本日光芒!

*文仙、食満くく





ドンドン! と勢いよくドアを叩く音がして、リビングでうたた寝していた俺は跳び上がった。
くそう、折角あともう少しで豆腐の海に入れたのに、と思いつつ玄関へ向かう。
ピンポンを鳴らさない人は何人か心当たりがある。主に食満先輩の周りで。


「はいはい……あ、れ?」

「久々知……」

「立花先輩! どうしたんです、斜堂先生みたいな顔になっちゃって」

「誰だそれは……」


ドアを開けると、目を真っ赤にしてどんよりと落ち込んだ様子の立花先輩が立っていた。


「私はもうだめかもしれない……」

「どうしたんですか、珍しい」

「……言いたくない」

「ならいいですけど」

「……お前、優しくない」


リビングに入ってきてそうそう椅子に崩れ落ちるように座った先輩は、さめざめと泣く真似をする。
そんな先輩を放置して、コーヒーを淹れるために立ち上がる。


「……発端は私だったんだ……」

「……はあ、」

「でも、あいつも悪かったんだ……」


結局話し始める先輩の声には覇気がない。
あれ、先輩ってブラック飲めたっけ。……飲めそうだし大丈夫か。
頭の中ではそんなことを考えているが、話は一応ちゃんと聞いている。


「……それで、売り言葉に買い言葉で……」

「言い過ぎの自覚があったのでうちに逃げてきた、と」

「だって、お前は常に冷静だし……!」

「……先輩もクールでしょ、一応」

「一応って……」


コーヒーを淹れて先輩に渡す。
か細い声でお礼を言った先輩は両手でそれを掴んで俯いた。
普段の凛とした先輩と同じ人物とは思えないほど意気消沈した様子に、気づかれないように笑う。
先輩がここまでひどい有様になるのはいつだってあの人関係だけだ。


「だって……心配にもなるだろう……?」

「そうですねえ」

「そりゃ、そりゃ私の言い方も悪かったかもしれないけど……」

「はい」

「何日寝てないと思ってるんだ、あいつ……」

「はい」


恋人と喧嘩したらしい。
立花先輩と潮江先輩は一応付き合ってるらしいけどよく分からない二人で、いつも立花先輩がからかって潮江先輩が怒鳴っている。
でもそれが時々、タイミングとかの問題で大喧嘩に発展する時がある。
立花先輩もなまじプライドが高くて頭が回るもんだから、いつも後で後悔するのだ。


「でも『お前には関係ない』はひどいと思わないか!?」

「そうですね」

「関係ないって……私はなんなんだ……」

「まあ実際仕事と恋人は関係な痛いなんで殴るんですか!」

「お前! 少しくらい私を慰めてくれてもいいだろうが!」

「優しい言葉が欲しいなら伊作先輩とか中在家先輩頼ってくださいよ!」

「今回は私が悪かったから怒られるに決まってるだろうが!」

「分かってるなら謝りに行けばいいのに」


精神的なダメージを受けたらしく、テーブルに突っ伏された。
作法委員会の人って素直じゃない人多いよなあ。なんでだろう、あ、プライドが高いのか。
先輩が話さなくなったので冷蔵庫を開ける。
良かった、買い物に行かなくてもよさそうだ。


「あ、先輩、プリンありますけど食べますか?」

「……いらない」

「そうですか、じゃあ俺は杏仁豆腐を食べます」

「プリンじゃないのか、そこは」

「プリン食満先輩のなんですよ」


立花先輩が少し笑った。
この人はいつも、喧嘩する度にうちに来る。
そんでコーヒーを飲んで、愚痴って、すっきりしたように笑う。
泣きはらした真っ赤な目でも綺麗だと思うのは、恋をしているからだろうか。


