十五夜草

*「紫苑」の久々知視点、「紫苑」を読まなくても大丈夫だと思いますが読んだ方が分かりやすいと思います
*年齢操作、卒業後捏造
*死亡・怪我描写










淡い紫の花を見ると、あの日のことを思い出す。
俺が、生涯愛した人との、
一瞬だけの、最期の逢瀬を。




十五夜草




恋仲になったのは、四年生の終わり頃だった。
告白してきたのは向こうだ。白い雪の中、照れて赤くなった頬をよく覚えている。
俺が頷くと、先輩は驚くより先に首まで真っ赤になって、俺も頬が熱くなって。そのあと何度も確認してきたからその慌てっぷりに吹き出すと、先輩も困ったように笑ったのだ。
それが始まり。
俺も先輩もその頃から優秀だと言われていたし、上級生だったということもあって何かと忙しくて逢瀬の時間は少なかった。
それでも先輩と目が合うだけでも嬉しくて、話せた日には友人達に呆れられるくらい浮かれた。一緒に夜を過ごせた日には、幸せで溶けてしまうと本気で思ったくらいだ。
あの頃は本当に幸せだった。先輩の新しい面を知る度、俺だけの特別を見つける度にますます好きになった。
だけど、俺はまだまだ子供だったのだ。

先輩が六年生になって、俺が五年生になった時。
俺は忍として生きることの厳しさを知った。
同時に、先輩の気持ちにも気付いてしまった。
きっとこの人は、学園を巣立ってしまったら俺を振り返ることすらしない。学園にいる間だけの、恋愛ごっこで終わらせる気なのだと。
文句は言えなかったし、言う気も無かった。
たぶん俺も、この気持ちを抱えたまま忍の道を行くのは無理なのだと分かっていたんだろう。
恋愛と仕事を両立するには、俺達はお互い不器用すぎた。

先輩が卒業する日、せめて笑って見送ろうと思った。
これで最後。それなら、先輩が最後に見る俺は笑顔が良い。
苦しい気持ちも辛い気持ちも押し殺して「ご卒業おめでとうございます」と笑った俺に、先輩は苦笑して「おう」とだけ返した。
恋仲らしい会話も、別れの言葉も無かった。
それで終わり。



学園を卒業して二年も経たないうちに、俺は学園に戻ることになった。
忍務で敵と交戦になり、大怪我を負った。本気で死を覚悟した程の怪我で、助かったのは、偶然通りがかった七松先輩が学園に運び込んでくれたからだ。
敵とも味方とも関係が無かった七松先輩は、本当に偶然そこを通りがかって、意識の無い俺を見つけて助けてくれたらしい。「肝が冷えたぞ。ま、無事でよかったな!」と七松先輩は意識の戻った俺に変わりなく笑った。
学園にはまだ面識のある後輩達もいて、毎日のように見舞いに来てくれた。食堂のおばちゃんや小松田さんにもお世話になった(特に小松田さんは、七松先輩が担ぎ込んで俺が血みどろだった状態を最初に見た人なので物凄く心配された)。
そうしていろんな人に助けられて命だけは取り留めた、けれど。

一番傷の酷かった右腕は、もう動くことは無かった。

それはつまり、もう二度と忍としてやっていくことは不可能だと言うことで。
子供の頃からこの道しか知らなかったから、かなり荒れたし途方に暮れた。忍以外の道なんて考えられなくて、一時期は助からなければ良かったと本気で思った程だ。

それでも立ち直れたのは、そこが学園だったことが大きかったように思う。
大変なことも辛いことも沢山あったが、学園には幸せな思い出が詰まっていた。
入院していた部屋すらも友人と共に笑い合った記憶があって、部屋から見える廊下にも、井戸にも、中庭にも。
友人達とはしゃいだ場所、先輩に稽古をつけてもらった場所、後輩に勉強を教えた場所。
あの人とよく逢瀬を交わしていた、場所。
見ただけで蘇る記憶はどれも幸せで。
俺はまだ生きている、別の道でもやっていける、と不思議とすんなり思うことができたのだ。
そしてそう思い始めた頃、学園長先生直々に学園で教師になることを勧められた。
迷ったけれど、まだ学園にいた後輩達が喜んでくれたこと、「片腕でも忍たまには負けんだろ」とかつての担任が笑ってくれたことで、俺は教師になることに決めた。
幸いにも勤め先の城では新人扱いで重要機密も知らなかったからあっさり辞めることができた。

一年の研修を経てから三年くらい経つと、どこから聞きつけたのか先輩方や友人達が遊びに来るようになった。いや七松先輩は知っているわけだが、連絡を取っていたとは思わなかったから。
最初に来たのは立花先輩で、楽しそうに開口一番「文次郎の連絡先を教えてやろうか?」と言われた。からかう気満々だった。
なんでも先輩の仕えている城と立花先輩の仕えている城が同盟を結んでいるとかで、今でも交流があるらしい。学園に来ては先輩のことを話す立花先輩は本当に楽しそうだったけれど、先輩方や友人達の中で一番よく学園に遊びに来てくれた。
立花先輩がそんなだったから先輩のことが話題に上ることも多くて、俺もいつしか笑ってあの頃のことを話せるようになっていた。
俺もあの人も、周りの人に恵まれていると今でも思う。



あの人と再会したのは、それからまた数年経ってからだ。
夏休みが終わって、宿題の採点やら生徒の補習やらで忙しい時期だった。
この頃俺は土井先生の補佐的な役割を貰っていて、そろそろ担任になってみるかという話も出ていた。
その日も忙しくて、徹夜になることを見越して食堂のおばちゃんに早めの夕食と夜食を頼みに行ったのだ。
そこに、その人はいた。
驚いた表情に、立花先輩は俺のことを知らせていないのだと理解して俺は笑った。

