【if】魔法界へ


それはある日突然起こった。


何時もの様に政務から逃げ出した主君政宗をその逞しい二の腕でガッチリホールドしつつ、抱え、流れる様な連係プレーを以って兄である片倉小十郎へとフライングパスし終えた彼は、今、ちょっと困っていた。
本当は困った所では無い事態なのだが、生来の呑気な気質が彼にそう思わせていた。


彼の名は、片倉景臣という。


その中身は実の所『彼』では無く『彼女』なのだが、悲しい事に彼女は突然原因不明の転生を果たし、『男』として20という歳月を過ごしてしまっていた。
厳つい顔をした兄顔負けのヤクザ顔と、それにつり合う、太く逞しい首筋から繋がる筋骨隆々とした肉体を備えて。

(覇王豊臣秀吉よりも体格的には劣るが、横に並んでも遜色のない程に引き締まった筋肉美は見る者に警戒心を抱かせる。
心根の優しい彼(彼女)は、そうした誤解に気付くこと無く自然体で接していたのだが)

彼は奥州筆頭伊達政宗が納める地にて、趣味の庭づくりという名のガーデニングにウキウキと勤しみつつ、とても平和な毎日を先程まで謳歌していたのである。
…例え表情筋が不器用な彼の顔が恐ろし過ぎて、知らぬ間に周囲から色々勘違いされていても、主君が己に内心ビビリまくりであろうと、彼は至って平穏な日々と土いじりに満たされていた。

――そんな事情を持つ景臣が、日課である庭の手入れをしようと草鞋を履き、城門を潜り抜け目を開くと、何故かそこには見慣れぬ世界が広がっていた。


空を覆う薄墨を滲ませたような重く厚い雲。
草鞋の下で硬く踏みしめた、冷たい石の馬車道。
高い生垣は背の高い男よりもはるかに伸び、渇いた風が頬をぬける度に、ザワザワと騒ぎ立てていた。
触れる空気が違う。過酷な庭仕事で鍛え上げられた彼の五感は、湿度の変化と天候の読みに長け、己が既に日本とは違う場に居る事を瞬時に悟っていた。
主にお肌の乾燥具合から。


「(此処は、どこだろう)」


背後に控えた石造りの城を一度見上げた景臣は、着物の合わせ目をぐっと握りしめながら、眼下の光景に長い事目を奪われていた。

…正確には、生垣の向こうに見えた、美しくも広大なるイングリッシュガーデンに。


***



数年経つと、なんと景臣は念願である庭師としての生活を手に入れていました。


突然訳も分からぬままに自分がイギリスへと飛ばされていた事に初めは驚いてはいたが、景臣にとっては夢にまで見た憧れのイングリッシュガーデンの魅力の方が勝り、実にすんなりとその状況を受け入れた。
長い人生まあこんな事もありますよねー、と、整えられた芝生に寝っ転がって言うような、実にのほほんとした口調で。

しかしあっさり受け入れたのは本人ばかりで、実際は紆余曲折と死闘――魔法VSバサラ技のゴリ押し、というものもあったのではあるが。それはまた別の話である。


彼は偶々拾ってくれた心優しき人に日々感謝をささげ、不慣れな英語に苦心しながら、弾む筋肉を踊らせつつ庭仕事に精を出している。
それで良いのかお前本当に。
実兄である片倉小十郎がその場にいたら、呆れ顔でそう言われそうである。


「あ、おはようゴザイマス旦那様」

額に浮かんだ汗を拭いつつ景臣が、布越しでも分かるほど盛り上がった肩の筋肉を鳴らしながら立ち上がる。
あまりに目立つ着物から洋服へと変わっていた彼のスラックスは、強靭なバネを思わせる脹脛から大腿部にかけてパツンパツンに膨らんでいて少々不格好だ。

旦那様、と呼ばれた男は微妙な顔をして立ち止っていた。
この旦那様は薔薇園から顔を出したこの熊の様な大男を、少々苦手としている。
どんなに自分が凄もうと威圧しようが、こうものほほんと声を掛けてくる景臣が奇妙で不可解で、どうにも調子が狂うからだ。
景臣の顔が怖すぎるからでは無いのである。決して。


旦那様の名はヴォルデモート。
世間では「例のあの人」やら、「名前を言ってはイケナイ人」などと言われている、恐ろしい闇の帝王その人である。

景臣は初めそれを聞いた時「よほど恥ずかしい名前の人なんだなー可哀そうに」と思っていはいたが、雇ってくれた恩人の一人でもある為にギリギリ口に出さずに済んでいた。
勿論、例え口にしていたとしても、一部を除き積極的に係わろうとする者は皆無である為、聞き咎める者はいないだろうが。

