a teacher And a student


4月

 四天宝寺中学校というのは、渡邊オサムの母校であった。一浪して入った大学で教職課程をとり、四天宝寺で教育実習を終え、教員免許を取得した。その後、無事、府の教員採用試験に合格し、タイミングがよかったのか早くに念願の母校への採用が決まった。以来、理科のオサムちゃんとして生徒に親しまれている。教師になってまだ四年、他の学校での経験もなく、母校に大きな変化もないので、大きな先輩のようなものだ。三十路を目前に、まだまだ己が弱輩者であると感じている。

 今の三年生が入学してきたのは、当たり前のことだが、今から二年前の春だ。その頃はまだ髪も梳かし、顎鬚も綺麗に当たっていたものだが、大学時代にお遊び程度のテニスサークルに所属していたことから、テニス部の顧問を任され、その辺りから今のようなラフな格好が定着してきた。テニスコートで浴びる日差しは暑い。それを避けるために帽子を被っていたら、花柄の派手なチューリップハットを部員がプレゼントしてくれた。以来愛用し、体の一部のように気に入っている。元々だらしのない性格なので、このスタイルに落ち着いてからだいぶ楽になった。教師らしく、と身なりに気を使っていた頃は、不自然に自分を作っていたのかもしれない。生徒との間にあった、大人と子どもの壁のようなものもずっと低くなり、友だちのように話しかけられるようになった。舐められているわけではなく、気さくに進路相談や恋愛相談など持ちかけられれば、教師冥利に尽きると感じた。心の成長の早い女子には「オサムちゃんムサ苦しいわぁ、ヒゲ剃ってや」などとからかわれることもしばしば、男子には兄貴分のようによく懐かれた。特にテニス部員には懐かれていると思う。その成果と言えば、毎週火曜日と木曜日開催のお笑い講座の出席率は、通常の部活に劣らず高い。財前などクールな性質の者はやはり参加したがらないものの、楽しくやっている。

 四天宝寺は校風からして変わっているが、教員それぞれに狭いながらも畳敷きの個室が与えられるというのは、ならではである。備えつけられた文机を端に避けて、生徒たちにお笑いの指導をするのだ。上方落語を披露するもよし、ずっこけるもよし、プロレス技もよし、何でもありだ。それが本来の四天宝寺らしい目的であるが、渡邊の部屋はテニス部員によくたむろされていた。ギャグであれば許される漫画本を持ち込んで、畳の上に寝転がりながら、仕事のために文机に向かう渡邊の後ろで悠々自適と過ごす。もちろんサボりには使わせないが、憩いの場になるのならばと、可能な限り生徒たちを迎えた。

「オサムちゃん、ちょっと休ませてや」
 そう言って入ってきたのは二年生からテニス部の部長を務めている白石蔵ノ介だ。担任を持たない渡邊は、いつものように自室で購買の弁当を掻き込んでいた。寂しい風景に思えるかもしれないが、こうして誰かが必ずと言っていいほど訪ねてくるので、孤独は感じなかった。
「おう、どないしたんや」
「昨晩謙也が深夜に長電話してきよって、寝不足やねん。アカンわ、目開けてられへん」
 言われてみれば、健康オタクの部長の目元には珍しく薄らと隈ができている。
「そら、えらい災難やなぁ。ほな、寝とき」
 文机を引きずってほんの少し前に進み出て、後ろのスペースを白石に明け渡す。白石はおおきに、と言って畳の上に横になった。少しすると、白石が不意に口を開いた。
「オサムちゃん、何や枕になるもんあらへんやろか」
「そこらに雑誌ないんか」
「しとんのやけど、えらい薄うて。そん座布団貸してや」
「それはアカン、オッサンのケツは案外デリケートやねんぞ」
 白石が座布団の端を引っ張るのを、負けじと引っ張り返す。渡邊が座っている上、寝転がったままの白石は力が出ないので、ぐうと唸った。力なくうつ伏せた白石が、恨めしい声で囁く。
「オサムちゃん、こないだ焼き肉行ったとき、足出た金建て替えたん、まだ返してもろてないで」
「ぐ…それは、言うたらアカンやろ」
 渋々座布団を渡してやった。白石は上機嫌に「おおきに」と言った。「流しソーメンばっかり嫌や」と文句を言ってきたレギュラー連中を、親切で焼き肉に連れて行ってやったのだが、青少年たちの食欲を侮ってはいけなかった。結果、白石を頼ることとなってしまった。借金を返済するまでは切り札に使われるだろう。給料日までは幾日か、重くなる頭を垂れて指折り数えた。

