そして暗転
「おぬしの馬は共の者に預けてある」
鬱蒼とした森から脱出し暫くして。
牧歌的な風景を背に心配していた馬の行方を教えられた。
御仁が見つけた小さな茶屋でほっと一息ついて直ぐの事である。
酷くなる一方の眩暈と足の痛み。再び伏せ気味だった顔を上げ目を見開いた。丁度、馬のことを話題に乗せたばかりだったので驚きはひとしおだ。
「なんと、馬まで世話になっていたとは」
空になった湯のみを脇に置き、頭を下げようとして逞しい腕に制される。
お、おおいかん、危うく前のめりに倒れてしまう所だったぞ。
「顔色がちと悪すぎる。余り動かぬがよいわ」
「ぅ、……申し訳ない」
「それにの、預けた、とは聞こえ良いが些か興奮しすぎておった故――おおっ、ほれ、戻って来よったわ」
「……は?」
言われた意味を咀嚼しきれず示された方向へ首を向けると、
「…ぉ……ぉおおおっ……! ぅおおおおおおおおおおおおぁあああああああっ!!」
土煙りを上げ、赤い塊が吼えながら馬と並走し此方へ近づいていた。
いやあ凄い。とんでもない脚力だなあ、と先ずは素直に感心し、次いではたっと我に返る。
「……ちょっと待てこのまま行くと」
振り返った先には茶屋。
アレが突っ込めば一溜まりもないのでは?
止まる気は無いのか、出来ないのかと、うろたえる俺。
対照的に隣の御仁は腕を組みドーンと仁王立ちしていた。口を引き結び焦りの表情一つ見せずに。
心乱した自分を恥じたくなる程の堂々とした態度。
年齢的にも己の方が上だろうに、この落ち付きようはなんなのだ。落ち込むぞ。
そうこうするうちに距離は縮み、大きく嘶いた馬が前足を高く振り上げた。
目の前を影が覆う。
馬に蹴られて死んじまえー、などと変な歌が脳内を駆け巡ってしまったのはどこか冷静なもう一人の自分が事の成り行きを見つめていたからだろうか。しかしなんと不吉な歌か。…おいハミングするのをやめないか。
目を瞑る事を忘れた己の時が止まり、息がつまった。が、少し様子がおかしい事に気付く。
馬が、停止している?
「ぐ、ぅううう怪我は、ありま、せぬ、かっ!」
「あ、ああ、……ないと、おもう」
紅い塊が、否、赤い衣装を纏った青年が馬の手綱を引き掴み、その巨体を抑えてくれていたのに唖然とし答えた。
いやはや、なんという握力か。なんという無茶か。あの速度で暴走する馬を止めてしまえるとは。
ぶるぅ、と息を荒くした馬が両脚を地に下ろし興奮冷めやらぬといった様子で首を振る。
ふらりと立ち上がり宥める様にぽんぽんと鼻面、顎の下を撫で「無事で良かった」と眼を細めた。すまない、すまない。俺の注意が足りなかったばかりに。
「おかえり」
汗ばんだ身体を労わるよう擦ると、ぐいぐいと鼻面を寄せ甘える姿にほっと安堵の溜息を吐いた――それがいけなかった。
青年にも礼を述べなければ、と首を巡らし「おや?」と間抜けな声とともに歪んだ視界。
そのまま膝から崩れ、俺は本格的に意識を失ってしまっていた。
今度は冷たい、土の上に。
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