例えばこんな

*兵助の過去捏造
*兵助溺愛な五年と六年(not腐)





学園に編入したてのころの話。

小さな時から髪結いの修業に明け暮れていたおれは、教科書に書かれたほとんどの文字を読むことが出来なかった。
辛うじてひらがなとカタカナ、それから髪結いに関係するもの(櫛とか簪とか鋏とか)が読めるくらいで、それを書くとなるともう悲惨。誤字のオンパレード。
最初の頃は面倒見のいい滝夜叉丸や三木ヱ門、喜八郎なんかが読み書きを教えてくれていたのだけど、彼らも自分の勉強が大変そうで。一向に知識を吸収しない脳みそが段々申し訳なくなって、一人で勉強するようになった。

「そこ、漢字間違ってる」

図書室で教科書と格闘していた時に、そう教えてくれたのが兵助くんだった。
この時はまだ委員会があることも風の噂くらいにしか聞いたことが無くて、四年生と一年生くらいしか関わりもなかったのですごく驚いたんだよ。
彼が何年生なのかも分からなかったから必死に滝夜叉丸たちが教えてくれた知識を引っ張り出して、彼の制服が一つ上の学年のものだと分かった。

「あ、ああ、えっと、ありがとうございますっ」

と、なんとかお礼を言えたはいいものの、指摘された自分の字のどこがどう違うのか分からない。
目の前の先輩に訊いてもいいのか、だけど呆れられるんじゃないか、なんて考えて。
筆を持ったまま彼と文字を交互に見ていると、兵助くんは一瞬きょとんとしてから頷いた。
そして、おれの筆を取って。

「正しい字はこうだ。ほら、お前の字はここが反対を向いてるだろ?」
「……あ、本当だ」

さらさらと余白に書かれた文字はとても綺麗だった。
兵助くんに書かれた字を見ながら真似をして書き直すと、兵助くんはにこりと微笑んだ。

「漢字は苦手?」
「う、はい。……おれ、じゃない、ぼく、編入したばっかで。覚えることも多くて……」

愚痴のようになってしまったのは、それだけ疲れていたのかもしれない。
この時はそんなことに気づく余裕すらなかったのだけど。
兵助くんはパチリと瞬きをする。

「そうか、お前が噂の編入生か。じゃあ俺が勉強教えようか?」
「えっ、ええ!? い、いいの!?」
「いいよ、復習になるし。……それに、自分がしてもらって嬉しかったことは、人にもしてあげなさいって教わったしね」

付け足されたような言葉は、おれじゃなくて図書室のカウンターに座っていた怖い顔の六年生に向けられていたようだった。
図書室が私語厳禁だということを知ったのは、それから随分と後のこと。


かくして、奇妙な縁でおれはこの先輩に文字の読み書きから勉強を教えてもらえることになった。
図書室では他の生徒に迷惑がかかるから、という理由で、兵助くんの部屋へ移動する。

「文字はどこまで分かるの?」
「ひらがなとカタカナはなんとか……あと、読むだけなら櫛とか鋏とか」
「なんだ、なかなか優秀じゃないか」

感心したような兵助くんの言葉に驚いた。
おれが文字を読めないと知った時の周囲の反応は、大抵困るか憐れんだ目を向けられるばかりで。
優秀なんて褒められたのは初めてだった。

「んーと、じゃあ取り敢えずは簡単な文字の練習からしようか。……ひらがなとカタカナが大丈夫ならこの辺からでいいかな?」

おれが驚いていることなんて気にも留めずに、兵助くんは自分の机の上から何冊かの古い冊子を取り出す。
渡されたものには下級生が書いたような、つたないバランスの文字が書かれていた。
何度も読み返したのか、ところどころ擦れていたり、ページに癖がついていたり。
内容はちょうど一年生の勉強の範囲で使う漢字のようだ。