 もう少しで昼休みも終わるという頃、嵐がやってきた。
「白石ィー!」
 引き戸を勢いよく開けて、上履きを蹴り捨て入ってきたのは、この春入ってきたばかりの一年生のゴンタクレ、遠山金太郎だった。この学校に入ったのも、テニス部に入ったのもまだ短い期間であるというのに、それを全く感じさせないほど馴染んでいた。
「金ちゃ〜ん、先生に挨拶はないんかー」
「白石、聞いてや〜!」
「んん…、やかましわ、金ちゃん」
「無視かいな…」
 元気すぎる少年の様子に渡邊は苦笑した。遠山はその怪力で寝ている白石を引きずり起こして、大声で己の不幸を訴える。
「千歳が、千歳がな!ワイの楽しみにしとったたこ焼き、食ってもうたんや〜!うぁ〜むっちゃ腹立つぅ〜!!白石ィ!毒手でやっつけてや!!」
「あー…、後5分も寝られるやんけー…。俺はムダは嫌いや!寝る!!」
「し〜ら〜い〜しィ〜!!」
 白石は意地でも寝てやると、また寝る体勢をとったが、そんな抵抗も虚しく遠山に引きずられていった。白石は断末魔のような呻き声を上げていたが、遠山のあまりの気迫に、渡邊は笑顔で手を振った。まさしく、台風一過だ。
 やれやれと一息ついて、取られた座布団を尻に敷き直そうと、白石の寝ていた辺りを見れば、白石の言っていた薄い雑誌というのが目に入った。座布団と一緒に手に取る。見れば、それは洋服のパンフレットで、そういえばテニス部員の一氏ユウジが先日ネタ見せにやってきた際忘れていったものだと思い出した。一氏の父親は業界でも高名な服飾デザイナーだ。文机を引き戻して、座布団の上に座る。マットな紙質のそれをパラパラと捲る。上等の服を着こなした外国人のモデルたちが、シュッとしたポーズを決めている。自分にはとてもじゃないが、ハイセンスすぎて着れやしないだろう。プロポーションも顔も悪い方ではないと思うが、これらの服に相応しい、外国人モデルたちに比べれば当たり前に劣る。きっと、部員たちに指をさされて笑われるに違いない。

 放課後になって、明日の授業の準備をしていると扉が叩かれる音がした。今日は千客万来だ。はい、と答えて立ち上がると、扉が開けられた。訪ねてきたのは一氏だった。
「オサムちゃん、入ってもエエ?」
「エエで。噂をすれば何ちゃらやなぁ」
「なん?」
「いや、こっちの話や」
 招き入れてやると、勝手知ったるという感じで一氏は自然に畳に座った。渡邊も座布団に座って向き合う。
「どないした」
「あんな、今度のお笑いライブでやるネタ見てほしいんやけど」
「ほーか。んー、スマンけどちょっと待っといてくれるか。これだけやってまうから」
「おん」
 素直に答える一氏に、渡邊の心証はいい。普段はダブルスと漫才コンビ、両方の相方の金色小春を追いかけ回して騒がしくしているが、この部屋に来る時はこうして渡邊が言えば大人しくしている。待たせていても苦はないようだから、一人でいるときには割合静かな気質なのかもしれない。
 明日使うレジュメの下書きに目を落とすと、文机の端に避けたパンフレットが目に入った。
「せや、こないだ忘れてったで」
 そう言って、一氏に手渡す。
「あぁ、ホンマ。ここに置いてってたんか。おおきに」
 受け取ると、一氏はパラリパラリと、一枚ずつ丁寧に捲りながら中身を見ている。紙面に落とす目は真剣で、やはり血が流れているのだろうか。渡邊にチューリップハットをプレゼントしてくれたのは、一氏だった。新作商品のパターンを使って、一氏が布を選んで自分で作ってくれたらしい。普段から自分で小物など手作りしているだけあって、中学生が作ったとは思えないほど縫製もきちんとしていて、本当に器用だ。父親にメールするからと、チューリップハットをかぶって年甲斐もなくピースを決めた写真を撮られた。教師が一人で写っているにしては、軽薄な写真だったかと少々案じていたが、杞憂に終わり、気を良くしたお父様から揃いのシャツまでいただいてしまった。貧乏教師には大変ありがたい話である。チューリップハットと共に愛用していて、現に今日も着用している。

「はー、待たせてしもて、えらいスマンかったなぁ。一氏、先生仕事終わったで」
 事務作業で固まった体を伸ばしながら、一氏に声をかける。一氏は壁に寄りかかって座っていた。
「ホンマやぁ。えらい待ちくたびれてんで」
 パンフレットから顔を上げた一氏が、拗ねたように口をとがらせて言った。
「そやから、スマンかったって」
「あはは、ウソやって!ウソ!オサムちゃんえらいオツカレさん」
 教師の純情な心を弄んで少しばかり憎らしいが、肩を揉んでくれるのは嬉しい。まだ子どもの細い指がつぼにハマる。
「あー、そこやー。気持ちえ〜」
「オサムちゃん、オッサンみたいやで。まだ二十代やろうが、しゃきっとせえへんか」
「そないこと言うても、オサムちゃんは疲れとるんやー、もう少し揉んだって」
「しゃあないな〜」
 ひとしきり揉んでもらって、ようやく本題を切り出す。
「さて、見せてもらいまひょか」

 一氏はやおら立ち、満面の笑みを浮かべると言った。
「ほな、はじめまっせ」

 一氏が新作だと言って披露した、校長の物真似は抱腹絶倒の出来で、横隔膜が引きつるほど笑った。お笑いライブでも今日のように実力が発揮できれば、成功間違いなしだろうと、渡邊は太鼓判を押してやった。その後少し話をした後、一氏は金色の委員会が終わる頃だと言って慌ただしく出て行った。

 月曜日は部活がない。渡邊は残っていた雑務を終え、帰り支度を整える。普段は騒がしい学校なだけに、この時間帯の静かな空気は慣れない。未だ独り身ではあるが、一人を好んでそういるわけではない。

 鞄を持ち、立ち上がると、忘れ物はないか部屋を見回す。
「また、忘れていきよった…」

 部屋の隅、一氏の座っていた辺りに薄い冊子が落ちていた。


先生と生徒、4月
20090903-20100114



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