さようなら



時を遡ること、
小田原が奇襲される半日前頃。


「ここまで来ればもういいか…」

北条・上杉・武田、三国を繋ぐ街道で俺は馬足を弛めた。


「え? もういいのかい?」
「ああ。…すまなかったな、付き合わせてしまって」
「いいっていいって。じいちゃんには世話になってるし、あんた、なんか放っておくとどっか行きそうだったしな」
「…なんだそりゃ」


仏頂面で呟けば「あはは、ごめんよ」と笑い混じりに謝られる。これは…暗に迷子になるんじゃないかと言われてしまっているんだよ、な?まったく、失礼な奴だ。俺にだって方向感覚くらいはある、…と思う。多分。…恐らく。……(遠い目)。はあ、

「―――小太郎は大丈夫だろうか…」

小田原を出発して早一日。
振り返って仰いだ青空に、俺は昨日の騒動を思い出していた。



「……は? 明智が? 久秀と?!」
「うん。えっと、戦じゃないんだけど乗り込んだというか何というか――…ちょ、俺、絞まってる! 首絞まってるよ!」
「あ、すまない。つい」


ぱっと掴んでいた前田の襟を放す。いつの間にかギリギリと締め上げていた様で、解放された前田がほっと息を吐いた。

前田の話を要約すると、久秀の元へ明智が襲撃(?)→しかし何らかの事情で戦起らず→満足そうに帰る明智目撃→松永軍、戦の準備開始←今ここ。…という話らしい。
又聞きの又聞きだからちょっと違うかもと前田は言うが、


「(どう見ても明智が何か言ったに違いない…)」

でなければ今まで動かなかった(?)久秀が行動を開始する理由が思いつかん。
あの男、口止めするなりしておけば良かった…不覚だ(いや、のんびりし過ぎていた俺も俺だが)


「翁」

項垂れてずんと重い空気を纏ったまま、翁に向き直る。…気持ちとしてはこのまま地面にめり込みたい。凄く埋まりたい。だが、そうもいかんのが現状で、


「申し訳ありません、翁。早急に発たなければならない事が判明いたしました…」

語尾が段々と萎んでゆく。本来ならばもう少しゆっくりと、別れを惜しんで語らい発つ事も出来たと思うのに。くそっ、明智め…(八つ当たり)


「なんぢゃ、もうゆくのか」
「ええ、このまま此方に居れば恐らく被害が確実に。恩を仇で返す訳にはいきませんので」


例えば俺が大人しく此方に留まったとする。
俺が素直に帰ると言ったとする。
だがあの兄が、久秀が、栄光門を突破(爆破)してこないなどありえない気がする。…居ると分かると俄然張りきりそうだ。否、絶対に張り切る。

あの笑みで楽しそうに圧参する久秀を思い浮かべ、正直胃痛がしてきた…。


「…おぬしも大変ぢゃのう」


ゔ、…それを言われると本当に穴があったら入りたい。可哀想な者を見る目もいたたまれないですぞ、翁。



すっと姿勢を正し、胡坐から正坐へ足を組み直す。視線を真っ直ぐ翁へと合わすと、俺の斜め後方の小太郎も倣う気配がした。


「長の間、滞在させて頂きありがとう御座いました。どうぞ、御息災で…御世話になりました」


万感の思いを籠めて、頭を下げる。


 ああ、とても――、名残惜しい


それは言葉にする事は憚られた。
本当は未練たらたらの癖して見栄を張る。何時まで経ってもこの性分は治らないだろう。


こうして、俺は小田原を後にした。


「またいつでも来るとよい」と手を振る翁の言葉に胸を温かくしながら。

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