分岐点 extra

叫びの屋敷とバタービール


三本の箒から右に折れると長い坂道が現れる。
そこをえっちらおっちら登るだけで自然と熱量が増す。
防寒に優れたコートは脱ぎたくなるほど熱くて襟元を少しだけ寛げた。マフラーからはみ出ている耳までもぽかぽかしてきたが、吐く息はあくまでも白い。

小高い丘まで辿りついて、その開けた先のまた先にある『叫びの屋敷』に視線を留めながら俺は漸く足を止める。
村はずれに建てられているその屋敷は想像よりもボロボロでひどく荒れ果てていた。

窓は打ち付けられた板で隙間なく塞がれた状態。
長らく放置され続けた庭は草がぼうぼうに伸びていた。
お屋敷と丘を隔てるためにか、ぐるりと囲むように配置されている垣根も体格の良い子供が寄りかかったらバッキリと折れてしまいそうなオンボロ具合である。

なるほど。確かに薄気味悪いと言えばそうかもしれない。
ただ、それだけだな。
『俺』の記憶にその屋敷についての謂われや成り立ちといった物が無かったのもあるが、噂を聞いて、実際にこの目にしても「不気味だ」「怖い」という感情は湧かなかった。

まあ、人の手をまったく入れないで二、三十年放置しておくだけでこういった屋敷はゴロゴロ出来る訳だし、噂話は後付けのスパイスという可能性もある。
荒っぽい連中が住み着いているとか、誰も入れないとか。
ホグワーツにいるお喋りなゴーストから仕入れた話も噂の域を出ないレベルだ。
これらを聞いて侵入を試みた者もいるようだけど――、入れないならドアごと破壊してしまおうと思う勇者に俺は進んでなろうとも思わん。

それよりも俺が気にしなくてならないのは、

「…何故にこのような人気も無い村はずれにテーブルセッティングされたテーブルとベンチとあったかそうな膝かけを持ってスタンバってる執事がいるのかな、って事だと思います」
「お困りの様だとお聞きしまして参上した次第です」
「いや、呼んでないからね? てゆーか、君らはいちゃマズイでしょ、常識的に考えて」

ホグズミード休暇というのはあくまでも両親や保護者の許可を得て生徒が週末をここで過ごすことを許されている、それだけである。
保護者(部下)付きでホグズミードなんて聞いたことも無い。
他の生徒にこの事が知れ渡ったら指差されて笑われるのは俺とセブルスだ。

「ですから、たまたまです」
「…うん?」
「たまたま仕事で此方に立ち寄った私が、主がお困りであると言う話を、たまたま様子を見に立ち寄った弟から聞いただけのことです」

いやそれ、全然たまたまじゃないでしょ。

しれっと言い放った彼を俺はじとりと見上げた。
ミカサもフソウも今日は会社に詰めている予定のはずだ。
てか、生徒にトラウマを植え付けてしまう可能性のある危険人物をしっかり首の縄締めて監視しとけよと言って先日別れたばかりじゃねーか。
と言いそうになったけどここはあえて黙った。
にこにこ笑う青年に手招きをされて座った途端にどうでも良くなったとも言う。

「…はあ、もう良いよ。ありがたく使わせてもらうから。でも取りあえずこのセッティングだけは外してよね」
「畏まりました」


結局休憩ポイントの提供をしに来ただけだったスズヨシ兄弟が去った後、ひんやりとしたテーブルの上で頬杖をつきながら俺は二人の到着を待つことになった。

いや、あの兄弟の事だから姿を消したフリをしてどこかで此方の様子を窺っている(覗き見している)のは分かってんだけどね。
弟の方がシャッターチャンスを狙ってカメラを構えてるのも想定の範囲内だけどさ…。うん。

「……ちょっと、遅すぎるんじゃない?」

膝かけ効果で足元がぽかぽかして動き疲れた身体が休息と言う名の睡眠を欲するようになった頃、ぼつりと呟いた。

冷たい風にぶるりと震える。
込み上げて来た悪寒に従って腕をさすった。

言葉と一緒に吐き出された白いもやをぼんやり見つめ続けて早10分以上。
バタービールを購入して、それを抱えながら坂道を登るにしても遅すぎるくらいの時間は既に経っている。
えっちらおっちらノロノロ歩行の俺よりも、健康体である彼と彼女ならとうに此処まで辿りつけている筈だった。

呟きながら腰を上げようとした俺は自分の意思に沿わない、実に不甲斐ない足腰に気付かされる。
ベンチに尻がべったりと張り付いて動けない。
疲労の溜まった俺様かっこわらいの足は、どうにもその動作を嫌がっているようで言う事を聞いてくれそうになかったのである。

