行く道を示すもの

*暗殺篇より前〜さらば篇まで





 死体の山。山。山。
 どこまで行っても生きている人がいない。血と硝煙の臭いで鼻がおかしくなりそうだ。
 どう歩いてきたか、どこへ行けばいいのかも分からない。ただふらふらと行く宛もなく歩いていた。
 握った刀からカタカタと音が鳴る。
 頭から爪先まで血にまみれている気がする。ゴワゴワと固まった髪の毛が、体を滴る血が、煩わしくて仕方ない。
「お前には誰も救えない」
 はっきり耳元で聞こえた声に勢いよく振り返る。
「っ!」
 息が止まった。
 そこにあった死体の、全ての目がこちらを向いていた。

「お前の剣は、届かない」



***


 ハッと目を覚ます。ドクドクと鳴る心臓の音と荒い息が、自分のものだと気付くまで数秒を要した。
 外はまだ暗い。微かに神楽と定春の寝息が聞こえてきて、銀時ははぁと大きく息を吐く。
 どうにもこの頃夢見が悪い。夜寝ても昼寝にしても、悪夢を見て飛び起きる回数が増えていた。夢を見たあとはもう一度眠る気にもなれない。お陰でしっかり睡眠が取れず、子供達にも心配されている。
 特に何があったわけでもない。いつもの通り開店休業が続いて、だらだらと過ごしていた。旧知と刀を交えたわけでもなければ、昔の話をしたわけでもない。
 ただこうやって平和な日常を過ごしていると、時折この幸せが怖くなる。
 自分がこの場所にいて良いのか。こうして幸せを甘受しても良いのか。
 そう思うタイミングで、いつも夢を見始める。
 幸せになってはいけない、という自分の深層心理なのか……銀時を恨んでいる死者達が見せているのか。

 そろそろ限界だ。眠ろうとして酒を浴びるように飲んで、また悪夢を見て飛び起きて。子供達の心配そうな表情や気遣うような視線が辛い。
 けれど酒以外に眠れる方法を知らない。昔なら性欲を発散することも一つあったが、神楽がいる今はそのへんの女を引っ掛けるわけにもいかないし、風俗にもそうそう行けない。ほとんどの者と知り合いになってしまった吉原なら尚更だ。
 だから今日も目の下に隈をこびりつかせたまま、銀時は行きつけの暖簾をくぐった。

「うわ」

 声を出したのはどちらか。嫌でも見慣れたその顔は、それでもここ最近では見なかった顔だ。
「まあ座れや」「……なんでお前の隣しか空いてねーんだよ」
「この時間だからな」
 土方はもう既にいくらか杯を重ねているのかほろ酔い気味で、銀時の微妙な顔を見ても可笑しそうにケラケラと笑っている。珍しいなと思いつつ、示された隣の席に座った。
「親仁、適当に頼むわ」
「はいよ」
 寝不足の顔でこの店に来るのは何度目か。親仁は寡黙な人で、気付いているだろうに何も言わない。その代わり、食べ物も酒も胃に優しいものばかり出してくれる。何も言わない気遣いが有り難くて、銀時は限界が近づくとここに来るようになった。
 今まで会ったことが無かったが、土方もどうやらここの常連らしい。座れと言ったくせに、全く銀時に構うことなく親仁と楽しそうにぽつぽつ言葉を交わしている。銀時とは反対に、今日の土方は機嫌が良いようだ。
「なんか久しぶりだな」
「あー、そうね。どっか行ってたの」
「出張でな。別の星に行ってた」
 つまみのほっけをつつきながら、話しかけてきた割には銀時に微塵も興味がなさそうな顔で言う。いつもならスカした面だとイラつく態度も、しかし今の銀時にはその態度が心地良い。
「土産は?」
「なんでテメーに土産があんだよ。つーか買う暇もなかったわ」
「お巡りさんは忙しそうだね」
「テメーらに分けてやりてえくらいにはな」
「ンな物騒な仕事はいらねえわ」
 他愛ない話をしながら酒を飲む。ここ最近にしては本当に珍しく、食がいつもよりも進み落ち着いて酒を飲めた。
「それにしても万事屋、クマすげーな。飼ってんのか?」
 唐突な話に思わず噴き出しそうになる。汚え、じゃねーよお前のせいだよ。
「……テメーな、うまくねーんだよ」
「珍しいな。いつもは昼まで起きてこねーってメガネが言ってたけど」
 とくとくと酒を手酌で注ぎながら、なんでもないように言う。そこに心配の色が欠片も無いことにホッとして、銀時もいつも通りに返した。
「俺だって眠れない時くらいありますぅー」
「ふーん」
「あからさまに興味なさそうな顔すんな」
「興味ねーもん。ま、アル中と膵炎には気をつけろよ」
「そこまでじゃねーよ……たぶん」
 ここのところ毎晩、酒を飲まないと眠れないので視線を逸らすと、土方はやっぱり興味なさそうに溜息を吐いた。
「まあお前がどうなろうとどうでもいいけど。ガキ共に迷惑かけんじゃねーぞ」
「……なんだよ、やけにアイツらの肩持つじゃねーか」
 いや、コイツが女子供に甘いことは知っているが。
「そりゃあお前の肩持つくらいならガキ共に味方するさ」
 さらりと言われてムッとする。
 別に、本当に土方が新八達に肩入れしているとは思っていない。表に出さないだけで、本当は銀時を心配しているのも分かっている。
 ただ、たった今楽しく飲んでいたところに水をさされたようで面白くない。
 確かに普段から顔を合わせれば喧嘩ばかりしていて、仲良しだと言われれば鳥肌が立つ。けれど嫌いなわけじゃないし、何かあれば互いに手を貸してしまう。
 なのに、そんなに邪険にしなくても良いだろうに。

