ふたたび
桃色の花弁が絶え間なく舞い散るこの村の中でぽつんと佇む一軒家の前に並んだ三人は、何やら家から追い出されたらしいご老人を尻目に家の中に神経を尖らせていた。
「ねえアドリア、フィオーネ姫はソナさんからわらべ歌を聴いたって言っていたけれど、話を聞く限りソナさんって結構お年を召しているでしょう?わらべ歌なんて覚えてるのかな」
ミナモが心配げにアドリアに囁くと、アドリアを挟んだ隣に立っているレイがそれを否定する。
「そこらへんは気にしなくていいと思うな。ソナ婆さんもクロエ婆さんもまだまだ記憶力はばっちりだ。この間俺の同期のやつがあそこの大木の小枝を折っちまったときのこと、まだ根に持ってるし」
「あはは……そうなんですね……」
ミナモが乾いた笑いのような何かを口から零していると、レイが扉を二回叩いて了承の言葉を受け取る前に扉を開いた。
「クロエ婆さん、ソナ婆さんいる?」
レイが声をかけた先にはテーブル席に腰掛けるふたりの老婆がいて、いきなり訪ねてきたレイに難色を表すどころかクスクスと笑っている。
「見たとおり私の目の前にいるよ。まったくレディの家にノックだけして不躾に開けてくるなんてねえ」
レイが声をかけた方向からしてクロエ婆さんは白髪を高い位置で引っ詰めた老人にしては背の高い女性で、ソナ婆さんその横でお茶を嗜んでいる低い位置で髪の毛をまとめた背の低めな女性のことだろう。
「いやあごめんごめん、もし中で倒れてたらどうしようかと思ってな」
レイが軽く冗談を飛ばすとソナ婆さんと思わしき女性が嫌だよこの子はところころ笑って、それを見てつられて笑ったクロエ婆さんが笑いながらこちらへいらっしゃい、と入室を促してくれた。
「お邪魔します」
アドリアとミナモ、そしてレイが口々に挨拶して家の中に入り初対面のアドリアとミナモが自己紹介すると、レイが昔フィオーネ姫に歌っていたわらべ歌を聴かせてほしいと切り出した。
「はあ、小さい頃の姫さまに歌ってあげたわらべ歌を聴かせてほしいとな?」
アドリアとミナモがはらはらと答えを待つ間もなく、ソナ婆さんはにっこりと微笑むと大きく頷いた。
「いいですともいいですとも。近頃の若い人はわらべ歌なんて古い、なんて言うものだからここ最近めっきり歌う場所がなくなってねえ……それじゃクロエちゃん、合いの手をお願いしていいかの?」
「黒バラわらべ歌だね?お安い御用さ。それじゃあ行くよ……。」
「♪よいよいよいとなっ」
「♪ヤミに潜んだ魔物を狩りに黒バラの〜騎士立ち上がる
見事魔物を討ち滅ぼせばしらゆり姫と結ばれる
騎士の帰りを待ちかねて城中みんなで宴の準備」
「♪あソーレ、それから騎士さまどうなった?」
「♪北ゆく鳥よ伝えておくれ
ルディアノで〜待つしらゆり姫に
黒バラ散ったと伝えておくれ
ルディアノで〜待つしらゆり姫に
黒バラ散ったと伝えておくれ」
アドリアたちは今しがた衝撃の事実に驚きながら、ソナ婆さんとクロエ婆さんに拍手を送った。
「……と、こんな感じじゃが満足してもらえましたかねえ?」
「満足も何も、とても素敵でした。ありがとうございます。クロエさんも」
ソナ婆さんの不安げに頬に手を寄せる姿は乙女そのものでアドリアが礼を述べるとぽっと頬を赤らめ、ところをなんでこんな歌をわざわざ聴きに、とアドリアに問うと、アドリアはソナ婆さんとクロエ婆さんに事の経緯を説明した。
「ほうほう、ルディアノという国のありかを知りたかったと……。」
説明するのは二回目なだけにレイにしたときよりかはスムーズに話せた気がする、とアドリアが思っていると、ふいにソナ婆さんがひらめいたように手を叩いた。
「ならば、ポイントは『北ゆく鳥よ』のフレーズですかねえ。歌に出てくる鳥と同じように北に向かってみてはいかがですかの?」
わらべ歌を歌ってくれたソナ婆さんとクロエ婆さんに手厚くお礼を述べてついでに肩を揉んだところで、アドリアたちはクロエ婆さんにそろそろ夜もふけるから早めに宿をとりなさいと言われた。クロエ婆さんに従ってアドリアとミナモは宿屋に、レイは即席の詰所に向かおうとエラフィタの入口付近に向かったところだった。
「だ……だれかあっ、助けてくれえええ!」
仕事道具であるはずのクワを投げ出した村民が息絶えだえといった様子で村にかけこんできた。日除けのために被っている帽子はひん曲がり、冷や汗とかすかな涙が滲んだ形相にはなかなか鬼気迫るものがある。