「これって……」
「見本」
「え、手書きですよね?」
「ああ……昔、俺の家族みたいな人たちが作ってくれたんだ」

含みのある言い方に首を傾げるも、兵助くんはそれ以上言う気が無いらしくページを開いた。
考える間もなく、ページの中のいろんな形が頭の中をぐるぐる回る。

「これ見ながら先に読み方と書き方を覚えよう。意味を覚えるのはそれからでいいよ。漢字って記号みたいで形を覚えるのにも苦労するもんなあ」

くつくつと笑う兵助君の言葉に、また驚く。
そう、その通りなのだ。
同級生たちは意味と形を一緒に教えてくれるけど、おれは記号のような形の羅列を追うだけでも精一杯で。
それを、この先輩は言うまでもなく理解してくれた。

「先輩ってすごいんだなあ……」
「なんだ急に? はい、じゃあこのページからね」
「はーい」



***



兵助くんに勉強を教わるようになって、ひと月が経った。
兵助くんはとても丁寧に根気強く教えてくれた。しかも自分の努力や苦労を悟らせない人だった。
そのお陰で、おれはあっという間に二年生までの授業内容を理解できるようになった。
あんなに格闘しつつ教えてくれていた親切な友人たちには、少し申し訳なかったけどね。
それもこれも、兵助くんが本当によくおれのことを理解してくれているからだ。
いや、正確には「文字が分からない人のこと」か。
それを自分のように理解していることも、部屋にあったあの手書きの冊子のことも、気にならないわけではない。
でも、そこに踏み込むほど愚かではないつもりだった。

……少なくとも、おれはね。

「知ってるか? 久々知先輩の噂」
「なになに?」
「久々知先輩って、見世物小屋で育ったんだって」
「え! ……まじで?」
「まじまじ、たまたま木下先生に助けられて学園に来たんだってさ。
だから文字の読み書きなんかは同級生や先輩に教わったんだって」
「へえ……ああ、だから斎藤さんに勉強教える気になったのかな?」
「かもなあ。今度は自分が教える側になったから嬉しかったんじゃね」

そんな悪意のこもった噂が立ち始めたのは、おれが兵助くんに勉強を教えて貰ってることが同級生の間でも浸透してきたころだった。
友人たちはおれが兵助くんに教わっていると知っても、「さすが成績優秀な久々知先輩!」「やっぱり教えるの上手いんですねえ」「タカ丸さんがこんなに成長するなんて……久々知先輩すごいなあ」とおれを咎めることなく兵助くんを褒め称えていたのに。
そんな優しい友人たちは、その噂を聞くと必ず眉間に皺を寄せていた。
兵助くんが慕われていることを嬉しく思いながら、だけどおれの所為でこんな噂が立てられたのだと思うと、苦しくて堪らなかった。

「あ、タカ丸さん」
「く、久々知先輩……」

そんな心境の中、食堂で声をかけられて、慌てて振り返る。
考えてみれば、兵助くん以外の部屋で会うのは初めてだった気がする。
いつもはおれが兵助くんの部屋に行くから。

「おおっ、あなたが噂のタカ丸さんか!」
「へっ!?」
「兵助がいつもお世話になってまーす!」
「世話になってないし……」
「いーや、お前のことだから確実に一度は豆腐トークを……」
「三郎、兵助からかうのやめなさい」
「ごめんなさい!」

兵助くんの後ろからぴょんと現れたのは、兵助くんと同じ制服を着た四人。
途端にわいわい騒ぎ始めた四人に圧倒されていると、兵助くんがそれに気づいて苦笑した。

「ごめんな、うるさくて」
「う、ううん! 賑やかな人たちですねえ」
「うん。こんなんでも一緒にいると楽しいよ」
「やだ兵助ったら! 照れる!」
「おい、こんなんって言われたことは無視か」
「うちの子は素直なんですー、三郎と違って!」
「三郎は素直じゃないもんなあ。この前も雷蔵に構ってもらえなくて八左ヱ門に八つ当たりを……」
「わああああ!! おい教育係! 兵助に言っていいことと悪いことの区別も教えとけ!」
「区別ついてるじゃん、ほんと兵助は良い子に育ったよね!」
「勘右衛門てめえ……!」

なんでもない冗談の応酬。
だけどあの噂を聞いてしまったせいか、おれは身体が強張ったのを感じた。

『久々知先輩って、見世物小屋で育ったんだって』
『だから、文字の読み書きなんかは同級生や先輩に教わったんだって』

根も葉もない噂だと笑い飛ばしたかった。
例えそれが本当のことだとしても、だからなんだって言ってやりたかった。
どんな過去があろうと、兵助くんは兵助くんだと。
だけど、肯定も否定もできなかった。
それができるほど、おれは兵助くんを知っているわけではなかったから。

