禁断 | ナノ

『名前さん、好きっス』

その声は、カメラ前のモデルでも何でもなくて、一人の男の人だった。
高校生だとか、それはただの勘違いだとかいろいろ思うのに、私は動けないでいる。

*

「お疲れ、黄瀬くん。今日の表情、よかったよ」

「ほんとっスか!ありがとうございます!」

撮影終了後、いつものように声をかけいつものように水を渡す。
黄瀬くんはいつものようにお礼を言って水を飲みほす。
ごくりごくり、動く喉をぼんやりと眺めていた。

あぁ、こうしてるとただのモデルとマネージャーなんだけどなぁ、何でこんなことになってるんだろう。
つい数時間前の言葉を思い出し、顔が少し熱くなるのを感じた。
私こそ何やってるんだ、それこそ芸能マネージャーとして失格だ。頬を軽く叩き、気合を入れなおす。

そもそも彼があんなことを言い出したのも私の甘さだ。
その彼は、軽く俯いている。ふと目元を見ると、うっすらとクマができていた。

「...黄瀬くん」

呼びかけてみるけれど彼はぼうっと俯いたままだ。

「黄瀬!」

「は、はいっス!」

彼を怒るときと同じ調子で名前を呼ぶと、彼はぎくりと顔を上げた。いつもより少し、顔色が悪い。
こんなことにも気づけないなんて、本当に今日の私はどうかしている。

「黄瀬くんさ、最近ちゃんと寝てる?顔色悪いし、今はまだメイクで誤魔化せてるからいいけど、クマもできてるよね」

「あ...すいません、実は最近眠れなくって」

「駄目でしょ、体調管理くらいしっかりしてね。今日もあんまり体調よくないでしょ」

「そんなこと、」

「はい嘘つかない。車で送っていくから、駐車場まではしゃきっとしてて」

わかってるのに何で俺に訊いたんスか、苦笑する黄瀬くんはやっぱり無理している。
スタジオから出るとお決まりのごとく群がってくる若い女性スタッフを追い払い、私と黄瀬くんは駐車場まで急いだ。

スモークのかかった車にたどりつき、すぐに黄瀬くんを助手席へと乗り込ませる。
私も運転席へ座り、すぐにドアポケットに常備してある薬を取り出し、無理やり押し付けてから、車のエンジンを入れた。
暖房のスイッチを入れると、まだ温まりきっていないぬるい空気がふきだす。
一度会話が途切れると、黄瀬くんの息遣いだけがやけに気になった。

その黄瀬くんは、私に告白なんてことをしてくれたのだ。
思い出すとなんだか恥ずかしいがそれ以上に情けなかった。

芸能人の恋愛は、絶対的なタブーだ。
マネージャーは芸能人と近しいところで接する分、そのような事態に持ち込まないようにしなければならない。
そんな気持ちを抱かせてしまった時点で、私はマネージャー失格だ。

とりあえずは車を出そうと、サイドブレーキに手をかけようとすると、黄瀬くんに掴まれた。

「名前さん」

「...どうした、黄瀬くん」

少し声が硬くなったのが、自分でも分かった。取り繕わなければいけないのに、私は馬鹿か。

「俺、やっぱり名前さんのこと好きなんスよ」

「それは、黄瀬くんの勘違いだよ」

「そんなんじゃないっス」

勘違いだと諭そうとすると、途端に黄瀬くんの声が硬くなった。
このまま話しても、たぶん堂々巡りになるだけだと思った。

「黄瀬くんは、何で私のことを好きになったの?」

問うと彼は、少しだけ虚をつかれたような表情をする。

「...俺のこと、例え仕事だからだとしてもちゃんと考えてくれてて、本気で俺を怒ってくれるのが、すごい嬉しかったんス」

「うん」

「馬鹿みたいに単純かもしれないけど、それで好きになった」

「そっか」

黄瀬くんのその言葉に、少しだけ胸が苦しくなった。
自分を見て、好きだといってくれる人がいるのは幸せなはずなのに。
せめて、そんな想いを向けてくれた黄瀬くんには、きちんと話しておこうと思った。

「ねぇ黄瀬くん、私ね、黄瀬くんのマネージャー始めてからも、何回か業界の人に告白されたことがあるの。もちろん芸能人じゃなくて、スタッフの人だよ」

「...はい」

訳が分からない、とでも言うように黄瀬くんは眉根をぎゅっと寄せた。

「でもさ、私全部断っちゃったの。で、そのうち黄瀬くんと私はつきあってるんじゃないかって噂が流れたんだ」

黄瀬くんの耳に入らないようにしてたから黄瀬くんは知らないだろうけど、と付け足す。
黄瀬くんは当然驚いていたけれど、私は話を進める。

「そのとき、私は当然そんなことないって言った。でもね、何人かは私が黄瀬くんのこと、好きなんじゃないかって揶揄したの。まぁたぶん大方が黄瀬くんのマネになれなかった子たちが嫉妬しただけなんだろうけど」

でも私、そのときすぐに否定できなかったんだ。
自嘲気味に笑うと彼はどういうことっスかと、呟いた。

「うん、だからね、勘繰られちゃ困るような感情を、少なからず私が持ってたの」

「...それって」

「私も黄瀬くんが好きってことだよ」

じゃあ、そう言いかけた黄瀬くんにかぶせるように、私は言った。

「でも、駄目。黄瀬くんの気持ちには応えられない」

「どうして駄目なんスか!」

「駄目なものは、駄目だよ。黄瀬くんは芸能人で、私はマネージャーだから」

絶対に、駄目。これは許されちゃいけないことなの。
駄目だよ、黄瀬くん。駄目なのに。どうして黄瀬くんは、諦めてくれないの?

「ねぇ名前さん、ほんとに好きなんスよ。何があっても絶対、好きです」

黄瀬くんの伏せられていた瞳が、じっと私を見つめる。
痛いくらいにまっすぐで、目をそらせない。
芸能人だとか、高校生だとか、頭にこびりついて離れないのに、私は頷いていた。条件反射みたいなものかもしれなかった。

ゆっくりと肩を抱き寄せられる。素知らぬふりをして、その首に腕を回した。

「私だって大好きなんだよ」

大好きなんだよ。でもね、これはいけないこと。
だから早く、はやくキスして。いまだけは普通の恋人みたいに。

動かない黄瀬くんに少し焦れて、私から唇を重ねる。
スモーク越しに歩く人たちは、私たちが何をしてるかなんて知るはずもない。不道徳なキス。

目を閉じてしまえば、世界にはふたりだけだから。

「黄瀬くん、ごめんね、大好き」

「俺だって名前さんが好きっス」

ごめんねの意味は、問わないで。大好きなのありがとうごめんなさい。好きなだけなのにね、何でこんなに難しいんだろうね。
二度目の口付けの合間に、好きと零すと黄瀬くんは私を強く抱きしめた。





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