学習しましょう
各々方、元気に後悔してますか?
「――ふむ。御歳の割に回復がおはやい。やはりまだまだお若くていらっしゃる」
「……さようで」
「ですが、逸るお気持ちは落ち付けることです。捻挫というものは腫れが引いても完治した訳ではござらぬので、歩行に支障は無いと言ってもご無理は禁物ですぞ」
顎をさすりさすり。骨筋の浮く柳のような手のひらがぽん、と俺の肩に着地した。その視線は生ぬるい。
いやはや、お歳と共に刻まれた深い皺の刻まれた表情が優しすぎて胸に突き刺さりますね。
「しかし……見事に潰されてしまいましたなあ。何事も適度に、という言葉もございますぞ? 二日酔いによく効く薬蕩もお出ししておきましょう」
「いや…まことに面目ない…」
「ほっほっ」
「お笑いくださるな…」
「まあそう落ち込みなさるな。お館様に飲み比べで勝てる者などこの甲斐にもおりませぬわ」
ではまた。明日も同じ刻限に。
剃髪頭の医師がにこやかな顔で暇を告げる。
タン、と軽い音を立てて障子が閉まり、灰色の影がのったりと移動して消え衣擦れの音も遠ざかった。
「ふふっ、卿もやはり欲には勝てぬか」
…やばいな、幻聴が聞こえるぞ。
脳内のアレが皮肉気な笑みを浮かべて俺を嘲笑っている。しっし。どっかいけよ久秀。
まあ要は自業自得だ。
翌朝、床から起きれずに呻く事となったこのザマ。信玄公の酒豪っぷりに付き合ったお陰で己のペース配分を見誤った、その結果である。昨日は死んだ。
「お加減はいかがでござるか、秀長殿」
「…最悪、その一言につきる…」
手渡された水を飲み、一息をつく。
いかにも不味そうな色合いの薬蕩が差し出されるのにも、ひきつる頬を叱咤して受け取った。
…本当にこれは飲まねばならんのか?
色だけでなく、その、匂いの方もかなり強烈なのだが…。
口に含んだ瞬間吐き出してしまう様な失態だけは、絶対にしたくない。…なに、菓子を口直しに? いや、おい。あのな、俺は子供では無いのだぞ。
有難く頂こう。
しかし、真田も真田だ。
昨夜は途中からではあったが酒盛りに混ざって来ていた癖にけろりとしている。おかしい。君は俺の倍は飲んでいたはずだろう? うん?
俺は滞在二日目にして、武田軍の胃が如何に鋼鉄であるか身を持って知ったのだった。
***
あんなに飲んだ翌日だというのに、本日も真っ赤なわんこは元気いっぱい稽古に励んでいる。
いやもう分かった。悟らざるを得ない。
これは若さという次元じゃないのだな。恐ろしい子。
「っ、秀長殿、」
「……なんだね」
「そろそろ、…ふっ、ハッ、…佐助も戻る、頃合いかと存じまする」
「そうか。それは楽しみだ…」
「お連れの方も共に参られれば――はぁっ! 貴殿のご不安も解消されますで、…ふん! しょうぞ!!」
……。なあ真田よ。
話すか動くかのどちらかにしては如何だろうか? 話し辛くは無いのかね?
今朝よりも大分マシになった身体を起こしながらそう思う。
ぼんやり投げていた視線を室内へ戻すと。
床にだらりと足を投げ出し、肘かけに重心を預け、俯いた拍子にさらりと落ちた髪が肩を滑った。
「…そうか。もう直ぐ戻られるのか」
真田の言葉を噛みしめながらぐっと拳を握る。
小太郎に、会えるのだ。
これを喜ばないわけがない。
「……? どうかされたのでござるか?」
「…いや、なんでもない。少し個人的な問題がな、」
「?」
「気にするな」
出来れば忍の帰還が明日以降だととても助かる。
小太郎がこの足を見て心配をかけるのも怒られるのも、今の状態ではちょっといやだなあと、そう思っただけさ。早く会いたいのに。んー…しかしだな。
あの無言の非難は正直心に堪える。
万全な状態で…お願いしたい。
――そう思っている時ほどうまく行かないモノなのだが。
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