幸村と丸井と切原




 入学式の日、赤毛の猫を拾った。それは小さな子猫だったので、僕は金色の鳥かごで飼うことにした。子猫は、猫だというのによく人に懐いて(なんと言っても一番は僕だけど)、腹も空いていないのに、すり寄ってきたりした。顎の下を撫でてやると嫌がって、頭を撫でてやると嬉しそうに鳴いた。ガムが大好きで、味がなくなっても四六時中噛んでいた。単純で馬鹿だけど、どうしようもなくかわいい猫だった。


 二年に上がった頃から、毛が不揃いな黒猫がよく現れるようになった。それは赤毛の猫より少し大きくて、それでも十分小さな子猫だった。
 黒猫はずる賢く、意地悪で、器用だったので僕のいない隙を見つけては、鍵のついた金色の鳥かごを開けて、赤毛の猫を連れ出した。僕の猫なのに、勝手に連れ出すのだ。そして、僕が途方に暮れて泣き濡れているうちにまた、器用に鳥かごを開けてみせて赤毛の猫を返していく。僕は黒猫に幾度も注意したけれど、黒猫は素知らぬふりで、懲りることなく赤毛の猫を連れ出していった。


 二年の終わりに僕は不運にも、病気に倒れてしまった。それはとても重い病気で、通院でなく入院をして、更には手術までしなければならない病気だと聞かされた。僕は、病気だという事実にはあまり驚かなかった。多分、人より鈍く生まれたのだと思う。
 人はよく穏和だと言うが、実際はそうでなくて、怒りがこみ上げた頃にはすでに周りの状況が先に展開してしまっているんだ。そうとなると蒸し返すのも面倒だし、流してしまう。だから、穏和だとかそんなのちっとも関係なく、ただ鈍いだけなのだ。
 それよりもむしろ、僕は子猫が悲しんでくれるだろうと、ちょっとドキドキしていた。

 思った通り、赤毛の猫は涙を見せて悲しんだ。病院には持っていけないから、仕方なく猫は置いていくことにした。でも、いつでも僕に会いに来れるように、鳥かごから出してやった。猫は喜んで、僕の頬に口を付けた。

 猫は毎日のように病院を訪れて、僕にじゃれついた。看護婦さんは困ったような顔をしてたけれど、僕はすごく嬉しかった。面会時間が終わるときには、寂しくて何度も何度も頭を撫でてやった。

 やがて、一人で来ていた猫の後ろにあの黒猫がついてくるようになった。僕はあまりいい気分ではなかったのだけれど、赤毛の猫がいるところで怒りたくなかった。黒猫は僕のことなんか無視するように、赤毛の猫にちょっかいばかり出していた。赤毛の猫が黒猫を戒めている間、僕はなおざりにされてしまうけど、でも赤毛の猫が笑うのでその笑顔に変わるのなら仕方がないと思った。


 それから、毎日だった面会が段々と隔日になっていった。寂しかったけれど、口に出すことはできなかった。弱いと思われたくなかったし、いつでも猫の憧れでいたかった。それに、黒猫がいては話したくても話せなかった。


 寂しさが募ると思うことが多々あった。それは大抵未来のことで、いくつかのことは現実になって、いくつかのことはきっと不可能だろう。現実になりそうなことは、悲しいことに悪い話ばかりだった。


 夏の日差しが差し始めた頃、珍しく赤毛の猫が一人で訪ねてきた。久しぶりの出来事だったので、僕はびっくりした。すごく嬉しかったから笑顔で迎えたのに、赤毛の猫は放心しているような状態だった。黒猫はどうしたのか訊ねると、物憂げに学校のある方角に視線を投げた。喧嘩をしたのだと、言った。猫は苦しげに鳴いてベッドの縁に頭を伏せた。僕は柔らかい毛を撫でて、寂しくて寂しくてたまらない癖に、僕の猫に諭すように言った。
「仲直りしておいで」
 すると、猫は一声鳴き、立ち上がって病室を出ていった。もう前のようにはすり寄ってこないんだろう。それは想像した未来だった。


 右手の中に握った、おもちゃのような、小さな金色の鍵を見る。置き去りにしてきた鳥かごの鍵だ。今や、子猫は育ってしまい、あんな小さなかごではおさまらない。きっと猫は二度と戻ってこないだろう。これ以上持っていても必要がない。こんなちゃちな鍵が無くとも、開けようと思えば黒猫がしたように、簡単に開いてしまうものなのに、赤毛の猫は自分からはそうしようとはしなかった。それだけで、何ものにも代え難い幸せをもらっていた。
 窓辺に寄って、窓を開けて息を吸い込む。それから、手を振りかざして手の中の物を投げた。金色の物体はきらきらと光を反射しながら、ぼうぼうと伸びた芝生の中に着地した。その後はもう、光を反射することはなく、存在を確かめることはできなかった。


 僕は、単純で馬鹿だけど、どうしようもなくかわいかった僕の猫は、死んでしまったのだと思うことにした。たまに見舞いに来ても、元気になってどこかですれ違っても、それは別の猫なのだと思うことにした。卑怯なようだけど、悲しみを断ち切るにはそれが一番だと思う。猫は元々、人間より短命な生き物だから。



2005 町田



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