「タカ丸さん?」
「え?」
「大丈夫? 顔真っ青だよ」

心配そうに覗き込まれて、反射的に苦笑した。

「すみません、だいじょう」
「ぶ……って顔はしてないけど……うーん、まあ、無理はするなよ?」
「……ありがとうございます、久々知先輩」

困った顔の兵助くんに笑顔を返した時だ。
彼の後ろに、あの噂を話していた同級生がいたことに気づいた。
さっきの会話を聞いていたらしく、先輩たちを見てこそこそと話している。
嫌な感じがした。

「……ほら、やっぱり……」
「マジか……先輩って……」
「……見世物……」
「おいそこの四年もう一度同じこと言ってみろ!」

会話の内容までは聞き取れなかったけど、兵助くんの話をしているということは分かって。
兵助くんに聞かせないようにさりげなく移動しようとしたのだけど、その前に他の五年生が怒鳴った。

「先輩の話を噂にして楽しいかい?」
「人の出自を笑えるなんて、よほど良い育ちをしたらしいな」
「いやいや、人を笑う時点でいい育ちなワケないじゃん」
「まあ……取り敢えず、」
「「俺達の前で兵助を侮辱したこと、後悔しろ?」」

にっこりと笑う五年生。端から見てても超怖い。
同級生すんごい青ざめてるんだけど!

「ちょ、ちょっと、俺は気にしないから放っとけって言っただろ! 食堂で暴れるなって!」

わたわたとするおれの隣で、兵助くんもわたわたしていた。
止めようとする兵助くんの言葉に、四人は顔を見合わせる。

「……じゃあ、校庭行こう」
「だな。よし」
「いやいやそういう話じゃなくて!」
「やらせておけ、兵助」

完全に瞳孔が開いている五年生を尚も止めようとしていると、騒ぎを聞きつけたらしい六年生が兵助くんの肩に手を置く。
……いつ来たんだろう、全然気づかなかった。

「……立花先輩……」
「ようし、五年! そいつら連れてこい!」
「うちの上下関係をしっかり叩き込んでやらんとなあ!」
「「いえっさー!!」」
「…………もそ」
「『人として教育し直すべきだ』か。さすが長次、いいこと言うな!」
「ちゃんと手加減しなよー」

次々と現れた六年生は、大笑いしながら五年生と共に同級生を引きずって食堂を出て行く。
おれはうわあ超いい笑顔! という感想を抱くことしかできなかった。
兵助くんはその背中に手を伸ばしかけて諦めたように肩を落とし、食堂に残った二人の先輩にジト目を向ける。

「……なにも、あそこまでしなくても」
「なに、ちゃんと加減はするさ。あいつらも先輩なのだからな」
「そうそう、愛の鞭ってやつだよ。ていうか、僕と仙蔵が行かないだけでも充分加減してるしねえ」
「それはそうですけど……」

納得していない様子の兵助くんに、先輩たちは顔を見合わせて苦笑した。

「お前は気にしないかもしれないけどな、私達は毎回あの噂を耳にする度にはらわたが煮えくり返って仕方がなかったのだぞ?」
「小平太とか、留三郎とか、文次郎とか、仙蔵とか、長次とか、止めるの大変だったんだから」
「お前もな、伊作」
「全員じゃないですか……」
「それだけお前が嗤われることに我慢ならん奴が多いということだ」
「ほら、昔教えたじゃない? 仲間を嗤った奴には……」
「……万倍返し」

兵助くんは諦めたように苦笑して、先輩たちに頭を下げた。

「……あの、久々知先輩」

話が終わったのを見計らって声をかける。
謝るなら今しかない、と思った。

「んぉ、タカ丸さんいたの? 喋らないからもうどっか行ったかと」
「ひどい! ずっといましたよ!?」
「おお、タカ丸か。兵助が世話になっているようだな」
「いや、世話になってるのはおれ、ぼくの方で!」
「兵助のことだから何度か豆腐トークして困らせたんじゃない?」
「……みんなしてそう言う……」

