アンドロイド財前と病床の一氏


be human







「ユウジ、加減はどないや?」
「まあ、ボチボチやな」
 今日は往診の日や。ユウジさんはベッドに座って、謙也さんはイスに座って向かい合う。
「ほな、聴診器当てるで。ちょっと冷やっこいけど我慢してや」
「おん」


「光、ちょっとええか」
 診察を終えた謙也さんを玄関まで送ると、神妙な顔で呼び止められた。謙也さんが手招きするんで、扉を閉めて外に出る。
「ユウジ、こん前診たときより、かなり悪なっとる」
 深刻な声で言われたんは、予想しえた言葉。俺も感じとった。蓄積されるデータ。右下がりのそれら。
「言うてたことやけど、やっぱりな、残りの時間、多くはあらへん」
「何とか、ならへんのですか…」
 謙也さんは静かに首を振る。
「悔しいけどな、治療法どころか、進行を遅延させる薬もまだ開発されてへん」
 謙也さんは視線を自分の手に落とし、拳をギュッと握った。余程強い力なんか、震えとる。
「俺ができるんは、メンタルケアだけや。これからな、思い通りにならんかったり、不安なったりして、ユウジ荒れるかもしらん。そしたら、これ飲ましてやってや」
 謙也さんが俺の手を取って、袋に入った薬を握らせる。ユウジさんは金が勿体無い言うて、薬を出してもろたことはあらへんかった。
「金…」
「お代はいらん。俺が出す。こんなん安いモンや」
 ありがたく受け取る。それを見て、謙也さんは安堵したため息を吐いた。
「俺、ホンマに悔しいねん。何もしてやれへんのが。依怙贔屓言われてもしゃあないが、それでもユウジの苦しみが少しでも紛れるんやったらええわ」
 謙也さんは苦笑した。

 山ほど言葉を知っとるはずなんに、何も出てけえへんかった。重大なバグや。そろそろガタが来たんかな。何も言えへんかったから、言葉の代わりに、深く深く頭を下げた。





「なぁ、光」
 眠る支度を整えて電気を消そうとしたところで、ユウジさんに呼ばれた。消灯するんは止めて、ユウジさんのところへ向かう。ユウジさんはベッドの縁をぽんぽんと叩いて、俺はそれに従ってそこに座った。
「なぁ、光。セックスしたことある?」
 突拍子もない。
「あらへんスわ。俺には、生殖器も、その疑似器官もついてへんですし」
 セクサロイドの製造は表の世界じゃ禁止されとる。性風俗産業は儲かるが、公のモラルに反する。市販されとる量産型や、俺みたいなんはみんなセクスレス。服を着た見た目は女や男に見えるが、実際に性別はあらへん。
「ほんなら、キスとかペッティングとかは」
「三大欲求言うモンがあらへんので」
「ふぅん」
 ユウジさんはそう呟くと、座った俺の尻辺りに顔を埋めた。
 食欲、睡眠欲、性欲。俺はいずれも感じたことあらへん。食べれないことはないが、ただ食べる真似。寝るんは省電のため。繁殖するなら、一から作り上げる。究極の無性生殖や。それに、唾液の分泌も、発汗もせえへん。肌の質感はリアルやが、触れ合うたところできっと気持ちよくあらへん。
「俺と、一緒やな。俺も、ひとっつもしたことあらへん」
 服に吸い取られて、くぐもった声。
「きっとひとっつもせえへんで、死ぬんや」
「ユウジさん…」
「俺、何のために生まれてきたんやろ。何も出来てへんのに…、何もせえへん内に死ぬんや」
 ユウジさんの息が荒なる。ハッハッと短い吐息。ユウジさんが顔をつけた辺りが、透明の液体に濡れる。
「ユウジさん!」
 抱え上げれば、ぐったりした体。息苦しそうに、顔を歪める。ユウジさんを仰向けに寝かせて、昼に謙也さんからもろた薬を取りに行く。
「これ、飲んでください!」
 ユウジさんに水の入ったコップを手渡すと、体を支えて口元に薬を差し出す。 持ち上がらん手を補助して、水を一口含ませると、口の中に薬を入れたった。ユウジさんがゆっくり嚥下する。力の抜けたユウジさんの手からコップが滑り抜け、水を振りまきながら転がって、床に落ちて割れた。胸が大きく起伏する。俺はユウジさんが落ち着くまで、頭やら背中やらさすっとった。

 この家にはコップが1つしかあらへん。ホンマは3つほどあったらしいが、ユウジさんの不便な生活の中でうっかり割ってしもたらしい。

 毛布を被せたユウジさんを運んでイスに座らせて、濡れたシーツを取っ替える。手早く済ませて、ユウジさんをベッドに戻したると、今度は床に散らばったガラス片と水にとっかかった。水は雑巾で拭いて、ガラス片もそんまま手でかき集める。怪我をする心配はあらへん。