その理由は…彼の般若の如き表情(これでも景臣は微笑んでいた)と重戦車並みの肉体プラス雷属性のバサラ技にデス・イーター達が皆揃ってビビっていたから、というもの。
アバダ・ケダブラの一斉射撃を華麗にかわした彼の逸話も、それに拍車をかけていた。
戦国の世で活躍していた武人と魔法使いの反射神経を比べるものでは無いとは思うが。

パチッ、彼愛用の庭バサミが微妙な空気を断ち切るように音を立てる。


「今日もマタ、お部屋の方へイケにマイリマスネ」

美しく咲き誇るピンクのイングリッシュローズ、セプタード・アイルを掲げ、ニヤリと邪悪に笑った景臣。
無骨な手のひらは花を摘むよりも握りつぶす方が似合いだろうし、鍛え抜かれたその筋肉はどう考えても使い所を間違えている。そう、彼に会えば同じ様なことを誰もが思う。
それにまた微妙な表情を返したヴォルデモートは「ああ」と気の無い返事を返して元来た道を引き返して行った。

なんだあれ、めちゃくちゃ似合わない。
しかもピンクってお前。闇の帝王の部屋にピンクの薔薇を飾るとかお前マジ。普通そんな乙女仕様にされた部屋へ謁見に何て行きたくないだろ、配下としては。

そう思う、こっそりその様子を眺めていたセブルス・スネイプもまた、先程のヴォルデモートと同じ微妙な表情を受かべていた。
デスイーターとしては下っ端であるスネイプは、彼の世話と言葉の教育を押し付けられている自分の境遇をひどく恨んでいた。

今日もまた、あの怖い顔とマンツーマンでの勉強だ、そう思うと憂鬱な気分になる。


***


「セブルスくん、就職おめでとう」
「まるで今まで私が無職だったような口ぶりで言うな」
「え。ですいーたーってご職業だったんですか? てっきり、称号か何かだと思ってました」
「……はぁ」

なんでコイツは普通にホグワーツへ出入りをしているんだろう。
マグルなのか魔法族なのかもハッキリしてないのに。
スネイプは目の前の大男を見上げてから、ふいっとその視線を反らし――明後日の方向へと大きく振り被った。
暴投も良い所である。
慣れてはいてもやはり景臣の顔は凶悪過ぎて正視に堪えられない…。


闇の帝王が姿を消し、ダンブルドアの元で保護を受け、魔法薬学の教職についたばかりの彼は先程まで暗い翳りを纏わせていた。
割り振られたじっとり湿った薄暗い地下室は、自分に似合いの牢獄だとさえ思っていた。
罪を負った罪人に似合いの。
大切なひとを失った悲しみが泥の様にこびり付き、それでも生きなければならぬ自身を呪うスネイプは、以前よりも人を寄せ付けぬ雰囲気を醸し出している。

なのにこの男ときたら、


「いや良かったですね。安定したご職業に就くことが出来て」

セブルスくんなら良い先生になれますよ、と、ニヤリと唇を引き攣らせ、丸太の様な腕に抱えた花束を自分に押し付けている。
芳醇な香りを放つ瑞々しい花は、この男が育んだとは思えぬほど見事に咲き誇っていた。
いらないと突っぱねれば良いとは分かっているが、受け取らなければこの男が鬱陶しいほど落ち込む事をスネイプは知っている。
図体に似合わず女々しい男が非常に優しく面倒見が良い事も。

スネイプは考えた。
追い返したくとも扉は彼の身体に隠れて見えないし、何よりもその異常に発達した筋肉体は、自分が押したとしてもビクともしないだろう事は明らかだ。悔しい程に。

次第に面倒になっていったスネイプは一先ず男をソファへ座るように促し、中断していた作業へ再び取りかかった。
新学期が始まるまでにやらなければならぬ事が多いのだ。
構っている暇も、スネイプには惜しい。
背後で、ギチギチギチ、とソファが可哀そうなほど軋んだ音を立てていたのには…今は目を瞑ろう…。

