50、過去の全てを忘れたいくらいに。
(義姫視点)


部屋の中は大好きな香の香りが立ち込めていた。この香を嗅いでいると心が落ち着く。
義姫は、ほぅ、と溜息を漏らした。

「どうしたの母様?」

自分の膝の上に座って菓子を食べている小次郎が心配そうに見上げていた。
可愛い、可愛い私の子供。

「いいえ。なんでもありませんよ」

そう言って私は小次郎の頭を撫でた。さらさらと指に通る髪が気持ちよい。
小次郎も気持ちよさそうに目を細めた。

この子こそが本当の私の子供。それ以外には居ない。
私はぎりりと唇を噛んだ。
私からあんな醜いものが生まれたなんて信じない。私の子供なら常に気高き美しく無ければならない。
醜いものなど、人ではない。
まぁ、あんな者のことなどどうでもよい。私には小次郎が居る。

この子は失敗させない。美しく育てるのだ。

「小次郎」

「はい」

「いつも言っているわよね、化け物の傍には行かぬようにと」

「はい、母様。行ってません」

「宜しいわ小次郎。貴方は美しのだから化け物の傍によっては醜いのが移ってしまいますよ」

「はい」

私の言う事に一つ一つ頷き返事をする小次郎。ああ、なんて良い子なの。
伊達の次期頭首にはこの子しか居ないわ。あんなものを伊達の頭首にしてしまったら伊達家は終わってしまう。
私がこの伊達家を守っていかなければ。

「何か欲しいものはあるか小次郎。何でも言って良いのですよ」

「何もありません母様」

「ふふっ、この子ったら遠慮して」

それに小次郎の方が頭だって良いわ。
小次郎の方が上。全てが上。

「それでは何か欲しいものがあったら言うのですよ」

「はい」

小次郎は八つというのに大人しく子供染みた事はしない。
いつからだろうか、小次郎はしっかりしている。母としては嬉しい事だ。

「小次郎少し庭を歩きましょうか」

「はい」

私が立ち上がると後ろに控えていた女中二人が立ち上がり襖を開けた。
部屋との空気と違いまるで別世界のような外の世界は光が直接目にあたって眩しかった。

庭に出て小次郎と女中を引き連れ歩く。
美しい小次郎には美しいものをたくさん見せて育てていかなければ。

「小次郎見てごらんなさい、青空が美しいですよ」

「そうですね母様」

手を繋ぎ小次郎と会話しながら歩くのは楽しい。こんな時がずっと続けば良いのに。

空は好きだ。いつでも美しい。
青空、夕暮れ、夜。雨、雪、雷さえも美しい。
空を見ていると心が洗われる様だ。遠い遠い空を見上げては空を想い見上げる。

「小次郎、母様は空が好きです」

と、言うと小次郎も

「母様、小次郎も空が好きです」

と返事を返した。小次郎と同じものを共有できて嬉しいわ。といって私は小次郎の頭を撫でた。

「母様はねぇ、空が美しいから好きよ」

「小次郎は、空が広いので好きです」

「あら、小次郎は広いのが良いの?」

「はい、何処までも続いて、全てを包んでいるようで。」

「小次郎はなんて凄い事を言うのかしら。さすが小次郎よ」

私は小次郎を褒めたたえた。だって、こんな小さな子供が空の広さだ好きですって?こんな素晴らしい事を言うのはきっと小次郎しか居ないわ。

「小次郎。貴方は他の子供とは違うわ。母様は誇りに思いますよ」

そう言ってはっとなった。
ついつい、小次郎との話が楽しすぎて気が付かなかったけれど庭の奥に行っていた。
くるりと踵を変えてもと来た道を戻る。

「母様、何故いつも庭の奥には行かないの?」

小次郎が不思議そうに言ってきた。

「貴方は知らなくて良いの」

怒りの混じった声で言ってしまえば小次郎は肩をびくりと震わせ「ごめんなさい」と謝った。

「分かればいいのよ」

そう言ってまた私は笑顔をつくった。
どうも、あれの事となると感情が表に出やすくなってしまう。
思い出したくも無い存在。神に見捨てられし者よ。


ああ、憎らしい。



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