フェチ | ナノ

最近熱心に注がれる視線を確信したのはつい昨日のことだ。


(…また、見られてる)


自惚れでもなければ、自意識過剰でもない。間違いなく私は彼に、──氷室辰也先輩に見られている。理由はわからない。どうして見られているのか気にはなるものの、かといってマネージャー業を怠る訳にもいかず、私は先輩の視線を振りほどくように、伸びてきた髪の毛をゴムで括りあげ、気合い入れの為に両頬を叩いた。
残暑はまだ、白露の訪れを許してはくれない。






「お疲れ様でした」
「おう。マネージャーもお疲れさん」


疲れた身体を引きずる部員たちを見送り、誰もいない部室の扉を開く。部活が終わったあともマネージャーの仕事は続く。そう、部室掃除だ。部室では、部活の熱がデオドラントスプレーやシートの匂いとともに私の肌に張り付く。汗の匂いも脱臭剤の匂いも、皆が頑張っている証拠だと思うと、顔を顰めることはない。
ベンチの下やロッカーの隙間を箒で掃いていたとき、部室の扉が開いた。


「あ、名前ちゃん。お疲れ様」


扉から現れたのは氷室先輩だった。


「お疲れ様です!ごめんなさい、もう皆帰ったと思っちゃって……今出ます」
「あぁ、いいよ別に。すぐ着替えるから、お仕事、続けてて」
「はい…」


ついはいと返事をしてしまったものの、謎の視線を浴びせてきている氷室先輩と二人きりだとどうも身体が緊張する。なるべく着替え中の先輩を視界に入らないように、離れたところで箒を掃く。先輩が「ちょっと汗臭いかも」と言ったのが聞こえた。


「やっぱり先輩も汗とか気にするんですか?」
「そりゃ勿論。それなりに気にはなるよ」


先輩とは他愛もない話をするくらいに仲は良い方だとは思うけど、中々私が今疑問を呈していることには踏み込めない。「汗とか気にするんですか?」と同じ感覚で、「どうして部活前に私を見てくるんですか?」と聞けたらいいのに。チャンスはきっと今なんだと頭ではわかっているものの、口に出すことは憚られる。

ガチャン、とロッカーが閉まる音で現実に引き戻された。


「着替え終わったからもう後ろ向かなくていいよ。掃除の邪魔しちゃってごめんね。じゃあ、お疲れ」
「えっ、あ、先輩ちょっと待って…!」


制服に着替えをした先輩が部室を出ようとしたところを、つい引き止めてしまった。


「なに?」
「あー…、あの…」


引き止めてしまった手前、切り出す口を開けない。上手く、やんわりと、問いかけの言葉を探す。黙り込んだ私を不思議に思った先輩が、扉から私の方へ足を動かした。そんな動作でさえ、焦燥感を掻き立てる十分な材料だった。


「名前ちゃん?」
「…っ、あの、聞きたいことが、あるんですけど」


ついに目の前に先輩が来てしまって、もうなるようになれ、と私は口を開いた。


「……なんで部活前に、いつも私を、み、見るんです、か…」


段々フェードアウトしていった私の問いかけが最後まで先輩の耳に届いたか不安と焦りを感じ、俯いていた顔を上げて先輩の顔を見ると、先輩の顔が少しだけ驚いたように開いていた。


「…えっと、勘違いですよね、すいません今の忘れてくだ──」
「いや、勘違いじゃないよ」
「…え?」


今度は私が驚く番だった。先輩が私を見ていたことに対する驚きというよりは、先輩があっさり認めたことに対する驚きで。


「参ったな、まさかバレてたのか………ごめんね。不快な思いさせちゃった?」
「いや、どちらかというと…なんで見てたのかなぁ、と…」
「それは…」
「……」
「言わなきゃ駄目?」
「理由がわからないまま見られる方が嫌です…」
「…ひかない?」


先輩が困った顔をして私の顔を覗き込んでくる。


「大丈夫です、…多分」


私がそう答える。先輩は深呼吸をして、何故か私の腕の辺りを見て、口を開いた。


「………名前ちゃんの脇を、見てたんだ」
「…………………は?」


一瞬先輩は英語でも話したのかと思ってしまった。





「…脇、ですか?」
「そう、脇。名前ちゃん、部活前に髪を一つにまとめるだろう?その時にシャツの隙間から見える脇が、いいなあって、思っ、て…」


先ほどの私同様にフェードアウトしていく言葉とともに先輩の顔が気まずそうに赤く染まる。
状況把握が出来ていない状況で、私は先輩の言葉を、一字一句反芻するように頭の中で理解しようとしていた。頭の中が混乱しているのは自分でもよくわかる。そしておそらく、先輩も、少なからず混乱をしているのだろう。ポーカーフェイスが常である先輩の顔が、耳まで真っ赤だ。

「…先輩…?」

俯いて真っ赤になったまま固まってしまった先輩の肩に触れようとした瞬間、私の腕は先輩の手のひらに捕まった。そして顔を上げた先輩が、吹っ切れたように口を開いた。

「名前ちゃんの脇が好きなんだ」

一世一代の告白でもするのかという真剣な面持ちで、私の顔を見つめてきた先輩は自暴自棄にでもなったのか、と思う。
それでもやはり先輩のような美形さんに、曲がりなりにも、好きだ、なんて言われると、嬉しくない訳がな くて、私は上手く状況を切り抜ける言葉を見つけ出すことを投げ出した。

「本当に気持ち悪いことは自覚してる、けど、好きだよ」
「えっと……ありがとうございます…?」

そして私は、その日を境に吹っ切れた氷室先輩の脇に対する熱意に、思い切り振り回されることになるのであった。

「名前ちゃん、シーブリーズなんて使っちゃ駄目だからね、勿論シートを使うのもナシだ。自然の脇が一番だよ!」
「じゃあもうどうしろと!自分はガンガン使うくせに!先輩のばか!!」

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