そしてまたひとり
アドリアはすみませんと叫んで男性を腕づくで引きはがすとミナモに駆け寄り、レオコーンは、とわかりきったことを問うた。すると案の定ミナモは力なさげに首を横に振り、もう行ってしまったと北を指す。
「しくじったなあ、レオコーンの行動力を見くびってたよ。」
まさかあなたの首を持ってこいと王さまに言われてるんですよね、と言う間もなく嵐のように去ってしまった。言ったところで一度事情を知ってしまった以上もう一度戦って首を持ち帰ろうなどとは考えていなかったが、せめて話くらいは聞いてくれてもよかったのではないだろうか。
「旦那!黒騎士は……」
気分を悪くした村民を他の兵に預けてきたレイが駆け寄って声をかけるものの、あたりを見回すと事情を察したのか苦笑いする。さらにはレイには姿が見えないことをいいことにレイの頭上にふわふわと漂っていたのは、ピンクの羽を持つ乙女だった。
「サンディ!」
ミナモがサンディの名前を口にすると、レイが怪訝そうにそちらを見つめたため、思わずアドリアがゴホゴホと咳き込んで誤魔化した。
「いやー、あのおばあちゃんの家でうたた寝してたらアドリアたちどっか行っちゃったし、あたりはザワついてるしでとりあえずこの赤毛クンにくっついて身を潜めてたのヨ」
「うーん、レオコーンはサンディが見えてるし、そのほうが結果的によかったのかも。ほら」
いろいろめんどくさいし。とミナモが続ける。
レイはひそひそと続けられる会話を特に気にしないようすで、なあ、とアドリアとミナモに声をかけた。
「さっきの話、あいつは北のルディアノに行くんだろ?追いかけないのか?」
「一応そのつもりだよ。口だけで伝わってくるわらべ歌が遠い場所まで伝わるなんてことはそうそうないだろうし、きっとエラフィタとルディアノは結構近いと思う。」
アドリアがそう言って頷くと、レイが気楽そうな笑顔をにっこり深めてアドリアの両肩に両手をのせた。
「なあ、それ俺も連れて行けよ。」
「はあ!?」
驚きっぱなしなアドリアとミナモに変わって声を上げたのは(レイには聞こえていないが)サンディだった。
「この男さっき、怪我されたら後始末が面倒な貴族は大小問わずここにいるって言ってたじゃん!アドリアたちがルディアノに連れて行って危ない目にでも合わせたらそれこそメンドーなことになりかねないでしょ!」
そういえば、確かに。
アドリアがぐぬぬと考えこむと、その内容を知ってか知らずかレイは自身の胸をどんと叩いた。
「こう見えても見えなくても職業は戦士なんだ。さすがに旅芸人と魔法使いだけじゃ火力不足じゃないか?」
器用貧乏といわれる旅芸人と、体力と生身の攻撃力が低い魔法使いではさすがに心許ないかもしれない。
「じゃあ、こうしよう!」
レイに押され始めたアドリアを見かねたミナモが人差し指をぴしりと立ててふたりをみつめ、懐から羊皮紙とペンを取り出した。
「レイさんには、この紙に自分が怪我してもすべて自己責任って書いてもらえばいいよ。」
意気揚々と述べたミナモに向かってレイもへらりと笑顔を見せる。
「いいねお嬢さん、苛烈だよ。」
「それはどうも。」
そう言うとミナモは羊皮紙を二枚に破りレイに渡した。
レイは粗悪ともいえないが上等ともいえないその紙を数回撫でつけて気持ち程度に平らく伸ばすと、羽ペンを持った。しかし、動かない。
「あれ、インク」
インクを渡し忘れたことに気づいたミナモは、懐からまたインクを取り出した。アドリアにとって四次元空間さながらの彼女の懐は未知でしかない。
「ごめんなさい、はいこれ」
レイは渡されたインクに改めてペンの先を浸し、ひらべったい岩の上で分を書き始める。内容はミナモが先ほど提案した内容と大して変わらず、そのまま書き進めるとレイは親指を噛んで血液を滲ませると羊皮紙におしつけた。
「どうよ」
レイは血が滲んだ親指を舐めつつ署名した紙をアドリアたちに見せ、ミナモがそれを受け取って丸めて懐に入れた。
「んん、それじゃあ行こうか。一応急がないと。」
アドリア抜きでぽんぽん進んでいく現状ではあったが、とりあえず今は急ぐべきだろう。レイとミナモはかぶりを縦に振るのを確認すると、アドリアはエラフィタの入口を飾るアーチをくぐり抜けた。
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