せめてもの抵抗


まことに残念ながら俺の返事は保留という形になった。

帰りの遅い俺を探しに来た船医のおじさんによりマルコの前から回収され、問答無用でベッドへと押し込まれ就寝。
「少しだけと言っただろ」との出だしから始まったお小言を子守唄に、寝付くまでを迫力満点のお顔でキッチリガードされてしまったのである。

まあ、ある意味、助かったと言えば助かった。
俺の答えなんて出ている様なものだけど、出来る限り先延ばしにしたかったのも事実である。

しかし、医療に携わるひとは大体こんな顔をするのだろうか…。
怒ったおじさんに少しだけマダムポンフリーを思い出して、上掛けに隠した口元が笑っていたのはここだけの秘密だ。


翌朝は予想通りなことになっていた。
ぷっくりと腫れた瞼は重く、目の中がゴロゴロしてるように感じられて違和感がある。
髪は相変わらず起き抜けはひどい。鏡で確認するまでも無くまったく残念だ。
ストレスが軽減されたお陰か目覚めの体調はいつもより良好な気がしたけど。

ベッドの中でぬくぬくと暫くは寝返りを打って、だるい頭を起こして名残惜しみながら目をこする。
冷え込んだ室内はすでに大分明るい。
綺麗な秋晴れを切り取った窓からは太陽の光が差し込んでいた。
いつもなら(と言ってもここ最近の事だが)ハルタかイゾウ辺りが起こしに来るのだが、昨夜が宴会だったからか誰も来ないみたいだ。

『…起きるか』

だらだらしてやりたい所だがそうもいかない。
働きの悪い頭を抱えながらもそもそ支度を開始。
と言っても、ものぐさで朝は自分で何かをするのも億劫である俺がする事はトランクに向けて杖を振ってお終いだ。

着ていたパジャマを脱いでいる間に服が踊り出てくるのをキャッチして、欠伸を噛み殺しながら袖を通している俺の髪をブラシが勝手に梳いている。
ホワイトシャツにネイビーのカーディガン。
膝下丈のズボンに合わせた長い靴下。
靴を履き終わる頃には脱ぎ散らかした物も自動的に畳まれていた。

初めてこの光景を見たひとは大抵、ボタンも面倒がって魔法でとめてしまう俺に呆れたような顔をするのだが、別にいいじゃないかと俺は思う。

『アグアメンティ』

サイドテーブルに置いた洗面具に水を溜める。
顔を洗うついでにうがいをして、多少はスッキリした所でタオルが頭上に振って来た。
やわらかいそれで顔を拭き、水を消して洗面具の中にタオルを放る。
服もタオルもそろそろ纏めて洗濯をしないとな。
島に降りたらクリーニング屋も探すか。
そう思いながらひとつ身震いしてシャツの襟を立て、ベッドに置かれたリボンタイを首にかけた。


コンコン、とドアをノックする音が聞こえたのは、折角結んだリボンをフォークスが嘴でじゃれついて解いてしまった頃だった。
応えを返すと間を置いて開かれたドア。
顔を覗かせたのはやっぱりと言うか何と言いますか、朝も当然のように色気を漂わせた妖艶な男だ。
ハルタは返事を聞く前にドアを開けやがるからな…。

「おはよーございます、イゾウお兄さん」
「あァ、おはようさん」

昨夜の酒も残さないしゃんとした声。
未だ寝起きのふにゃふにゃ声な俺とは違う。
あれだけ遅くまでぐいぐい飲んでたくせに…どんな肝臓してんだ。
嗚呼、異世界の人間は元の構造からして俺とは違うってか?

結いあげた髪からこぼれたひと房をなでつけながらイゾウが後ろ手にドアを閉める。
その間にタイの端をフォークスから取りかえした俺が振り返って、顔を見下ろした瞳が可笑しそうに細められた。

「くくっ…なんだそのひでェ面は。ずいぶんとまあ腫れてんじゃねェか」
「ム、みっともないからあんまり見ないでよ…まだ薬も塗って無いんだから」

そう言って視線から逃げるようにベッドへ置かれた薬箱の蓋を開け、カタカタと音を立てて左右に展開した上段から目的の物を取り出すと、後ろからイゾウが興味深そうに覗きこんできた。
…一度、右腕に触れる事を拒否されたことを覚えている彼は俺の右側に立つことはしない。
そういう細かな気配りが出来るこの男はやはりモテそうである。

