大丈夫



何をやっても上手くいかない。
自主勉強も鍛錬もいつもの倍以上やっているのに、結果がついてこない。抜き打ちテストで喜八郎に抜かれた時は、三木ヱ門も驚いていた。
三木ヱ門は慰めてくるし、喜八郎は私の苦労も知らず蛸壺を掘り続ける。タカ丸さんも「仕方ないよ」なんて笑う。その誰もにどうしようもなくイライラした。
狭量だとは自分でも思う。だけど、私が悪いとは思わなかった。

委員会に行っても、七松先輩は好き勝手に行動して後輩達を放置するし、三之助は私の言うことを聞かず正反対の方向へ走って行く。四郎兵衛と金吾は体力が保たず、最後の方になると私が背負う羽目になる。
みんな、当たり前のように私に苦労を押し付ける。
それなら私が消えれば、みんな私のことを分かってくれるだろうか。

「滝夜叉丸?」

委員会の後、後輩を送り届けてから部屋に戻る気になれずふらふらと歩いていると柔らかい声が聞こえて振り返る。

「久々知先輩」

暗くて気付かなかったが、私はいつの間にか焔硝蔵の方まで来ていたらしい。
控室から久々知先輩が顔を覗かせていた。灯りが漏れているのを見て、まだ仕事中なのかと驚く。

「火薬? 夜間鍛錬は良いけど気をつけろよ」
「あ、いえ、違います」

焔硝蔵の鍵を取り出す先輩に慌てて手を振ると、先輩はきょとんと首を傾げた。

「じゃあ三之助? ここには来てないよ」
「すみません、別に用があるわけでは無いんです……失礼します」

苦笑を零しながら背を向ける。しかし、去ろうとした途端がしりと腕を掴まれた。

「滝夜叉丸、暇なら仕事手伝って?」
「…………は?」

自分でも、随分間抜けな声が出たなあと思った。

「いやあ助かるよ。タカ丸にやらせたら今日中に終わらないからさ」
「はあ……」

結局、私は出庫依頼状を整理していた。
目の前には満面の笑みの久々知先輩が書類を書き殴っている。なんの書類までかは分からない。

「あ、それはこっちね」
「はあ……」

けれど、正直本当に仕事で少しほっとした。
久々知先輩は私が落ち込んでいたことにも恐らく気付いていただろうから、話を聞くと言われれば話すしか無い。
でもこの人はとても優秀で、話したって私の気持ちなんざ分からないだろう。
この人には話したくなかった。

「あの、先輩これは……」
「あ、それはここ。で、これはこっち」
「分かりました」

先輩に言われるがまま淡々と仕事をこなす。在庫確認だけが仕事だと言うが、それが意外と大変なんだと知った。

「普段からこんなに忙しいんですか?」
「いや……今日は偶然仕事が重なってな。出庫依頼状だけじゃなくて委員会会議の議事録とか予算案も纏めないといけないし」

そこで言葉を切ると、先輩は眉尻を下げて困ったように笑う。

「……先輩方ならもっとうまくやれるんだろうけどね」

その言葉に目を瞠った。
久々知先輩でもそんなことを思うのかと。優秀だから私の気持ちなんて分からない、と思っていたけれど。

「先輩でも、落ち込んだりするんですね」
「そりゃ、俺だって人間だし。、なんで俺にばっか仕事を押し付けるんだとか、俺が消えたら俺のこと理解してくれんのかな、とか思ったこともあるよ」
「え……」

それは、さっきまで私が思っていたことと全く同じで。
驚いていると、久々知先輩は少しだけバツが悪そうに苦笑した。

「六年生と五年生には内緒な。滝夜叉丸が落ち込んでたから口が滑った」
「わ、私のせいですか!?」
「だって落ち込んでたから」
「そうですけど!」
「でも俺に優秀ってレッテル貼って話そうとしなかったし」
「そうですけど! ……あ」

