さえの神

*不思議な話
*ホラーではない





暗い暗い森の中。
とっくに日は沈み、昼でさえ薄暗い森は一層不気味さを際立てる。
そんな中に一人、途方に暮れた様子の生徒がいた。

(迷子になっちゃった……!)

平太は一年ろ組の中でも人一倍怖がりだ。
大きな音や声も怖いけれど、特に一人で暗い場所へ行くことが嫌いだった。
友人達とお墓でかくれんぼするのは楽しいのに、学園をぐるりと囲う山の中や、ひとけの無い焔硝蔵、血天井のある石火矢格納庫には未だに一人で入れない。
用具委員なので、幸いにも用具倉庫には一人で入れるようになったけれど。
あまりにも怖がりすぎて、一度なんて木の上から叫ぶ乱太郎達の声を木から発せられていると思い込んでひっくり返ってしまったほどだ。

それほど怖がりな平太が、今日の放課後、学園長におつかいを頼まれた。

おつかいと言ってもなんてことはない、杭瀬村の大木雅之介まで手紙を届けに行くだけの簡単なもの。比喩ではなく、本当にただの手紙。
いつものように乱太郎達に頼めばいいのに、何が琴線に触れたか学園長は平太に行くように命じたのだ。
杭瀬村へは何度も行ったことがあるし、大木とも顔見知りだ。おつかいだって平太も何度かこなしている。
しかし今から行くとなると、確実に帰りは夜になる。
昼に通ることすら怖い森の中を、夜に歩かなければいけない。そう思っただけで、平太の足は笑ってしまうくらい竦んだ。
それでもそれを放棄するほど、平太は不真面目な子ではなかった。

ほとんど競歩のような速さで森を抜ける。
委員会を欠席すると伝えた時に『頑張ってこい』と叩いてくれた委員長の掌の温度や、『待ってるね』と応援してくれた友人達を思い浮かべる。
帰ってきたら一緒に晩ご飯食べようね、と約束したんだ。だから、大丈夫。
そう自分を叱責して、平太は森を往く。

(……あ、)

足が止まったのは、山の麓で石柱を見つけたからだ。
地蔵のように人型ではないけれど、石の真ん中に男女の姿が彫られていて、その前に一輪挿しと花。誰かが供えたのだろう、握り飯もある。
道祖神だ。
旅の守り神である。
平太はあたふたと自身の持ち物を確認するが、供えられるようなものは何もなく。
せめて、と持っていた水で清めて、手拭いで綺麗に拭いた。

(……お供え物が無くてごめんなさい)

そして心の中でそう呟いて、そっと手を合わせる。
無事に戻って来られますように。何もなくて申し訳ありませんが、どうかどうか見守っていてください。
必死に祈る。
そうすると少しだけ、勇気がわいてきたような気がした。

(……やっぱりこわい)

気がしただけだったと気付くまでにそう時間はかからず。
ゆっくりしていけと笑う大木にどうにか理由を付けて、平太は夕方のうちに杭瀬村を出ることができた。
けれど、森に着くまでにその日はとっぷりと暮れてしまって。

想像以上に森の中は暗くて、とても不気味だった。
風の音、獣や鳥の動く音一つがとてつもなく怖い。
自分を鼓舞するための歌をうたえるほど余裕も無く、平太は必死で森の中を駆ける。

(はやく、はやく、はやく)

暗い闇が追いかけてくる。牙のある獣が近くまで来ている。森の木が嗤っている。もう帰れないよと、嗤っている。
森全体が大きな化け物のように、怖がる平太のことを嗤っている。

涙目になりながら、ひゅうひゅうと胸が苦しさを訴えるのも構わずに走った。
暗い森の中は化け物の道。微かに見える冷たい月明りは化け物の道しるべ。時折聞こえるざわりざわりとした音は化け物の声。
何もかもが怖く感じる。何かがずっと平太を見ている気がする。じぃっと、平太の行動を見つめている。
ほら、今にもその木の後ろから何かが飛び出してきそう。
そう思った時。

がさり。

平太の近くの茂みが揺れた。
冷静に考えれば、虫だか小動物だかが近くを通っただけだと気付けただろう。
しかし。
既に限界を超えていた平太にとっては、心臓が飛び出しそうなほどの衝撃で。

「うわああああっ!!!」

とにかくその場を離れようと、右も左も関係無くひたすら森の中を走り抜けた。

「ひえっ!」

どれだけ走ったか分からなくなった頃、木の根で躓いて盛大に転んだ。
ようやく平太は止まったが、周りを見回して次第に顔色が悪くなっていく。

(迷子になっちゃった……!)

