かぜはやて
「貴様らは……誰だ……?」
黒騎士は黒い鎧をガチャガチャと音をたててアドリア達に近寄ってきた。怪しい男とは聞いていたが、実際目にしてみると纏う鎧は薄汚れて所々欠けているし、古臭い黴と嗅いだことのない異国の香りがする。跨っている馬も漆黒のため、雰囲気はさらに物々しい。
「何コイツ……思ってたより超ヤバめじゃね?」
サンディがぼそりと呟いた言葉に全力で同意しながら、アドリアはミナモを小突いた。
「ミナモさん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。……びっくりしたけどね」
ミナモの声は強ばっているものの、怯えて動けないという状態ではないらしくて安心した。アドリアは黒騎士を再度見つめ直す。
「セントシュタインの王に以来されて来ました。あなたを倒してほしいと」
こんな言葉ではいそうですかとなるわけもなく、黒騎士はアドリアの言葉を聞いているのか聞いていないのかもわからないようすでギラギラとこちらを一瞥し、うわごとのように「姫はどこだ」と呟く。
アドリアは直感で、くる、と感じて剣の柄を強く握った。
「姫を出せ!我が麗しの姫君を!」
黒騎士がそう叫ぶと同時に、黒騎士の顔を覆っていた兜から真っ白な骨が見えた。妖しく光る瞳は人間にはない異常性をはらんでおり、それがアドリア達を捉えた瞬間黒騎士はとてつもなく大きい槍を振りまわしてふたりに遅いかかる。
アドリアとミナモは反対方向に向かって走り、アドリアは握っていた剣を鞘からぬいてミナモは樫の杖をかまえた。黒騎士がどちらに攻撃を仕掛けるかで作戦もなにもなくなってしまうが、ここは信じて槍を掲げた黒騎士を睨むように見る。
黒騎士はアドリアとミナモが二手に別れたのを見るや、ものすごいスピードでアドリアのところにたどり着いて、目にも留まらぬ速さで五月雨づきを繰り出してくる。並の人間より視力諸々がすぐれたアドリアであっても、すべて見切って躱すのは無理だとわかった。
――ならば、最低限受けてあとは避けるくらいしかできないではないか。
「……っ!」
アドリアは黒騎士の繰り出した五月雨づきは半分かわせたものの、もう半分はもろに受けてしまった。普段から戦う訓練を受けていたわけではないので、突然素早い相手の攻撃を避けろというのは無理がある。五月雨づきをくらった勢いをそのまま貰って遠くまで転がるアドリアを見たミナモは、大きな杖を握り直した。
「かぜはやて、ピオリム」
ターバンの中からもそりと出てきたその声で、ミナモとアドリアの足元を桃色の風が吹き荒れる。それを確認したミナモはそのまま杖を下ろさず「かぜはやて」とピオリムを唱え続けて、やがてふたりの足元は桃色の風で染まっていった。
「心なしか、というか絶対に、足が軽い……」
まるで翼を持っていたあのころのようなという感じでもなく、踵や手首に羽がついたかのようにひとつひとつの動きが素早くなったようだ。
「小癪な……」
足元に桃色が渦巻く敵を見た黒騎士が低くうなりをあげて、先ほどの攻撃で転がったアドリアにまた槍を突き出す。ただ今度は、さっきよりもゆっくりに見えた。
地に寝そべったアドリアがほぼ感覚だけで顔を右に傾けると、黒騎士がそれを追って槍を地面に突き刺し地面が抉れる。それは数瞬前までアドリアの頭があった場所だ。
(今受けていたら、確実に死ぬところだった……!)
背中に一気に冷や汗が滲む。
これは近接戦闘は無理そうか気がしてきた。近づいたら鋭い槍が容赦なくとんでくるのはさすがのアドリアでも目に見えるため、今回は呪文でいくらか距離をとる必要がありそうだ。
アドリアとミナモが組んだ作戦は、近接戦闘中心の黒騎士をアドリアが請け負って、ミナモが後方から呪文で攻撃をするというものだ。最初にアドリアとミナモが二手に別れたときにもしも黒騎士がミナモを追っていたら打つ手なしだったが、黒騎士は偶然にもこちらの願い通りアドリアを追ってきたため概ね予定通りといえば予定通りだろう。
「凍れ、ヒャド」
アドリアは自分と黒騎士の間に氷の塊をつくり黒騎士を足止めし、その間にミナモも追ってヒャドをくり出す。杖はやはり扱いづらそうなものの、的確に的である黒騎士に当てている。黒騎士が乗っている黒馬を射止めてしまえば随分と楽になるが、黒馬はセントシュタインの人間のものらしいためできる限り危害は加えたくなかった。
「よし、これなら……」
アドリアがかすかな希望を抱いたのもつかの間、黒騎士は突如アドリアから離れミナモのところに突進していく。それを見てアドリアも力いっぱい走るが、追い付けない。
「ミナモさん、逃げて!」
(大丈夫、彼女なら)
俊敏な彼女なら、逃げることができるはず。
しかし、ミナモはその場から退かない。足から根が生えたかのようにその場に立って、ターバンでぐるぐる巻きになった頭を黒騎士に向けている。
「何してるの!逃げ、逃げて!」
アドリアが走っている間にも黒騎士はあっという間に棒立ちのミナモのもとへたどり着き、ミナモに向かって五月雨づきとは違う構えをした。心なしか、槍のさきには稲妻がはしっている。
「稲妻突き!!!!」
(……これ、ダメなやつだ)
