きらめきに誘われて
北陸の方ではもう初雪が降ったらしい、と休憩所に置かれたテレビのニュースが告げる。
ニュースのバックで、シャンシャン、と、この時期特有の音楽が鳴っていた。
看病された日以降も、兵助はいつも通り変わらないまま接してきた。留三郎に意識があったのだと知らないから、当然といえば当然なのだけれど。
だから留三郎もあれは夢だったのだ、と思うことにした。
もしなにか問いただして、変な空気になってしまったら困る。本当に留三郎の錯覚だった可能性も、ないわけではないのだから。
なにより、今の兵助との関係が壊れるのが嫌だと思った。
着替えてバイト先を出て、待ち合わせ場所へ向かう。
空はもう既に真っ暗で、きん、と冷えた空気が星を煌かせた。
彼女はもう駅に着いただろうか。寒いから早く行ってあげなければ。
そしてあのイルミネーションを見に行って、あたたかいカフェオレをふたつ買おう。
兵助はいるだろうか。わからないけれど、なんとなくいるような気がした。
「留くん!」
「悪い、待たせた」
「ううん、あたしも今来たところだから」
駅の改札の前で、彼女はぱっとと花が咲くように笑った。
イルミネーションのある駅前の公園は、この時期のせいか時間帯の割にはにぎわっていた。
“意外と儲かるんです”と笑う兵助を思い出す。
確かにこの寒い中ずっと外にいれば、あたたかい飲み物が欲しくなるだろう。
「うわあ、やっぱりキレイだね! 写真撮ろうよ」
「おう。あんまりはしゃぐなよ、転ぶぞ」
「もーっ、子供じゃないんだよ!」
スマートフォンを取り出してきゃあきゃあとはしゃぐ彼女はとても可愛らしい。
光で飾られた木々や、広場の真ん中に立つ光のツリー、光で作られた小さな城やアーチ。
色とりどりに輝く、うつくしく、幻想的な光景。
目を細めて見入っていると、イルミネーションから少し離れたところ。
そこにひとつ、小さな屋台のような店が立っている。
看板を形ばかり飾り付けて、控えめな光を放つ、それ。
兵助のバイト先の、コーヒースタンドだった。
「なあ、あったかいカフェオレとか飲みたくねえ?」
「え? あ、いいの?」
「おお」
よく見つけたね留くん、とふわりと笑って、彼女と連れ立ってコーヒースタンドの方へ向かう。
申し訳程度の電飾で飾られたメニューボードと、茶色と緑の落ち着いた色合いの小屋。
近づくにつれ、コーヒー特有の甘いような苦いような、深い香りがふわりと漂ってくる。
中に立っていたのは、やはりというか、兵助だった。
清潔感のある白いワイシャツに茶色いシックのエプロンは様になっていて、“自信がある”というだけのことはありそうな雰囲気を醸し出している。兵助は留三郎と彼女の姿に大きな目を瞬かせて、綺麗に笑った。
「いらっしゃいませ」
「カフェオレふたつ」
「かしこまりました。タイミングいいですね」
「ホントに。でもラッキーです」
笑うと、彼女が不思議そうに留三郎と兵助を交互に見る。
それに気づいた兵助が彼女に微笑んだ。
「食満さんの隣人の久々知です。食満さんにはお世話になってて」
整った顔立ちの兵助に見つめられて、彼女はドギマギしつつも名前を口にしてはにかむ。
彼女がつけているコロンの、花のように甘い香りが、ふわりと舞った。
「あ、そうだ。ホットサンド食べません? 今日の日替わりメニューなんですけど」
「へえ、美味しそうですね! ……留くん、食べていい?」
「おう。じゃあふたつくれ」
「はぁい。ベーコンエッグチーズとアボカドハムチーズどっちがいいですか?」
「どうせだし、ひとつずつ買ってわけようよ」
「ああ」
「かしこまりましたー」
知り合い相手だからなのかゆるく声を出して、兵助はテキパキと準備に取り掛かる。
料理が美味しいのは充分知っているけれど、そういえば料理中の姿は見たことが無かったな、とふと思う。
