縺
図書室から出てきた兵助に、庄左ヱ門と彦四郎が声をかけた。
珍しいと思っていたら、これまた珍しい内容だった。
「「鉢屋先輩の変装を見抜く方法を教えてください!!」」
「…………三郎はまた何かしたのか?」
どうやら二人とも、三郎に何かされたわけではないらしい。慌てて訂正する二人に兵助はホッと息をついて、後輩達を促す。図書室の前で騒がしいと沈黙の生き自引きに睨まれる。
歩きながら、兵助は再び二人に尋ねた。
「それで、なんでおれに? 勘右衛門や雷蔵のほうが良いと思うけど」
勘右衛門は同じ委員会だし、あいつの方が聞きやすいだろう。
兵助が言えば、庄左ヱ門と彦四郎は顔を見合わせた。
「それが、ぼくらも最初尾浜先輩に聞いてみたんですが……」
「尾浜先輩が"久々知先輩に聞いてみろ"と仰られて……」
「勘右衛門が?」
兵助は一瞬目を丸くして何かを考え込んだようだった。しかしすぐに溜息をついて、申し訳なさそうに後輩達を見やる。
「なんで勘右衛門がそんなことを言ったのかは分からないけど……おれは役に立てそうにないかな」
「え?」
「おれは三郎の変装を見抜くことができないんだ」
この間も騙されてねえ、と眉を下げて笑う兵助に、庄左ヱ門と彦四郎は顔を見合わせた。
勘右衛門が言うからには兵助は何か重要な方法を知っているのだと思っていたが、まさか見抜けないとは。二人は他の五年生ーー勘右衛門や雷蔵や八左ヱ門が、三郎の変装を見抜くところを見たことがある。六年生や教師達もだ。だからまさか、同じ五年生の兵助が三郎の変装を見抜けないなんて夢にも思わなかったのだ。
「え……っと、本当に見抜けないんですか?」
「見抜けないよ。雷蔵と間違えるのなんてしょっちゅうだし、お陰でよくからかわれる」
笑い話のように言うが、庄左ヱ門も彦四郎も少しショックな話だった。
上の学年の中でも、五年生は特に仲がいい。見かける時はよく一緒にいるし、あまり喧嘩もしない。中でも兵助を含めたあの五人は特別な絆があると思っていた。
でも、兵助は三郎の変装を見抜けないと言う。あの優秀な兵助が、だ。
それはつまり、自分達も三郎のことを見抜くことはできないのだろうか。
不安を不安のままに残さない。庄左ヱ門はそういう質だった。
「長い付き合いでも分からないものなのですか?」
表情で不安を感じ取ったのか、兵助はゆっくりと笑みを消した。二人の様子を彦四郎は心配そうに見つめる。
「……二人は、"人"をどう認識する?」
唐突に言われたことに、二人はきょとんと固まる。
兵助は緩やかに口元に笑みを浮かべた。
「例えばさ、おれが火の事故に巻き込まれたとする。全身火傷で皮膚はただれて、喉も焼けて声はガラガラになるだろう。髪も焦げて、誰だか認識できないくらいになったとする。
そうなったら、君達はおれのことをどうやって久々知兵助と認識する?」
言われた言葉をゆっくり考えてゾッとした。
兵助は火薬委員会。それでなくとも、夏休みに大怪我を負っている。兵助に限らずどんな人でも事故に巻き込まれる可能性はあるのだ。
二人の不安を見て取ったのか、兵助は困ったように笑った。
「例えばの話だよ。それに本題はそちらじゃない。顔や声が分からない状態で、君達は人をどう認識する? って話」
「あ……そうでした」
「ちょっと例えが過激すぎたかな」
「いえ、……ちょっと怖かったですが」
素直に言った彦四郎の頭を撫でて、兵助はごめんごめんと笑みを深める。
空気がほわりと緩んだところで、庄左ヱ門と彦四郎は改めて兵助の問いを考えた。
顔も声も分からない状態で、どうやってその人をその人だと断じる?
