分岐点 extra

グリモールド・プレイス 十二番地


「…シリウス!」

玄関のベルが鳴る音とブラック夫人の金切り声が屋敷中に響き渡った後。
なんとかカーテンで肖像画を覆ってから扉を開け、飛び込んできたアーサーの焦った様子と第一声にシリウスは険しい顔をした。

「アーサー、大きな声を出さないでもらいたい」

咎める声にアーサーはそこがどんな場所なのか思い出したのか、探るように視線を泳がすと声を落として素早く囁いた。

「すまなかったね、気が急いてしまって」
「一体どうしたんだ」
「彼が倒れてしまったんだよ。直ぐに部屋に案内してもらえないか」
「…彼だと?」

一瞬、理解の遅れたシリウスは直ぐにハッと腕に抱えられた黒い塊を覗き込んだ。
黒の間から長い黒髪が零れている。
黒い塊と思っていたのは子供――セネカだった。
硝子ランプの明かりにボンヤリと照らされた幼い顔。
柔らかそうな頬は青白く血の気が失せ、まるで命の無い人形の様だ。
薄暗い玄関ホールでシリウスは、険しかった表情に僅かな苦みを乗せた。

「―――上だ。私の後を付いて来てくれ」

暫しの間を開けてそう言った彼は、ギシギシと音を立てる階段を上がって行った。
その後ろにアーサーが続く。
二階に差し掛かった所で掃除していた客間から出てきたモリーが、二人を見つけて駆け寄ってきた。
長い間住人も居らず手入れの行き届かなかったブラック家はただ今大掃除の真っ最中だ。
埃の舞う客間を掃除していた彼女は、鼻と口を覆っていた布を取り払って夫に口を開いた。

「まあアーサー。遅かったのね…二人とも、一体どうしたというの?」

首を傾げるモリー越しに、シリウスはさり気なく奥に視線を走らせた。
今頃、客間に残された子供達は興味深々といった様子で扉にへばりついて聞き耳を立てているに違いない。
グリフィンドール気質の彼等は好奇心の塊だ。
情報に飢えている彼等の事を承知しているシリウスは、意識して声を落とす事無くモリーに手早く説明を終える。
どうせ直ぐに知る事になるし、『彼』を紹介する事は決定事項だ。
これぐらいの事は許されるに決っている。
事態を飲み込み、さっと表情を暗くしたモリーは母親の顔を覗かせ、ぐったりとした小さな子供を不安げに見つめていた。
彼女は一端二人と別れて階下へと降りて行った。


「ここだ」

双子に宛がった寝室よりも奥。
突き当たりにあるマホガニー製の扉を開けて身を避けると、アーサーが早速中央に置かれたベッドに歩み寄る。
剥がれかけの壁には空の本棚と絵の無い額縁が一つだけ。
子供一人で使用するには、この暗くじめっとした部屋は広過ぎた。
ベッドへと寝かせる姿を開け放たれた扉に寄り掛かって眺めていたシリウスは、振り返ったアーサーに灰色の瞳を向けた。

「…どうだ」
「いや、目を覚ます気配は無いようだ……あぁ、シリウス。君は彼とも同期だったね」
「不本意ながら、な」
「こんな時にどうしていたか、あー、何か知っていないかい?例えば、薬を飲まなければいけないとか…弱ったね…もう少し詳しい事をダンブルドアに窺っておければ良かったんだが」
「……さあ、何せ俺達は仲が良かったと言えるような関係じゃあなかったんでね。大体、こいつには何時もスネイプがベッタリ張り付いていたんだ。知ろうと思わなかったさ。
リーマスは兎も角、私はね」

翳りを帯びた灰色に、剣呑な光が僅かにチラつく。

「シリウス。彼は何も聞かされてはいない…君の事も何も知らない子供だ。分かっているね?」

職場に戻らなければいけないがセネカをこのまま放って置くのも気が引ける。
やれどうしたものかと思案していたアーサーはゆっくりと首を振って、剣のある目をベッドへ向けてしまったシリウスをやんわりと窘めた。

「…はいはい、分かっているさ。そういう態度でコイツに接するな…だろ? 昨日も言われたさ、リーマスに」

ガシガシと乱暴に頭を掻き、両手を上げて降参のポーズを取ったシリウスにアーサーは溜息を零した。
この様子ではセネカとまともな交流が出来るとは考えにくい。
まだ出会ってもいない人間に剣のある態度を取られてはセネカが可哀そうだ。
昨夜の会議で双子の弟の方と険悪なムードを醸し出していた光景を思い出すと、尚更そう感じられた。
セネカを見るシリウスの目は、ハリーを見るセブルスと似たものを感じさせる。
勿論彼らの間にあった事など、アーサーには知る由もない。