むう、と分かりやすくむくれる兵助くんに、先輩たちは楽しそうに笑う。
仲良いんだなあ、と和みかけて、いやいやそうじゃないと考え直す。

「あの、たぶんあんな噂が立ったのってぼくの所為なんだ。あの子たち、ぼくが四年に編入になったのが気に入らないみたいで……だから、あの、すみませ」
「待って。それ、タカ丸さんの所為じゃないよ。なんで謝るの」
「だ、だってぼくが先輩に勉強教わらなければあんな噂立たなかっただろうし、先輩が嫌な思いすることもなかったと思うし、」
「……いや、え? 俺別になんとも思ってないよ?」
「え?」

頭を上げると、心底不思議そうな顔をした兵助くんがきょとんと首を傾げていた。
あんな噂が立ってて、嗤われて、なんとも思ってないってどういうことだ? おれなんか勘違いした? とおれも兵助くんと同じように首を傾げると、おれたちの会話を見守っていた先輩たちが吹き出した。

「す、すまんなタカ丸。こいつ少しズレていてな」
「……私、また変なこと言いました?」
「ううん、大丈夫。まあ、大抵あんな噂立てられたら傷つくものだと思うから覚えときな?」
「はあ、そういうものですか」
「……こういう奴なんだ」

くくく、と笑いながら先輩はそう言う。
ぽかんとしていると、兵助くんはおれを見て少しだけ眉を下げて笑った。

「ずっと気にしてくれてたのか。ごめん、ちゃんと話しておけば良かったかな」
「え?」
「あの噂、本当のことなんだ」

それは、今までの先輩たちの反応からしてなんとなく分かっていた。
兵助くんがおれのことをよく理解してくれた理由も、部屋にあった手書きの見本も。
今ここにいる先輩たちが、根気強く教えてくれたんだろう。おれに根気強く教えてくれた兵助くんと同じように。
きっと兵助くんはひらがなから教わったのだろう。だからおれに「優秀だ」と。

「昔はこの手の噂もよく立っててさ、慣れちゃったというか」
「慣れるな慣れるな」
「慣れていいもんじゃないよー」
「な、慣れるほどひどいこと言われたの……!?」
「そういうわけじゃないけど、昔はほんと常識とか、人の気持ちとか分からなかったから……まあいろいろあったんだよ」
「あー、あったなあ、クラスで孤立したりとか」
「組を越えて大喧嘩したりとか?」
「先輩に喧嘩売ったこともあった」
「あーあったあった!」
「ちょ、先輩方うるさい」

楽しそうに茶々を入れる先輩たちは、からかうように兵助くんを見やる。
兵助くんは不機嫌そうに先輩たちを見るけど、本気で嫌がってるわけではなくて。

「まあ……そういうわけで、タカ丸さんが気にする必要はないから。というか、気にしないで今まで通りに接してくれると嬉しいのですが……」

段々声が小さくなって、それと同じように兵助くんの視線が下がった。
ああ、と納得する。
きっと、その過去が原因で離れて行った友人もいるのだろう。
さっきのおれの同級生と同じように、そういう人はいる。
先輩たちの視線が背中に刺さる。
愛されてるなあ、と笑って、握りしめられた兵助くんの手をそっと握った。

「当たり前だよ! 兵助くんの教え方、すっごく分かりやすいんだもん!」

兵助くんがばっと顔を上げた。
その表情は、嬉しさとか、驚きとか、安堵とか、そういうのが混ざったような……つまり、とても可愛い表情だった。

「兵助のあんな顔、私達でも滅多に見れんというのに……タカ丸のやつ」
「とんでもない子が編入してきたねえ……さり気なく敬語じゃなくなってるし」
「「あと呼び方な」」

あああ先輩たちの視線が痛いなあああ。



***



兵助くんのお陰で、おれは無事に四年生までの範囲の漢字を覚えることが出来た。
あ、忍術の知識が身に着いたかどうかは別としてね。
手書きの冊子は、四年生までで終わっていた。
そんでそのころ、先生に「委員会に所属してみないか」と言われた。
委員会は勉強と両立できると見込まれた生徒しか所属することが出来ないらしい。
思わず「ぼくが!? 大丈夫なんですか!?」と訊いてしまったのはいい思い出。