ここは城から派遣されてきた兵士ということで、なだれ込んできた村民を支えたレイがいつもの気楽な姿勢を正して真面目な顔で「どうかしましたか?話せますか」と問うた矢先、また別の悲鳴が響いた。
「うひゃああっ!きたぁっ!ひええー!お助け!」
金色の髪の毛をおかっぱに切った小太りの男性が付近に立っていたアドリアにすがりついてきた。成人男性にがっしりと抱き着かれたアドリアはこれは抵抗してもよいものかと思いつつもがいていると、唯一身が自由のミナモがあっと声をあげた。
「ま……待ってくれ!決して怖がらせたいわけではなかったのだ。ただ私はルディアノの在り処を訊きたかっただけで……」
ボロボロの黒い鎧をガチャつかせて現れたレオコーンの声色は情けなかったが、事情を知った今でもやはり恐ろしい見た目である。
アドリアにしがみついた男性は人里にたどり着いたことで少し勇気を得たようで、レオコーンをできるだけ見ないように瞼をぎゅっと握ったまま叫んだ。
「ウ……ウソこくでねえっ!オラ森の中であんたのことを捜してる女の魔物に出会っただ!真っ赤な目を光らせながら、我が下僕の黒い騎士を見なかったか……ってよ!あんた……あの魔物の下僕なんだろ!?」
唾をも飛ばす勢いの男性が今度はレオコーンを圧倒しているようだった。アドリアはなんとか男性を剥がそうと奮闘しているも、余計に握力は強くなるばかりである。
「……この私が魔物の下僕だと……!?何をバカなことを!」
「レオコーンさん!」
レオコーンが驚きで掲げた槍を取り落としそうになると、ミナモが声をあげてレオコーンに近寄った。
小柄な少女が禍々しい黒騎士ににじり寄る姿はかなりおかしかったが、騒ぎを聞きつけてやってきた村民や、予測外の出来事に腰を抜かすシュタイン兵は固唾を飲んでその場を見守った。
しかしそんな心配はどこへやら、レオコーンはミナモの顔を見るとふっと肩の力を抜いて、参ったようにずれかかった漆黒の兜を直した。
「そなたは確かミナモと申したな。なぜこのような場所にいるのだ?」
若干語感を柔らかくした黒騎士に合わせてミナモも軽く頷く。その間アドリアはまだ男性と押し問答していた。
「レオコーンと別れたあと色々あって、あなたを捜していたの。ルディアノに向かうと言っていたからルディアノでならまた会えると思って、ルディアノにまつわる歌を聴きに来たんだよ。」
「……そうか。ルディアノ王国の手がかりを……。こんな私のために。すまない。それでなにかわかったのか?」
レオコーンは黒馬から降り立つと、やや居づらそうにモゴモゴ呟いた。
「あっ、そうそう!エラフィタのひとに訊いてみたら、どうやらあなたとメリア姫らしい人達のことがわらべ歌になっているらしいの。黒バラの騎士がうんたらって」
ミナモがレオコーンに軽くわらべ歌を歌ってやると、レオコーンはさらに動揺したように鎧を震わせた。それを見た大方の村民はレオコーンが怒りで震え始めたと思ったらしく、アドリアにしがみついた男性はアドリアのあばら骨を折ってやるという勢いで腕に力を込めている。
「なにっ!私のことがわらべ歌になっていただと……!?私がおとぎ話の住人だとでもいうのか……?北ゆく鳥……わらべ歌にあった手がかりはそれだけか……。」
レオコーンの反応から自分がわらべ歌になったことはまったく知らなかったようだし、歌の通りに考えるとレオコーンは帰りを待っていた姫の元に帰らなかったとされている。これが真実かはレオコーンがルディアノに帰っていないことから明白なものの、不吉すぎる。
レオコーンはひとり考え込んだかと思えば、意を決したかのように黒馬に再度乗っかった。
「デジャヴを感じる……」
「でじゃ……?何かの魔物のことかぁ!?」
「こっちの話です魔物じゃありません」
あ、そう。とまたアドリアにがっちりくっついた村民をよそに、ミナモも焦ったようにレオコーンもといレオコーンの乗った黒馬に近づいた。
「ちょ、ま!まって!また行かれちゃうと困るの……」
「心配無用だ!私は北ゆく鳥を追うことにしよう!真実を掴むためにな。さらばだ」
「あっ!」
レオコーンはもうミナモのいうことに聞く耳持たずなようすで意気揚々とエラフィタから出て行ってしまい、半端に放っておかれたミナモは慌てて追いかけるもののセントシュタインの武器屋自慢の黒馬の足には叶わず、アドリアたちはただまた小さくなっていくレオコーンを舞い散る花弁の中から眺めることしかできなかった。
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