白金の羽 | ナノ

うた



  「旦那、黒騎士っての知ってるか?」

  「黒騎士……さあ」

  どうやら中年男性のほうは旅行客なようで、事件についてはここが地元らしい赤毛の男が説明してくれるらしい。

  「あ、そっか。旦那は最近来たから知らないのか。」

  「――そう、あれは大地震が起きて間もないころだ。突然怪しげな黒ずくめの騎士が王城に入り込もうとして、もう内部はてんてこ舞いだ。更に黒騎士の目当てがセントシュタインでも有名な美姫、フィオーネ姫ときたもんで。」

  一国の姫さんにアポなしで突っ込む心意気はすごいと思うアドリアをよそに、赤毛は至極淡々と話を続ける。

  「そんでその黒騎士はずらずら口説き文句を吐いたあとにシュタイン湖で待つと残して帰って行ったんだ。姫は民を危険に晒すわけにはいかないから行くと言っていたんだが、何分あの王様が許さなくてさ。」

  話に聞く黒騎士はずいぶん猪突猛進というか、向う見ずというか、思い込みが激しい人物らしい。
  強めの酒で頭がくらくらするアドリアは、未だ中身が残る器を片手に赤毛の男を見るが、アドリアよりも多くの酒を摂取しているはずの赤毛は酔などおくびにも見せていない。
  赤毛が「内部はてんてこ舞い」「王様が許さない」といった詳しい事情を知っているのもかなり不審だが、見る限り悪い人物ではないように思う。

  「それにしても君はあんなにでかでか掲げられた看板を見ていなかったのかい?」

  ふいに、今まで聞き役に徹していた中年が嘴を挟んだ。癖なのか、中年の右手の指先は左手薬指の指輪についた蒼い石を撫でている。

  「いやちょっと、いろいろ疲れていたしここには知り合いがいたので。さっさと宿屋に直行しまして」

  セントシュタインは城下町の入口から奥に進むと王城が見える造りになっており、入口付近には宿屋等の旅人のための店が並んでいる。そのため、アドリアが方舟に乗れないショックで宿屋に駆け込んでも、そのど真ん中に掲げられた看板は確認できなかったのだ。

  「だろうね。旦那みたいな奇妙な服装の人がウロウロしてたらあっという間に噂広がるし」

  アドリアはからからと笑う赤毛の言葉を反芻して、ようやく意味を理解する。

  「この服が、奇妙?」

  「うん」

  旦那旅芸人みたいだから好き好んで着てると思ってた、と相も変わらず笑う赤毛の背中を中年がさする。
  一方アドリアは、半信半疑な気分でその光景を眺める。今まで服装なんてもの与えられたものを着るという概念で、おしゃれなど考えたこともなかった。当たり前だが師匠やアースやシエルも形は若干違えど同じ形の服を着ていたし、それが普通なのだと思っていた。

  (――ニードにも前に変なカッコって言われた気がするし)

  ウォルロ村ではあまり感じなかったが、セントシュタインに来てから視線が痛い。それはまさか、この格好のせいだというのか。

  「うん、君、仕事熱心はいいけど普段着は変えたほうがいいよ。貶すわけではないが、それでは少々浮いてしまう」

  止めと言わんばかりの中年の言葉に、アドリアはあっさり服の購入を決意したのであった。











  時間は少しばかり流れて、時刻は今日と明日を跨いだ。

  「旦那ぁ、あんた酒弱くない?  途中まで真顔だったからほっといたけどさー」

  その後なぜか赤毛と中年とで呑むことが決定し、何気ない話をしながら飲み食いしたのは覚えている。しかし記憶は飛び飛びで、先ほど一杯呑んだと思えば気づいたときにはテーブルに伏せていた。

  一方赤毛は出会ったときとは寸分違わない姿で笑い、中年は一杯の酒をちびりちびりと呑んでいる。

  「……べつに弱くない。疲れてるだけだよ」

  天使の娯楽は人間のそれより圧倒的に少ない。天使は基本娯楽の類がなくとも生きていけるし、酒煙草あたりは一部の天使からは嫌悪の的だった。見習いとあれば余計に酒など呑んだことはない。

  「あれ旦那、あのカタイ敬語やめたんだ」

  「めんどくさい」

  アタマがぼうっとして身体がふわふわする。めんどくさいような、今なら何でもできるような、不思議な気持ちになる。
  始終笑顔だった赤毛が少しばかり驚いたように切れ長の目を丸くする。そして、中年が口を開いた。

  「初めてはみんなそんなものだろう。私は彼よりも酒に弱いが、こう何十年も付き合っていると酒との上手い付き合いかたもわかるようになってきた」

  少しだけならいい薬だよあれはという中年は、アドリアの三分の一も生きていないはずなのに大人に見える。赤毛の男も同じくで、アドリア達守護天使が守るように常日頃言われていたか弱い人間とは違ったように思える。

  「さて、私はウォルロ村にたとうか。ウォルロ村行きの荷車に乗せてもらう約束をしているんでね。そろそろ失礼するよ。」

  青髪の中年は時計を一瞥するとそう言って席を立った。立った瞬間身体がかすかにふらついた気がするが気のせいだろう。アドリアと赤毛に別れを告げると、青髪は未だ盛り上がっているほかの客の間を縫って宿から出ていった。

  「さてさて、尻馬に乗ったわけじゃないが、俺もそろそろ行かなきゃいけないんだ。」

  夜は魔物が多いうえに強いというのに、よくもまあこの男たちは好き好んで夜に出かけるなと思いつつ、アドリアは半目で赤毛に別れを告げた。すると赤毛は、

  「最初は真面目なヤツだなって思ってたが、話すと案外そうでもないな。あの青髪のオッサンにも旦那にも名前を訊いてなかったけど、旦那には訊いてオッサンに訊かないのは不公平だから今度会ったら訊いてやるよ」

  「それは楽しみだね」

  「棒読みじゃん」

  始終アドリアのことを旦那と呼んだ赤毛の名前はアドリアもわからないが、おそらくもう会うこともない。
  アドリアは最後に赤毛と握手すると、赤毛は中年と同じく人の波を縫って宿から出ていった。










  「――不思議だ」

  先ほどまでああも賑やかだと、自分の部屋に帰ったときの静かさが妙に居心地が悪い。
  アドリアは昼間にとっておいた部屋に戻り部屋に内側から鍵をかけてベッドに寝転ぶ。こうしていればすぐに眠れそうだから、灯りをともさずともよいだろう。
  酒の酔も心地よく身体を駆け巡り、瞼が自然と重たくなる。

  そのとき、近づいてくる足音と共になにか声が聞こえた気がした。





  「闇に潜んだ……を狩りに……の騎士立ち上がる」

  「みごと……をうちほろぼせば……姫と結ばれる」





  それはなにかの歌で、ゆるやかな音程と透き通る声はまるで子守唄そのものだった。

  じっと聴いていると足跡はアドリアの部屋の前を通り過ぎて、そのころにはアドリアも深い眠りに落ちていた。


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