「……意思疎通が取れれば簡単ですよね」
庄左ヱ門が考えながらぽつりと呟く。彦四郎も頷いた。
「うん。ぼくらは久々知先輩がどんな人なのか知ってるから、話ができればきっと久々知先輩だって分かるよね」
「だよね。でもだめなら……手の形を覚えておくとか?」
「あとは、体の傷とかほくろの位置を知っておく?」
「それもいいかも」
うんうんと二人してあれこれと話す。途切れたところで兵助を見ると、兵助はどこか楽しそうに笑っていた。
当たりだろうか? 庄左ヱ門と彦四郎は顔を見合わせる。二人の視線に気付いて、兵助はどこか遠くを見るように言った。
「どれも当たりで良いと思う。要はさ、顔と声だけがその人を認識する要素ではないってことだよ。おれはそう思ってるし、だから三郎の変装は見抜かない」
見抜"け"ない、ではなく見抜"か"ない。
兵助がそう言ったことで、なんとなく言いたいことが理解できた。
おそらく兵助は、庄左ヱ門達と根本的な考え方が違うのだ。庄左ヱ門達は三郎の変装を見抜きたいと思っていたが、兵助はきっとそんなことを考えたこともない。
何故なら三郎が誰かに成り切っている時は、「三郎がそうしたい時」だから。三郎が三郎として接したい時は、誰の顔をしていても、誰の声をしていても、鉢屋三郎として接してくるから。
庄左ヱ門も彦四郎も、鉢屋三郎を知っている。
顔を知らなくても声を変えることができても、三郎がどんな人なのか。どんな時に笑って、どんな時に怒るのか、よく知っている。
勘右衛門が庄左ヱ門と彦四郎を兵助の元へ行かせた理由が分かった。
庄左ヱ門と彦四郎は顔を見合わせて頷く。
これからも鉢屋三郎を知っていこう。何を考えているのか、どんなことを思っているのか。そして覚えていこう。手のひらの形や、傷の数を。
そうすればわざわざ変装を見抜こうとしなくても、きっと分かるようになる。
「「久々知先輩、ありがとうございました!」」
揃って頭を下げると、兵助はにこりと笑って手を緩やかに振った。
気付けばここは一年長屋。どうやら兵助は図書室から送ってきてくれたらしい。気付かなかった。
二人はもう一度兵助に頭を下げて、長屋に戻って行った。
そして、二人を見送る兵助の背後に気配が一つ。
「愚かとしか言いようがない」
「そうですか? 及第点だと思いますけど」
振り返らず、驚くこともなく。気付いていたのだろう。
優秀なのに、どうしてこいつはこうも馬鹿なのか。
仙蔵は溜息をついた。
「あの子らは、きっとお前より先に見抜けるようになるだろうよ」
「それなら重畳。あの子達は良い忍になりますね」
「…………お前は、鉢屋に殺されても良いのか?」
見抜かないということは、敵になっても分からないということだ。
信じていると言えば聞こえはいい。だが命のやり取りもあり得る戦場で、一瞬の判断が命取りになるかもしれない場所で。
鉢屋三郎がいつでも味方であるとは限らない。
「三郎とやり合ったら殺されると思われてるんですか? 心外だなあ」
「お前な」
茶化すような物言いに呆れると、兵助は笑いながら振り返った。
「もしこの先あいつとやり合うことがあったらーーおれが分からなかったとしても、あいつはきっと、鉢屋三郎として対峙してくれると思うんです」
世間話でもするように、さらりと。
言われたことが、一瞬飲み込めなかった。
「は、」
「甘いですかね?」
へにゃりと眉を下げる兵助。微かに息を吸う。
「甘いな。お前はそんなに甘かったか、久々知」
その時。
兵助の視線が微かに揺れた。
「(あ、)」
バレた。
「……し、失礼します立花先輩!」
「あっ、おい待てへい……っ」
即座に背中を向けてしゅばっとどこかへ消えた兵助に、伸ばした手は届くことなく。
仙蔵は、溜息をついてその面を取った。
「珍しくバレちゃったねー」
「なんでバレたんだ……」
「さあ? まあ立花先輩って火薬繋がりで兵助と関わり多いし、なんか違和感あったんじゃないの?」
「不覚……」