兵助は楽しそうにフライパンを熱してから、手早くコーヒーをカップに注ぎ、ふたりに渡した。
「はあい、カフェオレふたつ。ホットサンドはもうちょっと待ってくださいねー」
「はーい」
嬉しそうに返事をして、彼女はあたたかいカフェオレを手に取った。
留三郎も手に取って、ひとくち口に付ける。
ふわりとやさしい甘味が広がり、深い、けれどキリリとした苦味が引き締める。深みのある香りまで、どこかほっこりするようなあたたかさが混じっていて。
さすが、“どれも美味い”と豪語するだけのことはあった。
「わ、ホントに美味しいです!」
「でしょう?」
彼女の言葉に誇らしげに笑って、兵助はとんとん、と手早く材料を切っていく。
手慣れているからだろう、ホットサンドメーカーにパンを入れるまでの流れはいっそ優雅とも言える手際だ。
けれど、兵助は楽しそうに、鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で、料理を作っていた。
ふたつ目のホットサンドをメーカーにセットすると、一連の動作を見ていた留三郎達に気付いたのか、兵助はへらりと笑う。
「5分くらいでできますから」
「久々知さん、留くんって普段どんな感じですか?」
「え?」
「ちょ、おい! なに聞いてんだよ」
唐突な彼女の質問に兵助は小首を傾げ、留三郎は焦る。別にやましいわけではなく、単純に気恥ずかしい。
しかし、そんな留三郎の反応は想定内だったようで。
「いいじゃない、普段の留くんがどんなのか知りたいんだもん」
彼女の満面の笑みに、留三郎はなにも言えなかった。
年下といえど、やっぱり可愛い彼女には強気に出られないらしい。兵助はくすくすと笑って、そうですねえ、と言葉を探した。
「おれも、たまに会う程度なんですけどね」
「いいですよ、全然!」
瞳をキラキラと輝かせる彼女は、本当に留三郎が好きなんだろう。
微笑ましい気持ちになって、兵助は普段の留三郎を思い浮かべた。
なにを思い出したのか、笑みが深くなる。
そうして、ぽつり、と呟いた。
「……繊細な人」
低く柔らかい声は、深い、不思議な感情が織り交ぜられていた、ように思えた。
けれど、それは一瞬のことで。
「いや、かなりめんどくさがりですよね」
次の瞬間には微笑も声も明るいままで、またたきのうちに、気のせいだったのかと思ってしまうような些細な変化だった。
今の声と微笑みはなんだったのか。
思ったけれど、つらつらと続いていく言葉に塗り替えられるように、次第に感じた違和はいつの間にか消えてしまっていた。
「ゴミ捨てとか、ため込んで出すタイプなんですよ」
「え、意外! あたしが部屋に行くときはいつもキレイなのに」
「そりゃあ、そういう日はきちんと掃除してるんでしょう。
けど、スタイルいいからボサボサでも様になるというか」
「ああ、なんか想像つくなあ! あたし思ってたんですけど、留くんってアレに似てません? ほら、あのアニメの、動物が神様の」
「あ、わかった。黒豹でしょ?」
「そう! やっぱ似てますよね! あれなんの神様でしたっけ」
「ああ、確か……」
話についていけないでいると、くすくすとふたりで笑い合う。なんだか、一気に仲良くなってしまったようだ。
確かに兵助は人好きする性格だと思っていたけれど、なんとなく面白くない。
兵助と彼女、どちらに嫉妬しているのかもわかっていないまま、留三郎はカフェオレを飲みながら公園を眺める。
カップルや家族連れ、たくさんの人達がイルミネーションを見て笑顔を浮かべていた。
――と、どこからか甲高い泣き声が聞こえてくる。
そちらを見やると、3、4歳くらいの男の子。
周りに保護者らしき大人は見当たらない。迷子になってしまったのかもしれない。
「……迷子?」
「ちょっと声かけてくる」
「あ、あたしも行くよ」
彼女と視線を合わせて、男の子へ近づいた。
「どうした?」
「お父さんかお母さんは?」
