「外の世界へ連れ出してくれないか」

囚われのお姫様


明るい声と共に入ってきた侵入者にスガタは苦笑いした。その可愛い侵入者には既に慣れてしまっていたからだ。

「タクト、今度はどうしたんだ?」
なるべく優しい口調で訊ねると、タクトはにっこり笑って自慢気に話し始めた。
「これ!スガタに見せようと思って」

そう言って差し出された手のひらには小さな貝殻が乗っていた。
小さなその貝殻は強く握ったら壊れてしまいそうにスガタには見えた。詳しい名称などはスガタにはわからなかったが、それがとても綺麗なことはわかった。

「綺麗だなって思ったからスガタにも見せたくてさ」
明るくそう言いながらも少し恥ずかしいのか元から健康的な色をしている頬を更に赤く染めて頭をかいているタクトに思わずスガタは笑ってしまった。
「ありがとう、タクト」
タクトはスガタを訪れる時いつも何かを持ってきた。
それは、よく“オトナ達”が持ってくる菓子折りとか綺麗な美術品などとは全く違った。
今日のように砂浜で見つけた名前も分からない小さな貝殻だったり道端に咲く野花だった。それらは全てタクトが綺麗だと思ったからスガタにも見せたいという純粋な気持ちの塊だ。
それらのタクトの囁かな贈り物はスガタの宝物だった、どんなに高価な物よりも。


スガタはこの島、いやこの屋敷から出ることを許されていなかった。
理由も教えられず、ただ閉じ込められ十数年生きてきた。スガタには最早それが異常な事態なことすら分からないでいた、タクトに出逢うまでは――



「君は、誰」

という辿々しいスガタの問いにタクトは今までスガタが出逢った誰よりも明るく見たこともないような綺麗な笑顔で答えた。
「君を助けにきた、王子さまかな」
何を言っているのだろうかと思った。まるで、揶揄うようなその言葉に初めてスガタは苛立ちという感情を知った。
王子さまなんていない、スガタはお姫様ではない。自分を助け出してくれる王子さまも勇者さまも居はしないのだ。
「助けてくれる人なんていない」
いる訳がない、そう言うと自称王子さまは困ったように笑って
「じゃあ、やっぱり君は誰かに助けて欲しかったんだ」
そう言われてスガタは自分の発言を思い出して呆然とした。
僕は無意識の内に誰かな助けを求めていた

「こんな狭い世界じゃ嫌?」
嫌だ、嫌だとずっと思っていた。でも、嫌だと言ってもどうにもならないのもわかっていたから無意識下でそんな感情自体無かったことにしていた。
「僕、僕は」
屋敷から一歩も出たことがない自分に一体何が出来るというのか。頑張ってここから出たとしても何も出来やしない、ずっとそう思っていた。

「僕と外の世界に行こう」

不思議な王子さまの名前はタクトというらしい。
もしかしたら、自分はこの巧妙な詐欺師に騙されているのかもしれない──でも、それも悪くないといつの間にか思っていた。



タクトは時期を窺っているのだという。その間、スガタが退屈しないよう色んな物を持ってきてくれているのだ。
スガタからすれば十数年こうして生きてきたのだから退屈などそう苦でもないのだが、タクトはいつだってスガタを笑わせようと努力しているようだった。
スガタが喜ぶと自分のことのように喜ぶ、そんなタクトの笑顔を見ることで不思議と温かい気持ちになった。この気持ちの名前をスガタは知らなかったけれど、とても素敵なものに思えた。



暗い室内、綺麗な月の光だけが窓から入ってきた。
──今夜、決行する
そのタクトの言葉をスガタは信じて月を見上げて待っていた。以前、タクトがスガタの瞳を月のようだと褒めてくれたことをふと思い出して、スガタは小さく笑った。
正直、少し不安だった。タクトは来ないかもしれない、全てスガタの妄想で夢だったのかもしれないそう思いさえした。それほどにタクトと過ごす時間は幸せで夢のようだったのだ。
不安を振り切るように、タクトの瞳を思い出して自分の瞳が月のようだというなら、あの綺麗な色は何の色に似ているのだろうかと考えていた。
そんなことを考えていた時、タクトは窓を開けて本物の王子さまみたいにやってきた。
「いや、ピーターパンかな」
「ん、何の話?」
不思議そうに首を傾げるタクトに何でもないよ、と答え微笑んだ。自称王子さまはスガタの日に焼けていない手を取り、優しく外の世界へと連れ出した。

初めて外の世界はとてつもなく広く感じて、恐らく一人だったら外に出れたという感動よりも恐ろしさが先立ってしまっていたかもしれない──それほどに世界は広くスガタには見えた。

「星、綺麗だな」
「そうだね」
スガタの他愛ない話をタクトはいつもと同じように微笑んで聞いていてくれて、それがとてもスガタには幸せだった。


「よく行くお店のマスターなんだけど、その人に頼めばこの島から出られるから」
小声でタクトはスガタにそう言った。
「……タクトは」
「ん?」
スガタの小さな呟きにタクトは不思議そうに首を傾げた。
「これからどうするんだ」
ずっと訊きたかったことだった。
この王子さまがスガタ一人のものにはならないことは気付いてはいた、きっと自分を自由の身に出来たらまた違う誰かの所へ消えていってしまう。だって、スガタはもう囚われのお姫さまなんかじゃない。
「タクトといるとドキドキするんだ」
ドキドキして苦しいのに一緒にいると温かくて幸せな気持ちになる、タクトにいなくなって欲しくないと思う。
「この気持ちの名前は分からない」
「──スガタ」
スガタは今まで一緒にいるだけで幸せと思えるような誰かに出会ったことはなかったし、この気持ちの意味も名前も分からなかった。
「分からないけど、だけど──ただタクトとずっと一緒にいたい」
それだけは確かだと言い切れる。
タクトの赤い綺麗な瞳が驚いたように大きく見開かれていた。
「僕はもう囚われのお姫さまなんかじゃない」
いや、最初から違ったのかもしれない。何時だって出て行こうと思えば行けたのだ、ただ自分から踏み出す勇気がなかっただけだ。
そして、その勇気をくれたのがタクトだった。

「もうお姫さまじゃないけど、一緒にいてくれるかな?──王子さま」
スガタの何の迷いもない真っ直ぐな目にタクトは一瞬魅入られて瞬きを繰り返した。そして、
「僕も、もう王子さまなんかじゃない」
ただの人間、そう言ってスガタの綺麗な手を取ってタクトは優しく微笑んだ。

お姫さまと王子さまなんかじゃないけれど、きっと彼となら幸せになれる、そんな気がした





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