ウォルロ村
「あんた元気になったのかい。良かったねえ」
「はい、リッカにも良くしていただいて。お陰様です」
「あら、あなたはリッカさんのところの守護天使様と同じお名前の」
「旅芸人のアドリアです。シスターさん」
「あっ、アドリアだ! 旅芸人なんでしょ? 芸見せてよ」
「ごめんね、まだ本調子じゃないんだ」
ウォルロ村を練り歩きながらひとりひとりに挨拶して回るアドリアはさながら最近引越ししてきた人間のようである。
「あの旅芸人が災いを運んできた」という言葉をちらほら耳にするものの、幸いなことにウォルロ村の人々は比較的アドリアを好意的に思っているようだった。
なんでもウォルロ村は滝の名所であるもののいかんせん田舎であるため酒場等の娯楽がひとつもなく、活気のある若者のほとんどは近くのセントシュタインに出てしまうのだという。
ゆえに村には中年やお年寄り、年端もいかない者ばかりでアドリアのような青年の男手が有難いのだろう。
「リッカもねえ。二年前親父さんが亡くなってからひとりきりで宿屋をうまく切り盛りしていたと思うよ。しかしね、あたし達はそれがリッカの重りになっていないかって心配なんだよ」
アドリアはざくざくと鎌で雑草を切りながら頷く。現在お礼の奉仕中である。
「リッカは幼いのに働き者だと思うよ」
この天使服は動き回るのにはあまり向いておらず、アドリアは上衣を脱いで作業していた。脱いだといってもまだ肌着があるためそこまで恥ずかしくはない。
「そうよねえ。同い年のリッカはあれだけ頑張っているというのに、あのニードときたら」
こうして村人と話すうちリッカを褒める言葉はよく聞くが、それと同じだけニードへの不満も多く聞く。どうやら働きもしなければ学を深めるわけでもなく、日長一日遊んでいるらしい。
「ほら、若い人特有のモラトリアムってやつなんじゃないかな」
「そう言えばちっとは聞こえがよいかもしれないが、所詮ニート。パラサイトだよ」
ぼろくそであった。
アドリアはニードの行く末を心配しつつ、雑草を抜いたり刈り取ったり、馬糞を片付け手負いの馬に餌をやり、窓拭きを手伝って夕食までの時間を過ごした。少しではあるが、天使界に戻ることができる手がかりをつかめたらいいのだが。
「ただいま」
空が紫を帯び始めてアドリアがリッカの家に帰ったときには、アドリアの体は泥だらけであった。それを見つけたリッカに体を拭くように命ぜられて、水と手拭いを抱え完全に夕食の支度ができるまで二階に借りている部屋で身を清めることとなった。
「あいた、いつの間にか擦り傷が」
肘の内側あたりに息をふきかけ痛みを緩和させつつ、手拭いに水を含ませ体を拭う。
天使界には体を拭くという習慣はなきに等しく大抵がどこからか汲み置かれた水につかるだけだったため、なかなか新鮮である。
綺麗好きな部類のイザヤール師匠の元にいた所為か、アドリアも天使の中ではかなりの綺麗好きだった。
不思議なことにひとつ思い出すと、次から次へと思い出す。
天使の中でも特に特徴のある髪型をしていた自分の師匠、イザヤール。そのイザヤールの古くからの友であり、弟子であるアドリアにも優しかったラフェット。天使達を纏める長でありながら誰もに愛されていたオムイ。活発でのんきな守護天使見習い。
黄金に輝く女神の果実。それに負けるとも劣らない色に染まった天空の箱舟。
数週間前のことでありながらどれも遠い昔の出来事のようだ。ウォルロ村に留まっていれば出逢えると思っていたイザヤールにも未だ逢えていないし、天使界に帰るどころかウォルロ村の敷地でさえ出ていない。
情報を集めるというのは体の良い言い訳に過ぎず、自分はただひとりきりで人間界に、人間として歩くなら未知の世界に、恐れをなしているだけではないのか。
アドリアはまぶたをきつく閉じ、両の手のひらで頬を叩いた。
「アドリア、体は拭けた? 夕食ができたから、運んでくれる?」
そんな中、扉の向こうからのリッカの声に引き戻された。
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