霧みたくやってきたアイツ
セントシュタインからシュタイン湖まで道のりは意外と長かった。道は平坦で見通しもよく迷うこともなかったが、魔物が少しばかり強くなって距離も離れているのが痛いところである。しかしシュタイン湖のもっと先にあるエラフィタ村はこれの比にならない程度には遠いらしいので、エラフィタに行く機会がないことを願うばかりである。
「うんだからね、言ってあげたの。あなたが思うほどあなたって色男じゃないよ、って言ったら横の女の人が吹き出しちゃって……」
「アハハ、チョーウケるんですケド!」
アドリアが黙々とシュタイン湖を目指して歩いている間、ミナモとサンディはだいぶ仲良くなったようだ。ふたりは魔物が周辺にいないときはふたりして何やら話しており、今だってミナモが以前見かけたらしい勘違い男から女性をかっさらったときの話をしている。
にこにこ笑っているミナモをアドリアはじっと見てみるが、彼女は未だにアドリアにとって謎の存在であった。
『ギャッ!あんなトコに集団のウパソルジャーがっ!』
『うわあ、受け流されたら面倒だからとっととやっちゃおう、ヒャド!……ヒャドっ、ヒャド!ヒャド!』
『待ってミナモさん製氷機で作ったみたいな氷しか出てないから!』
『製氷機ってなに?!』
駆け出しの魔法使いと聞いていたが、魔法の扱いが悪いというより杖が扱いきれていないように見えた。樫の杖は彼女には大きいため、それを振るうたびに無駄な動きが増えている。
しかしそれにしても不思議なのが、大きな杖を振るっている間も、彼女は異常にすばしこい。背後から魔物が迫っても毎回すんでで避けており、その動作ひとつひとつが静かなものなのも謎だ。特別足が速いわけでもないのに、気がつくと戦闘でもアドリアより一手先んじているように見えた。
空に朱が混じり始めたころ、三人はようやくシュタイン湖までたどり着いた。本当はもっと早くつくはずだったのだが、道中ウパソルジャーの大軍による受け流し地獄とデンデンがえるの顔舐めでだいぶ時間をとってしまった。
シュタイン湖の周りは背の高い木でぐるりと囲まれており、人目にもつきにくくフィオーネ姫を呼び出すのであればうってつけの場所だろう。
アドリアとミナモは横に並んで湖に手を浸すと、水音をたてて顔を洗っていた。デンデンがえるの粘液がまだ取れないので致し方ないことである。手を突っ込んでみると湖の水はひんやりと冷たく、暖かい気候にあっても長く触れていると指先の感覚が鈍くなった。
アドリアは適当に粘液のぬめりが取れるまで顔を洗い、となりのミナモを見てみる。女性なこともあってさぞ丁寧に洗っていることと思ったが、彼女は素早く顔を洗えばさっさと手持ちの手ぬぐいで顔を拭っていた。
「ぶはー、やっぱり顔洗うとすっきりして気持ちいいね。粘液まみれになってなくても洗えてよかったなあ」
手ぬぐいであらかた顔を拭き終わったミナモがアドリアの顔を見て、きょとんと「顔拭かないの?」と言ったため顔を触るとまだびっしょりと濡れていた。水滴は先程リッカから貰った旅芸人の服をも濡らしていて少し冷たい。
「わーもうびっしょびしょだよ!手ぬぐいないんだったら貸したのに」
ミナモはそれを見るや自分の顔を拭いた面を裏返した手ぬぐいでアドリアの顔面をごしごしと拭き始めた。握力が強くて若干痛いが、顔の水気は確実に吸い取られていた。されるがままのアドリアの耳元で今まで静かだったサンディが「アンタ手ぬぐいがあるないに関わらず自然乾燥させるつもりだったんじゃないの?マジウケる面倒くさがりすぎじゃない?」と呟いた。
「てかさー、黒騎士こなくない?女子との約束ブッチするとかマジ有り得ないんですケド。元々オカシイって思ってたのよネ」
アドリアが顔面を擦られてからまた少し経って、朱色になりかけた空に闇が溶け始めた頃になっても黒騎士は訪れなかった。サンディは既に飽き始めていた。アドリアもアドリアでうとうとしているし、これ以上待つようなら一旦セントシュタインに戻って万全な状態で戻ってきたほうがいい気がしてきた。
「入れ違いになっても面倒だから、もうちょっと待とうよ。もうすぐ来るかもしれないし」
ミナモはターバンをしっかり巻き直しながらそう言い樫の杖を握り直すと、ふいにアドリアのほうを見て気まずそうに口を開いた。
「えっとさ、さっき……シュタイン城に行くときのことなんだけど」
――それは、セントシュタインでの少年のスリの一件のことだろうか。
ミナモは視線を泳がせて組み合わせた両手の親指をくるくると操った。
「口調きつかったよね。ごめん」
えへへ、と照れ笑いするミナモを見て、アドリアはさてはてあのときの彼女と今の彼女は雰囲気が随分違うなと思っていた。
「気にしなくていいよ、俺もごめん。思慮が浅くて」
アドリアもつられてへらっと笑ってみる。はじめはサンディを目視されるわ外見不審者だったりするわでどうなることやらといった感じだったが、たとえ短い間の即席パーティであってもミナモとは仲良くやっていけそうだと思った。
「ねーアドリアミナモ、来る気配まったくナイし帰っちゃってよくない?入れ違いになっちゃっても王様には黒騎士は約束の時間には来なかったって言えばイイし」
サンディがうんざりした様子で八の字に飛びながら言った言葉にアドリアとミナモはしぶりつつ、じゃあ一回帰ろうか、とどちらともなく言った。シュタイン湖は既に暗闇のヴェールに包まれている。
「なーんつって振り向いたらヤツがいる、みたいな!」
「まっさかー!」
「そんなうまい話があるわけ……」
アハハと茶化すように笑うサンディにつられてミナモとアドリアも笑いながら振り向くと。
そこには黒馬に乗った黒騎士の姿があった。
「マ、マ、マジすかぁ〜?!」
「マジだったね」
「マジだったよ」
浮かべていた笑顔がすっと消えた三人は、思い思いに身構えた。
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