「立花先輩、晩ご飯食べていきます?」

「今日のメニューは?」

「えーと、昨日のハンバーグのタネが余ってるんでピーマンの肉詰めと、もやし炒めとサラダ、と豆腐の味噌汁でどうでしょう」

「豪華だな。頂こう」


先輩が小食すぎるだけだと思う。


「あ、コーヒーのお代わりどうです」

「ん、……お前、いい嫁になりそうだな、うちに来ないか」

「……嫁と召使が同義語だとは知りませんでした」

「私の辞書にはそう書いてある」

「その辞書に素直って言葉を書き加えておいたらどうで痛い!」


なにも無言で殴ることはないだろうに。
頭をさすりつつ、先輩の目の前にコーヒーを置いて晩ご飯の準備に取り掛かる。
いつもよりも少し早いけど、今日はこれでいい。


「お前、意外と器用だよな」

「そうですか? 食満先輩の方が器用ですよ」

「いや、人間関係の話」

「人間関係?」


人間関係に器用も不器用もあるのだろうか。
ピーマンを洗いつつ立花先輩を見ると、先輩はこっちを見ていた。


「なんか、お前はあんまり喧嘩をするイメージがない」

「なんですかそれ、普通にしますよ喧嘩くらい」

「どんなことで?」

「ちょうど昨日、三郎と豆腐の取り合いで喧嘩しました」

「……鉢屋って豆腐好きだったか?」

「いえ、三郎の豆腐を取ったら怒られました」

「ぶふっ!」


先輩がコーヒーを吹き出した。
なにかがツボに入ったらしい。


「く、くだらな……!」

「失礼な。あのファミレスの豆腐美味しいんですよ」

「どのファミレスだ……! ほ、他にはどんなことで喧嘩するんだ?」

「食満先輩とはどのデザート買うかで喧嘩したことが」

「なんだそれ!」

「俺は杏仁豆腐食いたいっつってんのに先輩が安いからってコーヒーゼリー一択で。あの人半額シールついてたら即かごに入れるんですよ」

「主婦か!」

「あと一週間豆腐料理にしたら怒られました」

「そりゃそうだろ……! 飽きるだろう……!」

「俺もそう思ってちゃんと毎日違う味にしたんですよ?」

「そ、う、いう問題じゃない……!」


先輩がテーブルに突っ伏してひいひい言っている。
そういえばこの人笑い上戸だった。


「ただいま、あ、やっぱ仙蔵い、た……?」

「……どうしたんだ、こいつは」

「あ、先輩おかえり。潮江先輩いらっしゃい」

「邪魔するぞ」

「で、どうしたんだ仙蔵」

「……なんか、豆腐争奪戦がツボに入ったみたいです」


俺の言葉に立花先輩はまた吹き出す。
相当俺の喧嘩話がお気に召したらしい。
というか自分の喧嘩相手が今後ろにいるのに気づいているのかいないのか。


「……おい、仙蔵」

「は、う、わ、も、文次郎……!」

「俺らの部屋使えよ、んでちゃんと話し合え」

「……すまん」


潮江先輩と食満先輩の間だけで完結した会話に文句を言うこともなく、立花先輩は大人しく潮江先輩に引きずられていった。
俺に助けを求めるような視線を向けられたので親指を立てて見送っておいた。
凄い顔で睨まれたけど、まあ大丈夫だろう、たぶん。


「で? 豆腐争奪戦って?」

「あ、そこに戻るんですか……」

「仙蔵が知ってて俺が知らないのはムカつく」

「……やきもち?」

「やきもち」


楽しそうに肉詰めを盛り付ける先輩の隣で笑いながらもやし炒めを作る。
立花先輩もこのくらい素直になればいいと思う。
さっきの話をすると、先輩もゲラゲラ笑った。


「やっぱ仲良いよな、お前ら」

「そうですか?」

「だってほら、この前行った遊園地でもさ、最後観覧車六人で乗ったじゃん」

「うん?」

「や、普通カップルごとに乗るだろ? デートなんだし」


思わず食満先輩の顔を見た。


「そんな、『そういえばそうだった!』みたいな顔向けられても」

「いや、なんかあいつらといるとそういう認識忘れてるな、と」

「当たり前のように六人だったもんなあ」


なんか初めて自分達の仲の良さに気づかされたような。
言われてみればそうだよなあ、慣れって怖いなあ……。


「おら久々知、味噌汁どうだ?」

「……ん、美味しい」

「……なにしてんだお前ら」

「「え、味見」」

「仲良しだな」


サラダを作っていたら後ろから先輩が味噌汁の入ったお玉を持ってきたので、そのまま味見をしただけだ。
そこでちょうど立花先輩と潮江先輩が部屋から出てきた。
二人とも普段の雰囲気に戻っているので、ちゃんと話し合えたらしい。


「世話になったな」

「あれ、帰んの? 飯は?」

「まだ仕事終わってねえんだよ。明日までに仕上げねえと」

「ご飯くらい食っていけ。ぶっ倒れるぞ」

「いや、帰りに適当になんか買うわ」

「そんなんじゃ栄養足んねえって」


潮江先輩、いつになったら忙しくなくなるんだろう。
昔からこんな感じだったなあ……と思いつつ、四人分の晩ご飯をテーブルにならべる。
潮江先輩は頑固な人だけど、無駄とか勿体ないことを嫌うのだ。


「潮江先輩、もう並べちゃったんで食べてってくださいよ。うちには二人分も食べられる人いませんし」

「久々知、お前なあ……」

「いいじゃないか、折角久々知が作ってくれたんだ」

「そうそう、こいつの料理美味いんだぞ」

「それは知ってるが……」

「ご飯しっかり食べて、しっかり休息した方が作業効率も上がりますよ?」

「…………分かった、貰おう」


潮江先輩の後ろで二人が親指を立ててきたので、ピースを返しておく。
ほんとに頑固だなあ、と笑いながら、俺達も席についた。


「どうだ、久々知の料理は美味いだろう」

「美味いが、なんでお前が威張るんだ」

「へえ、じゃあお前が毎朝弁当作ってるのか。凄いな」

「早起きは得意ですから。慣れてくると楽しいですよ」







本日光芒!







和やかに先輩達と囲む食卓は、どこかあの頃を思い出させて。
ああ、今もこの人達と一緒にいるんだなあ、と。
あいつらも、すぐ会える距離にいるんだなあ、と。
それが、とても幸せなことなのだと改めて思った。










――
杏仁豆腐がいつの間にか消失していた。

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