「テメーを気にかけるのはガキ共の仕事だろ」
 銀時の機嫌が急降下したのが分かったのか、ぼそりと土方が言った。ちらりと視線だけを流せばカチリと煙草に火をつけている。
「つか俺がテメーを心配してるなんて言ったら鳥肌モンだろーがよ」
 ふぅ、と煙をはいて流し目を送られた。
 しゃきっとしろ大将。言葉にしなくとも伝わる言葉に、銀時はガリガリと頭をかいた。コイツはいつもこうやって、自分の大将も励ましているのだろうか。
 あれ。てことは今、俺はコイツに励まされたのか。
 気付くと、一気に頬が熱くなった。今更酔いが回ったか、寝不足による疲れか、唐突にくらりと目眩がする。
 肘をついて片手で顔を覆うと、は、と吐息を漏らすような笑い声が耳に届く。
「ひっでーツラ」
 いつも通りの銜え煙草でニヤリと笑った男の声が、やけに優しく聞こえる。
 お前、今、俺に見られるとまずい顔してるだろう。その言葉が形になることはなく、銀時の意識はふつりと途切れた。



 ちゅんちゅんと鳥の鳴く声で目が覚めた。こんな緩やかな目覚めは何ヵ月ぶりだろうか。
 ぱちりと瞬いて体を起こす。いつも通りの万事屋だった。
「……あれ?」
 随分と深い眠りについていたのか、やけに頭も体がもすっきりしている気がする。だがいつの間に眠ったのだろう。
 昨日は飲みに行って、土方と何日か振りに会って、珍しく楽しく落ち着いた酒が飲めて、それから――、
「あれ……?」
 それから?
 それからどうしたんだ。まさか、土方がここまで送ってくれるわけもあるまい。自分だって土方が酔い潰れても屯所まで送ったりはしない(そもそも土方は滅多に酔い潰れない)。
 思い出そうとうんうん考えていると、新八がやってきた音がした。神楽は珍しく起きていたのか挨拶を交わす声が襖越しに聞こえる。

「銀さんは昨日も飲みに行ってたの?」
「うん。でも昨日はいつもと違ったヨ。トシが帰ってきたアル」
「え、そうなの!? てことは、昨日は土方さんと飲んでたの?」
「がーがーいびきかいてる銀ちゃん背負ってきてくれたネ。……酔い潰れたって言ってたケド、全然酒のニオイなんかしなかったアル」
「……そっか。じゃあやっと銀さん眠れるようになったのかなあ」
「たぶん大丈夫だろってアイツ言ってたヨ。一回ちゃんと寝られたら、身体が寝ることを思い出すって」
「そう。…………銀さんがちゃんと眠れるようになったのなら良かったけど、ちょっと悔しいね」
「……」
「土方さんが江戸に戻ってきたらすぐに寝ちゃうんだもんなあ」
「……それは違うヨ」
「え?」
「"俺とお前達じゃあ、全然立場が違うだろ。近すぎて言えねえこともあるさ。それにオメーらだと無意識に守ってやらねーとと考えちまうんだ、だから関係ねえ俺とたまたま会って、張ってた気が緩んじまったんだろーよ"」
「……それ、土方さんのマネ?」
「昨日文句言ったらそう言われたアル」
「いや、出張から帰ってきたばっかりで銀さん連れて帰ってきてくれたのに文句言っちゃったの!? さすがに失礼だよ!?」

 見事に撃沈した。
 なーにをやっているんだあの男は。関係ないと言っておきながら、なに自分達にまでフォロ方発揮してるんだ。恥ずかしいことこの上ないわ。
 思わず布団に逆戻りした。さすがにこんな会話を聞いてすぐ二人の前に出ていけるほど、図太い神経はしていない。
 だが言われてみれば、ここ最近毎日のようにあった二日酔いの症状がない。酒の臭いもしないし、頭も体もすっきりしている。いい具合の酒量でストップしてくれたのだろう。店の親仁か他の誰かかは、まあ、考えないでおこう。

 しかしまあ、こんなに二人に心配をかけていたとは。
 心配されていたことには気付いていたが、二人の神妙な声に罪悪感が募る。二人の元気がないことに気付けないほど、追い詰められていたのだろう。
 もしかすると、銀時が眠れるようにいろいろと気遣ってくれていたのかもしれない。それすら気付けなかったことに内心で歯噛みする。

