さらばと告げる鐘の音
本日は晴天なり。
「絶好の旅立ち日和だね。リッカ」
「うん!」
ウォルロ村で宿屋を営んでいた少女が、村をたつ日がやってきた。
そして突然やってきた奇妙な旅芸人の旅立ちの日でもある。
今まさに村はお別れムード一色で、村人たちはリッカの家に集まり別れを惜しんでいた。ルイーダの隣に立つリッカもこの空と同じく晴れやかで、未来への希望を思わせる。
「アドリアも今日ウォルロ村を出るのでしょう? 一緒に行けばいいのに」
「……リッカを見送ってから行こうと思ってね」
何を隠そう、アドリアはわざわざ村を出るタイミングをリッカとずらして、峠の天の方舟に乗る手筈になっているのだ。
そこまで誘ってくれる妖精は空気を読んでか、アドリアの肩につかまってだんまりを決め込んでいる。
別れの詩は随分長く続いた。
「――ありがとうね、ニード。わがままだけど、あの宿屋を閉じたくなかったから」
そこにいるんでしょ、とリッカが物陰に隠れてそわそわしているニードに声をかける。
「う、うっせーよ……」
「まーさかニードがリッカの宿屋を引き継ぐなんてね。これで脱パラサイト。おめでとう」
「うっせーよ! テメーはさっさと出てけ!!」
頬を紅く染めたニードにアドリア茶々を入れたら本気で怒鳴られる。脛齧り男が大きく出たものだと言い返したら、今度は脛を蹴っ飛ばされた。祖父の手を握りながらその様子を見たリッカが、
「もう、ふたりは相変わらずだね……そうだ、アドリア。あなたにお礼を言わせて」
と言い、自身の両手でアドリアの左手を包み込む。その感触は年頃の乙女としては少しかたい、働く者の手だった。
「わたし、ルイーダさんに最初に誘われたときすごく怖かったの。不安で、自分が急にひとりぼっちに感じた」
横でニードがむすくれているのを横目に、リッカは続ける。
「今までわたしは、自分は村の一部だと思ってた。死ぬまでずっとここで生きる、ウォルロ村の一部分。だからスカウトされたとき、わたしはわたしっていうひとつの個体なんだって思ったの」
「ほかのみんなの中のひとつじゃない、わたしっていうひとりの存在なんだって」
「アドリアがお父さんのトロフィーを見つけてきてくれたお陰でふんぎりがついたわ。この村にもう甘えないって、自分ひとりで立つんだって」
アドリアはただルドルフ本人に言われた通りにトロフィーを掘り出してきただけなのに、リッカの言葉はアドリアの心の奥をじわじわと暖かくした。そのあとに付け加えられた、「アドリアってなんだか不思議な雰囲気あるし、もしかしたら本当に守護天使さまだったりして」という言葉でひやりとしたのだが。
「そろそろお別れは済んだかしら?」
それまで静観していたルイーダが軽快に問いかけると、リッカははい、と答えた。ふたりはそのまま、周りのひとに惜しまれ、泣かれ、祝われながらこの村から旅立つのであった。
「おまえ今度ウチ来たときは泊まってけよ。安くはしてやんねーけど。むしろ上乗せするし」
「はー、もう半泣きで強がったって効果ないよ」
橋の真ん中でぐずぐずと鼻を啜っているニードをいつになく年相応に感じながら、アドリアは思う。
きっともう、ニードともリッカとも会話を交わすことはないのだろうと。
ここでなんとかかんとか天界に帰り翼も光輪も取り戻せば、アドリアの姿は普通の人間には見えなくなる。だからニードの言う今度は存在し得ないのだ。
そのまま少し惜しみながらニードと別れると、滝の周りで不審な動きをする一人の男を見つける。なにやら男は大量の木箱とたくさんの瓶を持ち、数ある瓶の中の半数には澄み切った液体が入っていた。
「何やってるんですか」
「おわっ! ……なんだ、驚かすなよな」
ビビるだろ、と言った男の顔には悪びれた様子は一切ない。さらさらと柔らかそうな金髪に丸い緑の瞳の男は、アドリアを見ると満面の笑みを浮かべる。
「俺、峠が開通したって聞いてとんできたんだけど、なんか場違いっつーかな」
なんか祝ってたみたいだし、ということはリッカのことか。アドリアははぁ、とかまぁ、とか曖昧に返して男のとめどなく動かされる手を見つめた。
「へへっ、そーいえば何してるかだって? もちろん、滝の水汲んでんだよ」
原則ウォルロ村では滝の水を持ち帰ることは許可されており、その水を手に入れるため遠くから旅人がやってくるほどらしい。しかしこんなに大量に持ち帰ろうとする輩はそうそういないとアドリアはいつになく直感した。
「ダチのお袋さんが具合悪いらしいから、看病してるダチに変わって俺が身体にいいっていう水を汲みにきてやったってわけだよ」
そう言って胸をどんと叩く男をアドリア半目で見るも、ふいに髪の毛がサンディによって引っ張られた。
「なんかコイツ怪しいケド、悪いヤツじゃないんじゃない? ほら、嘘こくとかこむずかしいことできなさそーだし」
確かに目の前の男は、まだ成人を迎えたばかりと言っても差し支えがなさそうな面差しだった。身なりも良くもなく悪くもなくだし、やたら念入りに巻かれたターバン以外はそこまで危ない人物には見えない。
「なんか言ったかよ?」
「ヒイッ」
まるでサンディの言葉に反応したかのように聞き返してきた男に、サンディはあからさまな奇声をあげてアドリアの首にしがみついてしまった。結構危ないと思うんだけどそれ、と言えるはずもなく、アドリアは男を再度見た。
「そうなんですか……ご友人のお母さまにお大事にと伝えてください。じゃ、これで」
「ちょ、ちょちょー、ちょっとまった!」
事情を聞けばこちらとて急いでいるためさっさとその場を後にしようとすると、男に服の裾をつかまれてつんのめる。
「えーっと……うん、やっぱなんでもねー」
男はしばらく考え込むとやっぱコイツが知るわけねえかとため息をつかれた。一体何だったのかと思いつつ、アドリアは今度こそその場をあとにする。
さらば、ウォルロ村よ。人間として過ごすのはこれが最後になるが、また少ししたら守護天使としてまた戻ってくるぞ。
そう念じながら、アドリアとサンディはウォルロ村の外へ一歩足を踏み出したのであった。
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