魔法使いはほかの職業より平均して傷に対するダメージの受け方が大きいのだ。
「……つっ!」
反射的に目を閉じかけたアドリアの耳に、ぱきんと乾いた音が届く。アドリアがふたりに近づいてみると、ミナモは倒れてはいなかった。
ミナモは両手に木切れを持って、槍を掲げた黒騎士と対峙している。樫の杖を自分と稲妻の間に割り込ませてダメージを軽減させたらしいが、ミナモの木切れを持つ両手は震えており足腰も揺らいでいる気がする。会心の一撃をなんとか防いだというようすに、アドリアは第二の危険を感じた。
たとえ会心の一撃を防いだとしても、次の攻撃に耐えることができなければ意味がない。そしてミナモは魔法使いで、回復呪文は使えない。持ち込んだ薬草もシュタイン湖に辿り着くまでに使ってしまったし、ミナモとアドリアの距離が半端に開いているだけにホイミも届かない。
ただそのとき、黒騎士には敵のうちひとりの体力を削れたことでできた隙ができていた。動きが先ほどより、遅い。
黒騎士が止めと言わんばかりにまたミナモに槍を振るおうとすると、突然ミナモが飛び上がる。
ミナモはピオリムで強化された素早さと生まれ持った俊敏さで、飛び上がった瞬間その身にまとった若草色のドレスを捲りあげてナイフを取り出した。ミナモは黒騎士が乗っている黒馬まで足場として、黒騎士の上をとったのだ。
黒騎士がミナモを見上げるように顔を――白骨化された顔面をあげると同時に、今はターバンに隠されて見えないはずのミナモの翡翠の輝きがギラギラと光ったように見えた。彼女の舞台は杖と共にあったのではなく、ナイフと共にあるらしい。
「バンパイアエッジ!!」
ミナモは黒騎士の顔面に強烈な一撃を加えると、黒馬から崩れ落ちた黒騎士とは反対方向にその場から転がり落ちた。
「ミナモさん!」
ミナモが転がり落ちた場所はアドリアからさほど遠くはなかったため、すぐミナモまで辿り着くことができた。
糸の切れた操り人形のようにその場に倒れているミナモを助け起こして、ホイミをかけ続ける。バンパイアエッジはミナモの体力をいくらか回復してくれたようで、アドリアがホイミを数回かけると荒い呼吸が落ち着き身体の震えも止まった。アドリアはターバンをつけたままだと呼吸が苦しいだろうかと思って、ミナモから白いターバンを取り外す。
(なんて自分は浅はかだったんだろう)
アドリアは無意識にミナモから取り払ったターバンを握っていた。底の知れないやるせなさがかつてないほどアドリアの腹の底をぐるぐると苛立たせる。
(黒騎士からの攻撃はすべて俺が受けるはずだったのに、こんなことになって)
アドリアはあのとき割って入ることもできず、黒騎士に攻撃を直接仕掛けることもミナモを護ることさえできはしなかったのだ。
(……逆に、護られたってことかな)
やるせなさと悔しさをひしひし感じながらも、アドリアはミナモの乱れた前髪を整える。これがどうというわけではないが、なんとなく護られたことに対してこれくらいのことはさせてもらってもいい気がした。
それに、今すべきことは後悔ではない。
「うっ……なぜ姫君はこんな者を遣わすのだ……!」
「私達があのとき交わした約束は偽りだったというのか……メリア姫……!」
メリア姫。
メリア姫?
「メリア姫……?確かあの国のお姫サマはフィオーネ……メリアなんて名前じゃないんですケド」
アドリアが頭の上に疑問符を浮かべていると、サンディがどこからかふらふらと現れて突っ込みを入れる。確かに、セントシュタインの国にはフィオーネという名前の姫しかいないしメリアなんて名前の姫は天使であるアドリアも知らなかった。
「うわっ、ミナモ倒れてんじゃん!もーアドリア、ちゃんと護りなさいよネ」
サンディはそのまま黒騎士からミナモへ視線をうつしてそう述べる。全く耳に痛い言葉である。
アドリアが申し訳なさげに眉を下げている間に、黒騎士がまた鎧をガチャつかせて立ち上がった。
「そ、それはまことか!小さき小人よ!!」
「うっさいわネ!誰が小人よこの骸骨騎士っ」
黒騎士は寝耳に水といったようすで呆然とサンディを見つめるが、その脇でううん、とうめき声をあげてミナモが目を覚ました。
「うう、節々いった……って、なんでわたしアドリアに膝枕されてるの?!」
思ったより元気だったミナモががばりと身体を起こしてあたりを見回すと、ちょうど放心状態の黒騎士と視線がかちあった。
「ユリア?」
黒騎士はミナモの顔を穴があくほど見て、ぽつりと呟いた。
「はい?」
そんなようすの黒騎士を見たミナモはぽかんと口を開けている。
「なにこの黒騎士、メリアのつぎはユリア……?ミナモ、知ってるの?」
サンディが目を細めてミナモに問いただしてみるも、ミナモは首を横に振って否定する。
「わ、忘れたとは言わせないぞユリア!私はメリア姫の婚約者であるレオコーンで、そなたはメリア姫の従者だったではないか!」
「ええ……?そんなこと言われても」
(なんだかこんがらがったことになってきた……)
ちなみにその押し問答はしばらく続いた。
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