白金の羽 | ナノ

かつての見習いへ





  純白の羽を持つ天使達が行き交うこの場所は、天界というところだ。雲の流れる空にぽつりと浮かび、地上を見守る役目を与えられている。

  とびきりの災厄もないかわりに、とびきりの幸福もここにはない。それが一番幸せなことだとそこにいる誰もが知っているからだ。

  「……ドリア、」

  この時間は大体の見習い天使達が寺子屋に学びに行く時間で、アドリアの周りに他の天使はいない。アドリアがイザヤールの手によって守護天使見習いになったのはかなり特異なことなのだと、弟子として召抱えられたときに口酸っぱく上司に言われな記憶がある。

  「おいアドリア聞いてんのかよー、おーいおーい」

  隣でアドリアをガタガタと揺らすこの男も、同じく特異な存在だった。

  「……ちゃんと聞いてるよ。そんでなんだっけ、どうなの?  最近始まったっていう守護天使見習いのお仕事はさ」

  少しだけくしゃくしゃした黒髪に吊りがちで黒い目を持つこの男は、アドリア含めた数いるの同期のうちのひとりだった。
  彼の名前はアースといい、アドリアがイザヤールに召抱えられる前に、とある大きな街の守護をする天使に気に入られて弟子になったらしい。
  弟子になった期間が早いだけに、アースはアドリアより数歩先の修行をしていた。

  しかし悲しいかなアースは愛嬌はあるものの勉学そのものが苦手で、現在も広間の簡易的な机とテーブルでアドリアと並んで勉強している。

  「あっ、そうだそうだ。そんでな、今地上では寒風摩擦ってのが流行ってるらしくて」

  「かんぷーまさつ……」

  「天界に帰って自分でもやってみたんだよ。効果は感じられなかったけど、文官のじーさんに教えてやったら喜んで言い触らしに行ってたな」

  勉強はこれまた進んでいなかった。

  それぞれの師匠に手渡されたその土地に関する分厚い本は開きっぱなしで、アースに至っては端に落書きしている。

  「んで、こーんな形の食いもんが流行ってるらしい」

  アースはそう言うと逆三角形の上に乗っかったごにょごにょとしたものを描きながら「これはソフトクリームっていうらしくて、甘いみたいだ」と嬉々として言う。ページの落書きはさらに増えていき、挙句には師匠の似顔絵まで描き始めた。

  ふたりのおえかき大会は、丁度寺子屋から帰ってきた少女によって遮られる。

  「珍しく真面目に勉強してると思ったら、落書きしてたの?」

  少女ことシエルは、淡い水色の髪の毛を長く伸ばしている。瞳も同じく青く、聡明な印象を与えた。

  「これもまた社会勉強だから」

  「もう、守護天使引き継ぎまで間もないのに」

  どんと胸を張るアースにシエルは冷えた目を送りつつ、アースの落書きつきの分厚い本を覗く。シエルはこう見えて、アースには甘いのだ。

  「アドリアはそこそこ容量いいんだからいいんでしょうけど……アース、300年前の地主の名前くらい覚えておきなさい。あなたの街でしょう」

  「まあまあ、アースもここ最近は頑張ってるんだしさ」

  300年前の地主の名前はさすがにアドリアも知らないため仲裁を決め込んだ。シエルは文官志望で頭が良く、同期の中でも抜きん出ていた。

  「おまえらは今年寺子屋卒業だけどさ、首席取れそうかよ」

  いつになくつっけんどんなアースがシエルに尋ねる。

  「もちろんよ。わたし、卒業したらラフェットさまに付きたいから」

  守護天使見習いなどの特殊な立場にいない限り、大多数の天使は寺子屋という学び場で地上の歴史や地理、その他諸々を学ぶ。そして卒業が近くなると、自分の務め口も考慮して科目を選択しなければならないらしい。
  世界樹研究班志望だと世界樹の授業を取るし、文官志望であればより深い勉学を学び、武官志望だと勉学より武器の扱いや戦い方について学ぶのだ。シエルが志望するラフェットつきの文官は相当に倍率が高いため狭き門となる。

  「悔しいけどおまえは頭いいし、いけると思うぜ。まあがんばれよ」

  「なにその上から目線……ほんとにもう」

  アースの背中をぶん殴る姿は傍から見れば完全に夫婦漫才のそれだが、当人らは無意識なようだ。

  アドリアはこのふたりの同期といるときが、イザヤールといるときとはまた違った安心を感じる。

  今思えば彼らは、自分にとってとても大切だったのだと。

  会えなくなってから気づいた。


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