『テメーを気にかけるのはガキ共の仕事だろ』

 ふいに過った記憶に一瞬息が止まった。
 聞き慣れない、けれど聞き覚えのある優しい声音。昨夜、眠る直前の記憶が一気に蘇って声にならない声を上げた。
 恥ずかしいのはこちらだ。とんだ醜態を晒してしまった。やっぱりいろいろ限界だったのだろう、と冷静な部分で思う。しかし相手が土方とは、やってしまった。
 別に土方が銀時の弱さを見て何かをするとは思わない。ただ単純に、銀時のプライドの問題だ。土方にだけは弱さを見せたくないという。
 ……だが、銀時の周りの人達の中で弱さを見せるなら土方だろう、という確信もある。
 だからだろう。昨日の自分は心のどこかで安心していた。何に安心したのかは分からない。でもここのところ見かけなかった男を見たとき、背筋が伸びたことは覚えている。

『ひっでーツラ』

 なにやってやがる万事屋。
 ああ本当に、何も見えていなかったよ。テメーに心配されるなんてよっぽどだったんだろうな。ガキ共に気付かれて、気遣われて、二人がどう思うかなんてことにすら考えが及ばなかった。

大きく息を吐いて起き上がる。全く今回はいろんな人に助けられた。
 子供達に礼なんて言わないし、言ったところで知らぬ振りをされるだけだろう。そもそも我ながら素直に言えるとも思えない。
だからいつも通りに戻れば良い。それだけであの子達は、きっと喜んでくれるだろうから。
 ああでも、今日の晩ご飯くらいは豪華にしても良いだろう。新八にも食べて帰るように言えば、きっと真意は伝わる。
 土方には何もしない。アイツこそ、礼を言ったところで小馬鹿にしたように笑うだけに決まっている。考えるだけでムカつくヤロウだ。
 どうせ次に会っても何もなかったかのように振る舞うだろう。そういう奴だから。
 だから飲み屋で会ったら、一杯くらいは奢ってやるのだ。パチンコで勝ったから、とか言って。

「おはようございます銀さん」
「銀ちゃんオハヨウ!」

「おはよーさん」

 それだけできっと、お節介共は笑ってくれるだろうから。












 そういえば真選組はもう江戸にはいないのか。
 目が覚めて真っ先に思ったことはそれだった。
 逆賊とされて江戸を離れた真選組の、手助けをしたのは自分達だ。なんなら逆賊と呼ばれる覚悟を決めさせたのも自分だ。
 後悔はしていない。今にも死にそうなツラをしていたあの男の、心からの笑みを見られたから。
 気にかかることは山ほどある。それでもあの男が前を向いて、大将を取り戻せたこと。それは銀時の救いになった。
 全てを失ったと思っていた。アイツに吐露した過去の断片は全て本心だ。救ってほしかったわけではない。重ねてほしかったわけではない。ただ分かって欲しかった。
断片だけで分かると思ったのは、アイツが言ったからだ。
「悪ガキがワルガキ見捨てちゃシメーだろうが」
 自分と同じ思いをさせないために――。



 けれどアイツは、銀時の思いなんてあっさりと飛び越していった。
 大将に「自分と共に生きて死ね」と言わしめ、仲間達も守り切り、そして大将自ら生きる道を選ばせた。
 あの時ほど、心が震えたことはない。
 自分の選択は間違っていなかった。銀時は何も失っていなかったのだ。

 凄い奴だ。
 アイツは大将と仲間どころか、銀時の心まで救っていきやがった。
 その上置き土産まで残して、帰ってくると約束までして。素直に礼を言ってあの定食屋で笑い合った時、銀時はもう二度と土方には適わないと思ったのだ。
 あれほどまでに清々しい気持ちになったのは初めてだった。

 夢見が悪かったのは随分と久しぶりだ。
 土方に眠り方を思い出させられたあの日から、夢を見ることは随分と減った。夢を見た日でも、土方の凜とした背中を見ればまた眠ることができるようになっていた。
 あの男に無様な姿を晒したくない。あの男の隣に立っていたい。
 いつの間にか、土方は銀時の道標になっていたらしい。
 そしてその認識は間違っていなかったと銀時は思う。なんせ今まで考えていたこと全て、根底からひっくり返されたのだから。

 土方がいなければ、銀時達はここまで深入りしなかった。
 土方がいなければ、沖田達は近藤奪還へ先走って殺されていた。
 土方がいなければ、佐々木が弟や信女と分かり合えることもなかった。
 土方がいたから、近藤はきっと「共に生き、共に死ね」と隊士達に言えたのだ。

 力強い「生きろ」の言葉はまだ耳に残っている。
 託された酒のことを思い出す。その時言われた言葉も、忘れることはないだろう。
 これから銀時達は地球を出る。だが絶対に帰ってくる。
 そうしてまた共に酒を飲むのだ。

 前向きに約束ができたのは、きっと初めてのことだった。





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