「……久しぶりだな、久々知」

記憶となんら変わりない、低い声と目を縁どる濃い隈。
気まずいと思っていることを隠せず視線を逸らす様子に、相変わらずだと嬉しくなった。
この人は嘘が吐けない。
必要な時は人が変わったように吐くけれど、一度懐に入れた人にはどういうわけだか吐けなくなるそうだ。言葉だけ嘘でも、視線や仕草が嘘だと雄弁に語る。
俺はまだこの人にとって気を許せる相手であることが嬉しかった。

一緒に夕飯を食べることになったのはお互い驚いたが、俺は別に気まずいとは思ってないし、と半ば開き直って昔の話をした。
立花先輩達に謀られて悔しそうな顔も、友人達のお節介に呆れたような顔も、俺の意地悪な言葉に少しだけ困ったような顔も。
何一つ記憶と変わらなくて、薄れていた筈の気持ちが溢れそうになった。
この人が愛しくてたまらなくて、口を衝いて出そうになるのを誤魔化すために庭の花に視線を移す。
庭に咲く紫苑の花は、伊助達の代が卒業する時に植えていったものだ。「この場所で教わったことは何一つ忘れません!」と言った彼らに、不覚にも泣きそうになった。山田先生も目が潤んでいたように思う。土井先生は号泣していたが。
思い返していると先輩が困ったように俺をじっと見ていることに気付いて我に返った。

「すみません、なんでした?」
「ああ、いや……なんでもない」

また気まずそうな表情をしたので、黙ったまま部屋へ歩いた。
昔から、先輩は時々困ったように俺を見ることがある。
途方に暮れたような、持て余すような。
まるで俺への感情を扱い兼ねているようで、俺はそれが嫌いではなかった。
この人はひどく不器用で、その上忍として感情を表に出すことを無意識に制御しているところがある。
だから気持ちが制御できない時、そんな表情をするのだ。

(――ああ、)

つまりはそういうことなのだろう。
思い上がりかもしれないけれど、それでもいい。
どうせお互いに確認なんてしやしないのだ。だったら、自分に都合の良いように考えたっていいだろう。

部屋について夕飯をつつく。
一つ歳が違うだけでほとんど同じ時間を過ごしていたから、昔話は予想以上に盛り上がった。
夏休みの話題に始まり、宿題のこと、予算会議のこと、友人達のこと、後輩達のこと。
楽しくて、久しぶりに先輩と笑いあえていることが嬉しくて。まるで昔に戻ったようだと思った。

「そう言えばお前、そろそろ結婚とかしないのか」

思わず一瞬固まった。

「……なんですかいきなり」
「もういい歳だろ」
「あんたもでしょ。……考えてる人はいますよ」

笑って言えば、先輩は少し黙り込んで。

「……ほう。くのいちか?」

なんて言うもんだから、話すしかなかった。
豆腐屋の娘に告白されて。我ながら分かりやすい嘘だ。そんな人がいるわけもない。
でも、先輩が信じる振りをするから、俺はそれに乗るしかないのだ。

「俺もそろそろ考えないとな」
「好い人はいるんですか?」
「付き合ってはいないが、そういう人はいる」

ああ全く、どうしようもない。
お互い傷つけ合ったって、誰も得なんてしないのに。

嘘を吐き続けるなら、最後までそうしてくれれば良かったのに。
笑い合って別れる時、どこまでも押し殺した低い声で先輩は呟いた。

「会えて良かった」

零れそうになった涙を隠そうとして失敗した。

「……私も」

震える声は誤魔化せなくて、だけど先輩は何も聞かずに歩き出した。
気付いているくせに何も言わない、触れない。
だけどそれはお互い様だったから、俺も何も言わないままで。

ねえ先輩、俺があなたの嘘を見抜けないと思っていましたか。
何から何まで嘘を吐いて、自分の気持ちすら偽って、本当にどうしようもないですね俺達は。
好い人なんて本当はいないんでしょう。俺の嘘を悟って乗っかったんですか。
俺を突き放すつもりなら、最後にあんなこと言わないでくださいよ。余計に忘れられなくなるでしょうが。
……本当に、馬鹿ですよあなたは。


潮江先輩はあの後すぐに忍務に向かって、そこで命を落とした。
死間としての忍務だったのだと立花先輩に聞いた。
学園に寄ったのは忍務先の調査のついでだったらしく、その時から死ぬ覚悟はしていたのだろう、と。
そうだろうと思う。
馬鹿みたいに真っ直ぐで、忍としての矜持が高い。
そういうところに惹かれたのだから。





あれから何度季節が過ぎ去っただろう。
あの人がこの世界にいなくなったと思ったら、やっぱりどこか味気ない気がして。
でも、周りの人達のお陰で楽しく生きることができた。

今、俺は死の淵にいる。
友人達も先輩達もとっくにいなくなって、結局独り身のままだったけれど。
周りには後輩達や教え子達がいてくれている。俺が最期の瞬間を迎えると聞いて飛んできてくれた子達ばかりだ。
俺の為に泣いてくれる。本当にみんな良い子達だ。
ああ、幸せだ。
俺の人生は幸せだった。


薄れていく視界の中、気まずそうに笑う最愛の人の姿が見えた。





――
十五夜草の花言葉:「愛の象徴」



読んでいただきありがとうございました。






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