初雪が降るまでに






ついこの間までオレンジと黒で彩られていた町は、すっかり赤と緑ばかり。
鈴やベルの、心が浮き立つような音楽が流れ、ケーキや贈り物の宣伝がどんと増えた。
けれど贈り物を贈る恋人も、ケーキを一緒に食べるような人もいない。

というか、さっきいなくなったばかりだ。

浮ついた世間がいやに楽しそうに見えて、留三郎はイヤホンを付けて逃げるように駅を出る。
途端に身を切るような冷たい風に、なんだか責められているような気がした。

風から庇うようにダウンコートのポケットに手を突っ込み、足早にマンションへ向かう。
途中でコンビニに寄って酒とおつまみを買った。
苦い思いは酒で忘れてしまうに限る。
マンションから近いコンビニの店員の、いつものように不愛想なレジ打ちを眺めていると、ふわりふわりと漂う白い湯気が視界に入った。


「あ、あとおでんください」


最初は張り切っていた一人暮らしも、一年たてばなんとやらで、今では料理も週に一回するかしないかという程度。
課題が増えてきて時間が無いということもあるが、なにより自分だけの為に料理をするのは“楽しい”というより“面倒”という方が勝ってしまうのだった。
器用だから細かい作業も苦ではない。だから料理自体は好きなのだけれども、ひとりで作ってひとりで食べるご飯は、なんだか妙に味気なく感じる。
“一緒に食べてくれる人さえいりゃあ、頑張って作るんだけどな。”と、料理が褒められるたびに思う。

騒がしくて、性格もバラバラなのに妙に気の合う友人達は、いつの間にか恋人やそれに近い人を作っていた。
留三郎も容姿は整っているし、性格も、多少短気なところはあるけれど面倒見はいいし、決してモテないわけではない。というより、むしろ普通の人よりもモテる方だ。
当然のように、可愛らしい女の子と付き合っていたこともある。
ただ、どうも長続きしないのだ。
それなりに楽しいお付き合いをしているつもりなのだけど、いつも最後には“なんだか私を見てないみたい”と言われて別れを告げられる。
留三郎としては全くそんなつもりはないし、自分なりに彼女達を大切にしていたつもりだった。
それでも毎回、全く同じセリフで振られてしまう。

今日も、そうだった。

さっきまでの暗鬱な空気を思い出して、大きな溜息を吐く。
久しぶりのデートだったから、夕方、たまたま出くわした、ひとつ年下の隣人にも笑われるくらい浮足立っていたのに。
隣人もまさか、振られるためにデートに行ったとは思わなかっただろう。


(振られた上にひとりでコンビニおでん……)


虚しくなって、大きく息を吐いた。
彼女が悪いわけではない、とは思うのだが、“どうして”と訊きたくてたまらなかった。
“どうして”俺が君を見ていないと思ったのか。
“どうして”思った時に言ってくれなかったのか。
訊いたところで意味がないことは、留三郎が一番よくわかっていたので、なんとか寸でのところで耐えたけれども。

もう何度目かもわからない溜息をこぼしながら、ガチャ、と部屋の鍵を開ける、と、ちょうど同じタイミングで隣人が部屋から出てきた。
電車に乗る留三郎と違って、この近くの大学に通う兵助は、留三郎を見るとあれ? という顔をして、けれどすぐに納得したような表情に変わる。

無視をするような間柄でもないので、イヤホンを外して憮然とした表情を作った。


「……振られた上にひとりでコンビニのおでんですが何か」

「なにも言ってないじゃないですか」


兵助はわざとらしく、困ったように笑って返してくる。
ゴミ捨ての時やコンビニに行く時の着古した普段着ではなく、ネイビーのPコートと白いマフラー、黒のレザートートバッグ。
どうやらこれから出かけるらしい。
腕時計に目をやると、時刻は21時に差し掛かろうとしている。


「バイトですか?」

「え? ああ、いえ、友人と会うんです」

「ああ」


楽しそうな兵助に口元が自然とほころぶ。
留三郎も去年の今頃はよく友人達とつるんで夜な夜な遊びまわっていた。
実家住まいから一人暮らしになった解放感と、成人しているセンパイがいる大学は、同じ学生でも今までとはわけが違う。

遊べるうちに楽しんできてください、と自分が言うのはなんだかおかしな気がして、留三郎はじゃあと手を上げて部屋に入ろうとする。
けれどその前に、兵助がそっと遠慮がちに声をかけてきた。


「あ、あのう……良かったら、今日の晩ご飯、食べる前に呼び出されたんで、残ってるんですけど、どうですか。
いなり寿司なんで、おでんと相性も悪くない、かと思うんですけど……」

「え、」

「あ、いやならいいんです、けど」


眉を下げて微笑する兵助に戸惑って、留三郎は数度おでんと兵助に視線をやった。
それを否定と受け取ったのか、兵助はあー、と視線を逸らす。


「いえ、いらないなら断ってくれていいんで、」

「や、ちょっと待、……えーと、ホントにいただいていいんですか?」


焦るように遮る声に、遠慮しているだけだと納得して。
兵助は真面目な顔になって、実は、と内緒話をするように声を潜めた。
何事かと、留三郎も少し身をかがめて耳を寄せる。


