身を苛む不安 3


薄暗い隣室から、衣擦れと硝子の杯に酒を注ぐ音が聞こえて、アランは口元を引き締めた。

「あの子ども、素性は分かっておるのか?」

老人の問いに肩をすくめる。

下仕えから侍女まで、あちこちの屋敷に伝手のあるアランだ。
人を使って少年を見張らせ、情報を当たり、多少なりと彼の身元を探ろうとしたのだが、

「分かったのは、あの幽霊屋敷に住んでるらしいってことぐらいですかね。初めに会ったのが夜会の会場ですから、お坊ちゃんには違いないんでしょうが」

本国の名家の御曹司などではないことだけは、確か。

もっとも、多少名や金がある家の子息だとしても、手出しを控える理由にはならない。
むしろ名のある家ほど外聞を憚って、息子が阿片に手を出したなどという醜聞は隠すのが普通だった。
銀髪の少年の素性など、アランにとってはさして意味のないものであったが、老人は少しばかり興を覚えたようで、

「幽霊屋敷か……知っているぞ。本土東の小島の領主が、妾に買い与えたというあれだろう。"外"の格好をした連中がうろついている得体の知れん邸だが……そうか、あれがその妾の子か」

呟く声に嘲笑が混じる。

「『龍』とやらご大層な血筋だそうだが、所詮は妾腹よ。何といっても、こんなところに打ち捨てられておるくらいだ。たとえ行方が知れなくなったとて、さして騒ぎにもなるまい」

そう、ことさらに甘く見るのは、美しい少年への執着のためか、あるいは領主と言っても所詮は辺境の小島の主よ、と侮るためか。

「……ですがね、旦那さま。あいつは、なかなか手強いですよ。ごろつきを二、三人相手にして、一瞬で伸しちまう腕っぷしだ」

この期に及んで老人の意に逆らうような台詞を吐くおのれに、アランは苦笑した。
いまさら怯むくらいなら、手を引く機会はいくらでもあったではないか。

「おまえがうまく仕込めばよかろう。なに、あの顔と五体さえ無事ならよい」

常にない弱腰に老人も不審を抱いたようで、枯れた声音に苛立ちが混じった。
帳が揺れて、皺だらけの手が差し出される。てのひらに乗るのは、見慣れた阿片の包み。

「手こずるようならば、これを使え」

加えて寄越されたのが、小さな赤い紙包みだ。

「夜花丹だ」

告げられた強い毒の名に、さすがのアランも息を呑む。

「使い方を間違えるなよ。おまえの手並みに期待しておる」

そうしてはっきりと命じられた以上、引き返すことは許されなかった。

「隣の部屋を使うがよい。具合よくなったら、わしのところへ、な」

「……わかりましたよ」

老人の手から毒を受け取って、アランはそれらをぐ、と握りしめた。





「ずいぶんと重い"忘れもの"だったようだな」

部屋を出るなり、涼しげな声音で浴びせられた皮肉に、アランは苦笑した。
知らず詰めていた息を吐きながら、腕組みで壁に背を預けている少年を見やる。

「待たせて悪かった。さあ、こっちだ」

「用は済んだのではないのか」

下へ降りる階段とは逆の廊下を歩き出すアランに、マクシミリアンが不審げな眼差しを向けた。

「いいや、用はこれからさ」

さきほどと比べるとだいぶ小さな扉を開けて、うしろを着いてきた少年の手を引く。
おとなしく部屋へ入った獲物を逃さぬよう、身体で出口をふさいで、

「まだ、大事な用が残ってる」

何もかも見透かしたような銀灰の瞳を、ようやくまっすぐに見返した。
おのれの置かれている状況が分かっていないはずはないのに、呆れるほどに落ち着いたままの少年の様子に思わず苦笑が漏れる。

「どうせ、おおかたのことは気が付いているんだろう?」

「おまえの仕事とやらのことか」

カードの仲間がそんなことを口にしていたな、と、気のない様子でこぼすマクシミリアンだ。

「ああ、そうだ。見た目のかわいいやつを捕まえて、うまいこと縛り付けるのさ。金や阿片、色……おとなしくなったところで、旦那さまが連れてくる上客の相手をさせるわけだ。旦那さまがつまみ食いをなさることもあるけどな」

「それをわたしに教えていいわけか」

少年の声音に揶揄の色が混じる。
動じる様子がないのは、腕に覚えがあるからなのか、それとも。

「……さすがに、おまえを力ずくでどうこうできるとは思っちゃいない。で、俺はいま、金にも色にも欲のないおまえを薬漬けにしようとしてるわけだ。ご主人さまのご命令でな。さて、どうする?」

どうするのだ、と問うように、阿片の包みを少年の目のまえにぶら下げて見せれば、

「さして興味はないな。阿片にも……他人の思惑にも」

夜目にも白い細い指が、躊躇いなくそこに伸ばされた。

「おまえは……」

いったい何を考えてる。

薬欲しさに身を滅ぼす者ならいくらでも見てきた。
けれど、彼は。
目の前の少年は、まるで破滅をこそ望んでいるかのように無造作に、差し出される毒に手を伸ばすのだ。

「どうした、わたしを薬漬けにしたいのではなかったか」

少年が不思議そうに言う。
そうだ。手強いと思っていた獲物がみずから罠にかかろうというのだ。
躊躇う必要などないはずではないか。

「……後悔、するなよ」



続.




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