紫苑

*年齢操作
*卒業後捏造、なんかいろいろ捏造
*怪我を仄めかす描写





紅葉が色づく頃に思い出すのは、若かった頃の苦い記憶。
お互い何もかもが初めてで、何もかもが楽しかった。
それでも俺はまだ青くて、あいつもまだ幼かった。
それだけのことだ。




紫苑




卒業したのはもう随分と前になる。
久しぶりに貰った休暇に少し遠出をした。ついでに敵対している城の様子を見るつもりで。
更にそのついでに学園に寄ったのは、単なる気まぐれ以外に何もない。

「潮江くん! 久しぶりだねえ!」
「お久しぶりです、小松田さん」

数年ぶりの学園は記憶と何ら違わず、久々に会った小松田さんも記憶よりは少し老けたが、記憶と変わらない安心する笑顔を見せてくれた。

「元気そうで良かった」

入門表にサインすると、小松田さんは笑みを深くさせる。
真っ先に怪我がないか確認したことには気付いていた。

「……生徒に何かあったんですか?」
「え? ううん。みんな元気だよ」
「そうですか」

それなら彼の癖か。
学生のうちは気付かなかったが、そういえば実習や演習の後でいつも出迎えてくれたのは小松田さんだった。
怪我をした生徒も何度か見ているのなら、怪我の有無を心配するのも納得がいく。

学園長先生は庵にいるよ、と教えてくれた小松田さんに会釈して庵に向かった。

「ご無沙汰しております、学園長先生」
「久しいのう文次郎。息災で何よりじゃ」

皺の数が増えた学園長先生は俺の姿に満足そうに笑う。
一見するとただの好々爺。しかしその笑みの下で一体どれだけの企みがあるのか。
今も変わらず生徒に迷惑がられる思いつきをしているのだろうと、その笑みで悟る。

「お前の評判はよく聞くぞ。鬼のように強い忍びがおると」
「……いえ、信頼できる仲間がいてくれるからこそです」

俺の返答に学園長先生は頷いた。
心底思っていることだが、もしかしてカマをかけられたのか。
学生の頃からこの人はそういう言葉遊びが好きな人だった。

「信頼できる仲間は大事じゃからのう」
「はい」
「忍の世界は特に、裏切りが当然のように蔓延る世界じゃ。繋がりは大切にせねばならん」
「……はい」

やはりそうだったらしい。
だが、ここで六年間学んだことは一つも忘れていないつもりだ。
仲間の大切さも、うぬぼれることの恐ろしさも、心を律することの難しさも。

「これからも慢心せずに精進しなさい」

俺を見る学園長先生の瞳は、とても優しかった。



今日はゆっくりして行きなさいと言われ、それならとお言葉に甘えることにした。
とはいえ知っている生徒は既に卒業済み。
知らない先生方も増え、担任や世話になった先生方に挨拶する以外は特にやることもない。
知らない先生の中には俺と歳の近い先生もいるらしく、なんだか不思議な気分になった。
昔は自分も教師の道を考えていたことがあったが、いつの間にかそんなことも忘れて就職した。
後悔はしていないが、もしかすると他の道もあったのではないかと考える時もある。
考えたところでどうにもならないのだが。

「……」

それを考え始めると、たった一人思い出す顔がある。
一つ下の後輩。
しっかりしているように見えて意外と抜けていて、常識人かと思えば思考回路は謎で、見ていて飽きない奴で。
そして、心底惚れた相手だった。

卒業してからは一切連絡も取っていない。
はっきりと別れを告げたわけではないが、最初からそのつもりだったしあいつも分かっていた筈だ。
卒業の時なんて形式的な挨拶をされただけで、あいつは泣きも怒りもしなかった。
ただ困ったように、下を向いて笑っていた。

……今はどこで何をしているのやら。
まあ優秀な奴だから忍として頑張っているのだろう。
この先一生会えなくても、幸せな人生を送ってくれていれば良いと思う。

「……」

一人になると余計なことを考えてしまっていけない。
先生方には大方挨拶し終えたので食堂のおばちゃんに会いに行こう。

「悪いわねえ、潮江くん。遊びに来たのに手伝ってもらっちゃって」
「いえ、どうせ暇でしたから」

食堂に行くとおばちゃんは丁度料理の準備を始めようとしていたところだったので薪割りを買って出た。
どうせ何もすることがなくて困っていたところだ。
良い暇つぶしにも、良い運動にもなった。

