで、その事を悟らせること無く、送り出した。見事なまでに隠し通せたんですよ、俺から」

後になってあれほど後悔した事は無い。
あんな傍近くで見ていたのに。

自重の笑みを浮かべる男も窓へ視線を合わせ、同じ夏の空を見上げているであろう片割れへ想い馳せ、男はそれ以上口を開く事を止めた。


夏が、終りに近づいていた。


***

おかえり。お帰り。
二つの意味を込めて。

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