俺の弱点はこの体力の無さだ。
それを補うだけの努力をしてきたつもりでもあるが、たった半日、休日を楽しく過ごしただけでこの有様ではやはり先が思いやられる。
そう考えながら溜息を吐いて、ここでドーピングするかどうかを迷い、風に乗って届いた聞き覚えのある声に気付いた俺は視線を木目から村の方角へと変えた。

よかった。待ちくたびれちゃったよ。
そう紡ごうとした言葉は飛び込んできた光景に奪われて消え、数回瞬きをしたあとで自分の顔色が曇るのが分かった。
セブルスとリリー。二人の傍に今日ばかりは御目にかかりたく無かった顔ぶれを見咎めて、舌が勝手に音を鳴らす。

「しつこいわ。いい加減にしてポッター」
「ああダメだよエバンズ、そんな奴について行っちゃ! 今からでも遅く無い、引き返して僕と一緒にデートして!」
「あら、そんな奴ってあなた一体誰の事を言っているの? 思い当たる人なら、こんな素敵な日にまで態々追いかけてきてちょっかいをかけに来た眼鏡しか見えませんけど」
「それってつまりは僕の事しか目には映らないって事だね! 熱烈な告白だよありがとう!」
「…とってもごきげんな脳ミソをお持ちのポッターには話が通じない事がよーく解ったわ。帰って」

両手にバタービールを抱えた無言のセブルス。
その後ろで自分の分を運んでいる幼なじみの少女。
と、彼女の周りで興味を引くべく話しかけるもじゃもじゃ頭。
もちろんもじゃもじゃ頭の一味も、彼らの数歩あとをだらだらと歩きながらついて来ていた。

一体こりゃ何の行列だ。
考えなくても解らない俺では無かったが生憎と俺の脳はそれを理解すること自体拒んでいる。

まあ要は、リリーにご執心であるジェームズ・ポッターが彼女の都合も考えないで口説きに来ているのだが。
相変わらずの一刀両断。すげなく断られているけど。
どこで嗅ぎつけて来たかは知らないが、こうなる事を避けるために色々と頑張った俺(と社員)の努力が無駄になった事が知れた光景でもある。許すまじ。

なお、セブルスはどうやらジェームズ・ポッターの存在自体を見なかった事にしているおつもりらしい。
その証拠に視線は真っ直ぐ。直線距離にして三メートルほど離れている俺だけに固定されていた。
やあ、セブルス。頬杖をついた状態からそっと顔を上げひらりと手を振ると、彼は僅かに眉をひそめて薄い唇の隙間から白い息を吐き出す。

いやいや。大丈夫、気にしてないから。
君の両手は塞がっているし、彼らを巻こうにもちょっとかなり無理だろうし、だから俺は全然気にしてない。
だから足元と背後を気にして転ばないようにしてくれよ。

そう俺から視線だけで訴えて見たが…真面目なセブルスのことだ。確実に自分を責めているのだろう。


移動速度が格段に上がったセブルスがさくさく雪を踏みしめ、俺の座るベンチに辿りつく。
彼は、用意されたテーブルその他については特に疑問を持たなかったらしい。
バタービールをそこに置いてようやく両手が自由になったセブルスは、おつかれさま、と囁いた俺をじとりと見下ろした。
あ、これは俺にもちょっと怒ってる。
勝手に離れて先に行ったこと自体はまあ俺も悪いとは思っていたので、心配させてごめんね、と慌てたような謝罪も続く。

「そう思うなら初めから勝手なことはするなと僕は何度も申し上げていたはずだが?」
「やーだからごめんてー」
「謝り方に誠意がない」

泡立つバタービールを引き寄せていた手をぺちりと叩かれた。
軽い衝撃にグラスを持つ手は簡単に離れ、琥珀色の液体と白い泡がグラスの縁とぶつかって少しだけ零れる。
フン、と鼻を鳴らしたセブルスが腕を組んだその背景では、物理的女子力を行使したリリーがもじゃもじゃ眼鏡へと拳を叩きこんでいた所だった。あーらら。

「ほんと懲りないよね、あの眼鏡も」

俺に同意するようセブルスもむっつり顔で頷いた。
ボディーに入った一撃で雪の上に転がった男にその友人達が駆け寄って行く。
息はあるかジェームズ! 勝手に殺さないで!
シリウスが走る後ろにぽっちゃり少年が続き、ルーピンだけはゆっくりと歩み寄って助け起こされた友人へ何事かをささやいていた。

肩を怒らせたリリーはふり返らない。
セブルスの横に並ぶと彼女はドン、と重い音を立ててグラスを置いて疲れの滲んだ長い息を肺から吐き出し一言呟いた。

「疲れるわ」
「あははは、ご苦労さまリリー。取りあえず一口飲んで落ち着いたら?」
「ええ、そうね。そうするわ」

ベンチの端から右に一人分移動してそこを薦める。
温もりで暖まった場所を提供したおかげで俺の尻はまた少し冷やされてしまったが、それも直ぐに馴染むだろう。
セブルスは未だ彼らを警戒して突っ立ったままだけど、これは言っても聞かないと分かっているのでリリーに習って俺もグラスに手を伸ばす。
久しぶりに味わったバタービールは変わらず甘くて懐かしい味がした。