「体力は有り余ってますから。他に何かお手伝いすることありますか?」
「そう言ってくれると助かるわ。今は他の先生方もお忙しくてねえ」

おばちゃんはそう言って苦笑する。
長月にあたる今は、夏休み明けの生徒達の宿題を見たり、実力試験を行ったりいろいろと忙しいらしい。
学生時代の夏休みを思い出す。
……確かに、下手をすれば死ぬ可能性もある。そりゃあ忙しいだろう。

「じゃあ、あっちにある食材を切ってもらえる?」
「分かりました」

学園の晩御飯は自炊なので一通りの料理はできる。
何を作るのかと用意された食材を見れば、色とりどりの野菜とその中で一際目立つ真っ白な豆腐があった。
予期せぬ食材に思わず苦笑が零れる。

「どうかした?」
「ああ、いえ。ちょっと、豆腐を見ると思い出す奴がいたんで……」

俺の言葉におばちゃんが口を開く。
が、何か言う前に違う声が食堂に響いた。

「おばちゃんすみません、私と土井先生のご飯先にいただいてもいいです……か?」
「あらあら久々知先生、また徹夜? 夜食も用意しましょうか?」
「あ、は、はい。お願いします」

おばちゃんに軽く頭を下げたそいつは、俺の方を見て目を伏せて笑った。

「お久しぶりです、潮江先輩」
「……久しぶりだな、久々知」

記憶とそう違わない、しかし黒い装束を纏ったかつての恋人。
どうやら忍ではなく教師として学園に就職したらしい。
そのまま黙り込んだ俺達に、おばちゃんが思い出したようにぱんと手をたたいた。

「ああ、そういえば二人は一つ違いなんだったわね。積もる話もあるでしょうから一緒にご飯を食べたら?」
「えっ? でも手伝いは……」
「そのくらいいいわよ、いつも一人でやってるんだから」

おばちゃんはただの先輩後輩だと思っているのだろうが、一時期付き合っていた身としては気まずいというか困るというか。
というか勝手にご飯を食べて帰ることになっている。
別に暇なのでそれは良いのだが久々知は忙しいだろうと思って久々知を見ると、やはり困ったようにおばちゃんを見ていた。

「でも、これから仕事が……」
「ご飯の時くらいゆっくりしなさい。邪魔しちゃ悪いから久々知先生の部屋で食べたらいいわ。ほら、土井先生の分はあたしが持って行ってあげるから」

にこにこと笑うおばちゃんに、久々知は眉を下げて礼を言った。
本当に一緒に食べる気か。動じないのは相変わらずか。
久々知はおばちゃんが簡単に作った膳を左手で受け取ると、俺をちらりと見て「行きましょうか」と小首を傾げる。
ここで断るのもおかしな話だと、仕方なく俺も膳を受け取った。

「本当にお久しぶりですね。何年振りでしたっけ」

膳を持って二人で食堂を出ると久々知は楽し気に笑う。
つられて俺も笑い返した。
気まずいと思っていたのは俺だけだったらしい。

「何年ぶりだろうな。しかし、まさかお前が学園に就職しているとは思わなかった」
「え? 立花先輩から聞いてませんでした?」
「は? 仙蔵?」

仙蔵とはもう腐れ縁と言えばいいのか、互いに仕えている城同士の仲がよくて未だに交流がある。
しかし何故ここで仙蔵の名前が、と考えたところでふと思い当たった。
もしかしてあいつは知っていたのか。

「よくいらっしゃいますよ、立花先輩」
「…………やられた」
「やられましたねえ」

思わず出た悔しい声に、久々知は目を伏せてクスクスと笑う。
仙蔵は俺とこいつの関係を知っていた。その結末も。
気を使って黙っていたのか、俺を驚かせるために黙っていたのか。……あいつの場合は確実に後者だろう。
あいつが俺に気を使うなんて何かの前触れとしか思えない。

「……じゃあ、あれか。お前俺の就職先も知ってたのか」
「ああ、はい。立花先輩が連絡してやれと」
「……相っ変わらずあいつはお前に甘いな」
「ありがたい話ですよ。他の先輩方も」
「は?」

意味が分からず凝視すると、久々知は横目でちらりと俺を見て意地の悪い笑みを浮かべる。

「七松先輩も中在家先輩も善法寺先輩も食満先輩もよく学園にいらしてくださいますよ。卒業してから一度もここに寄り付かなかったのはあなただけです」
「寄り付くって……というか、何しに来るんだあいつら」
「どこぞの誰かが元恋人に一切連絡を寄越さないので慰めに、と皆さん仰ってました。勿論私の友人達もよく来ます」
「…………」