こうして平太は最も嫌いな暗がりの中で一人、迷子になってしまったのだった。
あちこち走り回ったせいで自分が今森の中のどこにいるのかさっぱり分からない。耆著はあっても水が無く、木が生い茂っているせいで月も見えない。
どこにいるのか、それどころかどこへ向かえばいいのかすら、分からなくなってしまった。

――平太はもう、戻れないよ。

真っ暗闇の森の中。平太を嗤う声が聞こえた気がして、ぶるりと体が震えた。
もしもこのまま学園に帰れなかったらどうしよう。先輩方は心配するかな。一緒に晩ご飯食べようって言ったのにって、伏木蔵達は怒るかもしれない。喜三太としんべヱは、ぼくを探しに行きたいって言いだしそうだ。
思い浮かぶ友人達や先輩達、先生達の顔。
じわじわと、平太の目に涙が浮かんできた。

「……平太?」
「うひゃああっ!!」

突如聞こえてきた声に、文字通り体が飛び上がった。

「わ、おい、大丈夫か?」

ぴしりと固まった平太の肩をぽんぽんと叩き、顔を覗き込む。
長い睫毛と大きな目。見慣れた顔に、聞こえた声が聞き覚えのあるものだったと思い至る。

「く、久々知せんぱい……!」
「うん」

思わず溢れてしまった涙を苦笑して拭うのは、五年生の久々知兵助だった。

「大丈夫か? あ、怪我してるのか。ちょっと待ってな」

兵助は平太の体を確認するように見て、足の怪我を見て取るとすぐにしゃがみ込んで手拭いと竹筒を取り出す。

「っ……」
「我慢」
「はい……!」

平太の返事に兵助は微笑んで、テキパキと処置をした。
どうやら兵助達五年生はこの近くで実習を行っていたらしい。帰る途中で平太を見つけたのだそうだ。

「……なんで、ぼくがここにいるって分かったんですか……?」

ここは森の奥深くで、人の道を通っていたのなら絶対に見つけられないはず。
そう思った平太に、兵助は小首を傾げて微笑んだ。

「木が教えてくれたんだよ」
「木が……?」
「うん。迷子になっている子がいるから、助けてあげてってね」

さあ帰ろうか。
平太が何かを言う前に、兵助はさっと平太を背負ってしまった。
木が教えてくれたとは一体どういうことなのだろう。まさか本当に木が喋るのだろうか。だとしたらさっきまで平太を嗤っていたのも、もしかして本当……?
青ざめる平太の思考を断ち切るように、兵助が前を向いたままおっとりと口を開く。

「木はね、生きてるんだよ」
「え!?」
「そして俺達のことを、いつも見守ってくれている」
「見守る……?」

ゆっくりとしたペースで歩く兵助の背から、平太は周りを見回す。
さわさわと嬉しそうに揺れる木。案内するようにあちこちから柔らかく注がれる月の光。動物達の息づく音と、背を押すように吹くそよ風。
一体どういうカラクリなのか。兵助の背から見える景色は、平太が見ていたものとまるで正反対だった。

「平太、山の麓にある道祖神に祈っただろう?」

唐突に言われた言葉に平太は目を丸くする。

「え、どうして……」

――と。
ひゅうぅ、と突風のような風が吹いた。
平太は思わず目を瞑るが、兵助は楽しそうに声を上げて笑った。

「綺麗にしてくれたことが嬉しかったそうだよ」

風の音が止まる。
恐る恐る目を開いた平太は、ハッと息を呑んだ。



橙色の火を灯す石灯籠が両側に連なって、まるで兵助と平太を導くように一本の道を作っていた。



一体どうなっているのか。兵助の言うことも、この光景も。
けれど。
このまま進めば大丈夫だということだけは、何故だか確信を持っていた。

「もう怖くないね」

兵助の柔らかい声に頷いて。
平太は包まれるような温かい光の中、眠りについた。






平太が目を覚ますと、そこは既に学園で。
心配そうに自分を覗き込む友人達に聞けば、実習帰りの五年生が迷子になっていた平太を連れて帰ってきたのだと言う。
ならばあの光景は夢ではなかったのかと五年生に聞くも、先輩は何も言わず笑うだけに留めた。
先輩はあの夜の言葉の意味も、結局何一つ教えてくれなかった。
けれど平太は覚えている。

幻想的で美しく、温かくて優しい光の群れ。

もう二度と見られることは無いのだろう、と漠然と思う。
もしかしたら本当に眠気が見せた幻だったのかもしれない。
それでもいい。
不思議な夜のことは、平太の心にずっとある。

暗い森を歩くのは、やっぱりまだ少し怖いけれど。
なんだか、もうすぐ好きになれそうな気がした。











――
あれ。石灯籠が連なる光景が書きたかったのに一行で終わったぞ。あれ……?

テレビで春日大社の特集をやってまして。社のある山が画面越しでも分かるくらいに神聖というか澄み切っていて、参拝をする方々が木に触れて何かを感じ取るように無言になったり、「生きてるんだね、見守ってくれてるんだね」としみじみ仰ったりしていたのがとても印象的でした。
そして伝統を守っている方々も嫌々やってるんじゃなくて、楽しいから、面白いからって理由でやっていて、なんか凄く素敵だなあと。
神様を守るためにたくさんの人が関わっていて、神様も彼らを守っている。
なんというか人と神様って共存しているんだなあ、と感動しました。
そんな話を書きたかったんです。

あ、タイトル「さえの神」は道祖神のこと。元々道祖神というのは村の入り口に置かれていて「村に入ってくる疫病や悪霊を邪魔してください」という祈りが込められていたそうで。時と共に、旅の神様とか縁結びの神様と言われるようになったのだとか。

以上!解散!
ここまで読んでいただきありがとうございました……!



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