「……で、なんでうちなの?」
「それがさあ」

先生に訊いたら、先生はびっくりしつつも「条件つきだけどな」と笑った。
その条件が。

「『久々知に面倒見て貰えるなら』……って」
「信頼されてますね!」
「丸投げとも言うよな……面倒って委員会じゃなくて勉強のことだろ……」

おれの成績に比例するように、おれの担任の中で兵助くんの株が物凄く上がったらしい。
兵助くんは少しだけ悩むように上を向いて、一つ頷いた。
初めて話した時と同じ仕草だ、と思い出す。

「まあ、お前は記憶力も悪くないし、真面目で努力家だから大丈夫か。いいよ、うちの委員会入りなよ」

またしても初めて受けた評価だ。
どれも言われたことが無くて驚いてしまう。

「うちの委員会、俺の他には一年と二年しかいないから実は入ってくれて結構助かる」
「……えっ!? 六年生は!? あんなに先輩のこと可愛がってるのにいないの!?」
「……あー、まあ、それとこれとは別。あの人達、委員会対抗のイベントとか本気で来るから覚悟しとけよ?」
「ぅえええええ?」

思わず変な声を漏らすおれに、兵助くんはくすくすと笑った。

「あ、それと、俺に敬語や敬称は使わなくていいよ」
「え? でも……」
「ずっと言おうと思ってたんだけどね。むしろ俺が敬語使った方がいいのかなーって」
「えっ、それはやだ! みんなおれに敬語使うからなんか疎外感あるんだよ!」
「……分かった、じゃあ俺も敬語使わない」
「……敬称も、取ってくれると嬉しいなー……?」
「え……それは保留」
「ええー」

なんて言って笑い合って。
ほんとにここはいい人ばかりだなあ、と先日の光景を思い出す。
先輩たちがキレた日の、翌日だったかな。

『久々知先輩、斎藤さん!』
『本当にすみませんでした!』

土下座せんばかりに下げられた頭と、ぼろぼろになった姿。
噂を流したおれの同級生たちは、しっかりとお灸をすえられたらしい。

『だ、大丈夫か? ……ごめんな、あの人達止められなくて』

そんな心身ずたぼろの状態に兵助くんが優しい言葉をかけるものだから、二人は目を潤ませてしまって。

『う……ほんとに、ほんとに申し訳ありませんでした……!』
『っぼくら、最近成績が悪くて……!』
『斎藤さんに優秀な久々知先輩が勉強教えてるって聞いて、嫉妬して……!』
『本当にすみませんでした……!』
『斎藤さんも、ほんとにすみません……!』
『言い訳だけど、段々成績が上がる斎藤さんに焦ってたんです……! すみませんでした……!』

と、半泣き……いや、あれは本泣きだったか……。で、謝られた。
ほんとに土下座された。
後輩に泣かれたことにおろおろした兵助くんは、慌てたようにおれを見て、二人の背後を見て、空を見て、もう一度おれを見て、「よし」と呟いた。

『じゃ、じゃあ、これから先、勉強に躓いたらおいでよ。俺の分かる範囲のことなら勉強見てあげるし。タカ丸さんの予習復習にもなるし』
『あ、それいいね! おれも勉強のこと聞きやすくなるし』

兵助くんの提案に同意すると、二人は勢いよく顔を上げて、優しく微笑んだ兵助くんを見るとまたぼろぼろと泣き出した。

『……っ俺らはこんないい人たちになんて酷いことを……!』
『もう最低だ……ぼくら最低だ……!』
『えええまた泣いた! ちょ、もう俺後輩の扱いわかんない! タカ丸さん!』
『ちょちょちょ、いやおれだって分かんないよ! なんで泣いたの!?』

……まあ、少してんやわんやしたものの、無事に彼らとは和解できて。
彼らのお陰で、少し距離のあったクラスメートとも仲良くなった。

今では兵助くんに勉強の質問をしに行く四年も増えて、五年生や六年生が微笑ましく見守っているのをよく見かける。
ほんとに兵助くん大好きなんだなあ、と思ったもんだ。
おれには今でも時々冷たい視線を寄越されるけど。……十五歳だからだろうか。