一度も来なかったのはあなただけです、ともう一度久々知は笑った。
その笑顔を直視できずに視線を逸らす。

「別に、学園に来る理由も無かったしな」
「……ま、そうですよね」
「そういやお前、なんで教師に」

話題を変えようと隣を見ると、久々知は庭の方を見ていた。
視線の先を辿れば、淡い紫の花が風に揺れている。
紫の花を見つめる久々知は不思議な目をしていて、胸のあたりがざわついた。

昔からこいつはたまにこんな目をする。

切ないような、愛おしいような目。
終わりを見つめて、それを慈しんでいるような。
それは花だけでなく、他の植物や動物、人に対しても。
俺に対しても。
その目で見られると、俺はいつもどうすればいいのか分からなくなるのだ。
黙り込んだ俺に気付いたのか、久々知はハッとしたように俺に視線を向けた。

「すみません、なんでした?」
「ああ、いや……なんでもない」
「そうですか」

無言のまま部屋まで歩く。
なんとなく気まずい空気が流れる。
学生時代は無言でいてもこんな空気にはならなかったのに。
早く部屋に着けと、勝手ながら思った。

「どうぞ。綺麗な部屋じゃなくて申し訳ないのですが」

久々知の部屋は当然あの長屋ではなく教師用の長屋にあった。
確かに乱雑に書類が置かれているが、それ程汚くはない。
庭にあった淡い紫の花を飾っていて、むしろ綺麗だと思うくらいだ。

「今の時期は忙しいんだろう? 気にするな」
「ええ……夏休み明けですから」
「学生の頃も大変だったもんな」

思い返して苦笑を零すと、久々知もいろいろと思い出したのか同じく苦く笑った。

「ですね。生死の境を彷徨いましたし」
「あったなそんなこと。小松田さんが宿題を間違えて」
「先輩は確か昆虫採取でしたっけ?」
「あー、夏休みが終わったあと乱太郎達に食わせたような記憶が」
「うわ、鬼ですね」

昔の話に花が咲く。
話す度に他の記憶が蘇り、気付くとさっきまでの気まずい空気は吹っ飛んでいた。

「虫かー、虫とは相性悪いんですよね」
「虫っつうか生物委員だろ。予算会議ん時は見ものだったな」
「よく覚えてますねあんなの。あの後生物委員に火薬委員総出で豆腐地獄ご馳走しましたからね」
「お前も大概鬼じゃねぇか」
「お陰で予算四分の一ゲットしました」
「鬼だな」

笑いながら少し早めの夕食をつつく。
学生時代の思い出は次から次へと沸いてきて、改めて濃い六年間だったと思う。
特に六年生の時は当時の一年生がお騒がせ集団で、随分いろいろな経験をしたものだ。

「そういや予算会議はまだやってんのか?」
「やってますよ、相変わらず合戦です。先輩方の代以上に壮絶だったのが伊助達の代で、それ以降も毎回酷いですよ」
「伊助っつうと、団蔵と左吉の代か。まああの学年はなあ」
「一年生の時から個性が強かったですからねえ。は組は最後まで全員残りましたし」
「へえ、そりゃすげえな」
「卒業の時はは組の子達以上に土井先生が大泣きして。私ももらい泣きしてしまいましたよ」
「ほー。お前、俺が卒業する時は泣かなかったくせに」

意地悪く笑ってやると、久々知は一瞬固まってから目を伏せて笑った。

「だって私が泣いたら先輩も泣いちゃうでしょ?」
「馬鹿、そんくらいで泣くかよ」
「いやー、案外涙もろいから。立花先輩から聞きましたよ? 大木先生が学園をお辞めになった時号泣したって」

予想外の反撃に、思わず啜っていた味噌汁を噴き出しそうになる。
俺の反応に久々知はまた笑った。

「あンの野郎……! おい、他にもなんか聞いてんじゃねぇだろうな!?」
「聞いてても言うわけないじゃないですか」
「聞いてんだな!?」
「やっぱり同級生っていろんな話知ってますよね」
「くっそ、あいつら今度会ったら絞めてやる……!」

後輩を可愛がるのは結構だが、余計なことばっかり教えるな!
脳内で爆笑しているあいつらを散々罵倒する。
今度会うことがあれば絶対に一人一発は殴ると決めた。

「でも心配もしてましたよ。真面目一辺倒だから無茶しすぎて早死にするんじゃないかって」
「余計な世話だっての。そもそも無茶するのはあいつらも一緒だろ」
「確かに。昔から生傷が絶えませんもんね」
「それはお前らの方が多かった」
「そうでしたっけ?」

