▼ヒロシ→タクト




「ヒロシー」
朝から聞き覚えのある声に名前を呼ばれて振り向くと、校内でも大人気の美少年が情けない表情でこちらを見ていた。
「どうしたよ、タクト」
「今日、消しゴム忘れちゃって……だから、その」
申し訳なさそうにおずおずと話し始めたタクトの話を聞くに消しゴムを貸して欲しいらしい。
意外と忘れ物はしないタクトは人に借りること自体に慣れていないのか、本当に申し訳なさそうでこちらが見ていて可哀想になる位だった。

「消しゴム一個しかない、よな」
「ああ、そんなことか」
タクトが気にしていたのはそこだったらしい。
確かにあまり消しゴムを何個も持ってくる人間はいないだろう。だが、タクトがそんなことをそこまで気にしていることに失礼ながら少し驚いてもいた。

「確かに俺も一個しかないけど……ほら、こうすれば」
お世辞にも綺麗とは言えない薄汚れた消しゴムを半分にして片方を差し出すと、タクトは元から大きな赤い目を更に大きくさせて驚いていた。
「そんなにびっくりすることか?」
「だ、だって初めてだから」
驚いているかと思えば、感動したようにきらきらした目で見てきたりとタクトの表情は面白い位に変わってそれが子供っぽくて笑ってしまった。
「でも、いいのか?」
消しゴムを指差して心配そうに訊ねてくるタクトは犬だったら耳は垂れ下がっているだろうなと思ってしまう位の落ち込みようだ。本当に喜怒哀楽の激しい奴だなと思いながら
「別に消しゴム位何てことないって」
と笑って言うと、やっと安心したのかタクトもへにゃりと笑った。
そんなタクトの色んな表情を見るのが、実は楽しみだったりする。
気が付けば、授業中にふとタクトの席に目を向けている自分がいる。
これはもしかして──
「……恋ね」
「ちっげえよ!」
一人席に着いて今朝のタクトを回想しつつ物思いに耽っていた俺に後ろからまるで話を聞いていたかのようにそう呟いた人物に盛大なツッコミをいれた。
振り向くとそこにいたのは同級生のマキナ・ルリだった。
「てか、急に何だそれ」
心でも読まれたのかというあまり考えたくはない考えが浮かぶが、いや、まさかとその考えを振り払った。
「乙女の勘よ!」
なんじゃそりゃという言葉は心の隅に置いておいた。
「で、お相手は誰なのかなー?」
「そんなんじゃないって」
興味津々と言わんばかりにニヤニヤしながら問い詰めてくるので、必死で否定するが益々怪しいと言われてしまう。
大体、これが恋なのだとしたらその相手って──

「ヒロシがどうかしたの?」
俺の体はその不思議そうに訊ねてくる声にビクッと反応したまま硬直してしまう。そんな俺の様子は気にすることなく、呑気にあータクトくん!とか嬉しそうに黄色い声を上げているルリを恨めしく思いながら、タクトの顔をチラリと盗み見た。
「あ、あのさ」
タクトに声を掛けるという行為自体に何故かドキドキしている自分にこれは恋なんかじゃないと必死で言い聞かせた。
平静を装って声を掛けてみたはいいが、何と言えばいいか分からず困ったように頬をかいた。
「ヒロシ?」
心配そうな声と共に近付いてきたタクトの顔に思わず変な声が出そうになるのを何とか抑えた。
赤い大きな瞳が不思議そうに見つめてくるのにすらドキドキして、必死に頭の中で今日の昼飯のことやら宿題について考えて気を紛らした。

「ヒロシ、風邪でもひいたの?」
見る見るうちに赤くなっていく俺を見てそう判断するタクト。自分自身もうそうなんじゃないかとかそうであって欲しいとすら思い始めていた。だって、まさかそんな──
「風邪というか、恋の病ってやつよ、ね!」
同意を求めるように訊いてくるルリに八つ当たりとは分かっていても怒りが少しばかり沸いたが、相手は女子なのだからと自分自身を諫めた。
恋、恋、恋と頭の中を単語が駆け巡っていくが、パンクしそうな脳が既に限界を訴えていた。
俺がタクトに恋、してるなんてそんな馬鹿な、しかしそんな馬鹿なこと有り得ないと言い切れない自分自身に気付いていた。
ああ、これは
「恋、だな」
「えっ、そうなのか?」
「そうなんだよ」
不毛な恋だと笑われてもいい、そう思える位には色んなことが吹っ切れていて寧ろ俺はどこか清々しい気持ちですらあった。
「そうか、ヒロシがねー」
感心したようなタクトの声に少しばかり恥ずかしさも感じた。
「じゃあ、僕応援するよ」
妙に気合いの入ったタクトの目に圧倒される。
しかし、応援。応援ってまずいよな、脈なしってやつだよなとぼんやり思いはしたが、間近にあるタクトのキラキラした目が綺麗で不思議とまあいいかと思えた。

青春はまだ始まったばかりだった






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