まあ、でも。

「さ、じゃあ早速委員会行くか」
「うん!」

学園に編入して良かった、とは、ずっと思ってる。





*****




「まあこの後いろいろあってねえ、三郎次くんがおれに塩まいたり啖呵切ったりするんだけど」
「えっ、タカ丸さんなんかしたの」
「久々知先輩に馴れ馴れしかったので、つい条件反射で」
「条件反射で塩まかれるおれ……」
「十五歳、しっかり」
「兵助くん慰める気ないでしょ!」
「わりと」
「正直ですねえ」

肩を落としたおれの肩を、守一郎がぽんと叩く。
いつもの如く火薬委員会で勉強会をしていると、いつの間にか守一郎も混ざっていた。
今日は珍しく委員会がないらしい。

「それにしても、ここに来る人って金持ちばっかだと思ってたけど、先輩みたいな人もいるんですねえ」
「まあ、どの学年にも一人か二人はいると思うよ。文字すら読めないってのは少ないかもしれないけど」

兵助くんの部屋にあった冊子を守一郎が見つけたことで始まった昔の話。
聞き終えた守一郎は、そうあっけらかんと言って手書きの冊子をパラパラとめくる。
兵助くんの過去については別になんとも思わなかったようだ。まあこんなご時世だしね。

「おーい久々知、守一郎知らな……あ、いた」
「食満先輩。委員会ですか」

急に木戸が開いたと思ったら、食満先輩が現れた。
ていうか守一郎を探しに兵助くんの部屋に来るって……そんなに頻繁にここに集まると思われてんのかなあ?
食満先輩は、兵助くんの問いに乾いた笑いを漏らす。

「小平太と綾部がなあ……なんか知らんがテンション高くてな……」
「あ、はは……大変そうですね」
「……火薬は、なにしてんだ? 恒例の勉強会?」

こ、恒例だと思われている……!
暇な委員会だと認識されてるよ! その通りなんだけどなんか複雑!
なんて百面相をしていると、兵助くんはちらっとおれを見て食満先輩に笑みを向けた。

「ええ。火薬委員たるもの、もっと火薬の知識を深めないと、と思いまして」

火薬の勉強じゃなくて普通に宿題を見て貰ってたんだけど、なにやら兵助くんと食満先輩が無言の攻防戦を繰り広げ始めたので黙っておく。
たぶん委員会が終わってると言ったらもれなく用具委員会お手伝いコースになるんだと思う。
守一郎もその辺は察したのか無言のままだ。
三郎次くんと伊助くんはおれが気に掛けるまでもない。しっかりした子たちだ、ほんと。

「……くそ、口だけ達者になりやがって……」

食満先輩が悔しそうに眉を寄せた。
視線だけの口喧嘩は兵助くんが勝ったらしい。
……兵助くんなんて言ったんだろう。

「しゃーねえ、守一郎行く、ぞ……? ……あ?」

そのまま守一郎に視線を戻した先輩は、守一郎を見て目を丸くさせた。
思わずおれたちも先輩と同じように守一郎を見て、……兵助くんが叫んだ。

「ああああああ!?」
「え、おま、え、これって、おま、あれか? お前が一年の時に俺らが作った、」
「守一郎なんでまだ持ってんの!?」
「や、ちゃんと仕舞ってから委員会行こうと思いまして」
「なんでこういう時だけ几帳面なんだよ! いつもは片付けないだろ!」
「えー、だって先輩の大切な物みたいだったんで」

そうかー、あの見本は先輩たちが作ったのかー、と思いながらぎゃいぎゃい言う三人を見守る。
その隣で、後輩たちも同じくのほほんと静観していた。

「久々知先輩があんなに慌てるのって珍しいですねえ」
「まあ、でもこれはちょっと恥ずかしいかもなあ……」
「そういえば君たち、兵助くんの過去知ってたの? ほとんど反応なかったけど」
「「まあ、忍びの本分は情報収集なので」」
「というか、一時期下級生の間でも噂になってたんですよ」
「上級生の耳に届く前にもみ消しましたけどね」
「……そ、そうなの」

やっぱりこの子たち、しっかりしてらっしゃる。

「おお……こんなに綺麗なまま取っといてくれちゃって……もう捨てたと思ってた」
「や、つうか、ふつう捨てられないでしょ……自分のために作ってくれたもんなのに」
「……。……やっぱお前可愛いなー」
「…………」

不貞腐れたように眉を寄せる兵助くん。さっきとは反対だ。
と、食満先輩の目がいたずらっ子のようにキランと光った。
わあ、嫌な予感!