目を伏せて笑いながら嘯く久々知。
まただ。
昔と比べて、目を伏せて笑うことが多くなった。
傷も増えたし、筋肉も昔よりしっかり付いている。
中身は変わっていないと思っていたが、やはりこれだけの年月が経てば変わっていることの方が多い。
お互い様かもしれないが。

「まあ、また学園に来ればそのうち会えると思いますよ」
「そうだな……日があればまた来るか」
「でもあなた、もう学園に来る気無いでしょう」

相槌のように自然に言われた唐突な言葉に固まる。
慌てて前を見ると、久々知は左手で椀を持って穏やかに微笑んだ。

「先輩方には会ってないって言っておきますよ」
「……いや、別に言っても構わん」
「そうですか? じゃあお元気そうだったとだけ」
「ああ、それと、今度会ったら覚えとけと言っとけ」
「あはは、分かりました」

何事も無かったかのように会話が流れていく。
どうしてもう学園に来る気がないのか、久々知は聞かなかったし俺も言わなかった。
言わなくても分かっているのだろう。
こいつは昔からそういうところがあった。
そういうところに惚れたのだ。

「そう言えばお前、そろそろ結婚とかしないのか」
「……なんですかいきなり」
「もういい歳だろう」
「あんたもでしょ」

呆れたように苦笑する久々知は少し黙って、俯いて笑う。

「考えてる人はいますよ」
「……ほう。くのいちか?」
「いえ、豆腐屋の娘さんです」
「そんなところまで豆腐か」

豆腐と言えば久々知、と言われるくらいに豆腐のイメージがついて回る奴だったが、何も結婚相手まで豆腐に絡めなくてもいいのに。
吹き出すように笑うと、久々知も眉を下げて茶を啜った。

「通ってたら告白されたんですよ。迷ったんですけどね」
「忍のことは?」
「それがまだ話してないんです」
「結婚するなら話しとけよ。言わずに結婚して離縁した人知ってんぞ」
「そうですね」

流れるような相槌に苦笑する。

「俺もそろそろ考えないとな」
「好い人はいるんですか?」
「付き合ってはいないが、そういう人はいる」
「……案外モテますもんね、先輩」
「案外は余計だ」

妙な間があったことには触れない。
そんな話をして笑い合っていると、遠くで授業の終わりを告げる鐘が鳴った。

「もうこんな時間か」
「あ、帰りますか?」
「そうだな。あんまり長居しても迷惑だろ」
「そ、んなことはないですけど」

眉を下げる久々知の額を小突く。
膳は片付けておくという久々知の言葉に甘えて立ち上がった。

「悪かったな、忙しいのに付き合わせて」
「いえ。まだクラスも持ってなくて新人扱いなんで、実はそんなに忙しくないんですよ」
「そうなのか」

確か土井先生は四、五年で担任になった筈。
ということは、卒業してすぐに教師になったわけではないのか。
ある程度の推測はできたが、わざわざ聞くような話でもない。

「先生方に挨拶行かなくていいんですか?」
「わざわざ行く必要はないだろ。お前から伝えておいてくれ」
「私が文句言われるんですが」
「仕方ない」
「ええ……」

これから夕飯を食べに行く様子の生徒達を横目に正門に向かう。
今日は実習に行った生徒もいなかったのか、小松田さんは正門の近くにはいなかった。
勝手に出門表にサインをして帰ることにする。

「ありがとうな、今日は」

サインをして久々知を振り返る。
下を向いて笑う姿に、卒業した日が重なった。

「いえ。久しぶりに楽しかったです」
「……彼女、大事にしろよ」
「あなたこそ」

冗談を言い合って背を向ける。
久々知の顔を見ないまま、背中越しに呟いた。

「会えて良かった」

空気が震えた。

「……私も」

何もかもに気付かない振りをして歩き出した。
怪我の後遺症が残っている右腕にも、嘘を吐く時に俯いて笑う癖にも。
変わったところも、変わらないところも全て。

俺と久々知はこれから違う道を歩んでいく。
何があっても交わることはない道を。
だから今日ここに、気持ちと思い出を置いて行く。
重なる日は、もう二度と来ない。



淡い紫の花が、視界の端で風に揺れていた。





――
紫苑の花言葉:「あなたを忘れない」



読んでいただきありがとうございました。



修正 16.11.28




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