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「もしかしたら、花の匂いかもしれないな」
「花の匂い?」
「ああ。校舎から寮まで、人目に付かずに行ける裏道があるんだ。代々生徒会役員にのみ伝えられている抜け道なんだが……今、そこの林にかなり強い甘い匂いのする花が咲いているんだよ」
まるで忍者屋敷みたいだなと、初めて聞かされた裏道の存在に変に感心してしまう。一体なんでそんなものがと疑問に思うけれど、もしかしたらしつこい親衛隊を撒いたりするのに使われているのかもしれない。
生徒会は代々人気のある生徒が選ばれ続けてるらしいし、その可能性は高そうだ。
「あの日は、食堂から抜け出したあと一旦寮に生徒会の書類を取りに戻ったんだ。そのあとハルのことを聞かされて校舎まで戻ったからその道を通ったし、今日もそこを通って来たばかりだからな」
「あー、なるほど……」
どれだけ強い匂いのする花なのかはわからないけれど、短くはない距離の道なりに、ずっと花が咲いているなら匂いが移ってもおかしくない。明らかになった匂いの正体に、胸のうちにずっとあったモヤモヤが晴れていくのを感じる。
スッキリした、と一人開放的な気分にひたっていると「それにしても」と忍が声を上げた。
「めーちゃん、よく気付いたのな?」
よっぽど近く行かなきゃわかんなかっただろうに、と続けられて内心ギクリとする。
後ろめたいところがあるからそう思うだけなんだろうけれど、責められているような気分になる。「二人ともどんだけ近い距離に居たわけ?」という副音声すら聞こえてきそうだ。
さっきまで抱き締めあっていたことを知られているんじゃないだろうか、という錯覚。
そんなはずないと知っていながらも、理一との「充電」という名目でのあの行為を誰かに知られるのは嫌だな、と。なんとなくそう思ってしまった。
「あ〜、なんでだろ。俺、人より嗅覚鋭いのかな」
咄嗟に口から飛び出した薄っぺらい言葉と、ははは、という乾いた笑い声。かなり無理のある俺の言葉を、忍は半信半疑ながらも「ふぅん?」とスルーしてくれた。
「そういやさ、俺、結局いつまで引きこもってりゃいいの?」
理一にも変な勘違いされたし、一人遊びにも飽きてきたし。そろそろ登校したいなーなんて、引きこもってた頃からじゃ考えられないことを思う。
まだだめなのかと首を傾げれば、忍はたちまち困った顔になった。
「うーん……うーたん達が頑張ってはいるんだけどなぁ」
「え、なに。そんなに手こずってんの?」
「ちょっとだけ、な」
渋い表情で言葉を濁す忍になんだか心配になってしまう。
確か、警戒体制とか整えてるだけだよな? そんなに時間かかるっていうか、大変なことなのか? よくわかんねぇから何とも言えないけど。
「いやさぁ、副会長が生徒会に復帰したから佐藤灯里が更に荒れてて、な。それ鎮圧するのに人でとられてるのプラス、あれからワタルがぜんっぜん姿見せなくって」
生活や行動のパターンや、今後どう動きそうかといった見当がつけられないことには、対策の取りようがなくてお手上げ状態なのだと忍は言う。
「え、ワタル、あいつ学校来てねぇの?」
「うん〜。めーちゃんが来てないのに合わせてるみたいに、サッパリ」
「えええ、まじかー!」
「しかも風紀が寮の部屋訪ねても返事とかないらしいのな。もしかしたら、学園抜け出してどっか行ってるんじゃないかーって風紀委員長とかは言ってるけど」
ワタルのことだから、てっきりフツーの顔して学校に通ってるものだと思ってたけど。どうやらそうじゃないらしいことに少なからず動揺する。
(ワタル、いまなにしてんだろ……)
空き教室で襲われたとき、思わず泣いてしまった俺を見て、若干うろたえどこか傷付いた風になったワタルの顔を思い出した。
あのときのワタルは、それまでのワタルとは少し違っていた気がする。それまでは俺の意思なんて関係ないっていう感じで、俺のことを愛してるだなんていうのも本心なのかすらよくわからなかった。けれどあの一瞬だけは、ワタルはちゃんと俺のことを見て、その上で好きだと言ってくれているように感じたのだ。
単なる俺の気のせいかもしれないし、実際にワタルが何を考えていたのかはわからない。けれど、なぜだかあのワタルの表情が気にかかって仕方ないのだ。
(……もしかして、ワタルも悩んでたりすんのかな)
俺があの時ワタルに言われた言葉の数々を忘れられないみたいに、ワタルも、俺が泣いたことを気にしてたりするんだろうか。次に会ったらどうしようかとか考えてたりするのかな。
――俺が思っているよりも、案外決着の時は近いのかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
06.波乱なう END...?