はらりと視界に落ちて来た髪をかき上げ、ついでに朝の分の薬も出してからベッドに腰を下ろす。

ころんとした丸い瓶の中身は以前リリーにあげた物と効能は同じものだ。それを手のひらに数滴落とした。
目を伏せ、腫れて厚ぼったい瞼に塗るとややほろ苦いさわやかな香りが鼻孔をくすぐり、指先が離れるとすっと溶ける。
後はこのまま少し時間を置くだけで腫れは直ぐに引くだろう。

「いい匂いだな」
「そう? ほんとはもっと香りのキツイ物なんだけどね。僕があんまり得意じゃないからちょっと細工してあるんだ」
「これもお前ェが作ったのかい?」
「うん。そこに入ってる大体は僕の作品。トランクの中にもいっぱいあるよ。解熱剤とか吐き止めとか、使用頻度が高いのだけそこに詰め込んであるの」
「へえ、」
「市販されている物は僕の飲んでいる薬と相性が悪いからさ、全部自分で調整して作るしかないんだよね」
「…うちの船医には任せられねェのか?」
「無理」
「即答か」
「…おじさんにもお話したけど、まず条件として、魔法が使えなきゃだめ。調合工程のどこかで必ず杖を使うから…申し訳ないけど此処では僕にしか作れない」

声のする方向へ首を捻り、ぱちぱち何度か瞬く。
うん。違和感も消えて視界もバッチリだぜ。
イゾウは腕を組んだ恰好のまましげしげと薬箱を覗き込んでいた。
いや、真実薬とかソレ系の物騒なものは表には出してないから…見られて困る物は無いはずなんだけど、な。

目を閉じていた間も会話が続いていたお陰で、再び睡魔と仲良く添い寝しそうだった所を回避できた俺はもぞもぞとベッドから這い下りる。

「どう? 見れるようになったでしょ?」

少し胸を張るように、態と子どもっぽく聞いた俺に片眉を上げたイゾウがやわらかく頭を叩いた。
「そうだな」と言って伸びてきた指がタイを掴まえる。
軽く屈んだイゾウの意を汲んで顎を反らすと、初めに結ばれたリボンよりも出来栄えの良いモノが襟元を飾った。
立てていた襟を直す間もフォークスは大人しい。彼女は俺のリボンで遊んでいたのでは無く…文句を付けていたのかも知れん。

「さてセネカ、今すぐに荷物を片づけられるか?」
「? 出来る…けど?」

言われたことに疑問を浮かべた表情で首を傾げつつも、杖を振って散らばった荷物をトランクに収納する。
ベッドの端に広げられていた図鑑と数冊の本。タオルに洗面器とパジャマ。数日過ごしただけなのでそれは程なく終わった。
イゾウから見れば時間が巻き戻されているように見えるだろうか。
あっ、と思いだして、勝手に片付けられて仕舞いこまれる前にエースへ渡す予定の薬を慌てて掴まえてからトランクを置いた。

「じゃあ行くか」
「うん?」

そう言ってさっさと背を向けたイゾウがトランクの持ち手を掴んでドアへと振り返る。
無駄のない動作だ、なんて感心してる場合では無い。
驚いて思わず着物の裾をはしっと握り、行動にブレーキをかけた俺をイゾウが怪訝そうに振り返った。
いや、そういう顔をしたいのは俺の方ですが。

「ちょ、ちょっと待って、色々と唐突すぎるよ!?」
「あァ?」
「…どこに行くのか分かんないけどさ、薬を飲む暇くらい頂戴よ」
「くく、そいつはすまねェな。ほら、待っててやるから早くしな」
「……ドアの外で待ってて。お願い。直ぐに立ち直るから」

イゾウは俺の言葉に眉を寄せていたが、ハルタや船医のおじさんからそれとなく聞いていたのか「落ち着いたら声をかけろ」と言って部屋から出て行った。

味もひどい上に体力も免疫力もぐっと下げる薬だ。
何でこんなものに頼らなきゃならんのかと思うくらい気力も根こそぎ奪う。
早々に立ち直ることは難しいけど、無理やりにでも奮い立たせねばならない。無様な形をこれ以上彼らには見せられん。

決意も新たに腰へ手をあて、口に押し付けた瓶からどろりとした薬液をえずきながら流し込んだ。

ドアの外でイゾウが落とした溜息は俺には届かない。

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