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『うー@pyon-rab:@meemee-yagisan 俺たちが引退して、ちょっと監視の目が緩んでるとこあるから、気をつけてね』
うーたんからそんなリプライが届いたのは、一月も下旬にさしかかったある日の朝のことだった。
始業式の直後に、新しい風紀委員長にあの秋山くんが任命されてから半月ほど。
たしかにあれ以来、親衛隊員同士のいさかいとかカップルの痴話喧嘩とか、小さなトラブルが頻発しているなあとは思っていたけれど、どうやら実際に、世代交代を迎えたことで抑止力が弱まっているところがあるらしい。
「ふーん、風紀も大変だなあ」
まあ、一応気をつけよ。
――と、その程度にしか考えていなかったそのときの俺を殴ってやりたい。いまにして思えば、あのリプライは俗に言う「フラグ」というやつだったのだろう。
だって、そうでなければ、
「お前が『ヤギチョウヨウ』か?」
「……イエ、ヤギシゲハルですけど」
いま、俺の目の前に久方ぶりの佐藤灯里がいる理由の説明がつかないではないか。
どうして気分転換だとかいうふざけた理由で、せっかくあるのに滅多に生徒が立ち寄らない「無用の長物」として有名な、寮裏の庭園なんかまで散歩に来てしまったのだろうか。後悔しかない。
案の定というか、他には誰もいないし、近くに人がいる気配もなかった。
これは助けは期待できそうにない。
「ていうか、なにか用?」
急に「おい!」と呼び止められたかと思えば、間違えた読み方で名前を確認されて。挙げ句の果てに訂正すればだんまりとか、何の用なんだよ、マジで。
「……おれ、知ってるんだからな」
「知ってるって、なにが」
「クリスマスのあの時、理一とダンスしてたのがお前だってことだよ! おれ、知ってるんだからな!」
ギクリ。こいつ、なんでそんなこと知ってるんだよ。
動揺をかくせない俺に、佐藤灯里はさらに続ける。
「ワタルが好きな『ヤギ』がお前だったってことも! 飛鳥がお前のせいでおれと一緒にいてくれなくなったってこともアカネがおれのこと避けるようになったってことも、ぜんぶ、ぜんぶ……ぜんぶ、知ってるんだからな!」
「えっ、いや……え?」
理一のこととワタルのことはともかく、志摩と本村アカネのことは違うだろう。別にそこ、俺は関係なくないか?
特に本村アカネのことに関しては、詳しくは知らないけれど、あのブラコンにミドリの悪口を言って怒らせた自分が悪いんじゃないのか?
それを俺のせいにされても困る。
ていうか、こいつは俺にどうしてほしいんだろうか。何を求めているんだろう。
ハイその通りです俺のせいですごめんなさい、と謝りでもすれば満足なのだろうか。
一体なんなんだと見返せば、そんな俺の態度が気に食わなかったらしく、佐藤灯里はさっと顔を真っ赤にした。
「いっつもそうだ! どうしておまえばっかり……理一もワタルも飛鳥もアカネも、みんなとられた! なんでいつも、お前ばっかり!」
「いや、とられたってなんだよ」
とるとらないの問題じゃないだろう。もはや呆れてものも言えない。
「言っとくけどな! おれのほうが、お前よりもずーっと先に理一と出会ったんだからな! おれのほうが長い間、理一のこと知ってるんだからな!」
どうだ参ったかと言わんばかりに、佐藤灯里はふふんと鼻を鳴らして胸をそらせる。
「ずーっと」って言っても数ヶ月だろうとか、それを言ったら中等部とかから一緒らしい理一と副会長はどうなんだとか、言いたいことは色々あった。
けれど、それよりも何よりも、あまりにも自分勝手で自己愛に満ち溢れたその姿にカッと頭に血が上ってしまう。
挑発に乗ってはいけない、静観しようと思っていたはずの理性的な自分なんて、一瞬でどこかへ吹っ飛んだ。
「それなら、」
そこまで自信満々に言うのであれば。
「お前は、あのクリスマスのあの時、最初からオレンジ頭のあれが理一だってわかってたのか? 理一のこと、ほんとうにぜんぶわかってるのか? 理一が機械音痴なことや、未だにメールで漢字変換もできないことや、顔文字の出し方も知らないことも、知ってるのか?」
知らないだろうとはなから決めつけた口調で言えば、佐藤灯里はぐっと苦しそうに言葉を詰まらせた。それから、でも、だって、とごにょごにょ言う。
だが、そんな言い訳をする隙なんて与えてはやらない。
「そんなことも知らねぇくせに、そのくせして偉そうな口きいてんじゃねえよ! 俺のほうがよっぽど理一のこと知ってるし、よっぽど! あいつのことを! 好きだっつーーーの!!!」
そもそも、理一の目の下にできていたクマの原因はだいたいお前だろうが。
そんな風に理一を苦しめていたくせに理一を好きと言うだなんて、片腹痛いどころじゃない。
つい我慢できずカッとなって怒鳴ってしまった俺だったが、
「はっ」
ふとあたりを見渡すと、先ほどまでしいんと静まり返っていたのが嘘のように、いつのまにやら大勢の人に囲まれていた。
佐藤灯里や俺の大声を聞きつけてやってきたらしい彼らは、対峙する俺たちからやや離れたところで、ぐるりと円を描くようにしてまわりを取り囲んでいる。
俺を指差しながら
「あれがクリスマスの時の」
「柏木様の、噂の」
と小さくひそひそとささやきあう人だかりの中には、たしかに「あれが柏木会長の親衛隊長だから」とかつてに教えられた小柄な生徒の姿もあった。
(やばい、これはやばいぞ)
俺、佐藤灯里襲撃フラグに続いて理一親衛隊制裁フラグなんじゃないだろうか。
これじゃあうーたんに怒られるやもしれない――じゃ、なくて。
(いやいやいや、待て待て待て? 俺、いまなんて叫んだ?)
