分岐点 extra

シリウス・ブラック


色褪せたビロードのカーテンが窓を隙間無く覆い、閉ざす。
外界から隔離されたこの家は陰気な空気を内に籠らせていた。
床に沈殿したそれは一歩踏み込めば舞い上がり、呼吸と共に肺に吸いこまれ、訪れた者は少しずつ侵食されていく。
住人など、最早中毒患者だ。
俺は以前から、この家に漂う空気にはそういった類の『毒』が含まれているのだと思っていた。

風を通さず、光を遮り、重んじたのは闇。
闇は嫌いじゃない。
むしろ俺は好んで浸っていた節がある。
ただ、それを周囲に押し付けるでもなく知らしめるでも無く、自分を世界から客観的な位置に置いていただけ。
何の束縛も無くなった自由な自分が、あの時はとても好きだったのを思い出した。

人も動物も魔法も魔法生物も知識も意思も思想も何もかも。
全部自分の好きなものだけを選んで居た、守るモノの無かったあの頃の俺。


「……むかしのゆめなんて、はじめてみた」

冷たい金属性の背もたれに額を当てて、枕をクッション代わりに敷いて身体を丸めた。
動きたくない。身体がだるい。
どうやら少し熱が出てしまっているようだ。
ひんやりした金属を汗で湿った額に触れさせ、体温が移るとその硬さに不満を覚える。
こんなもの、変わりにもならない。…あたり前だけど。

「今、何時くらいかな」

アーサーがその妻モリー・ウィーズリーを俺に引き合わせ、仕事に戻って行ったのが最後の記憶。
眼を閉じている内に眠ってしまっていた俺は全く時間の経過が分からなくなっていた。

「エヘン、現在の時間は正午を回った位ですぞ」
「…………でたなストーカー」

突然声を掛けられてビクッと肩を震わせ、ノロノロと緩慢な動きで声のした方を見ると、壁に掛った額縁からフィ二アスが片目だけ覗かせていた。
本当に吃驚した。
ほら聞いてごらんよこの胸の高鳴りを。
ドッキドキだよ心臓に悪いなお前は!

「でたな、など…また酷い仰り様ですなセネカ殿」
「…そうだね、ブラック家に貴方の肖像画が無いはず無いもんね」
「私のろくでもない曾々孫がいつ肖像画を破棄してしまうか分かったもんじゃありませんがね」

フィ二アスはシリウスと同じ灰色の目を鷹の様に鋭く細め、キャンバスから姿を消した。
相手は絵だ。気配を読もうと思っても出来やしない。
もしかしてこれから、この家に滞在する間はずっとあの男に見られていなきゃならないのか…なんて考え、俺は憂鬱な気分でベッドに座り直した。
兎も角、薬でも飲んでこの状態を何とかしなければ。
ダンブルドアもセブルスもマダム・ポンフリーも居ないこの家では、出来る限り自分で処置してしまわないと。
右腕の毎日の包帯替えと薬品の塗布もだ。
そう思ってふらつく身体を叱咤し、リュックが置いてあるサイドテーブルににじり寄って手を伸ばした。


コンコンッ。
リュックを引き寄せた所でドアをノックする音で顔を上げた。
返事をする間も無く蛇の形をしたノブがゆっくりと回り、入ってきた人物に俺は眼を瞬かせた。

「Mr.ブラック…」
「……起きてたのか」

不機嫌な家主、シリウス・ブラックのご登場だ。
彼は片手に持ったトレイをそのままにドアを閉め、無言で近づいてサイドテーブルに置いた。
サンドイッチとオレンジジュースが一人分。
どうやら昼食を持ってきてくれた様だ。
なんだか、凄く意外な気分。

「…モリーが用意した。食えるようなら食べておけ」

問う様な視線に気付いたのか、顔を逸らしてシリウスは言い訳するようぶっきらぼうに言った。

「ありがとうございます」

苦笑して礼を言うと一瞬だけ眉が動いたが、彼はドアに向かって歩いて行こうとした。
しかし俺がリュックを抱えている事に気付いたシリウスは、怪訝そうな表情で立ち止った。

「何をするつもりなんだ、お前」
「え…、あぁ、これですか」

薬を飲むためだぜ。なんて言うのは憚られ、咄嗟に誤魔化そうと思った。
別にやましい事なんて何にもありゃしないけどさ。
この男には良い印象を持たれて無い、むしろ敵意に近いものを持たれていると感づいていたのでさっさとお引き取り願おうと考えたのだ。

此処で初めてシリウスは俺の顔を見た。
意図してか視線や顔を合わせる事を避けてズラしていた彼は、俺の顔色を確認してギョッと目を見開いた。
まあ、気持ちは分からんでも無い。
今の俺はかなり最悪な顔色だろうから。

「おいおい、熱でも出ているのか。顔が死人みたいだぞ」
「あー…ちょっとですよ」

シリウスの視線が再びリュックに向いた。
これから薬を飲もうとしていた事を悟られたな、と判断した俺は誤魔化す事を諦めてごそごそとリュックを掻きまわし薬箱を引っ張り出した。
セブルスから貰った薬箱。
沢山の薬が収納出来てとても重宝している。
上蓋を開くと未来の俺から送られてきた薬が。
引き出しを引くとセブルスの調合した様々な魔法薬で埋まっていて中々の品揃えなのだ。