「……そういや理一。お前、どうやってこの部屋入ってきたわけ?」
てっきり忍が開けたのかと思っていたけど、後から来た忍が理一の存在に驚いてたってことは違うみたいだし。もちろん俺が開けたわけでもない。
なら、理一は一体どうやってこの部屋のなかに入って来たのだろうか?
「あ、会長権限とかそういうのでか?」
そういえば文化祭のときに使われてない教室の鍵を勝手に開けてたっけ。それが原因で理一と会ってたことワタルにバレたんだよな、と思いつつ言うと「いや、違うぞ」と否定の言葉が返ってきた。
「確かに生徒会役員のカードキーはあちこちの鍵を開けられるようになっているが、さすがに寮の個人の部屋までは開けられない」
プライバシーの問題があるからな、と言う理一に「まあそうか」と納得する。
いくら生徒会とはいえ、一生徒が勝手にその個人の部屋開けられるなんてどう考えても問題がありすぎる。生徒がイイトコのお坊ちゃんばっかだったら尚更だ。
まぁ、もし開けられたとしても理一はよっぽどの緊急事態じゃないかぎり勝手に人の部屋の鍵を開けたりしなさそうだけれど。
「じゃあどうやったわけ?」
「寮監だ」
「……んん?」
寮監?
「寮監の……三和さん、だったか。あの人に事情を説明して、スペアキーを借りてきたんだ」
「あー、なるほど」
言われてみれば、確かに。寮監である三和さんなら各部屋のスペアキーを持っているだろうし、こういった場合はそうするのが一番真っ当というか普通なんだろう。けれど。
「……生徒会長サマが、わざわざ寮監さんからスペアキー借りるとか……ぶっ、くくくっ」
「おい、どうして笑うんだ、ハル」
「いやだって、ねぇ?」
そうしている姿を想像したら、おかしくてたまらなかったんだから仕方ないだろう。
理一だからか? 理一だから逆に、なのか?
クツクツと笑いをかみ殺しながら理一を見れば、どうして笑われているのか納得いかない、と言った風にちょっとだけ拗ねたような顔をしていた。そんな表情がまたおかしくて、俺の笑いを誘う。
やっぱり、なんていうか、理一には「完全無欠な生徒会長様」なんていう肩書は似合わないなと思わされた。
「……あ、そういや」
ふと思い出して、ベッドから起き上がりデスクの引き出しを開ける。ほとんど物の入っていないそこには、入寮してきたばかりのときに突っ込んでからそのままになっている黒い封筒が入っていた。
「ほら、理一。これやるよ」
ムダに高級そうな紙でできたその封筒を取り出して、そのまま理一に手渡す。理一は流れで受け取ってから「なんだ?」と不思議そうに首を傾げた。
封を開けるように促せば、大人しく封筒の中身を取り出す理一。そして、そこから現れた一枚の薄いカードに目を見開いた。
「ハル、これ……!」
「え、なになに?」
状況が飲み込めていないのだろう、身を乗り出してきた忍に、理一は手にしていたものを見せる。
「スペアキーだよ」
ついでとばかりに俺が一言説明を付け加えてやれば「えっ!?」と大袈裟すぎる驚きの声があがった。
「忍はそもそも同じ部屋だし、うーたんは風紀ってのがあるからフツーに会えるし。二木せんせーは担任だからアレだし……俺の身の回りの人で一番会いづらいのって理一じゃん? だったらスペアキー渡しとけば、勝手に部屋入っててもらったりして、ちょっとは会うの楽になるかなーと思ってさ」
突然スペアキーなんてものを渡した理由をそれっぽく説明してみるも、理一は未だに浮かない顔をしていた。
「……いいのか」
「なにが?」
「スペアキー、持っているのが俺でいいのか」
悪用するかもしれないぞ、とクソ真面目な顔で言う理一に、たちまち、さっきおさまったばかりの笑いが再びこみ上げてくる。
「しねぇだろ」
「だが……」
「お前は、そんなことしねぇだろうが」
俺は、理一のことを信じてるから。
「だから大丈夫だよ」
持っとけ、と。スペアキーを持ったまま行き場を無くしていた理一の手を、胸元に押し付けてやる。
そんな自分の手と俺の顔と、理一は数回困ったように見比べたのちに「わかったよ」と諦めの声を上げた。たとえ突き返したとしても俺が受け取らないだろうことに気付いたのだろう。
「ハルがそこまで言うなら、ありがたく預かっておく」
「おう、そうしろ」
理一には見れないだろうパソコンの中身以外、特に見られて困るようなものもないし、避難所としてでも好きに入ってくればいい。そんな風に軽い気持ちでひらひらと手を振れば、どこか満足そうな笑みを浮かべた理一が、ひどく大切そうにスペアキーを仕舞い込んでいた。
06.波乱なう END
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