「仙蔵たちに教えてやろっかなー」
「ん、なっ……! 汚い! 用具委員長汚い!」
「なんとでも言え、用具委員会は絶賛助っ人を募集している」
「っ……ああもう分かりましたよ手伝えばいいんでしょ手伝えば! そんかし絶対他の先輩には言わないでくださいよ!」
「分かった分かった、必死だなーお前」

ごめん、とおれたちに謝る兵助くんに、苦笑しつつ大丈夫だと返す。
うちのリーダーの弱みを握られてしまったのなら仕方ない。

「でも、本当に大切にしてらっしゃいますよね、それ」
「文字が擦り切れるくらい使い込んでるのに傷一つないですもんねえ」
「確かに、五年前に二年生が作ったとは思えませんよこれ」
「え、あ、うん、まあ、ねぇ……?」

テキパキと部屋を片付けて、兵助くんの困ったような声を背に、先に部屋を出て行った食満先輩を追いかける。

「食満先輩。あの見本、ぼくも使わせてもらいました。ありがとうございます」
「お、おお。役に立ったなら良かったよ」
「はい、あれがあったからぼくも四年生までの漢字を覚えられましたあ」
「……あいつ、全部取ってんのか」
「ところで、なんで五年生以降のものは作らなかったんですか?」
「ああ……久々知にある程度の知識がついてから、文次郎が自分で調べるってことを教えてなあ……それからはもう水を吸うスポンジの如く、いろんな知識を吸収しちまって」
「お役御免、ってわけですか」
「そういうこと」
「……んー、でも、兵助くんはもっと先輩たちからいろんなことを教わりたいみたいですけどねえ」

きょとんとこちらを見る先輩の顔に、思わず笑う。

「ぼくも、父から……家族から、たくさんのことを教えてもらいました。今も、家族に学びたいと思うことはたくさんあります。
……兵助くんも、きっと同じだと思いますよ?」
「……それって……」

戸惑った様子の先輩に無言の笑顔を返すと、先輩は一瞬目を瞠って、苦笑して俯いた。

「……俺ら、ここに来る前の久々知のこと、なんも知らなくてさ。あいつも言わねえから、いや、言いたくないだけなんだろうけど……。
だからさ、そんなに信頼されてるなんて思ってもみなかった」
「……信頼してなかったら、兵助くんはあんなに真っ直ぐに育ってなかったと思うよ」

委員会中とか、食事中とか、おれと初めて会ったときとか。
兵助くんは、先輩たちが教えてくれたことを素直に身に着けている。
それだけでも、六年生と五年生が兵助くんをとても可愛がっていること、兵助くんがそんな彼らをとても慕っていることが分かる。

「……そう、か」

嬉しさを噛み締めているらしい声に微笑む。

兵助くんの、ここに来るまでの話はおれも聞いたことがない。
たぶん、兵助くんも誰にも言うつもりはないんじゃないかと思う。
だけどここにきて、もしかしたら貰ったこともなかった愛情を、たくさん受けて。
勉強だけじゃない、たくさんのことを教わって。
そうして、あんなに優しい表情が出来るようになったのなら。

「兵助! これ終わったら一緒に飯食おうな!」
「え、……は、はい!」
「兵助くん、嬉しそうだ」
「ですねえ」

今の兵助くんは、とても幸せなのだろう。







――
落ちが……思いつかないっていう……。
そんで凄い長くなったごめん!久々にこんなに文字書いた気がする。
食満先輩に本を朗読してもらう兵助とか、立花先輩に手を持ってもらいながら字の練習する兵助とか、小平太に犬のように頭わしゃわしゃされる兵助とか、を書きたくて書いたのに結局書けてねえ!笑
なんとなく兵助はいろんな人に似てるなあと思う時があるので、こんな過去があっても面白いなあ、と。
書いててとても楽しかったです。

ではでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!


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