俺は迷うことなく解熱剤を選び出し再び薬箱をしまうと、ちょっと考えてサンドイッチを一口齧ってオレンジジュースで流し込む。
そして一気に薬を呷った。
口の中に広がった驚異的な苦みに眉根が寄る。
うげぇ、と思いながらも何とか呑み込んで口を拭い「まずい!」と叫んでいた。
ああ条件反射って恐ろしい。
ハッと目の前を見ると、一連の動作を成り行きで見守ってしまっていたシリウスは呆れ顔で俺を見ていた。
なんだよ…いくらセブが調合したって言っても不味いもんは不味いのさ。

へらっと笑い顔を向けると眉を寄せたシリウス。
身体を起こしている事がもう辛くなっていた俺は、よっこらせと横になりながら「引きとめてしまった様ですみませんでした」と言って、熟睡し易い体勢を探してベッドの上で何度か寝返りを打つ。
…うん、こんなもんか。

体勢が整うと程なく、とろりとした眠気に満たされ瞼の重みが増す。
睡眠を促す成分が解熱剤に調合されていたのか、それはとても逆らい難く僅かな抵抗として何度も瞬いた。
意識が霞みがかっていくのを感じながら、未だに立ち尽くす男をぼーっと見上げた。

なんで、出て行かないんだろ。
じーっと此方を見つめるシリウスからは戸惑うような気配がして、俺は内心首を傾げる。
いつもと相手の態度が違い調子が狂ってウロウロする犬、まさにそんな感じ。
何故犬に例えたのかってのは相手が『ブラック』だからだ。

「あ、Mr.ブラック」
「…なんだよ」
「お昼持ってきてもらったのに、ごめんなさい。ありがとうございましたってモリーさんにも伝えて置いてください」
「ああ」

やっぱり不機嫌さを隠しもしない声に、クスリと笑いが漏れる。
彼が少しムッとしたのが何となく分かった。
あぁ、やはり貴方も随分と分かりやすく態度に出やすいね。
眠気と熱に浮かされて、知らず熱い溜息が唇から零れ、

「……あなたは僕が…未来の僕が嫌いなんですか?」

ぽろっと、なみなみと満たされた水盤から落ちるように言葉が溢れた。
それ程大きな声では無かったのに、俺の投げた問いは空気に溶けずしっかりと彼の耳に届いた様だ。

一瞬虚を突かれた様な顔をしたシリウスは顔を顰め、唸るような声を絞り出して「……仲が良かったなんて嘘でも言うのは嫌な程度にはな」と言った。
皮肉気な響きを持っていると俺には感じられたが、勘違い等ではないだろう。
やっぱり、と呟くとまた一段と意識が遠退く。
高い天井が更に高く。
ベッドに横たわる自分の、そのまた後ろから眺めているような感覚に捉われた。
早くこの男に出て行って貰いたい筈なのに、朦朧とした思考はそんな考えさえ薄れさせ…夢うつつのまま次々と浮かぶ言葉を音に乗せていた。

「僕、何かしちゃった覚えは無いし、だからそうじゃないかなって。未来の僕じゃあ仕方ないですね…」
「フン、いやにあっさり受け入れるんだな」
「だって僕のことですから…大人になると性格が丸くなるとかなんとかかんとかっていうけど、僕ってそれにあてはまんない気もするし、セブはゆるす、うん。ねむ」
「…おい?」
「大丈夫。貴方はおとなで僕はこどもですけど、そんな分かりやすい敵意を向けてこられても打ち返すくらいの器量はそなわってます。人は鏡。好意には好意で、敵意には脅しと呪いと鳩尾に一発で返せって誰かが言ってた…ねむっ」
「ラリってるのか正気なのか分かんねえ事言うな! …アーサーは見事に騙せた様だが、お前……やっぱり猫被ってるだろ」
「にゃー」
「……」
「沈黙はむなしいですねー僕が。Mr.ブラックは冗談がお好きでは無いようですねー」
「ハッ、真面目に答えるに値しないって訳か」
「うん」
「即答かよ」
「てかぶっちゃけると貴方の態度なんて気にならないんで」
「は? いや、ちょっとは気にしろよ!」
「気にしておける程の体力も残ってませんもん。でも僕からも言わせてもらえば貴方だって被ってるっぽいし。感だけど、貴方は元々もっとラフな話し方な気がする」
「……っ」
「それに、貴方の冷たい態度なんて怒ったセブの態度に比べれば常夏です」

ふと、感じた違和感に布団の中でそっと右手を擦る。
指先が氷の様に冷たくて、体温を分けるようにぎゅっと左手で握りしめた。
疲れたような溜息が洩れて、話は終わったとばかりに潜り込んだ。
あー、なんか今度は良い夢が見れそう。
リクエストが叶うなら是非ともセブルスを出演させてほしい。
出演料なら言い値で払おう。うん。
セブ、今頃何してるのかな…ちゃんと睡眠取ってるかな。食べてるかなあ。
…会いたいなー。うん。会いたい。


「スニベルスとなんて比べんなっ」

聞き捨てならない一言を片隅で捉えたが、もう限界を超えていた俺はふっと意識を途切れさせていた後だった。

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