03


久秀の登場によって場の空気に重圧が掛かる。

…恐らくそう感じているのは青年だけでは無い。息を乱したままの男の顔色が更に悪くなっているのも、気のせいでは無いだろう。



「すまねえな、どうやらお互い入れ違いになっちまったようだ」
「言い訳は時間の無駄だ、…卿も分かっているのだろう? それとも私が謝罪すべきとでも言うつもりかね」

ぐしゃぐしゃと銀髪を掻きまわし、謝罪の言葉を述べた彼の言葉をピシャリと跳ね退ける。
笑っているが、どう見ても目が笑って無い。
これはヤバいな…"楽しい航海"だったんだろう? 自分で"楽しい後悔"にしてくれるつもりか? …洒落にならないな。


「やめろ、久秀」


シンとした空気に俺の声が良く響く。

途端に此方に集中した無数の瞳、それに妙な居心地の悪さを感じて身動ぎした。追いついた家臣団からも熱い眼差しを向けられる。
…そんなに必死になるなら、早く止めてやれよ。

「俺が引き止めてしまっていたんだ、彼に非は無い。…すまないな、引き止めていて」

前半は久秀に、後半は何が何やらな青年に。
頼むよ、と拝む様な気持ちで笠を取る。瞬間、さっと周囲の空気が凍ったのを感じながらも畳み掛けるよう言葉を紡いだ。

「お互いが行き違ってしまっただけだろ? 話なら今からでも遅くは無い筈だ」

…呼びかけるが返事がない。

思った通り急降下している久秀の機嫌。
如何すべきか…と黙ったままの相手の表情を窺う、と。

…先程とは全然違う意味で恐ろしい笑みを浮かべてるんだが――…なあ、逃げてもいいか?


「…ひさひ、で?」
「卿がどうしてもと言うのならば仕方ないな」
「いやそこまで言ってな「ならば責任を取って卿も話に加わるというのはどうだ? なに、ただの商談だ難しい事など何も無い」」
「どうだ、ってお前」
「当初の予定では一台の予定だったが、卿が望むのであれば対の二台でも構わないよ。
阿吽の一対など私達に似合いではないかね? 私が"阿"、卿が"吽"だ」
「要らん。そういう問題じゃない、…話聞いてるか?」
「瑣末瑣末」


おい、話題が逸れて無いか?


否定しようにも、折角直った機嫌。
好機を逃す訳にはいかない。

勘弁しろよ…と心は泣きそうだったが、表に出しては更に付け上がらせるだけだ。チクチクと周囲から浴びせられる驚愕の眼差しと、ざわつく空気には心が折れそうだがな…。

「…何か言いたそうだな、若いの」
「アンタは…その、」
「松永秀長。それ以下でもそれ以上でも無い」
「…なんか、苦労してんだな…」
「それを言ってくれるな…ほら、今のうちに案内してれ」

同情混じりで労りの言葉をくれる青年に苦笑で返し、早く、と視線で促す。
若干ぎこちない動作で――でも視線はしっかりと俺の顔に注いだまま歩きだしてくれるのに、ほっと息を吐いた。

――ギクシャクとした空気まま進む、傍目から見ても悪目立ちしてしまった一行。

紫の衣を翻す彼に続く一行の中心で、相も変わらずどこ吹く風の久秀。
さっきのは何だったんだと言いたくなる。

…こうも変わり身が早いと先程の怒りが演技だったのでは、という疑いが鎌首を擡げる。
さらりと嘘を吐く様な奴だから、正直……あり得ないことでは無い。

「秀長」
「…なんだよ」

チラチラと振り返る青年(そう言えば今更だが名前を聞いていない)の視線を気にしながら続きを促すと、


「折角の遠出だ、卿が望むものを得て帰るとしよう」


“卿はもっと欲しがればよいのだ。どうだね、難しいと云うなら私も共に選ぼう”


――その言葉であの強引な船出も、態度も、ただ単にこの一言が言いたかっただけなんだろうな、と分かった。
分かってしまった…。
(同時に、コッソリ聞いていた青年の足が縺れたのも分かった)


あー…、
何と言うか――…人の事言えないが、お前も大概不器用だよな。
…とは、面と向かって言うには憚られたので、又の機会でも構わないだろうか。

自然と持ち上がる口元を誤魔化すように、
答えを探して俺は空を仰いだ。


互いを映す、鏡


多くを望んでるわけではない―――手のひらに収まる程の、そんな些細な…小さな望みが叶えばそれでいい。それだけで、俺には十分だ。

あのな、以前の俺よりも随分と欲深になったんだぞ、俺は。

もう十分貰っているっていうのに、これ以上何を欲しろと言うんだろうな、お前は。

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