「光、スマンな…」
 すっかり落ち着いたユウジさんが、しょげた声で謝ってくる。立ち上がって様子を見ると、申し訳なさそうな顔をしとる。俺は眉間を揉んだった。
「謝る必要あらへん。こない時ん為に俺を買うたんでしょう」
 ついでに髪を梳いて、ほっぺたを摘んだる。
「おおきに…」
 珍しく、控えめな調子で言う。どない顔して言うとんのやろうか、見てやろうと思たらユウジさんは布団を被ってしもた。


 ガラス片を埋め立てゴミの箱に捨てて、雑巾もキレイに濯いだ。
「ほな、おやすみなさい。ユウジさん」
 小さく呼びかけて、消灯する。
「光、」
 暗闇の中に、ユウジさんの声。布団被ったまんま寝てしもたんかと思とった。
「光、寒い」
 無言で頷く。ユウジさんには見えてへんやろうけど。
 掛け布団を捲って、潜り込む。いつもと違て向かい合わせで、ユウジさんを見る。ユウジさんは驚いとった。ユウジさんを抱き込むと、背中をさすった。心音が早い。

 俺には、性欲はあらへん。セックスや、性行為の真似事もできへん。代替行為としては力不足やも知れんが、俺に可能なんはただこうすることだけやった。





「これで、458匹目や」
 今日の金太郎は同じ施設の子どもの付き添いとして来院しとった。俺の事務机の上に件の鶴を乗せる。前見たときよりも腕を上げたらしく、折り目もピシッとして大分きれいな仕上がり。制作は着々と進行中のようや。
「金ちゃん、こないだの鶴、ユウジさんに渡したらえらい喜んでたで」
「ホンマ?!」
「ホンマや。おおきにな」
 ぐりぐりと頭を撫でたる。金太郎ははにかんで笑ろた。照れる金太郎が珍しいて、微笑ましいなる。俺が笑うんを見て、目を丸くした金太郎は、すぐに太陽のような笑顔んなって言うた。

「光、そやって笑とった方がええで」

 いつか言われたセリフとおんなしや。





 寒い日が続いた。寒さはユウジさんから生命力を奪っていく。手先、足先に熱がない。体の中心に向かって人形化していく。
 とうとう一人では動けんようになってしもた。俺はバイトを休んでユウジさんの看病をするようになった。

 時々、ユウジさんの感情がどうしょうもなく荒ぶる。そないときは謙也さんにもろた薬を飲ませた。ユウジさんは薬に目配せするが、聞いて来えへん。きっと気付いとるからやろう。俺も何も言わへんかった。
 謙也さんもきっと、感謝されてもやり切れん。

 毎日、教会に通った。花を見るとユウジさんが喜ぶからや。小春さんの話をすると喜ぶからや。
 話の都合で、ユウジさんは仕事で遠くに行っているっちゅうことになった。頑張っとる、成功しとる、と小春さんに言うたら、少し寂しい顔をしたけど、喜んでくれはった。無事を祈っとると言ってくれはった。そんことをユウジさんに話したら、気が楽になったと言わはった。見栄を張りたいユウジさんは、現状とのギャップを心苦しく思とった。
「遠くに行くんはホンマのことやし」

 会いに行かれへん都合のええ口実が出来てよかったて、ユウジさんは言わはったけど、俺はなんでもっと上手い言葉を思いつかへんかったんやろう。失敗した、言う顔を俺はしとったんやろう。
「意地悪言うたな」
 ユウジさんは困ったように笑ろた。


 毎日通ったんは徒労になった。神というモンは、機械が信じるには不確かすぎる。俺は人間のように信じているふりをしていたが、襤褸が出たんかもしらん。
 それとも、はじめからおらんかったか。その朝が、来てしもた。





 昨晩はえらく冷えた。今年一番の冷え込み。ユウジさんの様子は思わしくあらへん。俺はユウジさんのベッドの横にイスを置いて、一晩中看病しとった。寝返りもよう打てんから、その都度手伝ったった。寒いと言われれば添い寝したった。退屈することも、疲れもせん。寝不足になることもあらへん。ユウジさんのために動ける。こん体に感謝する。

 薄い瞼が徐(おもむろ)に開かれた。目を覚ましたユウジさんは、天井を見る。何もない、白い天井。妙に静かで意味深に見える。
「ユウジさん」
 目を開いた言うことは、確かにユウジさんが生きとる証拠。せやのに、その存在があまりに静かで、もうそこにおらんのかと思た。

「何や、光。情けない声出して」
 目だけ動かして俺を見る。俺はいつもと変わらん調子で言うたはずなんに、ユウジさんはそないこと言いよる。
「目、覚めたんなら、朝飯食べますか?」
 俺が立ち上がると、ユウジさんは目を伏せた。
「ううん、いらん」
「ほな、果物でも」
「ええよ、座っとれ」
 言われて、俺は従った。ユウジさんがむず痒そうやったから、額にかかった髪を払ったる。