「あ、そうだ。報告が遅れましたが、私も偶に此方の温室でお仕事をさせて頂けることになりましたので」
「勘弁してくれ」


***


「ハリー! ハリー! 聞いて! 僕、凄いものを見ちゃったんだ!」
「どうしたのロン。そんなに面白い顔して。女装したマルフォイがキャビネットからでも飛び出てきたの?」
一体誰のボガートなのそれ?! 例えにしてもちょっとそれは無いよハリー?!
「…で?」
「う、うん。さっき僕、スネイプの所へレポートを提出に行っただろ?」
「ああ、トーナメント方式でジャンケンをして、最後に寝ビルにまで負けたロンがみんなの分を出しに行ったアレね」
寝ビルって?!
いちいち突っ込まないと駄目なの? ロン
「(ビクッ)…あのね、スネイプの研究室に行ったら…居たんだ」
「誰が? ルシウス・マルフォとか? それとも…ルーピン先生がいて、二人で和やかにお茶でもしてたの? まあ、ありえないとは思うけど」
「違うよ! 目付きが凶悪な大男がスネイプと密談していたんだ! …スネイプの奴、何かきっと企んでいるんだよ、また」
「大男? ハグリッドみたいな?」
「ハグリッドよりは背も低い…と思う。けど、腕っぷしも強そうな筋肉の塊みたいな奴だったよ。僕らの首なんて簡単に捻られちゃいそうなさっ!」
「ははっ、ロン、そういう願望があるの?」
そんなわけ無いから! 怖い事言うなよハリー!!
「……でも、そんな奴とコソコソ会ってるなんて…スネイプはソイツにシリウス・ブラックでも捕まえさせるつもりなのかもね。もしかしたら」
「フン、きっと手柄が欲しいんだよ、スネイプの事だから」


「……おい、何を先程からソワソワしている」
「え、いや…さっきの生徒さんに見られてしまって悪かったな、と思って。ごめんねセブルスくん。急に押しかけてしまって」
「そう思うならもう来なければ良い。その図体では隠れることも困難なうえに、目立つ」
「……」
「落ち込む位なら初めから言うな。鬱陶しい」
「…はい」


***


それはそれは、月の綺麗な夜のことでした。


ギャン、と犬のような鳴き声を上げてワーウルフと化したルーピンが地に伏せると、スネイプは額に手を当てながら呻くように彼の名を呟いた。

「景臣…貴様には常識というものが通用しないのか?!
「え?! アレ、仕留めちゃ駄目だったんですか?」
「……いや、良い。貴様には言うだけ無駄だったな」

咄嗟に背に庇った子供達がガタガタと震えているのを感じ取ったスネイプは、目の前で眉を垂れさせて困った顔をしている景臣に、感謝を述べるよりも先に詰め寄っていた。

景臣の身体能力が異常なほど発達している事は知っていた。
その見た目通り万力の様な握力をもつ大きな手のひらも、振り下ろせば肉を断つ所か骨を粉砕しかねない腕も……意外と俊敏な身のこなしから生み出される、あの、奇妙な技の数々もだ。

だが誰が想像もし得ようか。
襲いかかって来たワーウルフを事も無げにわし掴んで千切っては投げ、トドメとばかりに鳩尾へ強烈な一発をめり込ませて沈めるという荒技に及ぶなどと。


――今宵の憐れな犠牲者の名は、リーマス・J・ルーピン。
これは今年度の『闇の魔術に対する防衛術』で教鞭をとっている男の名である。
その正体はワーウルフ。
所謂、人狼と呼ばれる…人々から忌み嫌われてきた闇の生き物だ。

しかしそんな彼が――今、信じ難い事に…ピクピクと全身を痙攣させながら横たわり、月の光にその正体を照らし出されていた。
スネイプにとって気に入らない男ではあったが、あの姿を見れば本当に憐れであるし、同情も誘う。

肉と骨が奏でた痛そうな音が、離れていても聞こえてしまった子供達を怯えさせてガッチガチに凍りつかせていた。
逃げ出した鼠を追いかけて行こうとしていたシリウス・ブラックも、それに続こうとしていたハリー・ポッターも、揃ってその場で佇んでいる。
偶々偶然この現場に出くわした景臣の存在に警戒を抱くよりも、凶悪な顔付の巨漢に、みな、揃って釘付けとなっていた。

スネイプ以外は。


生徒達から受けた呪文で痛む身体をおして、状況も理解できぬままルーピンと対峙する事となったスネイプは、この事態を纏めることさえも少々面倒になっていた。
主に景臣の所為で。

「で、セブルスくん。アレって一体何だったんですか?」
「貴様はもう黙っていろ」

魔法界の常識も魔法生物の恐ろしさも、この男の剛腕にかかれば「アレ」程度で収まるのだろう。
集まり始めたディメンターでさえ同じ様な末路になるのでは無いだろうか…と、スネイプはまた大きく溜息を吐きだした。

ドンマイ、セブルス・スネイプ。
君の危惧は直ぐに現実となるのだろうから。


戦国の庭師、魔法界でも通常運転

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