再度口を開きかけたアーサーは僅かに動く気配と小さな呻き声に気付き、それ以上言葉を続ける事を断念せざるを得なかった。

***


アーサーにしっかり抱えられバシッという大きな音をハッキリと聞いた。
ホグワーツから人気の無い路地裏へ、空間から吐き出された様な感覚の後に胃の底からせり上がったのは不快感。
あぁ…全部吐き出してしまいたい。
そうは思ったが何とか堪えた。
醜態を晒す事無く気丈に笑った俺をアーサーは「初めてにしては良く我慢した。えらかったね」と言って頭を撫でて―――、

「それ以上の記憶がな、い…?」

高い天井を見上げながらぼーっとする意識のまま呟く。
いつの間に室内に移動したのだろうか。
眼を擦って横を向くと、頬に触れた洗い晒しのシーツが少しざらついて眉が寄る。
どうやらベッドに寝かされている様だ。
「ああ、またか」と思う。
自分の情けなさが恨めしく、内に潜む空虚が浮き彫りにされてしまった気分だ。
予想通りのこの体たらくでは、ホグワーツに残っていたかったという本心も選べよう筈もない。
…セブルスに知られたら、また怒られちゃうなあ。

「――セネカ?」

瞼を閉じてさえ襲い来る眩暈に耐えていた俺に、頭上から柔らかな声が降ってきた。
先程まで一緒だったこの声は…、

「アーサー、おじさん…?」
「そうだよ。目が覚めたようで良かった。気分はどうだね?」
「あー…あんまりよくないですね……すみませんでした。早速迷惑掛けてしまって」

突然倒れ驚かせてしまった事に対し謝罪すると空気が動き、ベッドサイドで衣の擦れる音がした。
恐らく彼が膝をついたのだろう。
先ほどよりも声が近くなる。

「君が謝る事なんて…私の方こそすまなかったね。君の体調を考えると時間が掛ってもマグル式の移動を選べれば良かったんだが――」
「アルバスの指示で移動したんでしょ? だったら気にしないで下さい。…あのね、僕、最近あまり良く寝れてなかったんだ。だからその所為もあると思うんだ」
「……」
「大丈夫。こういうの、もう慣れっこだから。ちょっと寝たら治るよ」

そっと瞼を開けて見上げた先には、此方が気の毒に思う程情けない顔をしたアーサーの顔。
彼が気に病む事など、何も無いのに。
体調を整えておけなかった自分にこそ責がある。
俺ってば自他共に認める現在進行形のお荷物ですんで。
眩暈を振り払って無理やり笑顔を作って――、その場に第三者の気配がする事に漸く気が付いた。

「だれ?」

陰気な雰囲気の漂う部屋の入り口。
扉に寄り掛かった姿勢で此方を見物する男が居た。
なんだよ。初めから居たのならもっと気合いで主張して来いよな!
若干驚かされた所為もあり、勝手な言いがかりを付けた。心の中で。
まあ、それくらい気分が優れなく感覚が鈍っているという証拠なのだが。
俺が肘をついて少し上体を起こすと、組んでいた腕を解いて男がベッド付近まで歩み寄ってきた。

長い黒髪に整ったルックス。
少しこけた頬が惜しいと感じさせたが、それを差し引いても女性にモテそうだ。
なんて、関係ない事を考えていると男の視線と絡み合った。
どこかで見た覚えのある、灰色の双眸。
極最近…それも昨夜辺りにお目に掛った記憶があり過ぎる…肖像画とか、肖像画とか、フィ二アスとかに。
なんだか嫌な予感がして無意識の内に少しだけ後ずさっていた。

「シリウス、怖がっているじゃないか」
「…まだ何もしてないつもりなんですがね、私は」

男は皮肉気な笑みを一つ浮かべると、肩を竦ませてから立ち止った。

「セネカ、彼はシリウス・ブラック。君がこれから暫く過ごす事になる、ここの家主だよ」

予感的中。
わーお、すごい!
昨日からブラックというクジ運を引き当ててるじゃん俺ってば。
まあグリモールド・プレイスって聞いた辺りからそんな予感はしてたんですけど。

「……初めまして、僕はセネカです」
「ああ、知っているさ…よーく、ね。…ようこそブラック家へ」

…おやおやおやあ?
仏頂面にプラス不機嫌そうな声で返されてしまい面喰う。
思わず「はぁ」なんて気の無い返事も俺から出る始末。
瞳をパチパチさせて訳分からんという顔をした俺に、シリウスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
いやいや、ちょっとその態度はムカついたんだけど。
具合の悪さに俺は不機嫌を上乗せした。
そりゃね。俺だって別に満面の笑顔で「ようこそ! ブラック家へ!」なんて歓迎をされたかったわけじゃありませんぜ。うん。

シリウスと俺の間に自然と沈黙が生まれる。
二人の間に居るアーサーは困った顔をして交互に視線をやり、最終的に溜息を吐いて立ち上がった。
それを合図としたのか。
シリウスは踵を返すと一度も振り返る事無く部屋から出て行ってしまった。

「…僕、何か気分を悪くする事、あの人にしちゃったのかな」

ぽつりと零れた言葉に、アーサーはただ苦笑を洩らしてぽんぽんと俺の頭を撫でただけだった。

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