しゃがみ込んで男の子の目線に合わせる。
男の子はふたりの優しい声に、涙混じりの声でつっかえつつも説明した。
どうやら両親と一緒にイルミネーションを見に来たはいいけれど、その光につられるうちに迷子になってしまったようだ。
ふたりはとりあえず、と兵助の店の方へ男の子を連れて行った。
こういうことはよくあるのか、兵助は男の子を安心させるような、柔らかい笑みを浮かべる。
「きみ、牛乳は飲める?」
こくりと頷いた男の子によし、と呟いて、兵助はテキパキと牛乳を温め始めた。
その間に留三郎と彼女に向き直る。
「ホットサンドできたんですけどどうします?」
「うーん……。ねえ、お母さんに食べたらダメって言われてるもの、ある?」
「……ももは、くちがいがいがになるからだめなの。それとねえ、とまととぴーまんは、うぇってなっちゃうの」
「んー、じゃあ、三人で分けるか、ホットサンド」
「そうだね」
桃アレルギーを持っているようだが、それ以外は大丈夫そうだ。
じゃあ切り分けますね、と二種類のホットサンドは兵助がみっつに切り分けた。
そして、はちみつ入りの、ほっとするような甘さのホットミルクも。
「すみません久々知さん、料金は」
「サービスですから、気にしないでください」
微笑む兵助に頭を下げて、留三郎と彼女は男の子と三人でホットサンドを分けた。
いただきます、と彼女が元気に手を合わせて、かぶりつく。
アボカドのごろごろした食感とみずみずしさが、ハムの塩気とうまい具合に引き立て合っている。チーズもとろけてマヨネーズと混ざり、マスタードが引き締める。外はサクサク、中はふんわりした食パンと一緒に食べると、それが絶妙な美味さを生み出した。
もうひとつの方も、ふんわりした食感のスクランブルエッグの甘味と、カリカリしたベーコンの塩気にとろとろに溶けたチーズが絡む。ピリッとしたブラックペッパーに、オーロラソースが全部を中和させるように包み込んだ。
あたたかくてやさしい味の、兵助の料理だ。
「うわあ、美味し……。美味しいねえ」
とろけるような笑みを乗せ、彼女は男の子に微笑む。
男の子はこくこくと頷いて、もぐもぐとホットサンドを食べている。
「ゆっくり食べねえとのどにつまるぞ」
留三郎が苦笑しつつ、ホットミルクをふぅ、と覚まして男の子に手渡す。
こくり、ひとくち飲んだ男の子は、大きな瞳をキラキラと輝かせてホットミルクを覗き込んだ。
「あまい……!」
「お? 甘い牛乳は初めてか」
「うん! あのね、あったかいぎゅーにゅーは、ママがときどきつくってくれるんだよ!
でもあまいのは、はじめて!」
「あはは、そっかあ。美味しい?」
「うん!」
子供好きだからか、ふたりとも子供の話を聞き出すのはうまくて。
ホットサンドを食べ終わっても、ホットミルクを飲み終わっても、三人はずっと話していた。
コーヒースタンドの前に置かれた簡易ベンチに座って、ずっと。
そうしているうちに、運は巡ってくるもので。
突然女の人の叫ぶような声がして、男の子は勢いよく振り返った。
「ママ!」
留三郎と彼女が振り返ると、男の子が女の人に抱き着いている。傍らには男の人もいて、両親が迎えに来たのだと、言われなくても分かった。
留三郎と彼女は無言で視線を合わせ、微笑む。
男の子がホットサンドとホットミルクを貰って、ここでずっと話していたのだと知ると、両親は恐縮して三人に何度も頭を下げた。
かえってこちらが恐縮するほど何度もお礼を言うので、兵助が“うちのコーヒーを買いに来てください”と冗談のように笑って、ようやく収拾がついて。
そうして、夜のひと騒動はようやく幕を下ろした。
けれど。
家族の後ろ姿を見送りながら、良かった、と呟いた兵助の黒い瞳が。
なにか吹っ切れたように、やけに澄んでいたように思えた気がして、
なんだか留三郎は胸がそわそわするよな、落ち着かないような気持ちになっていたのだった。