白金の羽 | ナノ

幽霊と乙女、そして天使


  「よろしく頼むわね」

  ルイーダに頼まれて宿屋から出されたときにはすでに日は沈み、夕方どころかもう晩と言ってもいいほどだった。

  (リッカは朝食用意してるって言ってたけど、これじゃもう夕食かな)

  昨日の夜から丸々何も口にしていないアドリアの腹は虫が鳴いている。しかし実際には天使は物を食べなくとも生きることができるし、そういった食料や飲料はごくごく一部の変わり者が嗜む一種の嗜好品のようなものだった。しかしここ数週間は毎日朝昼晩欠かさずリッカの料理を口にしていたアドリアは食べ物を口にすることに対してすっかり慣れきってしまったため、さすがにずっと食べていないときつい気もする。

  宿屋からリッカの家までの距離は近く、橋を渡ればすぐ着く。夕食時ということもあり、いつも井戸端会議をしていた主婦たちもなりを潜めて現在野外にいるのはアドリアしかいない様子だった。

  「あれ」

  アドリアしか、いないはずだったのだが。

  「どうしました?  遺跡から出て迷ってしまったとかそういう」

  「あっ、違う違う。ここは私の家だから……」

  「そうでしたかすっかり勘違いを」

  「えっ」

  「えっ」

  そこにいたのは、青白いを通り過ぎて物理的に透き通った中年男性だった。遺跡でアドリアに石碑をどけるスイッチを教えてくれた幽霊の男性が、何故かリッカの家の前に立っている。

  「あ、あなたは遺跡の……!  やー、あのとき本当にびっくりしましたよ。普通の人には見えないはずなのに追いかけてくるし……って、今も」

  「俺は普通の人間じゃないから、あなたの姿を見ることができるんです」

  幽霊の姿を見ることができる生物には限りがある。

  「そういえばここは自分の家だって言ってましたけど……」

  アドリアが再度口を開くと同時にどこかハッとなった男性がわなわなと震えながら口を抑えた。「もしかして」「いやまさか」と透明な頬を鈍く紅潮させて明らかにアドリアの正体に気づいたようだ。

  「も、もしかしてあなたは、てん、てんしさ」





  「ちょーっと待ったぁあああ!」





  男性がアドリアの正体を言い当てる寸前、突然ピンクの光がアドリアに突進してきて先ほど扉にぶつけた同じ場所にぶち当たった。

  「いたっ」

  「イタッ!  ちょっとアンタ、しっかり避けなさいヨ!」

  突進してきたと思われたピンクの光は、咄嗟に突き出したアドリアの左手の中で徐々に光が薄まって、黒やらピンクやらでごてごてと派手な装飾の小さな小人が姿を表した。

  「話は聞かせてもらったワ!」

  「君、だれ?  というか小人……?」


  「誰が小人ヨ!」

  口を抑えたまま成り行きを静かに見守る幽霊の男性に黒い小人とは、なんというおかしな取り合わせなことか。
  アドリアはまたじんじんと熱を持ってきた鼻を右手でつまんで小人を見る。

  「聞いて驚きなさい!」

  小人は自身の持つピンクの羽でアドリアの左手から飛び立つと、アドリアと男性の前で自信満々とも言えるポーズをとる。

  「アタシは謎の乙女、サンディ!」

  「謎のギャル、マンディなんて聞いたことないよ」

  「違うんですケド!?  謎の!  乙女!  サンディ!」

  至極真面目な顔のアドリアにぷりぷりしながら妖精は男性ににじりよる。

  「ちょっとおっさん、さっきおっさんはコイツのこと天使って言おうとしたでショ?  でもなーんかおかしくない?」

  翼も光輪もないなんてさ!  と摩訶不思議そうな顔をするマンディに男性も重々しく頷く。

  「でもそれを言うなら黒ギャル妖精のあなたもかなりイレギュラーだと……」

  「なッ、なにこのおっさん!  チョー失礼なんですケド!!」

  もはやアドリアを置いて話が進んでしまいそうなのを見かねてアドリアも嘴を挟む。

  「天使ってのはほんとだよ。人間界に大地震が起きたとき、天界から落ちてきたんだ。翼も光輪も、そのとき一緒に」

  なくなってしまったんだ、とはなぜか言いたくなくて、アドリアは口を閉ざす。
  サンディは未だ信用ならないとでも言わんばかりに薄目でアドリアを上から下まで見た。

  「そこまでいうなら信じてあげてもいいんですケド。このおっさん成仏させられたらアンタが――えーと、アンタ名前が何だっけ」

  「アドリア」

  「そそ、このおっさんをアドリアが無事成仏させられたら天使だって認めてあげてもいいわヨ」

  「はぁ……」

  すでに当事者である男性さえ会話についていけてないようだが、サンディはもう決めてしまったようだ。
  そうと決まれば成仏させるまでだとアドリアは質問することにした。

  「まずそうだ、おじさんなんでリッカの家の前に――」

  「リッカ!  そ、そうでした……私の名前はリベルトで、リッカは私の娘です」

  言われてみれば、優しげな目や愛嬌のある口元が似ている。

  「私の心残りといえば、宿屋の裏に埋めたあれでしょうか」

  「あれ、とは……?」

  「ええ、あれです。あれ自体に特別思い入れがあったわけではないんです。でもリッカに、伝えられる何かがあるならあれが必要だと思うんです」

  「わかりました。掘りに行ってきますね、今から」

  「今から!?」




  もう時間も遅いわヨ!  というサンディを後目にアドリアは宿屋の裏まで片腹を抑えつつ走った。

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