「……油揚げの賞味期限が近いことについさっき気付いて。しかも2パックも」


真剣な声音と内容とのギャップに、留三郎は思わず吹き出した。
兵助はいたずらっぽく笑って肩を竦める。


「だから凄い量になっちゃって。貰ってくれるとむしろ助かります」

「ああ……じゃあ、いただきます、すみません」

「いえ、こっちからお願いしたんですから。ちょっと取ってきますね」


たった今閉めたばかりの鍵をもう一度ガチャガチャと開けて、兵助は自室に入っていく。
彼とは会えば世間話をするくらいの仲だけれど、料理を貰うのは初めてだ。
もしかすると、振られた上にひとりでコンビニおでんを食べる、という自分に同情したのかもしれない。
まあ、それでもいいか、と留三郎は思う。
なんにせよ、手料理を食べるのは久しぶりだ。ありがたくいただこう。


「お待たせしました」

「いや、ありがとうございます」


パタパタと出てきた兵助に手渡された、真っ白い陶器の皿。
ふっくらとご飯を包んでいる、きつね色の、つやつやとした油揚げがいつつ。


「……美味そうだな」


思わず口をついて出た言葉にハッと頭を上げると、兵助はきょとんとして、すぐに嬉しそうに微笑んだ。


「お口に合うかはわかりませんが」

「いや、すみません、ありがたくいただきます」


本人を目の前にして言ってしまったことに照れて早口になってしまう。
兵助はわかっている、というように目を細めて、じゃ、と鞄を持ち直した。


「適当にチンして食べてくださいね。皿はいつでもいいですから。それじゃ」

「あ、ありがとうございます」


軽く会釈して去っていく背中を暫く見送って、留三郎もようやく自室に入る。
真面目そうな見た目とは裏腹に、意外と言葉のチョイスは可愛いんだな、なんて考えながら。

言われた通りレンジに入れて、カーキ色のコートとカジュアルデザインのキャンパストートをぽいっとベッドに放り投げて。
こたつテーブルに買ってきたものを適当に置いて、なんともなしにテレビの電源を入れる。
かしゅ、と酒のプルタブを開けてから、煙草に火をともした。

ワンルームの学生専用マンションは人の出入りが激しい。
そのせいか、単純に時代の流れなのか、あまり住人同士の交流はない、と思う。
現に留三郎も外で住人に会っても会釈で済ませるし、大学で会っても話かけるなんてことはしない。
けれど、兵助は部屋に引っ越してきたとき、真っ先に挨拶に来た。
今どき珍しいと驚くと、“挨拶は人の基本でしょう”と笑われた。
その笑顔がやけに楽しそうに見えて、浮かれてますね、と苦笑を返したのが最初の兵助との会話だ。

それから半年と少し。
顔を見れば無視はしない関係ではあるけれど、連絡先すら知らない、敬語すら外れていない距離感がずっと続いていたのに。
作りすぎたなんて嘘で、やはり同情、だろうか。嬉しそうに夕方出て行った男が、少しだけ不貞腐れた様子で帰ってきたから。
哀れまれた、のだろうか。
……いや、人の好意を疑うのはやめよう。これではただの下種の勘繰り、というやつだ。

ふぅ、と白い煙を吐き出して、ゆらゆらと宙を漂うそれを眺めながら。
留三郎の思考は徐々に彼女の言葉へと移っていった。


“留、あのね、”

“あなたは、私を見てくれていないと思うの。
どうしてって、あなたは思うかもしれないけれど。
あなたは私のことを甘やかしてくれたし、大切にしてくれた。それは間違いないわ。
だけど、なんだか違うの。
あなたは、私を彼女だと思ってないような気がするの。
だから、ワガママだって言われても仕方ないけど、別れてほしい。
ごめんね。……楽しかったわ。”


ひとつ年上のバイト先のセンパイは、一息でそう言ってその場を去った。
今までの彼女と同じような、まるでセリフのような内容の言葉。
何度言われたって、留三郎には言っていることが理解できない。
“彼女として見ていない”とは、どういうことなのか。留三郎自身は、彼女だと思って接してきたのだから。

煙をゆっくり肺に送って吐き出す。
もやもやとした気持ちも一緒に吐き出せたらいいと思った。


「……意味わかんねー……」


幸せそうな恋人達が楽しそうにパーティをしているコマーシャルが流れる。
とどめと言わんばかりの仕打ちにスマートフォンを取り出した。


「くっそ……今度は長続きしてやる」


アプローチをしてくる女の子は彼女以外にもたくさんいる。
大学の友人から、先輩、後輩、バイト先の先輩、後輩。
メッセージを送ってきていた後輩の女の子に返信しながら、煙草の火をもみ消した。

背後で、いなり寿司が温まったことを知らせる音が鳴った。





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