確か、理一のことを……。
数秒前のことを思い返し、さあっと冷水を浴びせられたような気持ちになった。
そのとき、視界の隅に捉えていた、理一の親衛隊長らしきその生徒が突如表情を変え、叫んだ。
「危ない、八木くん!」
「えっ」
いま、俺のこと「八木くん」って呼んだ!? と動揺するのも束の間。
ひゅっと風を感じて振り返る―よりも先に、
「おい、何してる!」
迫ってきていた拳をてのひらで受け止めるようなかたちで、今まさに俺を殴ろうとしていた佐藤灯里と俺との間に、二木せんせーが飛び込んできた。
「離せよっ、この!」
「この、はこっちのセリフだっつうの! どいつもこいつも、トラブルばっかり起こしやがって。取り締まるこっちの身にもなれってんだよ」
「うるさいっ離せ! タイバツだぞ、こーいうの!」
「いやいや、体罰って……」
たしかに二木せんせーはジタバタと暴れる佐藤灯里を押さえつけてはいるけれど。
これが体罰とか、認識的にいろいろ大丈夫なんだろうか、佐藤灯里。呆れを通り越してなんだか心配になってくる。
それは二木せんせーも同じだったのか、せんせーは佐藤灯里をがっしりと取り押さえたままはーっと長く息をつく。
「ごちゃごちゃうっせえな、ふざけたことばっか言ってんじゃねえよ」
「ふざけてなんかない! 早く離さないと、キョーイクイインカイに訴えるぞ!?」
「訴えるって、あのなあ……いいか? 体罰っていうのはな、身体に対する侵害を内容とするものや、被罰者に肉体的な苦痛を与えるようなものを言うんだよ。そんでもってな、今お前にしてるこれは、『他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対してこれを制止したり目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使』――つまり、教員に許されている『正当な行為』なんだよ」
教育小六法投げつけんぞゴラ、と二木せんせーは佐藤灯里を一蹴する。
「可愛い教え子一人守れなくて、なにが教員だってんだよ」
「ッ、そうやってあんたも、そいつのことヒイキすんのかよ! みんな、そいつのことばっかり……なんで、俺のことを一番にしてくんないんだよっ!」
「はあ? なに舐めたこと言ってんだよ。誰もがみんなお前を可愛がって甘やかしてくれると思ったら大間違いだっつーの」
「でも、でも、父さんも母さんも、おれはかわいいからって。愛される子なんだって言ってた! いままでだって、なんでもワガママ聞いてくれたのにっ!」
この話から察するに、どうやら佐藤灯里のこのワガママ放題自己中心的なところは、両親の親バカ溺愛教育によるものらしい。
あまりにもあんまりなセリフに頭痛がしてきた。
二木せんせーもぐっと眉間の皺を深くする。いっそ投げ出してしまいたいとその表情が語っていた。
けれど、教員としての崇高な使命感がそれを許してはくれなかったらしい。
いいか、と佐藤灯里を諭し始めた。
「お前の両親がお前のワガママを聞いてくれたのは、そりゃ、家族だからだ。血の繋がった自分の息子はそりゃかわいいに決まってる、大事にするに決まってる。けどな、そうじゃない、家族以外のやつらはそうとは限んねえんだよ。友人、恩師、恋人。そういうやつらは、世界中にいろんなやつらがいるなかから自分を選んでくれて、大事にしてくれてんだよ。
――いいか、よく聞けよ? だからな、どこでも自分が一番になれるわけじゃないし、誰でも自分を大切にしてくれるわけじゃねえんだよ。だからこそ、自分を一番にして大事にしてくれる、無償の愛情を注いでくれるやつがありがたくて、大切なものになるんだよ」
よく覚えとけよこのやろうと最後だけはガラ悪く締める二木せんせーに、周りの野次馬たちはみんな目からウロコといったふうだった。
俺でさえ、なるほどと唸らされてしまう。さすがは国語教師といったところだろうか。
周りの俺たちでさえそうなのだから、直接自分に向けて話された佐藤灯里なんてなおさらであろう。
ひどくスッキリとした、目の覚めたような顔をしている。いつの間にやらジタバタと抵抗することさえやめていた。
珍しく「デモデモダッテ」と言い返すこともなく、素直に二木せんせーを見つめ返している。
変わり果てたその様子に、二木せんせーはようやく佐藤灯里を押さえつけていた手を離して、少し照れ臭そうに頬を掻いた。
「わかったならいいんだよ、わかったら」
二木せんせーのてのひらが、ぽん、と力なく佐藤灯里の頭の上に置かれる。
そのまま数回ぐしゃぐしゃと頭を撫でてやってから、せんせーは俺のほうを振り返った。
「それじゃ、俺はこいつを風紀に連れてくから。また面倒ごとに巻き込まれる前にさっさと帰んだぞ」
じゃあなと軽く片手を上げると、せんせーは、どこか落ち込んだように大人しくなってしまった佐藤灯里を引きずるようにして連れて行ってしまった。
俺には、お礼を言う隙すら与えてくれないままに。
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