慌てて口を抑えると、久々知先輩は噴き出すように笑う。
つられるように、私も笑った。

「なんだか、久々知先輩も同じことを思っていたと知って気が楽になりました」
「そう? なら話して良かったかな」
「はい。もう少し、頑張ってみようと思います」

そう言うと、久々知先輩はぽん、と私の頭に手を置いて。

「月並みな言葉かも知れないけどさ。みんな、お前には感謝してると思うよ。滝夜叉丸が頑張ってるの、俺でも知ってるくらいだし」

お疲れ、と言った。
その、優しい声と柔らかい笑みに、思わず。

思わず、涙が溢れた。

「!? す、すみませ……っ」
「……いいよ、擦ったら腫れるから今のうちに泣いとけ」

泣いている間、久々知先輩はずっと頭を撫でてくれていた。
その手は七松先輩より小さいけれど、七松先輩に負けないくらいたくさんの傷や肉刺があって。
委員長代理を務めながらも「秀才」と呼ばれる先輩は、きっと私の予想を遥かに超える努力をしているのだろう、と知った。

「……すみません」
「気にするな。後で目元は冷やしておけよ? 七松先輩や喜八郎にバレたら俺が怒られる」
「そうなったら本気で止めますので大丈夫です」
「頼むぞ」

なんて笑い合っていると、控室の木戸が音を立てて開かれる。
二人してそちらを向けば喜八郎が立っていた。

「喜八郎」
「……あれまあ。先輩、滝夜叉丸を泣かしたんですか?」
「違う! 久々知先輩は、私を慰めてくれていたんだ」

喜八郎は私を見留めて安心したような表情をしたあと、久々知先輩を睨みつけた。
慌てて弁解すると、つまらなさそうに目を逸らす。
失礼だと叱ろうとすると、先輩が笑いながら私を止めた。そのまま喜八郎に視線を向ける。

「喜八郎、滝夜叉丸を探しに来たんだろう?」
「え?」
「……そりゃあ、こんな時間になっても帰ってこないし。七松先輩に聞いたら委員会は終わってるって言うし」
「……心配、してくれたのか?」

目を瞬かせながら尋ねると、喜八郎はもう一度久々知先輩を睨んでから「帰るよ」と私の手を引いた。

「え、ちょ、喜八郎! 久々知先輩、ありがとうございました!」
「うん。二人とも、おやすみ」
「おやすみなさい!」

穏やかに笑って手を振ってくれる先輩に頭を下げて、喜八郎に手を引かれ歩く。
喜八郎は何も言わないけれど、泥だらけの制服を見て私は嬉しくなった。

少しだけ余裕が出来た心で見てみれば、みんな私を見てくれていたのだと気が付いた。
同級生も委員会のメンバーも、ずっと私を心配してくれていた。
知らなかったのは、私の方だったのだ。

「喜八郎」
「なに」
「ありがとうな」

笑ってそう言うと、喜八郎は繋いだままの私の手を強く握り返した。







控室で、兵助は途中だった仕事を再開する。
最近落ち込み気味だった後輩も、きっともう大丈夫だろう。

「久々知、すまなかったな」
「……やっぱり聞いてらっしゃいましたか」

音も無く下りてきた小平太に、兵助は書類から顔を上げずに苦笑する。
小平太が後輩の様子に気付いていないはずがない。ずっと見守っていたのだろう。

「今回は私ではダメだったからな」

滝夜叉丸が落ち込んでいた原因の中に、自分も入っていると知っていたから。
だから、滝夜叉丸と無関係の誰かに託すことにしたのだ。
それが兵助だったのは偶然に過ぎないが、結果として滝夜叉丸は立ち直った。
ありがとうな、と笑う小平太に兵助はちらりと目を向ける。

「……次の予算会議は協力してくれると助かります」
「……ああ、期待しておけ!」

求めてきた「見返り」に小平太は一瞬目を丸くして、笑顔で頷いた。
文次郎や仙蔵が「可愛いけど可愛くない」と称していた理由が分かった気がする。
書類から顔を上げない兵助に小平太は一つ息を吐くと、立ち上がり、兵助の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「ちょ、」
「私達も、お前が頑張っていることは知っているからな」

仕事が少ないとはいえ、一番危険で一番責任の重い委員会。一年生と二年生と一年生と変わらない編入生の教育をしながらも、その活動が滞ったことはない。しかもその上で、「優秀」の名を落とさない。
それがどれだけの努力の上で出来ているのか、六年生は分かっている。分かっているし、認めている。だからこそ、出来ると思っているからこそ、仕事を頼むのだ。

「……ありがとうございます」

全部言わなくても伝わっただろう。
背中越しに聞こえた声は、感情を押し込んだように低く、くぐもっていた。
自分がこの場から去れば、きっと涙を流すのだ。人前では決して泣かないのだから。

確かに、可愛くて可愛くない。










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ここまで読んで頂きありがとうございました。


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