迅くん | ナノ


6.和風のパスタ




なまえさんを見つけたのは、真っ二つに斬った近界民の中だった。


あの時もこんな澄んだ空だったなと、ふと見上げた任務帰りの夜空。
日付を跨ごうかという深夜。くたくたの身体を引きずりながら支部へと帰る。いや、正確に言えばトリオン体であるためくたくたにはなっていないか。


『その、、恥ずかしいというか、、』

頭に浮かぶのは、先日自分が抱きすくめ閉じ込めた際の、赤く色づいたなまえさんの顔。

胸の奥をきゅっと掴まれるような、甘い感覚。
SEにより見せられた、すごく確率は低いがとても最悪な未来。自分でも珍しく、感情的になってしまったと思う。

その映像にかっとなって掴んだなまえさんの手首は思ったよりもずいぶんと細く、抱き締めた身体は弱く、柔らかいものだった。

抱き締めた際に香ったなまえさんの香りに、頭がくらくらとしたのを思い出す。

あの香りも、小さな身体も、俺だけのものにしたい。


「俺も随分夢中になっちまってるなあ。」

なんて、なまえさんの手首を掴んだ自らの右手に目を向ける。


なまえさんは頭のいい人だ。俺の忠告により、勝手にバイトなんかする未来はなくなった。なまえさんは、俺の嫌がることはしない。いや、人が嫌がることはしない。




ガチャリ、と極力音を立てないように扉を開ける。健康志向な大人とお子様ばかりの玉狛支部はこの時間にはもちろん灯りも消えている。


今日もなまえさんに会えなかったなあ。

あの日以来会えていない。会いたい。




「って、なまえさん?」


「あ、迅くん。おかえりなさい。久しぶり。」


何か腹に入れようと覗いたリビング。薄灯りのついたキッチンには、寝巻きのパーカー姿のなまえさんがいた。

会いたいとは思っていたが、会えるとは知らず。これは読み逃していたが、なんとも嬉しい。



「帰り遅いんだね。お疲れ様。」

「ありがとう。なまえさんは?珍しいね。こんな時間に。」

「あー、うん。ちょっとね、なんか眠れなくて。お腹空いたのかなって。」


少し、照れたように微笑むなまえさん。


「晩ごはんは?」

「それがね、今日は京介くんのバイトが急に無くなったみたいで、一人分作ってなかったから、私のあげちゃって、、」

「いやいや、宇佐美あたり分けてくれなかったの?」

「言わなかったからね〜。あと、お味噌汁とサラダは少し残ってたし、それでいいやって。」


のほほん。とつくように、なまえさんは気の抜けた笑顔で笑った。

いやいやいや、なまえさんサラダとお味噌汁だけって、なまえさんもだけど、あいつら気付けよ!!

この人は、つくづく自分を後回しにする。



「迅くん、お腹空いてない?何か作ろうか?私もちょっとお腹すいちゃったし。」

「じゃあ頼むよ。」

「わかった。パスタでいい?15分くらいはかかるけど、シャワー浴びてくる??」



エプロンをさっと身につけて、手を洗い食材を用意するなまえさん。手つきも身のこなしも、無駄がなくて面白い。



「んー、なまえさん見たいからここで待ってる。」

「なにそれ。ふふっ。」


あ、笑った。かわいい。


とんとんとん。玉ねぎを切るなまえさん。次はベーコンにしめじ。その前に用意していた鍋の湯が沸き、半分にパキッと折ったパスタの束を入れた。時計をチラリと確認し、下の棚からフライパンを出すと換気扇を付け、、、



「迅くん、見すぎ。」

「いーじゃん。」

「もう。」


そう言って、食材からチラリを視線をこちらに移したなまえさん。どくん、その仕草に胸の鼓動が一つ高鳴る。



「はい、和風パスタ。どうぞ。」

「最高。ありがとう、いただきます!」

醤油ベースの和風パスタはふんわりとにんにくの香りがしてとても食欲を掻き立てる。一口口に入れると、出汁の風味がほんのりと口内を満たす。
これは、とてもとても


「美味い。」

「ふふ、よかった。私もいただきます。」

俺の言葉に安心したのか、俺のよりもずっと小さいお皿に少量盛られたパスタになまえさんも同じように箸をつけた。


その小さなお皿に、あるはずのものがないことに気づく。


「なまえさん、ベーコン全部こっちに乗せたの?」

「えっ?あ、うん。いいのいいの。」


俺のパスタには、たんまりと盛られたベーコンが、なまえさんのパスタにはひとつも乗っていない。


この人は、本当に、どうして、ここまで自分を後回しにするんだろう。


俺がどうしても、なまえさんがベーコンを受け取る未来は見えない。



「今日ね、小南ちゃんと陽ちゃんがね、、」


食べながら、にこにこと話すなまえさん。
穏やかな時間が流れる。


「なまえさんってさ。譲れないものとかってないの?」

「えっ、なにそれ〜。」

「ほら、あんまり食い意地とかも張らないじゃん?なまえさん、怒ったりもしないしさ。」


ふと浮かんだ疑問。晩ごはんのことやベーコンのことだけじゃない。よく考えると、なまえさんが自分を優先しているところを見たことがない。



「えー、うーーーん。命とか?」

「極端すぎね。」


ふふふ、と俺の好きないつもの笑顔で笑うなまえさん。やっぱり、無さそうだとは思ったが。



そこでまたひとつの疑問。そんななまえさんが、どうしてバイトなんてしようとしたんだろう。




「じゃあお金は?」

「えっ。」

「お金が欲しいんじゃないの?」


あっ、違う。困らせたいわけじゃない。そんな顔、させたいわけじゃない。でも知りたい、なまえさんのこと。考えていること。



「俺には言えない?」

「あっ、違う、その、、。」


少し拗ねたような顔をしてみる。また、さらに困ったように笑ったなまえさんは、この顔に弱い。


「あのね、なんていうか、老後とか?いや、その、元の世界に帰れなかったらね、、」

「あーーね。」


困り顔のなまえさんから発せられた、言葉。そのまとまりのない言葉から理解できてしまうのは、なまえさんの性格を知っているからか。



「今の生活に不満は全くない。むしろ幸せすぎるくらいなの。でもね、いつか、ちゃんと自分の足で立たないとと思ってね。」



馬鹿だなあ。なまえさんは。


換装を解き、向いに座っていたなまえさんの隣へと腰掛ける。

深夜のテンションだからか、話を聞き、いっぱいになった胸の中。抱き締めたい。そう思ったときにはすでに、何も言わずにまた、なまえさんを胸に閉じ込めていた。



2021.3.11


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