「もうすぐ、終わりやと思う」
 暫時、静かに過ぎてユウジさんが口を開いた。一重瞼が緩慢にまばたきをする。
「もう、どっこも動かへんねん」
 そう呟いた唇が薄く自嘲の形を作る。
「そないこと、」
「ええねん、ようやっと言う気分や」
「俺、謙也さん呼んできます」
 電話があればええんやけど、生憎この家は料金未払いで止められとる。早くせな、助かるんも助からん。せやのに、またも立ち上がるんを止められる。
「呼ばんでええ」
「でも、」
「原因分からへんのやろ。薬もあらへんのやろ。したら、謙也に来てもろても、悔しい思いさせるだけやんか」
 返す言葉もあらへん。謙也さんの歯痒い言う顔が脳裏を過ぎる。
「ひとっつも謙也の所為っちゅうことはあらへん。せやったら、何も悔しい思いさせることないわ」
「ほんなら、小春さんは…、小春さんに会いたいんと違います?呼んできますよ」
 俺が小春さんの話をするだけで、あない喜んではった。会いたいて、言うてはったのに。
「アカン。こない朝早く起こしたら可哀想やろ。それに、…会うてしもたら、サヨナラすんの嫌になってまう」
 名案や思ったんに、ユウジさんの思考は悉く俺の推測を裏切る。

「ほんなら、俺何すればええんです?言うてくれはったら、何でも」
「傍にいてくれたらそれでええ」
俺の問いに、穏やかな声が答える。
「他に出来ることはあらへんのですか」
「いらんよ。どこにも行かんでくれたら、それでええ」
 何もせんでいいなら、俺は物と変わらん。それで、ユウジさんの何の役に立つ言うんや。

「俺なぁ、一人で死ぬんやと思とったんや」
 うなだれた俺に、ユウジさんが優しく話しはじめる。
「兄貴が死んだときに、看取ったんは俺だけやった。そう考えたら、俺が死ぬとき看取るんは誰もおらんと思とった」
 ユウジさんを見る。ユウジさんは僅かに微笑んだ。

「光を買うたとき、はじめは、こない上等なモン買うてしもてよかったんかなと思とった。家はちっさいし、狭いし、汚いし、俺には分不相応と違うかって」
息を吐く。
「お前、ホンマにええヤツやから、宝の持ち腐れや…もっと俺が賢かったらよかったんやけどな」
 ユウジさんが漢字を読めへんのは、ユウジさんの所為と違う。貧困が招いたものや。社会の歪みが生んだもの。
「そんなん、」
「俺がアホなんは事実やから、ええねん。ともかく、光はええヤツやった。ほんで、一人で死ぬはずやった俺は、光が看取ってくれる」
「ずるいスわ…」
 恨みがましく睨めば、ユウジさんはにっこり笑ろた。
「おおきに、光」

 カチリ、と目の奥で小さな音がした。水が排出される合図。起動テスト以来の感覚。せやのに、俺の目からは何も出て来えへん。当たり前や。ウォーターサーバーに水が入ってへん。
 今まで亡くした主人たちは、ぎょうさんの人に囲まれて、最期を迎えた。俺は泣かんかった。俺の他にぎょうさんの人が泣いとったからや。俺が泣く必要はあらへんかった。
 俺だけが看取る、ユウジさんの最期。泣けるんは俺しかおらんのに、涙が出て来えへん。
 ユウジさんが、漢字を読めへんのは貧困が生んだ社会の歪み。憎い、言う感情が導き出される。初めての感情や。
「アカンな、もうサヨナラみたいや」
「ユウジさん、目閉じたらアカン!」
「光、そない顔より、笑とった方がええで」
「笑ろてる場合ですか…!」
「笑ってや」
 我が儘な主人の最期の願いを叶えるために、言うことを聞かんおかしいなった回路を無理やり動かす。
「光、そやって笑とった方がええで」
 ユウジさんもそやって笑とった方がええです。せやから、目を閉じんとってください。

「ほな、サヨナラや…」
「ユウジさん!」

 願いは虚しく、ユウジさんの瞼は閉ざされた。その体を掻き抱く。
「ユウジさん!」
 何の反応も示さへん。人形のようにぐったりとした体。
心臓に手を当てる。拍動が静かに止んだ。
 寒い寒い朝、ユウジさんはいってしもた。自分勝手や。


 さっきからずっと、涙腺が開きっぱなしやのに、涙は出て来えへん。人間になれへん体が憎たらしい。
 ユウジさんが俺に望んだ役目を、見事果たしたはずなんに。俺は、途方もない感情を持て余すことしか出来へんかった。




end-20100209 町田
幸福な人形


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