泡で出来た白いお髭をリリーとお互いに指摘して笑いあう。
糖分と水分を補給したら忘れた頃にやって来た空腹も思いだされ、一休みしたら城に戻ろうか、と俺達の間で話がまとまった。

しかし、やはりそこでも邪魔は入るもので、

「エバンズ! 君とコイツらが幼なじみだなんて嘘だろ?!」

友人の助けを借りて復活したジェームズ・ポッターが此方に向かって叫んだ。
信じられない。だとしたらなんて羨ましい。僕と出会う前からのエバンズを知っているなんて!
本音を駄々漏れにさせながら足をジタバタさせる姿は我儘な子供そのもので呆れを誘った。

「だったら――どうだって言うんだい、ジェームズ・ポッター」

俺が相手にするとは思わなかったんだろう。
セブルスの瞳が軽く見開かれた。
良いのか、と視線で聞いて来た彼に頷くと再び頬杖をついた姿勢でさらに言葉を重ねる。
知ってしまったのなら仕方が無い。ならば多少の牽制も必要だろう。

「君がどこでその情報を仕入れて来たかは解らないけど、確かに僕らとリリーは幼なじみだ。それは事実。で、だから何? 君が気に入らなかろうが認めなかろうがどうでも良いけど、僕らが出会った過去は変えられないよ。お生憎さま」
「君はスリザリンだろ!」
「だから何って言ったじゃん。耳が遠いの? それとも自分に都合のよい言葉しか受け入れられないの? “そんなバカな事があるか。僕らがグリフィンドール生と? ふざけた事を抜かすな”って?」
「…はっ、やっぱり、」
「僕らがスリザリンでもリリーが幼なじみなのは変わらない。寮の組み分けで別れようが今までと何にも変わらないよ。それとも新しい校則でも出来たのかな? まあ、僕の知る限り寮の中でしか友人を作っちゃダメっていう校則は無かったはずだけど」

畳み掛けるように言葉を紡いでにやりと笑う。
調子のよい俺のお口は途中から煽りに入っていた。
俺の言葉にジェームズ・ポッターは口をあんぐりと開けていらっしゃった。シリウスは苦み切った顔で俺を睨んでいたが、他の二人も眼鏡と同じく口を開けはなっている。

「ただ、リリーの今後を思って僕らの関係は大っぴらにはしていない。この意味が分からない君じゃないだろジェームズ・ポッター。お利口な君なら今知った事実をご近所のおばさま方みたく吹聴したりしないよね?」

愛しのリリーがどうなっても良いなら勝手に騒げ。
言外に告げた警告に彼はハッと口を閉じ、悔しそうに唇を引き絞っていた。
寮に戻ったあとでセブルスが言った事だけど、この時の俺は大層悪い顔をしていたようである。
まあ、リリーが満足そうな顔で微笑んでいたのだから良いんですよ。不可抗力だ。

「それよりも君が気にしなくてはならないのは、愛しのリリーからの評価じゃないのかな? 良いの? こんな事で彼女の心を煩わせていて。これ以上心証を悪くしてどうするのさ」

ちなみに俺たちは彼女のご両親からの受けも大層良いのでうっかり君のありのままの評価を告げてしまいそうです、とは言わないでおく。

俺の言葉はもじゃ眼鏡の後ろ押しをしているようで、実は全然そうじゃない。
理解したならさっさと此処から引き上げろと言っているのである。
ああ、君らがここに留まっているせいでセブルスが突っ立ったままじゃないか。
いい加減に落ち着かせてあげたい。可哀そうだろ。


――この時俺はジェームズ・ポッターに固定していた視線をさらりと流し、リリーに微笑みかけるという、後になってしなければ良かったと思う後悔を人知れずしていた。

俺はハリー・ポッターという名の少年を知っている。
性格は控え目で大人しい、優しい子だ。
その顔がジェームズ・ポッターとそっくりで、瞳の色が違うだけで彼らは瓜二つと言っても良いほどの顔をしていた事も、俺はしっかり覚えていた。
そして、ハリー少年の瞳の色も忘れてはいない。

流した視線の先にあった二つのエメラルドに映り込んだ俺の顔はしばらく停止したのち、何事も無かったように動きだしてバタービールをちびりとやった。
その心は実のところ穏やかではない。

あれ。ちょっと待て。
今俺は…気付いてはいけない事実に近づいてしまったかも知れん。

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