さらりと現れた勘右衛門は、いつもの顔に戻りながら唸る鉢屋三郎に笑いかけた。並んで五年長屋の方へ歩き出す。
「お前も懲りんな。兵助にそれ系の忠告は無意味だって」
「いや、分かってはいたが……あんなストレートに信頼が返ってくるとは……」
「覚悟した上でアレなんだから、ほんと参っちゃうよねえ」
からからと笑う勘右衛門に、三郎は苦虫を噛み潰したような顔をする。
兵助に釘を刺そうとしただけだったのだ。あいつの甘さはいつか足元を掬われる。
しかし、返ってきたのは信頼。覚悟を持った甘さは、自分達が手に入れられなかったもの。だからこそあいつは眩しい。時々苦言を呈したくなるほどに。
「全く、あいつには敵わないな」
溜息をつく。だがその顔は、優しく微笑んでいるようだった。
「実力差以前に、三郎は友を手にかけられるのかが問題だな。お前達は全員そうだが」
「……まあ否定はできませんね。覚悟なんて、結局その時にならないと決められないものですよ」
一年長屋の屋根の上。一体どこから聞いていたのか涼しげな顔の仙蔵の傍ら、軽々と捕まった兵助は不貞腐れた顔のまま言った。
「なんだ、本人に聞かれたことがそんなに嫌だったのか?」
「そりゃ嫌ですよ……あ〜あいつに聞かせる気はなかったのに……」
「それも覚悟していただろう。何を今更」
「複雑なお年頃なんですぅ……!」
「恥ずかしかったんだな」
赤い顔を抱えた膝に埋める兵助に、仙蔵は眉を下げて笑う。
気持ちはわかる。仙蔵だって秘めていた思いを隠れて聞かれていたとしたら羞恥で暴れ回っていただろうし。
「でもあれは本心なんだろう?」
「だからこそ聞かれたくなかったんですよ……」
変装していたとしても、自分と命のやり取りをするならあいつは正体を現す。
傲慢な発言だ。言ってみれば、三郎は兵助には必ず真正面から挑んでくるだろうということなのだから。
だが仙蔵は、傲慢とは思わなかった。事実そうなのだろうと思うだけだ。成績トップツーの二人が、その実力を誰よりも認め合っていることはよく知っている。
「甘いですかね?」
ようやく赤みが治まった兵助が、遠くで遊ぶ一年生達を目で追いながら呟くように言った。
「甘いな」
仙蔵は笑う。
「だが、お前達はそれでいいんじゃないか。
だからお前も考え方を改める気はないんだろう、兵助」
兵助は横目で仙蔵を見て、口角を上げた。
ーー
縺(れん)(もつ・れる)
糸が絡み合う様。転じて、物事が複雑に絡み合っている様子。
書きたいシーン全部盛りしたらまとまりがなくなったよ!の図。
上級生は複雑なお年頃なんです。
なんか感想漁ってたら「兵助は三郎の変装見抜けないんじゃね?」的な話があって、そこから広げた話でした。
見抜かないっていうか、そもそも見抜く気がないというか。そのまま見たものを受け入れてる感じ?「こいつ三郎か?」っていちいち疑わないんだと思う。忍務中は別として。
なんでかって言ったら、三郎は変装しててもいつも三郎として接してくるから。だから疑う必要がないんだよね。っていう。(だから騙される)
見てるところが違うので見抜くも見抜かないもないから、たぶん兵助の「見抜かない」って言い方は五年の誰かに言われたことをそのまま言ってるんじゃないかなー。感覚的な言語化って難しくて、他の人に言われたことをそのまま引用するのあるある。
原作とかいろんな媒体見てると、三郎って結構兵助のこと気に入ってる感じがするんですよね。お互いの実力を一番認めてるの好き。
なんとなく雷蔵達は三郎のことを認めつつ適材適所的に自分の能力を伸ばそうとしてるイメージで、兵助は最初から今までずっと全部のことを頑張ってるイメージかな。で、三郎も兵助と同じ。なので認め合ってるし実力面においてめちゃめちゃお互いを信頼している。放っておいても大丈夫的な。
そんな感じ。
あと六いは他の五年(後輩)がいないとこでは兵助呼びする疑惑がずっとあるので、その小ネタを。
六年は五年のこと案外信頼してるところが原作では垣間見えて良いです。
では、ここまで読んでくださってありがとうございました!