勘右衛門の話によると、町で桜が咲かないと気付いたのは十日ほど前。
始めは、いつもより少しだけ遅れているのだと思っていた。毎年桜が咲く日は同じじゃない。
けれど、待てど暮らせど桜は咲かない。
しかも一本や二本ではなく、町を囲うように立っている桜、全部がだ。
これはおかしい。
町の人間の間でも噂になってきた頃、勘右衛門は町で一番古い桜に宿る木霊に話を聞きに行った。
藤内というその木霊はこう言った。

「どうやら呪いにかけられたようで力が入らないのです……犬鳳凰さま、久々能智にお話願えないでしょうか……」

木の妖を束ねる木の神・久々能智神と勘右衛門は旧知の仲。藤内もそれを知っているのだろう。
そこで勘右衛門は考えた。
久々能智の神としての威厳だとか仕事っぷりはいつ見ても神の手本だ。同じ神格でもどっかの狐とは大違い。
そうだ、ならどっかの狐と久々能智を会わせてやろう。どうせならもう一匹と一人も連れて行けば、あの子にも良い経験になるし。
うんそうしよう。

「……というわけで、いだっ!」
「なにがというわけで、だ! 私達には何の関係もないじゃないか!」

勘右衛門の頭をべしっと叩き、三郎は尻尾の毛を逆立てる。

「大体、元々はただの狐だった私と生まれたときから神の久々能智を比べること自体おかしいだろうが!」
「今はお前も同じ神じゃん! 取って食われるわけじゃあるまいし、会っても損は無いって! なあ雷蔵!」
「あはは、まあ、僕は行ってもいいと思うけど……」
「な! 雷蔵!?」

雷蔵の言葉に慌てる三郎と、よっしゃー! と嬉しそうな勘右衛門。
対照的な二体に、雷蔵は笑みを深くする。

「ただし、ハチが行きたくないなら行かない。行きたいなら行く。これでいいね?」
「もちろん! 八左ー!」

聞くが早いか勘右衛門はあっという間に社を飛び出し、外で遊ぶ八左ヱ門の元へ駆けて行った。
残されたのは二体の狐。

「八左ヱ門なんて行きたいと言うに決まっているじゃないか。君も私に神としての威厳が無いと思っているのかい」
「まさか、お前が頑張っていることは知っているさ。僕はね、ハチにいろんな経験をさせてやりたいんだよ、三郎。ずっとここに居させるわけにはいかないんだし、今のうちに出来る経験は大切だろう?」

小さな子どものように不貞腐れる三郎に、雷蔵は母親のような深い微笑みを浮かべる。

「それに、境内の桜が咲かないって、お前も気にしていたじゃないか」

この言葉が決め手となった。



案の定八左ヱ門は行きたい行きたい! と目をキラキラさせて飛び跳ねたため、三体と一人で久々能智の社へ行くことに相成った。
久々能智が祀られている社は勘右衛門しか行ったことがない。
八左ヱ門も雷蔵も、文句を言っていた三郎さえもどこかそわそわして落ち着かず、空を駆けながら勘右衛門はそんな三郎を見て心の中で爆笑していた。
山をいくつも越え、谷をいくつも越え。
十を超えたあたりで、漸く勘右衛門が山の麓へ降り立った。
どうやらこの山の中に久々能智の社があるらしい。
二体と一人を振り返り、勘右衛門は少し苦笑を滲ませる。

「あいつってばほんとに木から愛されててさあ。おれ達妖怪ですら、飛んでいくと迷わされて社に辿り着けねえんだ」
「へえ、凄いんだね」
「さすが久々能智だな……」
「わ、おうちの木よりおおきい木ばっかりだ! すげー!」

早くも久々能智の力に圧倒される狐達だが、八左ヱ門の言葉に自然と顔が綻ぶ。
子どもの力ってすげえな。
ふとそんなことを考えた。

八左ヱ門が疲れないように気を付けながら暫く歩いていると、ふとどこからともなく綺麗な笛の音が聞こえてきた。その柔らかく伸びやかな音には、どこか三体と一人を包み込むような暖かさが感じられる。
首を傾げる二体と一人とは違い、勘右衛門だけはぱっと嬉しそうな表情を浮かべた。

「はあ、やっとお迎えが来たよー」
「お迎え?」
「お久しぶりです、犬鳳凰さま」

きょとんとする三郎の言葉に被せるように現れたのは、童水干を着た、八左ヱ門よりも少しだけ大きな子ども。手には灯籠を持ち、ぺこりと可愛らしく一礼する。
この子どもが人間ではないということは、みんなすぐに気が付いた。

「やあ伊助、お迎えご苦労さん」
「はい! あ、えっと、勘右衛門さんのご友人の方ですね? ようこそおいで下さいました」

伊助と呼ばれた子どもは勘右衛門の言葉に顔を綻ばせると、勘右衛門の後ろにいた二体と一人にもう一度、今度は恭しく礼をした。
よく出来た子だな、とは三郎の談。

「ぼくは久々能智の子の一つ、伊助と申します。この笛の音は久々能智さまのご加護の証。さあ、迷わされないうちに参りましょう」

にこにこと楽しげな伊助の後をついて歩きながら、勘右衛門は三郎達に伊助の紹介をする。
伊助は久々能智から生まれた概念のようなもので、妖怪や精霊のような総称はないらしい。もう一体、三郎次という楓の精霊とともに久々能智の世話を言いつけられているそうだ。

「三郎次は嫌味なやつなんですよう。ぼくより少し早く生まれただけで偉そうに……」

三郎次との仲はあまり良くないらしい。

「相変わらずだねえ。あんまりあいつを困らせるんじゃないよ」
「大丈夫ですよ、今はお友達のお世話でぼくも三郎次も喧嘩どころじゃないんです。そんなことより、勘右衛門さんのお友達を紹介してください」

伊助の言葉に、勘右衛門はあ、という顔をした。どうやら素で三郎達のことを忘れていたらしい。
三郎は一瞬額に青筋を浮かべたが、どこで久々能智に見られているか分からない、と冷静になった。短気なのは勘右衛門に対してだけなので、初対面の神位も上の神様にキレやすい狐と思われたくはない。
そんな三郎の心理を見抜いているように勘右衛門はにやにやと笑いながら、後ろの二体と一人を指し示す。

「こいつらはいくつも山を越えた社に住んでる、噂の三郎と雷蔵、それから八左ヱ門」
「……ああ! あなた方が天狐さまと尾先狐さまと、人間の八左ヱ門さまですか! 初めまして!」

噂の、という部分も気にはなったが、それよりも伊助の反応はなんなんだろう。
伊助が三郎や雷蔵に敬称をつけるのは分かる。だが子ども、しかも人間に敬称をつけるなど。
考えていることが顔に出ていたのだろう、三郎の表情に、勘右衛門はケラケラと愉快気に笑った。

「あいつは少し変わっているのさ。それがいいところなんだけど」



社に着くと、心地よい笛の音がゆったりと鳴りやんだ。

「久々能智さまー! お客さまをお連れしましたよー!」

大きな鳥居をくぐって中に入り、伊助が上を見上げながら大声を上げる。
つられて見上げれば、樹齢何千年もあるような立派な御神木。
その上に、艶やかな黒髪と涼やかな目元に真っ赤な目張りを刺した麗人がどっかりと腰を下ろしていた。
着ている物こそ濃藍の着流し一枚だが、その威圧は凄まじく一目で「神」と分かるほど。

「ありがとう、伊助。三郎次と一緒に夕餉の用意をしておいてくれ。あんまり喧嘩はするなよ」
「……はぁい」

ふわりと地に降り立った久々能智は、伊助の頭を撫でてから勘右衛門達に体を向けた。

「山の木々から話は聞いてるよ。それにしても珍しい客が来たもんだ」

じろじろと容赦なく二体と一人、特に八左ヱ門を見る。
長い睫毛が縁取る大きな目は目力も強く、なんだか全てを見透かされそうで居心地が悪い。
身じろぎする八左ヱ門に久々能智はああ、と気づき、くつくつと喉を鳴らした。

「勘右衛門から噂はかねがね。俺は久々能智。兵助と呼んでくれ。――よろしく」





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